断頭台の合い言葉
「偽聖女リディア。王国を欺いた罪により、ここに処刑──」
王太子の声は、驚くほど他人行儀だった。
かつて「君を守る」と言ったその口で、今は死の宣告をする。
隣で白い衣を纏った少女が、困ったような顔で私を見つめていた。演技だと、もうわかっている。
処刑台の木は冷たく、夜風が首筋を撫でる。
刃がきらりと月光を弾いた、その時だった。
思い出した──名前でも呪文でもない、私たちだけの約束の音。
私は小さく、息でそれをなぞった。
夜空が裂ける。
「…遅くなったな、俺の聖女」
轟音とともに降り立った影は、巨大な翼と漆黒の外套を揺らしていた。
魔王。
原作では、誰にも理解されず滅ぼされるだけの存在。
「化け物っ!」
王太子が後ずさる。
私は処刑台を蹴り、宙に我が身を放り出す。
次の瞬間、強い腕に抱きとめられていた。
「迎えに来た。…約束だろ?」
耳元で囁かれる声。
処刑台にいたはずの世界が遠去かる。
魔王の翼が夜気を切り裂くたび、群衆のざわめきが悲鳴に変わる。彼は城の中心へと手をかざす。
空が歪み、黒い亀裂が走る。
それは、真実の解放。
聖女の力の源──この国が隠し続けた契約が暴かれ、信仰は砂のように崩れ落ちる。
王は玉座から引きずり降ろされ、王太子は鎧のまま地に膝をつく。
「頼む…リディア! もう一度、俺を見てくれ…っ!」
泥にまみれ不様に吐き出す叫び、かつての面影はどこにもない。
私は地に伏す男を見下ろし、極上の笑みを手向けた。
「あなたはもう、物語の外よ」
真の聖女を騙った少女が泣き叫んだ。
「返してっ! 私の光よっ!」
少女を包んでいた光輪はひび割れ霧散した。魔王が低く告げる。
「その光は、真の聖女が応えた時だけ宿るものだ。おまえは奪っただけだ」
私は王太子に言い渡した。
「私を利用して登ったその高さ、今から堕ちゆく音を聞くがいい」
彼の眼に絶望が満ち、世界が砕けた。
夜、魔王城の高塔。
窓の外では雲が渦を巻き、遠くに沈む王国の灯りが揺れている。
私は魔王の胸に背を預け、静かな鼓動に身を委ねていた。温かく、確かで、生きている音。
「…怖くなかったのか?」
低い声が、髪の隙間を震わせる。
「そうね。でも──信じてたわ」
彼は小さく息を吐き、私の額へ優しく口づけた。
「あの合い言葉は、俺にとって帰る場所だ」
「じゃあ、私は?」
「決まってる。──俺の生きる理由だ」
断頭台に残ったのは、弱かった過去の私だけ。
今ここにいるのは。
滅びすら従える、魔王と共鳴した唯一の聖女だ。




