妹には無理だった
名を呼ばれた瞬間、胸の奥がひどく熱くなった。痛みではなく、急に血が集まったような、逃げ場のない圧だった。王城の広間はいつもと同じ装いで、壁の装飾も、床の光沢も変わらないのに、集まった視線だけが、私の立っている位置へ一直線に集められていた。
「アーデルハイト・フォン・ロイトリンゲン」
ジークフリート王太子殿下の声は、よく通る。呼び慣れたはずの名なのに、その響きだけが場から浮いて聞こえた。
「本日をもって、婚約を破棄する」
ざわめきが起きる。誰かが息を吸い、誰かが椅子を引く音が重なり、広間全体が一瞬で別の形に変わる。言葉の意味は理解できているのに、体が追いつかない。足の裏が床に貼り付いたようで、一歩も動けなかった。
「理由は三つある」
殿下は淡々と続ける。その横で、妹のイゾルデが一歩前に出た。妹は、涙を浮かべながらも、口元だけは勝ち誇ったように上がっている。
「平民への横暴な振る舞い、外国からの客人に対する度重なる無礼、そして自分の立場を利用した数々の行い」
言葉が並ぶたび、背中に視線が突き刺さる。周囲の貴族たちは、私を見る者と、妹を見る者に分かれ、どちらも判断を急いでいる様子だった。
「殿下」
声を出したのは、私ではない。イゾルデだ。
「私、ずっと見てきました。姉がどんな顔で人を見下してきたか、どんなふうに自分が特別だと思い込んでいたか」
震える声を装っているが、語尾には隠しきれない高揚が混じっている。胸の奥がさらに熱を増し、呼吸が浅くなる。
「もう、耐えられませんでした。王城にいる人たちも、同じ思いだったはずです」
そう言って、妹は広間を見回した。誰かが肯定するように頷き、誰かが視線を逸らす。その一つ一つが、私の中に積み上がっていく。
「アーデルハイト」
殿下が名を呼ぶ。今度は柔らかい声音だった。
「弁明はあるか」
その問いに、胸の奥で何かが跳ねた。弁明、という言葉が、今さら与えられた事に、怒りよりも困惑が先に立つ。
「殿下」
声を出そうとして、喉が詰まる。何を言えばいいのか分からないわけではない。だが、この場で何を求められているのかが、見えなかった。
「……弁明、とは、どの件についてでしょうか」
ようやく絞り出した言葉は、想像以上に硬かった。広間の空気が一段階重くなる。
「全てだ」
殿下は短く答える。
「全て、ですか」
視線をイゾルデに向ける。妹は涙を拭いながら、私を見返した。その目に浮かんでいるのは、恐れではなく期待だった。
「姉様は、覚えていないのですね」
「何を、覚えていないと?」
「ご自分が、どれだけ人を傷つけてきたかを」
その言葉に、思わず笑いそうになる。喉の奥が引きつり、呼吸が乱れる。
「イゾルデ」
名を呼ぶと、妹は一瞬だけ肩を震わせた。
「具体的に、どの場面の話をしているのか、聞かせてほしい」
「今さらです。全部、ですから」
全部。その一言で片付ける軽さが、場に奇妙な納得を生んでしまう。殿下が頷き、周囲の貴族もそれに倣う。
「もう十分だろう」
殿下がそう告げると、私の足元が少し揺れた気がした。
「アーデルハイト公爵令嬢。婚約は解消され、王城から退いてもらう。
イゾルデを新たな婚約者に迎える」
退く、という言葉が耳に残る。具体的な期限も、行き先も示されないまま、場だけが次へ進もうとしている。
「殿下」
今度は、はっきりと声が出た。
「私が、ここに立つ理由は、もう無いという事でしょうか。殿下の代わりに行ってきた雑務も終了ですか?」
「そうだ」
即答だった。その速さに、胸の奥で何かが崩れる。
「では」
言葉を続けようとした瞬間、イゾルデが再び前に出る。
「私が、代わりを務めます」
その宣言に、広間がどよめく。
「姉に出来た事なら、私にも出来ます。いいえ、私の方が、きっと皆様に寄り添えます」
妹の声は高く、よく通る。殿下が満足そうに頷き、その肩に手を置いた。
「これからは、イゾルデが王城を支える。新たな婚約者としてな」
その一言で、私の役割は完全に塗り替えられた。これまで誰も口に出さなかった事が、はっきりと言葉になった瞬間だった。
