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Parallel Universe  作者: すずめ
第一章 黒髪姫
5/10

3

 初夏のユサビアは、溢れんばかりの祝福で沸き返っていた。

「花嫁、ユサビア国第一王女ミーシャ・ガードネット・アマンダ。花婿、キシマ国第二王子ナイツ・ビィン・レイユ。本日ここにおいて、両者を夫婦と認める。」

恰幅の良い神父の声が厳かな教会に高らかに響き渡った。

 東の大国キシマの麗しい王子は純白のドレスに身を包んで慎ましくも毅然と立っている妻のベールを上げると、その唇にキスを落とした。祭壇の上にある天窓から美しき夫婦を照らし出す光が差し込み、参列者は皆、一枚の絵画のような光景に恍惚と見入った。

「お姉様。ナイツ様。ご結婚おめでとうございます。」

教会の階段を降りてきた姉夫妻の前に跪いたシャンティはお祝いの言葉を述べた。

「愛しいシャンティ。そんな風に跪かないで。ほら、姉様にその可愛らしい顔を見せて頂戴。」

 ミーシャは白く長い指をシャンティの頬に添えた。顔を上げたシャンティは姉の放つ鮮烈な美しさを眩しげに見上げた。腰までたっぷりと広がる金髪が太陽のような強い輝き放ち、一点の曇りもない澄んだ青の瞳は幸福に満ちていた。

「妹君であっても見惚れてしまうようだね。どうだい、シャンティ。君の姉上は女神のようだろう。」

姉妹の様子を見守っていたナイツは誇らしげにミーシャの肩に手を回した。少々いき過ぎ感を覚えなくもない惚気ぶりに閉口しつつも、シャンティはいたずらっぽい笑みを返した。

「ええ。お義兄様は大陸一の果報者ですわ。女神の寵愛を受ける唯一の人になったのですから。」

「まあ、シャンティ。言葉が過ぎるわよ。」

ミーシャは妹の生意気なからかい言葉をたしなめたが、ナイツはむしろ喜んだようだった。腰をかがめて小柄な少女と目線を合わせた。明るい琥珀色の瞳がシャンティを映した。

「我らが黒髪姫の寵愛を受ける世界一の幸運な男はいったい誰だろうね。」

どこに隠し持っていたのか、差し出された小さなピンク色の薔薇のつぼみをナイツの手からうやうやしく受け取ったシャンティは空いている手の人差し指を唇に当てた。

「まだ秘密です。でも、きっと世界で一番私を愛してくれる人だと思います。ナイツ様がお姉様と一番に愛するように。」

 囁くように言ったシャンティはドレスの裾を持ち上げて、軽くお辞儀をすると、足早に立ち去った。姫君の小さな背中を見守る若い夫妻は、子供らしい仕草や台詞を愛らしく思っただろうが、少女の心の呟きまでは聞こえなかったに違いない。

(そんな人がいるなんて、思わないけれど。)

 賑やかな結婚式の一行から抜け出したシャンティは人気のない書庫に逃げ込んだ。華奢な靴を脱ぎ捨てると、晴れ着のドレスであるにもかかわらず、床の足を投げ出す。よく梳いてもらった長い黒髪は太陽の光を吸収して暑苦しいだけだったので、無造作なお下げに編んでしまった。エバが見たら、悲鳴を上げること間違いなしの格好で、シャンティはぼんやりと窓の外に広がる空を眺めていた。雲ひとつない空はミーシャの瞳を思わせた。

(姉様は大国の王子に見初められた美しい姫君か。)

「まるで御伽噺ね。」

 シャンティは、鼻で笑ってみた。立ち上がると、周りを取り巻く本の背表紙を指でなぞった。馴染みのあるそれらのいくつかは美しい乙女と青年が恋に落ちる御伽噺である。幼い頃は恋物語も大好きだったが、今では、空想の中でさえ、主人公になることができない醜い自分を思うと、読む気にはなれなかった。

「出来すぎていて、つまらないわ。素敵な王子と美しい姫君が一目で恋に落ちて、永遠の愛を誓うなんて!」

ふと思いついたように顔を上げると、背の高い本棚に向かって、上品なお辞儀をした。姉のミーシャの仕草のようにゆっくりと優雅に。

「わたくしは、あなたと結婚できません。なぜなら、わたくしは、あなたを愛していないから。なぜ愛せないかですって?そんなの決まっているでしょう。あなたが完璧すぎるからです。」

