レッドの旅立ち
「……ッサか」
「はい」
名前を呼ばれ、短く返事をする。
不要な物が一切置かれていない、落ち着きの払った部屋だった。
その部屋の中央にて、燃えるように赤みがかったブロンドの髪の少女が、一部の隙もない姿勢で起立していた。少女特有の柔らかそうな頬に、整った柳眉。それでいて顔立ちは彫りが深く、獅子のような勇ましさを醸し出していた。
少女はやや緊張した面持ちで、椅子の背を見せながら話しかける男――実の父の言葉に傾注していた。
「お前も先日で十と七に達したか……」
「はい」
顔を少女に向けることのない父。親子の会話としてはやや異質な雰囲気だった。その様子は、まるで軍の将校と部下のやり取りとも見て取れる。
白髪の混じった頭髪が背もたれの端から見られる。齢五十を前にした父は、足が悪いため椅子に腰を下ろしていることが多い。
「《ゴルドレッド》の慣例にて、お前を旅に出す。異論はないな」
「……はい」
少女は頷く。
「ならば、準備が出来次第旅立つがよい」
それだけで話は終了した。
十七歳になったばかりの娘を途方もない旅へと送り出すのに、実父から告げられた言葉はたったの三言だけだった。しかも独白かのような調子でいて、餞別にすらなりはしない。
「それでは、失礼します」
少女も言葉少なめに、空気の張り詰めた部屋を退出した。
(ふう)
自室に戻ると、彼女は得も言われぬ感情を吐息と共に吐き出す。
いつものことだった。父の部屋に入ると時間の感覚が狂ってしまう。僅か一分にも満たない入室であったのに、何時間にも及んでいたかのようだ。加えて酷く疲れを覚えた。
目はおろか顔も合わせぬ会話に関しても、普段通りだった。
かといって、決して不仲というわけではない。あれが父のスタンスであって、彼女が生まれたころから変わっていなかった。今さら楽しく談笑したいがために、厳格過ぎる父の性格を直してほしいとは望んでいない。むしろ彼女は、父に対して最大の尊敬を持っているのだ。
(もうこんな時間か)
時計の針は正午を回ったところだった。今日のうちに旅の支度を済ませ、明朝の列車で旅立つ予定にしていた。
旅の同行者はいない。
だが、他人の力に頼らず生きてきた彼女にとっては、まったく憂慮する点ではなかった。
(守護騎士か、いったいどの程度の強さなのだろうか)
旅の目的は、彼女の家に古くから行われている成人の儀式だ。世界に点在する五人の守護騎士に己の力を示し、彼らの技を授かることにある。
無論、父も祖父も――(ゴルドレッドの直系者は)――この試練を乗り越えた傑物なのである。祖父は他界しているが、父の強さは幼い頃から剣を交えているので十二分に知っている。足が不自由であるため走れる身体ではないのだが、彼女は今の自分の実力でも歯が立たないことは分かっていた。
その父を越えることが、この旅の結果としてもたらされるのだ。不安など微塵もない。
むしろ沸き起こる強さへの渇望を抑えるのに苦労しているほどだ。ようやく来たのだと。
(さて、まずは学院か)
制服に着替え、真紅のマントを羽織る。愛用の剣を腰に下げると、彼女は家を出た。
徒歩にて数分の距離。到着したのは、彼女が在籍している魔道学院だった。
少なくとも数ヶ月に渡って旅をするわけである。当然のことながら授業になど一切出席することはできない。
だが、卒業に必要な単位は、残り一年以上在籍期間を残しているのにかかわらず、既に全て修めていた。彼女にとって後は卒業の式を待つだけであった。
それに、旅立ちに関して、学院には伝達済みである。
彼女がここへと訪れた理由は、もっと私的なことだった。
天高く弓を構えた兵の銅像が両脇に配置された正門をくぐり、そのまま一本道を直進する。四つの校舎に四方を囲まれた、春の花が咲き乱れる中央広場を抜けると、一際大きな教員棟が姿を見せた。
途中道を左に折れると、まだ建って新しい特別棟が見えてきた。主に課外活動を行う生徒たちが利用する、いわゆるクラブ棟というやつだ。
最上階までエレベーターで昇り、目的の部屋の前に立つ。
コンコンと軽くノックをしてから、彼女は行き慣れた部屋のドアを開いた。
「失礼する」