「アーデルハイト」
殿下が再び名を呼ぶ。
「以上だ」
終わりを告げる言葉だった。周囲の視線が一斉に妹へ移り、私の存在は場から押し出される。
胸の奥に溜まっていた熱が、今度は別の形で広がる。怒りとも、悲しみともつかない感情が、体の内側を満たしていく。
「……分かりました」
それだけを口にする。これ以上言葉を重ねても、この場では届かない事が、嫌というほど分かっていた。
イゾルデは、私の方を一度だけ見た。勝利を確信した目だった。
「姉様、安心してください」
その声音は、どこまでも優しい。
「私が、全部うまくやりますから」
その言葉が、胸の奥に突き刺さる。うまくやる、という軽さが、これまで積み重ねてきたものを、簡単に踏み越えていく。
広間の扉が開かれ、次の段取りへ進もうとする気配が流れ込む。私はその流れに乗る事なく、ただ立ち尽くしていた。
ここで終わったのだと、ようやく実感が追いついてくる。名を呼ばれ、断じられ、席を失った。その一連の出来事が、体の中で遅れて形になる。
妹の背中を見ながら、胸の奥で小さく問いが生まれた。
あの席に、本当に座れると思っているのだろうか。
◇
婚約破棄の翌日から、王城の空気は張り替えられた布のように歪みを抱えたまま、誰もその端を留められずに揺れ続けていた。
誰かが呼びに来る気配はあるのに、名前が呼ばれない。
何かを決めなければならない場面が訪れても、判断を預ける先が見当たらず、視線だけが行き場を失って重なり合う。
城は、音を立てて崩れることはない。
代わりに、細い亀裂が至る所に走り、昨日まで自然につながっていた動きが、今日には噛み合わなくなっている。
妹は、その中心に立っていた。
「大丈夫よ、私に任せて」
そう言って前に出るたび、胸を張る姿は堂々としているのに、その声が届いた先で何かが整うことはなく、むしろ別の場所で遅れや混乱が膨らんでいく様子が、否応なく伝わってくる。
問題が起きるたび、妹は笑顔を崩さない。
自分の判断が間違っている可能性を、初めから考えに入れていないからだ。
それを指摘する声は上がらない。
婚約破棄という決定が下った以上、場は彼女を中心に回るはずだという前提だけが残り、現実との齟齬が広がっていく。
そして、その歪みは城の外へ滲み出た。
◇
知らせが届いたのは、昼を過ぎてからだった。
「隣国の王が、視察の名目で来訪されます」
その言葉に、回廊の空気が一斉に張り詰める。
理由を尋ねる者はいない。
城の状態が、すでに外にまで伝わっていることを、誰もが悟っていたからだ。
隣国との執務にも影響が出ていたのだ。
迎えの準備は進められたが、そこでも混乱は収まらない。
配置が決まらず、順序が定まらず、確認の声が幾度も行き交う。
妹は自信満々に前へ出る。
「お任せください、これまで姉がしていたことは、すべて把握していますから」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がざわついた。
把握していることと、出来ることは違う。
その差を、彼女はまだ理解していない。
◇
隣国の王、フリードリヒ・コンラートは、思っていたよりも若かった。
背丈も態度も過度に大きくはなく、威圧するような振る舞いも見せない。
けれど、その視線は落ち着いており、場を見渡すとき、誰かの表情ではなく、動きの流れそのものを追っているように見えた。
「歓迎を感謝する。最近、急に我が国との業務に問題が多発しはじめた事について調査をしたい」
そう告げた声は穏やかで、しかし曖昧さがない。
フリードリヒ王は、長く話さなかった。
代わりに、歩いた。
回廊を進み、応接の場に立ち、用意された説明を聞き流すように受け止めながら、視線だけで城の内側をなぞっていく。
誰が言葉を詰まらせ、誰が確認を繰り返し、どこで動きが滞っているかを、逃さず見ている。
妹は何度も前に出て、状況を整えようとする。
「問題はすぐに解消されますわ」
そう言うたび、フリードリヒ王は頷くだけで、評価を示さない。
その沈黙――いや、間を置く態度に、場の空気が微かに揺れた。