 シャンティはくすくすと笑いながらも、自分の行動に虚しさを感じた。心の底では、自分を一番に愛してくれるような王子様がいるのではないかと思う反面、不細工な自分に愛を囁いてくれる人なんて、世界中探してもいないではないかと考えると、怖くなる。城の外に出たいと思うのに飛び出していけないのは外に出た途端、周りに人々に笑われるのではないかということを恐れているのだ。

堂々巡りに陥ってしまったシャンティの頭にいつものようにある台詞が浮かび上がってきた。幼い頃読んだ御伽噺に出てきたその台詞をシャンティは頭の中で繰り返した。

「卑屈な思い込みは捨てた方がいい。自分を好きになれない子は誰からも愛してもらえないよ。」

 ある物語の中で、魔女が呪いで醜い姿に変えられてしまった乙女に向かって言い放つ言葉である。初めてその物語を読んだ時、シャンティは本当にその通りだなと感心した。自分を愛し、自分に自信のある人間の放つオーラの美しさをシャンティは身近で感じていた。多くの人々を魅了する姉の美貌が外見だけでなく、彼女の内面から滲み出るものなのだ。

 弾けるような姉の笑顔が浮かんで、いじけているのが馬鹿馬鹿しくなった。式場に戻ろうとして立ち上がったが、その途端、強烈な眩暈に襲われた。

(まただ。)

横倒しになり、薄れていく視界をなす術もなく眺めながら、シャンティはぼんやりと思った。一瞬、白い光に包まれたかと思うと、光の中に奇妙な光景が浮かび上がってきた。丈の短いドレス(ワンピースというものかもしれないとシャンティは、思った)を揃いで着た少女達が頬杖をついて黒板を眺めていた。時々、羽根ペンとは違った長い枝のようなもので紙に文字のようなものを書き込んでいた。見たこともないはずなのにわずかな既視感のようなものを感じたシャンティが無意識で手を伸ばすと、光景は歪み始めた。慌てて、瞼を閉じたが、瞼の裏側まで焦がすような強い光は容赦なくシャンティを包み込んだ。

「シャンティ!」

白い光が弾けて暗闇に飲み込まれる寸前に誰かがシャンティの名前を呼んだ。

 気がつくと、シャンティは自室の寝台に寝かされていた。見慣れた天井は温室をイメージしたデザインで、生い茂る草花や集まった鳥達などが緻密に描かれているはずなのだが、今のシャンティには、よく見えない。先程の強い光に目を焼かれてしまったようだ。視力が戻るまでの間、ぼんやりと天井を見上げていたが、視界がはっきりしてくると、体を傾けた。

 寝台の横には、とび色の髪の青年が座っていて、うつらうつらと頭を揺らしていた。壁も家具調度品も深い青を基調とする薄暗い部屋では、明るいとび色はくっきりと目立っていた。少なくとも、日光の下にある黒髪と同じくらい異様に見えるかもしれないと思ったが、またしてもくだらないことを考えている自分に腹が立った。

 やがて、シャンティの視線を感じたのか、目を覚ましたリンは自分を覗き込んでいる黒い瞳を見ると、ほっとしたように相好を崩した。

「式場に姿が見えないから探しに行ったんだ。やっと見つけて声をかけようとしたら、いきなり倒れるから驚いたよ。脱水症状かもしれないから、水を飲んでおくといいよ。」

体を起こしたシャンティにグラスを手渡したリンは、枕元に置いてあった水差しからグラスに水を注いでやった。

「すぐに式場に戻ろうとしたのよ。だけど、また変な光景を見てしまって。」

シャンティはおどけた表情を浮かべると、空いている方の手の人差し指を頭の上でくるくると回した。リンは、シャンティの言葉にさほど驚かなかったが眉を寄せた。

「久しぶりだね。最近ずっと見ていなかったのに。」

「そろそろだと、予想していたわ。暑くなってくると、よく見るものだから。」

「ちょっと、待って。詳しい話は楽な体勢になってからの方がいい。」

いくらか水を飲んだことを見て取ると、リンはシャンティの手からグラスを奪って、寝台に寝かしつけた。ふかふかした枕に頭を押し付けたシャンティはリンを見上げると、待ちきれずに話の続きを始めた。