見慣れているとはいえ、どこの高級ホテルの一室かと、入る度に思わざるを得ない。黒革のソファにマホガニーのローテーブル。キッチンまではさすがにないが、バーカウンターと足の長い五脚の椅子が部屋の中で際立っていた。
だが目を瞠るのはそれだけはではない。大きなガラスのショーケースには数々のトロフィーや賞状が所狭しと置かれていた。
さらにショーケースの中には、この部屋に縁のある者たちの写真がいくつも飾られていた。彼女の憮然とした表情で写っているものも、ちらほらとある。
相も変わらず掃除が行き届いている清潔な環境に複雑な憂いを覚えながら入室した。
鍵が掛かっていないということは、誰かが部屋にいる証左である。
「いたか」
すぅすぅと健やかな寝息を立てている女子生徒が一人いた。小柄な身体をソファの上で丸めて、ライトパープルのフサフサした毛を持つ不思議な生き物を枕代わりとしていた。
彼女の入室でその生き物がこちらに目を向けてきたが、彼女を味方だと知っているためか、再び生き物は目を閉じた。
「おい、ロックボルト、起きろ」
制服の上から白いローブを着用していた少女を揺り起こす。
「……むにゃむにゃ、もう食べられないです……」
(何てベタな寝言を……)
「う……ん?」
しばらくすると、少女の目がパチリと開いた。
「ドテカボ……は! あれ、レッドさんじゃないですか?」
ガバッと起き上がる白い少女。彼女は二学年下の生徒であったが、同年の者と比べるとやや幼く見て取れる。クリッとした丸い瞳と、この地方では珍しいアッシュブロンドの髪が特徴的だった。
その本人自慢の髪に寝癖がついていることを指摘すると、少女は慌てた様子で直そうと務める。しかし応急手当では直りそうになかったようで、ローブのフードを被って隠した。
「あ、フェンちゃんありがとね」
と、彼女が枕代わりとしていた狼のような生物が光の粒となりながら消えていく。彼女が使役する召喚獣の《フェンリル》であった。
「ひょっとして、私に用ですか?」
「いや、クロスフォードは?」
「クロちゃん先輩ですか? 何か大事な用があるからって、朝からいないですけど」
「そうか」
いてほしいときに決まっていない。
「何でしたら、《アルフォン》で連絡を取ってみた方が早いと思いますよ」
「ん、ああ、そうだな」
彼女は数ヶ月前に、半ば強引に購入させられた携帯機器《アルカナ・フォン》を取り出す。炎をイメージしたレッドカラーが煌く機種は、彼女が持つに似つかわしい。
いまいちこういう機械は苦手であったが、使ってみるとなかなか便利なことが分かる。始めはメールの使用にもあくせくと苦戦していた彼女であったが、今では専用のアプリをダウンロードして使い勝手をカスタマイズするまでに成長している。
ただ、通話機能に関しては未だに抵抗があった。理由は顔を合わせない会話が苦手だからである。きっと日頃の父との会話が影響しているのだろう。
アドレスリストから目的の人物の名前を選択して、通話ボタンを押す。
「………………お」
三コール目で繋がった。「もしもし?」と目当ての人物の声が聞こえてきた。
「クロスフォードか? 今どこにいる」
雰囲気からして屋外のようだった。
「ん? 勇者? 魔王? おい、バンドの練習がどうとかはどうした」
どうやら『また』面白いものを見つけたらしい。
「おい、待て――って、切れたか……」
最後に「じゃね~」と陽気に告げられ、通話は一方的に切られた。
「まったく、あいつときたら」
自分勝手は毎度のことだったので、今さら怒りも呆れもない。
「クロちゃん先輩はどこにいるんですか?」
「どうやら《シンヨーク》まで勇者を探しにいったらしい。それで、これから一緒に魔王を倒しに行くとのことだ」
「え?」
魔王討伐に行くなど冗談としか思えない内容だ。
しかし、通話の相手は面白いことを発見したときは嘘をつかない性格であることをよく知っている。ならば事実であるのだろう。
三歩歩けばトラブルを生み出す人物なのだ。その勇者とやらが彼女に振り回されないことを切に願った。
(まあ、私には関係のないことだな)
彼女はアルフォンをしまう。
「クロスフォードはしばらくここへは来ないようだな」
「はあ」