フリードリヒ王は、何も決めつけない。
ただ、起きている事だけを拾っている。
◇
やがて、王の視線がこちらへ向いた。
「君が、婚約を解消された令嬢だな」
その問いは確認に近く、責める響きを含まない。
頷くと、王は短く息を整え、続けた。
「急に出た悪い噂が多い」
それだけを告げ、評価も断定も口にしない。
胸の奥がざわめく。
これまで、噂は理由として使われてきた。
けれど、この王は、それを材料として扱っていない。
「確かめる」
その一言で、場の空気が変わった。
妹が一瞬だけ表情を揺らす。
けれどすぐに笑顔を取り戻し、力強く頷いた。
「もちろんですわ、すべて事実ですもの」
王は答えない。
代わりに、視線を巡らせ、誰が動き、誰が困り、どこで流れが詰まっているかを、淡々と見続ける。
その姿を見て、胸の奥に奇妙な感覚が生まれた。
裁かれる不安ではない。
ようやく、現実そのものを見られているという感覚だった。
この城が、どうなっているのか。
何が変わったのか。
王は、それを噂ではなく、事実だけ拾い上げようとしている。
◇
フリードリヒ王が城に留まると決めてから、王城の動きは一見すると落ち着きを取り戻したように見えたが、実際には人の足取りが軽くなっただけで、行き先を失った視線が増え、あちこちで同じ問いが繰り返される状況は何一つ変わっていなかった。
誰かが確かめに来るたび、同じ説明が求められ、同じ返答が繰り返されるが、そのたびに細部が噛み合わず、話は元の位置に戻され、結果として時間だけが消費されていく。
王は、急がなかった。
部屋を変え、立つ位置を変え、尋ねる相手を変えながら、昨日と今日の違いを丹念に拾い上げ、何が変わり、何が変わっていないかを確かめるように、同じ場を何度も通り過ぎていく。
妹は、そのたびに前へ出た。
「すべて把握しておりますわ」
その言葉は自信に満ちているのに、後に続く説明は毎回異なり、誰かが補おうと口を開くと、別の誰かが首を傾げる。
場は回っているようで、同じ所を巡るばかりで進まない。
王は頷き、記憶するように視線を巡らせるだけで、肯定も否定も示さない。
◇
やがて、噂そのものが俎上に載せられた。
私が誰かを虐げたという話。
私が無礼を重ねたという話。
王は、それらを一つずつ取り上げるが、問い方は責める形ではなく、出来事としての輪郭を求めるものだった。
「その場に居たのは誰か」
「何が起きたと見えたか」
「その後、どうなったか」
答えは、揃わなかった。
同じ噂を語っているはずなのに、語り手が変わるたび、日時も場所も関わる人物も異なり、共通しているのは私の名だけで、肝心の出来事は誰の口からも同じ形では現れない。
妹は、焦りを隠し切れなくなっていた。
「細かい部分が違うだけですわ、大筋は変わりません」
その言葉に、王は初めて視線を向ける。
「大筋とは何だ?話の中心には、いつもあなたがいるようだが」
短い問いだったが、場の空気が張り付いた。
妹は言葉を選び、笑みを保とうとしながら答えるが、肝心の部分に差し掛かるたび、話は曖昧になり、別の話題へと逸れていく。
その様子を見て、胸の内で何かが冷えていく。
噂は、積み重ねれば重くなるが、形を持たなければ支えにならない。
◇
確認が一段落した頃、王は短く息を吐いた。
「噂は、全て事実ではなかった可能性が高い」
その言葉は断定に近いが、裁きではない。
ただ、私の悪い噂が崩れただけだ。
妹の顔色が変わる。
それでも反論は出ない。
反論するための形が、もう残っていなかったからだ。
場に残ったのは、噂が消えた後の空白と、混乱が続いているという現実だけだった。
王は私を見る。
「もう少し、確かめる。あなたの能力についても」
その一言で、胸の内にあった緊張が、別の形に変わる。
終わりではない。
だが、歪んだ噂は、確かにここで折れた。
城はまだ回らない。
けれど、何が壊れていたのかだけは、誰の目にも見え始めていた。
◇
噂が形を失った後も、城は元には戻らなかった。
誰かが決めようと前に出る。
その動きに合わせて別の者が動く。