「また、わたくしによく似た女の子達が出てきたわ。以前より成長していて、今のわたくしと同じ位の年齢に見えた。」

リンは、言葉を慎重に選ぶためにしばし視線を宙に泳がせた。

「君に似ているということはやはり黒髪に黒い瞳なの?」

「ええ。小柄でまっ平らな顔にずん胴な幼児体型だったわ。」

「・・へえ。」

神妙な面持ちで言うシャンティに吹き出しそうになるのを堪えながら、リンは相槌を打った。

「髪の毛を男の子みたいに短く切っている女の子もいた。あそこも夏みたいだったけれど・・・とても涼しげだったわ。」

「そう。しかし、君まで髪の毛を切るなんて、言い出さないでくれよ。エバが卒倒してしまう。」

気のない受け答えを聞いたシャンティが非難するような目つきでリンを見上げた。

「信じていないでしょう。」

「そういうわけじゃないけど。」

「じゃあ、どういうわけよ。」

幼馴染の姫君は、すっかり御立腹だ。リンは、困ったように自分の髪をくしゃりと握った。

「光景を見たというのは、信じるよ。だけど、その光景が実際この世に存在するかどうかといわれれば、賛成しかねるね。君の心の奥底にある願望つまり―――自分のような人間がどこかにいてほしいという思いによって幻を見せているのだと思う。」

 なるべくオブラートな言葉を選んだつもりだったが、シャンティはそうは思わなかったらしい。リンから顔を背けると、枕に突っ伏してしまった。

「どうせ、わたくしは気ちがいよ。お姉様みたいに美しくて気高い王女になんて、一生なれないに決まっているもの。」

枕にこもった言葉を聞いたリンはさすがに苛立ちを隠せなかった。

「そんなこと言ったつもりはないよ。だけど、言わせてもらえるなら、君はもっと現実を見るべきだ。大体、君はいつも逃げてばかりじゃないか。自信がないからと言い訳をしながら、人前に出ようとしない。おかげで君の友人は僕だけ。ミーシャみたいに頻繁にお茶会を開くべきだとは言わないけれど、もう少し人ときちんと向き合った方が君のためだよ。御伽噺ばかりが世界の全てじゃないはずだよ。」

そこまで言って、リンは小さな背中が震えているのに気がついた。うっかり言い過ぎたと後悔しても後の祭りで、シャンティは頭の上まで毛布にくるまってしまった。もうリンの言葉など聞きたくはないと思っているのだろう。

「ごめん、シャンティ。言い過ぎた。」

寝台の上でうずくまるシャンティをぽんぽんと軽く叩いたが、返事はやはり返ってこなかった。いくらか淋しげな表情を浮かべたリンは立ち上がり、ドアへ向かった。ドアノブを掴んだリンが寝台の方をもう一度振り返った。全て決まってから話すつもりだったが、得体の知れない焦燥感が勝手に口を動かした。

「君に話しておかなくちゃいけないことがある。お目当てだったミーシャの婚約以来、父上やユーヒトが焦りだしてね。急に縁談をいくつも持ってきたんだ。今までは、兄上達がいるから自由にしてきたけれど、こればかりは、王子としての義務だから仕方ない。近々、どこかの姫君と結婚することになると思う。結婚したら、もう友人として気軽に会いに来られなくなるだろう。正直いって、君のことが心配だよ。お節介かもしれないけれど、どうか聞いてくれ。少しだけでいいから、世界を広げる努力をしてみてほしいんだ。君がとてもいい子なのは、僕が保証する。国王夫妻もミーシャもエバも君の侍女も君のことが、大好きだ。だから、シャンティ。もっと自分を信じるんだ。前に言ったことは嘘じゃない。君の王子様は絶対にいるはずだから。」

半ば訴えるような口調で言い終えたリンは静かにドアを閉めて出て行った。遠ざかっていく足音を聞きながら、シャンティは涙を堪えることができなかった。

リンの言葉は何一つ間違っていなかった。それだけにシャンティの心に刃のように突き刺さった。現実を見据えることのできていないことは百も承知だ。

(だけど、それだけじゃない。)

