旅する者の憩いの場
庶民の楽しみの一つとして、公衆浴場での入浴がある。
客は一食分の食事代金程度を浴場に支払い、浴場側が金品を預かって、
衣服を脱いだらまずは身体をぬるま湯で洗い流し、汚れを落とす。
次に湯浴み着を渡され、それに着替えて湯船につかる。
湯船は大して深くない。成人が中で座っても胸の下まで浸かる程度か。
誰も皆、湯船のへりに背中を預けて、ゆったりとくつろいでいる。
商人や、彼らを護衛する冒険者達は、当然だが旅先での入浴が難しい。
ゆえに自分の町へ帰還すると、旅の疲れを癒そうとよく訪れている。
地方では公衆浴場があっても湯船ではなく、蒸し風呂の場合が多い。
湯をふんだんに使えない為だろうが、熱気の中で大量に汗をかき、
外へ出てから水をかけて、熱を冷まし汗を落とすのだ。
そうした設備もない場合では、濡らした布で身体を拭うぐらいで。
疲れではなく、汚れを落とすのがせいぜいという事になる。
◆
この町では、神殿の責任者が運営に頭を悩ませていた。
怪我や病の治療を求めてくる者は後を絶たないが、予算が不足する。
主要都市の神殿では、貴族からの寄付も潤沢で運営も楽なのだが、
田舎町では、その貴族の絶対数が少ない。ゆえに寄付金も少ない。
平民からの寄付は、大抵がその土地の農産物と畜産物であり、
包帯やら薬品やらを購入する金は別途用意する必要があるのだ。
神官と名の付く役職の者は、本来なら教国より給金が出るのだが、
出自が元平民のこの神官だと、あからさまに給金は少ないのである。
貴族からの寄付が一番の収入源である為分からなくはないのだが、
それで独立採算制を求められても、こうした縁のない者は困るのだ。
無い知恵を絞り、集金の仕組みを考えに考えた挙句、
辿り着いたのは手作りで拵えた小規模な大衆浴場だった。
幸いこの町は水に困っていない。古代の水利機構が稼働している。
そこから水を引き入れ、湯船や建屋を神殿の人間総出で造り、
町の代官や町の住民の協力も仰いでどうにか開業にこぎつけた。
◆
古代文明の遺産として、現代でも活用されているのが水利機構である。
王国、大公国、教国では未だこの水利機構の七割以上が生きており、
共和国や都市国家同盟でも浄水道、下水道の四割程度が稼働している。
おかげで主要都市では飲料水に困る事も少なく、公衆浴場も存在する。
しかしながら水利機構の整備手法については失われているものも多く、
洗浄など手探りの手作業で行わねばならないものが存在する。
排水の浄化はおそらくある種の魔獣、主にスライムと推定されるが、
排水内のごみや汚染物質を取り込ませて分解し、処理していたようだ。
しかしスライムはふとしたはずみで簡単に雑食へと食性変異する。
作業員が襲われた事例も複数あるが、未だ解決策は見いだせていない。
そしてこちらも問題だったのだが、作物の水利機構は失われている。
王国はここ数年浄水道、下水道以外の新たな水利機構を陸上に構築し、
農作物と畜産物の生産量を伸ばしているが、他国は追いついていない。
王国内でも主要都市以外、未だ井戸に頼る場所も多いのである。
◆
結論として、この町の大衆浴場は当たりに当たった。
主要都市でもない、ただの旅の中継地点に過ぎなかったこの町だが、
疲れを取りたい、と大衆浴場目当てに立ち寄る者が増加したのである。
それに伴って旅人が金銭を落とし、町は過去にない賑わいを見せる。
また、思わぬ副次的効果もあった。
治療に訪れた者やその家族も帰りがけに浴場を利用していたのだが、
そうした者達の体力回復が目に見えて早くなったのである。
患者達も理屈は分からないが体感でそれを理解し、
大衆浴場目当ての住民達も訪れるようになった。
出資した町の代官や住民達も二年で元が取れ、浴場も拡張された。
また教国中央大神殿がこの報告を受け、水利機構を活用できる土地に、
同様の設備を備えて運営せよ、という号令を発する。
これを機に、運営負担の軽減される神殿が増加した。
発案した神官も、この功績によって下級から中級となったのだが、
元平民ゆえか、教国から支払われる給金はあまり上がらなかった。
努力は認められたのか、それでも上に発案を取り上げられたのか。
ぼんやり考えつつも、この神官もここでの入浴を楽しんでいる。
「神殿勤めのぼやき」とは別の町の別人です。こちらはかなり田舎町。
最近はシャワーばかりになったなぁ…こう暑いと。