だが、そこで必ず一拍の遅れが生じ、確認の声が重なり、結局は誰も先に進めないまま、同じ場所で足踏みを続ける。
全ては、妹の指示が正しくないのが原因だ。
以前なら、そうはならなかった。
その事実が、言葉にされる前に、場の空気として広がっていく。
妹は、それを最も強く感じていた。
視線が集まらなくなったわけではない。
むしろ逆だ。
何かが滞るたび、何かが上手くいかないたび、その原因を求める視線が、必ず妹へと向かうようになった。
「どうして、こんなことに」
焦りを含んだ声が、回廊に落ちる。
その問いは誰かに向けられたものではなく、自分自身に突き付けられた形をしていた。
妹は動く。
指示を出す。
順序を決めようとする。
けれど、そのたびに別の場所で不具合が生じ、修正しようとすればさらに別の歪みが現れ、結果として、最初よりも状況が悪化している。
王太子殿下は、それを黙って見ているだけだった。
声を荒らげることも、責め立てることもせず、ただ判断を下すたび、その判断がどんな結果を生んでいるかを、目の前に突き付けられ続けていた。
殿下自身が、婚約者である妹を支えきれていない。
その能力が無いので、手を出せないのだ。
全てを私に丸投げしていたから。
◇
フリードリヒ王は、相変わらず多くを語らなかった。
場を変え、人を変え、時間帯を変えながら、同じ場所を何度も通り、同じ状況を別の角度から眺めるようにして、城の内側を確かめ続けている。
妹が前に出る回数は減っていった。
前に出るほど、問題が露わになることを、身体が先に覚えてしまったからだ。
指示を出す事自体が恐ろしくなっているようだ。
それでも、王太子殿下は妹の顔色を窺い、代わりの者を立てる事も出来なかった。
以前、そこに誰が立っていたかを、あえて口にする者はいない。
◇
妹の立つ場所は、すでに揺らぎ、王太子の足元も定まらず、代わりに立てる者は見つからない。
その現実を前にして、私はただ一つだけ理解していた。
再び呼ばれることがあっても、同じ役を引き受ける理由は、もうどこにも存在しない。
ここにあるのは、崩れた場所と、立てなかった人間たちの痕跡だけだ。
◇
妹は、以前よりも目立たなくなった。
姿が消えたわけではない。
ただ、立つ位置が定まらず、声を掛けても反応が遅れ、判断を委ねられる場面が明らかに減っている。
それでも本人は、まだ自分が中心にいるつもりでいた。
数は少なくなったが、何とか指示を出そうとする。
「ここは私が決めます」
そう言って前に出た場面で、誰もすぐには動かず、視線だけが泳ぎ、次に起きる混乱を予感したような間が生じる。
その空白が、かつて私の立っていた場所との差を、残酷なほどはっきりと示していた。
王太子は、その様子を見ているだけだった。
誰かのせいにすることも、感情に縋ることも出来ない状況で、選んだ判断がどんな結果を連れてきたかを、日々突き付けられている。
元々私に投げていた仕事を、彼はこなす事は出来なかった。
信じた妹が期待に応えられなかっただけではない。
彼自身が、それを支える力を持っていなかった。
その事実が、重く、確実に、彼の足元を崩していく。
◇
フリードリヒ王は、最後の確認を終えた後、城の一室でジークフリート王太子殿下と父親である我が国の国王陛下の二人と向き合った。
長い言葉は交わされない。
だが、積み上げられた結果は、すでに十分だった。
場が回らなくなった理由。
噂が形を持たなかった事実。
代わりに立った者が、結果を残せなかった現実。
それらが一つに繋がり、選択の誤りを否定しようのない形にしている。
全てが、ジークフリート王太子殿下とイゾルデの責任を示している。
王太子は、俯かない。
逃げられない。
けれど、視線に宿る迷いが、決断を迫られていることを雄弁に語っていた。
やがて、王太子自身の口から言葉が落ちる。
「責任を、取る」
それは謝罪でも弁明でもない。
立場を失う覚悟を伴った、短い宣言だった。
周囲が息を詰める。
妹が、初めてはっきりと動揺を見せる。
「それは、どういう意味ですの」
問いは細く、焦りを孕んでいる。
答えは、逃げ道を残さなかった。