 シャンティは奥歯を強くかみ締めると、天井を睨みつけた。シャンティだけに何かが見えるようにあるはずもない記憶の残像を見上げていた。

 初めて奇妙な光景を見たのは五つの時だった。暑い夏の日だった。シャンティはエバと一緒に庭園にある噴水で水遊びをしていた。ギラギラと照りつける真夏の太陽に耐えられなくなったエバは少し離れた日陰に腰を下ろし、元気よく遊ぶシャンティを見守っていた。

 灼熱の空気が歪んだのは、ほんの数秒のことだった。ふと、顔を上げたシャンティの目に異様な光景が飛び込んできた。

 シャンティの背丈の十倍はありそうな巨大な穴が空中にぽっかり空いたかと思うと、その中に動き回る人の姿が映った。楽しそうに追いかけっこをする彼らはシャンティと同じ年頃の子供達だった。不思議なことに子供達はシャンティと同じで、黒髪に黒い瞳をしていた。はしゃぎ声も聞こえたが、シャンティには、理解できない言葉ばかりで何を言っているのかは分からなかった。得体の知れない光景を前にシャンティは、心がひどく疼くのを感じた。恐怖からではなく、懐かしさのような感情だった。誘われるように一歩前に足を踏み出した時、エバの悲鳴が響き渡った。

「姫様!いけません!」

初めて聞いた乳母の金切り声にシャンティは驚いて動きを止めた。その途端、目の前の空気がぐにゃりと曲がり、逆流を始めた。空中の穴は小さくなり、やがて何事もなかったかのように全てが消えた。

 血相を変えたエバは、呆然と佇むシャンティに走り寄ってきた。シャンティの小さな体を苦しくなるくらいにきつく抱きしめるエバの腕は震えていた。

「あれは、何?」

シャンティはうわ言のように呟いた。実際、風邪を引いた時のように頭がぼんやりと熱くなっていた。

「悪い夢です。どうかお忘れになってください。」

目の前で起きたとんでもない光景をとても信じることができないエバは懇願するようにシャンティにしがみついた。

「あの子達は皆、わたくしと同じような姿だったわ。黒い髪に瞳も・・」

「おやめになってください!太陽に当たり過ぎただけです。部屋に戻りましょう。」

シャンティの言葉をぴしゃりと遮ったエバはシャンティを抱きかかえて、逃げるようにその場を後にした。

 その後、エバが異様な出来事を忘れたがっていることは一目瞭然だった。熱射病のせいで見た幻覚の一点張りで、挙句の果てに自分はそんなもの見ていないと言い出した。唯一の証言者がその調子だったので、シャンティもエバの前でその話をすることはなくなった。それでも、九年経った今も鮮やかに甦る初めての時の光景をただの妄想に片付けることは出来なかった。幻覚にしてはやけにはっきりしており、夢と呼ぶには、生々しすぎた。

(忘れるわけないわ。)

 シャンティの思いを反映するように奇妙な光景はこの九年間、頻繁に現われた。ただ、一人でいる時にだけ強烈な眩暈と共に訪れるようになり、光の中に垣間見る光景も小さくて、数秒しかもたない不明瞭なものだった。信頼できる幼馴染のリンに話したのも、それら二度目以降の光景についてだけなので、彼が幻覚だと主張するのも無理ないことだった。

(見ていないものを信じろなんて無茶は、言わない。理解してほしいなんて、思わない。だけど、いつも聞いていてくれたリンがいなくなるなんて。)

心を許せる存在である親友を失うことはシャンティにとって、この上ない苦痛だった。

(こんなことになるならば、お姉様とリンをくっつける努力をもっとしておくべきだったわ。そしたら、リンはわたくしの義兄としていつまでも傍にいてくれたのに。)

 シャンティはリンを無邪気に引っ張り回していた過去の自分を引っ叩いてやりたい気分になった。

 リンが数ある縁談から逃げ回っていることは何度か聞いたことがあった。あそこまできっぱりと結婚を予告するということはもうそれなりに進んでいるのだろう。

(お姉様もリンも愛する相手を見つけて、遠くにいってしまう。それなのにわたくしはまだ自分さえ愛せない。)

容赦なく忍び寄る孤独の影に怯えて、シャンティは声を殺して泣き続けた。

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