「私も明日から旅に出る。今日はそれを伝えにきた」
全員に直接伝えたかったのだが、いないのならば致し方ない。
「えぇ! レッドさんもどっか行っちゃうんですか!?」
(その名で呼ぶなと何度も注意しているのだが……)
渾名の由来は彼女のファミリーネームからきているのだが、彼女の好きな色が赤であることも理由の一つだった。
「ブルーちゃんも二週間ぐらい家の用事で休むって言ってましたね」
「ブラッドレイも忙しいと騒いでいたな」
「じゃあ、私も旅に出ちゃおうかな」
「それは進級が確実になってからにしておけ」
「はぅ! 嫌なことを思い出させないでくださいよ。レッドさんのいじわる~」
思い出すも何も、あと二ヶ月後には黙っていても試験を行われるのだ。
「心配するな。クロスフォードだって一応は進級できたんだ」
「はぁ、それもそうですね」
本人が聞けば怒髪天を衝くであろう。
彼女にとって他人の生き方など関心のないことだったが、一年程度同じ時間を共有した小さな後輩のことは気を使う。この学院では留年すなわち退学なのだからだ。
時間も限られているので、彼女は土産話をたくさん持って帰ってくると言い残して、特別棟を後にした。
結局しばしの別れを直に伝えることができたのは一人だけだった。
(後でメールでもしておくか)
これで学院への用事は終わった。すぐに家へ戻り、出発の準備に取り掛かる必要がある。
「ゴルドレッドさん!」
しかし、そう予定通りに事は運びそうになかった。
名を呼ばれて背後を振り返ると、見知った生徒が息せき切らして立っていた。
(また面倒な相手に出くわしたな)
「聞きましたよ。学院からしばらくいなくなるようではありませんか」
「それが、どうかしたか」
いったいどこから聞きつけたのやら、と彼女は噂好きな担任の教師に当たりをつける。
「わたくしには止める権利はありません。ですが、せめて旅立つ前に一度、わたくしと決闘をしてください!」
この手の申し込みは幾度なく受けたことがある。
特に目の前の人物――同じ学年で万年成績二位に甘んじている生徒からの挑戦は優に百は超えているはずだ。
正直うんざり気味だったので、最近はスルーしていたのだが、
「ああ、分かった」
下手に断るよりかは、受けた方が早いと彼女は踏む。
「では、」
「但し条件がある。こちらにも時間はない。決闘はここで、いま行う」
「無理に頼んだのはわたくしです。それで構いません」
律儀な性格であるのだが、どうしてかプライドが高い。
「それでは、」
「いざ尋常に」
両者の周囲の空気が一変した。木々がざわめき、草が身を縮める。噴水のある池では、行水をしていた鳥達が逃げるように空へと飛び立った。
本来は立会人の教師がいなければ校則違反となるが、問題はないと彼女は確信していた。なぜならば――、
(一瞬で終わらせる)
彼女は腰の剣――細身の刺突剣――に手を置く。だが、まだ抜きはしない。
「剣を構えないのですか? こちらは遠慮なく本気で行きますよ!」
どうぞ、と胸中で告げた。
「舞え、《氷の剣舞魔法》!」
対戦者の生徒の周囲に六つの氷の剣が生成される。そのうちの二本を左右それぞれの手に掴むと、残りの四本を前方へと操作しながら彼女に突撃してきた。
(少しは腕を上げたようだな)
最後に対戦したときは四本までしか生成できなかったはずだ。だが――、
「!!」「!?」
両者が交差した後だった、氷の剣が全て砕け散る。そして対戦者は片膝を付いた。
「そ、そんな……」
彼女はいつの間に抜き放っていた剣を鞘に納める。
「これで満足か」
「は、はい。ありがとうございました……」
「こちらこそ」
(私がいなくとも、精進しろよ)
悔しさに嘆くのを我慢するその背中に言葉に出さずに投げ掛けた。
そして彼女は学院から立ち去った。
(少し大人気なかったか)
時間を浪費したくないこともあってか、珍しく必要以上の力を見せた。
(学院の生徒相手にあそこまで力を出したのは、クロスフォードと出会ったとき以来か)
一年近く前のことを思い出しながら、彼女は次に未来のことを考える。
(五人の守護騎士。まずは東の陸路から行くか、それとも西の海を越えるか……)
彼女の冒険が、明日始まる。