「王太子の資格を返上する」
ジークフリート王太子は、自らその座を退く意思を示した。
王太子でなくなるほどの事態ではなかったかもしれない。しかし、彼のプライドがそれを許さなかった。父親である我が国の国王陛下も、それを認めざるえない。
「アーデルハイト嬢の悪い噂の出所は、あなたと調べがついている。全ての混乱の原因もだ」
フリードリヒ王が、妹に静かに言った。
妹は、その場で声を荒らげる。
「そんなのおかしいわ、私は、私はちゃんと――」
言葉は途中で止まる。
否定する材料が、もう何も残っていないからだ。
代わりに突き付けられたのは、結果だった。
関わった後に起きた混乱。
整えられなかった場。
誰一人として支えきれなかった事実。
妹の処分は、短く告げられる。
この城に留まる理由がないという、ただそれだけの判断だ。
自領に返される。
泣き叫ぶ声が上がる。
納得できないと訴える声が続く。
けれど、誰もそれを拾わない。
もう、全てが終わったのだ。
◇
すべてが動いた後、フリードリヒ王がこちらを向いた。
「君がいた時、この城は回っていた。素晴らしい手腕だ」
優しい口調だった。
胸の奥が、じわりと熱を帯びる。
ストレートに褒められた。
働きを認められたという実感が、身体の内側に確かに残る。
「我が国へ来る気はあるか?それほどの手腕を埋もれさせたくない」
強制ではない。選択肢が、目の前に置かれる。
城を支えるために立ち続けた場所。
代わりがきくと信じられ、切り捨てられた場所。
そして、今、示されている別の場所。
胸の奥で、答えはすでに形を持っていた。
◇
王太子の姿は、もう城の中心にはない。
視線を集めることもなく、誰かが判断を仰ぐこともない。
優秀な者達が、自主的に仕事を廻す。
妹の姿も、同じように消えた。
別れの挨拶はなかった。
必要とされていない場所に、言葉だけを残す意味がないことを、誰よりも彼女自身が理解していたのかもしれない。
城は、ようやく混乱から脱出しはじめた。
◇
フリードリヒ王と改めて向き合ったのは、出立の準備が整った後だった。
「考えは変わらないか」
問いは簡潔で、圧を伴わない。
選ばせる立場にありながら、選ばれる側の意志を尊重する距離が、そこにはあった。
胸の内を探る必要はなかった。
すでに答えは、ここ数日の出来事の中で、十分すぎるほど形を成している。
ここに残れば、また同じ役を期待される。
支えて当たり前、整えて当然、悪い噂も完全には消えていない。
残る理由は、もう無かった。
「ご一緒します、フリードリヒ陛下」
短く告げると、王は頷いた。
彼は、少しだけ笑みを浮かべた。
「君がくれば、我が国は更に栄えるであろう」
その言葉に、胸の奥がゆっくりとほどけていく。
私の能力を見た上での判断だという点が、何よりも大きかった。
◇
旅立ちの日、城門の前に集まった顔ぶれは多くなかった。
誰かが見送らなければならない理由も、引き留める必要もない。
歓迎された旅立ちではない。
それでいい。
馬車に乗り込む直前、ふと城を振り返る。
立たされ続けていた役目。
代わりがいると信じられ、簡単に切り捨てられた日。
それらが、すべて過去。もう足を止める理由にならない。
フリードリヒ王が、馬車の扉を閉める前に言う。
「向こうでは、君に任せきりにはしない。私が全力で助ける」
その一言が、何よりも信頼を感じさせた。
ただ任せるというだけではない。
支え合うという前提。
胸の内に、温かな重みが落ちる。
◇
馬車が動き出し、城門が遠ざかるにつれ、不思議なほど呼吸が楽になる。
役目を果たさなければならないという緊張が、身体の奥から抜け落ちていく。
ここから先は、姉妹で比べられる場所ではない。
奪い合う位置でもない。
必要とされて立つ。
私の能力が、正しい形で評価された場所だ。
視線を前へ戻す。
道は続いている。
選ばれた場所へ、自分の足で進む。
それだけで十分だと、心から思えた。
私の、女王としての一歩だった。
完。
よろしければ何点でも構いませんので評価いただけると嬉しいです。




