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Parallel Universe  作者: すずめ
第一章 黒髪姫
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 湿った夜風が広間を吹き抜けて、細やかな装飾の施されたシャンデリアが小刻みに揺れた。煌々とした光に溢れるダンスフロアでは、華やかなドレスに身を包んだ紳士淑女が優雅なステップを踏んでいた。

 パズマ城の大広間で大々的に行われるダンスパーティー自体、富のあるユサビアでは珍しくはなかったが、今夜のパーティーはいつもと違っていた。各国から集まった王族や貴族達の顔ぶれはただの舞踏会といえないほどに豪華であったし、よほどの鈍感でなければ、華やかさの下にどこか張り詰めたような雰囲気が漂っていることに気がついただろう。それもそのはずであり、ユサビア国第一王女の婿選びを目的に催されたパーティーであることは給仕の少年でさえ承知していた。

 今日の主役―――人々の注目の的であるミーシャ・ガードネット・アマンダは波打つ金髪を揺らしながら、広間の中央で優雅に踊っていた。ほっそりとした体の線を強調するように作られた赤いロングドレスを鮮烈に着こなすミーシャは息を呑むような美しさだった。男であれば、そんな彼女をいつまでも見ていたいと思い、事実、広間にいるほとんどの男性が目の前で扇を仰ぐ貴婦人や腕の中で踊る淑女ではなく、ダンスフロアの中心で休むことなく回り続ける真紅の薔薇に見とれていた。その熱のこもった視線の先を承知している女性達ものぼせ上がった男性陣とは、また違った意味合いを込めて王女ミーシャを見つめていた。羨望と嫉妬の視線を一身に受けるミーシャはまさにパーティーの主役であった。

 そんな高揚した熱気に満ちた広間の隅で居心地悪そうに壁に寄りかかる青年は美しき主役に感心を払わない奇特な人物だった。若い女性達からいわせると「謎めいた」オリーブ色の瞳を持ち、艶のあるとび色の髪を首元で結んでいる青年の名はリン・ソマール・バトムといった。

 麗しい外見にもかかわらず、ダンスも談笑もせず暇をもてあましているように見える彼がミーシャをさほど気にかけていないのは別に無粋なわけではなく(そういう面もないとは言い切れないが)、彼の視線が始終広い大広間を我が物顔で悠々と歩く背の高い男に注がれていたからだった。

 視線の先の男―――隣国ゲバルの大使ユーヒトがユサビア国王アルサム・ガードネット・サジェットと談笑を始めたことを見て取ったリンは安堵のため息をついた。上品に切りそろえられた灰色の口ひげをたくわえ、どんなつまらない話を聞いていても陽気な笑い声を上げるユーヒトは朗らかで優雅な紳士だったが、三日月型に細められた瞳は常に抜け目のない狡猾な光を放っていた。目が後ろにもあるのかと思えるほどのユーヒトの監視は国王と話している時だけ緩められるのだった。主役のミーシャに話しかけろという無言のプレッシャーと厳しい監視から解放されたことを確認したリンはテラスの方へ足を向けた。

 広間の南側にあるテラスの下には、パズマ城の自慢の一つである星見の庭園が広がっている。昼間ならば、彫刻の施された善美な噴水を中央に手入れされた花々が咲き誇る趣のある庭園なのだが、夜になると大広間の明かりのせいで、名称に反して夜中でも星一つ見えないのは難点といえば難点であった。

 広間の明かりが届かないほど奥まで進むと、深夜の傾きかけた月がリンの顔を照らした。庭園の奥まった所で足を止めたリンは変哲もない生垣の前にしゃみこんだ。誰かが彼を見かけたら、奇妙に思っただろう。生垣の下の地面に手をつき、土を払う仕草は手馴れた様子だった。

 一見すると、何もない地面の土を根気強く払い続けていたが、やがて木の感触を見つけたリンの口元に笑みが浮かんだ。さらに土をどければ、木の板で出来た小さな扉が姿を現した。人ひとりやっと通れるくらいの大きさだったが、気にはならなかった。扉と地面の隙間に手を差し入れた時、不意に人の気配を感じたリンは顔を上げた。

 耳を澄ますと、木の葉の揺れる音に交じって、衣擦れの音が微かに聞こえた。仄かな月明かりを頼りに音の聞こえた方角を睨んだリンの耳に彼の名を呼ぶ声が聞こえた。

「リン。リンでしょう。」

 かすれるように小さいが、妙に強い確信を持った声がしたかと思うと、アーチの間から小柄な影がひょっこりと現われた。小柄な影の持ち主はふらふらと危なっかしくリンの方へ寄ってきたが、予想通り、花壇に足を引っ掛けて、派手に転んでしまった。リンは作業を一旦中断すると、手にこびりついた土を払い、仕方なしに立ち上がった。

「夜の庭をふらふらするなとエバに言われているだろう。」

転んだまま、うずくまっている少女の前にしゃがんだリンは手を差し出した。

「リンこそ、また外に遊びに行くのね。ずるいわ。」

差し出された手を取り、立ち上がったシャンティはドレスの裾を持ち上げて、擦り剥いた膝小僧の具合を確かめた。白い足が暗がりにぼんやりと浮かび上がった。リンはぎょっとした。

