建国
ユサビア国の都ルシカを水面に浮かぶ白い睡蓮のようだと形容したのは、誰であったか。大陸の中央を流れる大河の支流、ナノン川から引かれた水は城下町を取り囲むように造られた水堀に流れ込んでいた。白い町並みは照りつける強烈な陽光を反射するための工夫であったが、目立った装飾もなく、高潔なまでも純白な姿を保つパズマ城を中心に統一された芸術を思わせた。大陸中を探してもこのように美しい都は他にないだろうと、ルシカを一目見た旅人達は口々に言った。
ユサビア建国の父である初代国王ユタは大陸の西に位置するわずかな領土を治める独立領主の息子だった。元々、西の平原地域は温暖な気候となだらかで肥沃な大地から育つ作物のおかげで豊かだった。広い領土を世襲制で受け継ぐ独立領主を頂点に豪農、独立農民、小作人の順に不動のヒエラルキーが形成されていた。暖かい気候のせいか、その穏やかな気性は庶民に限らず、独立領主達も同様で、自分の小さな領土も守っていければ、なんら不満もないと大きな争いも起きなかった。
ところが、三百年程前、以前から西の平原地域の豊かさを羨んでいた北の人々は北方領土における帝国絶対支配の確立させた後、満を持して西へ踏み込んできた。豊かだが、戦争慣れしていない上に統率者もいない西の人々は大いに脅かされた。なんとか抵抗を試みたものの、戦局は悪化する一方で、北の脅威に屈するかと思われた時、一人の青年が立ち上がった。ガードネット家のユタ・マルタスである。彼の生家、ガードネット家は小さな領土を持つ独立領主の家系で、ユタは老いた父親より領主の地位を受け継いだばかりの血気盛んな十八歳の青年であった。
帝国への抵抗を提案したユタだったが、保守的な独立領主達は年若い領主の言葉に耳を傾けず、どうやったら、北の帝国と折り合いよく交渉ができるかばかり考えていた。しかし、帝国が交渉はおろか侵略のみを考えていると知り、独立領主達は怖気づいた。領地を投げ出し、国外に脱出しようと考える者も少なくなかった。
ある晩、領主達の前に現われたユタは多くを語らず、ただ自分に任せてほしいと言った。五日の猶予を与えてくれれば、必ず帝国軍を半数に減らすので、そうなったら、自分と共に戦ってもらいたいと。
領主達はユタの言葉を無謀だと嘲笑ったが、ユタは頑として翻さなかった。結局、沈黙の了承の下にユタは、ガードネット家の腹心の部下数名を引き連れて、北と西の境目にそびえ立つカロ山の麓に馬を走らせた。麓では、帝国の軍が陣を引いていた。
事が起きたのは、ユタ達が帝国の目を掻い潜り、カロ山に入った三日目の朝だった。凄まじい轟音と共にカロ山に積もっていた雪が雪崩となって、帝国軍の陣に襲い掛かった。あっという間のことだった。何が起きたかも分からない内に帝国軍は雪崩に飲み込まれてしまった。カロ山は今まで一度も雪崩を起こしたことがなく、雪山を知り尽くしているつもりだった北の兵士達は震え上がった。
知らせを聞いた西の領主達は奇跡のような事実に驚き、涼しい顔で帰還したユタに敬意と畏怖を感じた。強烈な痛手を被った北の帝国も神がかった出来事を気味悪く思ったのか、あっさりと進軍の矛先を東方に変えてしまった。その後、北の侵略で指導者の必要性を思い知った領主達は、ユタを国王とすることに決め、ここにユサビア国が建国された。
初代国王ユタ・ガードネット・マルタスの政治は申し分なく、北の進軍から受けた痛手から回復したユサビアは急速な発展を遂げた。城下町ごと水堀で囲ってしまう特異な防御法を提案したのは、国王自身であり、安全と美を兼ね備えた都を完成させたのもまたユタであった。
青年王ユタの隣には、いつも一人の少女が影のように寄り添っていた。ハツと呼ばれた少女は闇より暗い黒髪にそれと同じ色をした瞳を持っていた。西ではおろか大陸中を探しても見つからないであろう異質な容姿を持った不思議な少女を若いユタを惑わす魔女だと考える人々も少なくなかった。
しかし、ユタの打ち出す様々な政策はとても魔女に狂った者が考えるようなものだはなかったし、何より少女自身が毅然とした態度で、誠実に国民と向き合った。薬学に詳しいところは、いかにも魔女らしかったが、それでも北の侵略時に傷ついた人々を必死で看病する小さな魔女は人々の心を打った。
結局、少女は良い魔女(あくまで魔女だが)だという結論に達した国民に妃として認められた。英雄ユタが唯一愛する女性だということもあったが、実質重視の西の人々は自分達を助けてくれるものなら、受け入れることができる、良くいえばおおらかな、悪くいえば現金な性質であった。
妃ハツ・ガードネット・クライスは受け入れてくれた人々に存分に応えた。特に彼女がつくった「病院」と呼ばれる施設は、画期的だった。パズマ城に隣接して建てられたその広大な施設には、薬学に詳しい人々や病人の世話に向いている手先の器用な人々が「医者」や「看護士」として多く集められ、国民達の拠り所となった。
一世代で黄金時代を築いた初代国王夫妻だったが、意外にも彼ら自身のことは文献にもほとんど残されていない。特に妃ハツは身分はおろかどこで生まれたのかさえ、未だに不明である。ただ賢王に唯一愛された女性として、また彼を支えた偉大な王妃としての名だけが伝えられている。