「人前でそんなことするべきじゃない。品位を疑われるよ。」

考えなしの行動をたしなめると、シャンティは鬱陶しそうに眉をひそめた。

「エバみたいなこと言わないで。町の女の子は膝まで出した「ワンピース」を着ているって、モリーが言っていたもの。」

「平民は、平民だ。君は姫君だろう。人々の手本になる格好をするべきだよ。どうして、ミーシャのように淑やかに振舞えないんだ。」

真っ当な意見にシャンティは一瞬黙ったが、それでもリンを睨むと、言い返してきた。

「お姉様は、お姉様。わたくしはわたくしだもの。あなたこそ、人のこと言えないじゃない。パーティーはどうしたの。今日はお姉様の婿選びの舞踏会よ。いくら幼馴染だからといって、ぼやぼやしてたら、他の人に取られちゃうわよ。」

耳にたこができるほどその台詞を聞かされていたリンは思わずげんなりした顔をした。

「君こそ、父上やユーヒトみたいなこと言うなよ。何度言ったら、分かるんだ。ミーシャは僕に興味なんかないし、僕もミーシャに興味はない。もちろん、美人だから、昔は憧れたけれど、姉みたいな存在だよ。それに当のミーシャはキシマの王子に熱を上げているようだったよ。」

息継ぎなしで言い切ったリンをシャンティはしばし唖然として見つめていたが、やがて息を吐き出すように尋ねた。

「お姉様はとうとうお相手を見つけたの?」

 美女と名高い姉に各国から縁談話が集まっていることはシャンティも既に知っていた。初めは、喜んでいた国王夫妻も縁談話のあまりの多さに少々困惑し始めていた。今回のパーティーはいっそのこと候補全員を集めてしまい、その場でミーシャに気に入った相手を選ばせてしまおうという豪快な意図を持って、開催されたのである。己の価値をよく理解しているミーシャが結婚相手に妥協を許さないだろうことを容易に想像できただけに姉の一目惚れは妹としてにわかに信じがたかった。

「ああ。東の大国キシマの第二王子だよ。キシマは軍事国家として名高い国だから友好関係を築いておくと、役に立つだろうし、なかなか優良な相手じゃないかな。気になるのなら、自分の目で確かめてくればいいじゃないか。君だって、もうすぐ結婚相手を考えてもいい年頃だろう。いつまでも、人前に出たくないなんて、わがままは言っていられないはずだよ。」

リンとしては、冷静に意見したつもりだったが、シャンティには大きなお世話だった。言い終わらない内にシャンティの手は勝手に動いていた。気がついた時には、リンの頬をぴしゃりと叩いた。

「こんな魔女みたいな王女と結婚したい人なんて、大陸中探したっていやしないわよ。」

黒い瞳に悔し涙を浮かべてシャンティは呆然としているリンに怒鳴った。

「君の場合、容姿よりも性格について考えた方がいいかもしれないね。」

叩かれた頬をさすりながら、リンはため息交じりに言った。

 失礼なほど鈍感なことで有名なリンであっても、一国の王子である彼に平手を食らわせられるのは、腹を立てた時のシャンティくらいなものだろう。そろそろ退散した方が身のためかもしれないと察し、さきほどの生垣まで戻ると、地面の扉を開けた。見つかった相手がシャンティと分かれば、遠慮する必要もない。

 城の外の城下町に繋がっている扉の存在は幼い頃、シャンティが教えてくれた。いつからあるのかは分からないが、かなり年代物であることは明らかで、初めて見た時はずっと誰も使っていないような状態だった。リンはしばしば隠し扉からルシカの城下町に出掛けていた。

「私も行きたい。もう退屈なお城になんていたくない。」

 しゃくりあげながら、シャンティが後ろについて来た。振り返ったリンは小さな頭を優しく撫でた。しおらしくしていれば、黒髪姫は相当可愛らしい。

 無鉄砲で意地っ張りな少女は王女としてかなり問題児だが、王子という立場に息苦しさを感じるリンの憂さを晴らしてくれる存在であった。頬を叩かれたり、泣き出されたり、呆れることも少なくないが、いくつになっても出会った頃と変わらないシャンティをリンは微笑ましく思っていた。

 先程は結婚相手などと言ったが、目をウサギのように赤くしている少女の花嫁姿など到底想像つくものではなかった。いつものように断わられて、むくれているシャンティの頭を何度も撫でた。性格についていえば、この少女はリンの想像する魔女という存在から最も遠いのではないかと思う。

「シャンティはダメだよ。女の子なんだから。お姫様は王子様が来るのを待っていなくちゃ。シャンティの涙を拭いてくれる王子様はきっとどこかにいるよ。」

「自分だって、王子様じゃない。」

頬を膨らませたシャンティの言葉を聞いて、思わず笑ってしまった。

「僕は出来損ないだよ。」

シャンティは弾かれたように泣くのをやめた。涙を拭うと、リンを真っ直ぐに見据えた。

「違うわ。リンは素敵な王子様よ。リンに憧れている人も多いって、お姉様おっしゃっていたもの・・あ、でも、わたくしの王子様じゃないけど。」

 途中で随分と恥ずかしいことを言っているのに気がついたのか、慌てて言い添えた。リンは口元が緩むのを抑えることができなかった。他人に対する好意という、リンにとって極めて珍しい感情の生まれる瞬間に遭遇するのがほとんどシャンティと過ごす時間の中にあることは偶然ではなかった。

「僕は行くよ。シャンティもパーティーに出ないなら、早く部屋に戻った方がいい。エバもいい年なんだから、あんまり心配させたら、かわいそうだよ。」

 エバのことはシャンティにも心当たりがあったようで、くすくす笑った。扉を閉じる前に上を見ると、かがみこんだ少女は手を振っていた。ひらひらと舞う小さな手が暗闇に浮かび上がるのを目にした時、胸に温かいものが溜まった。

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