婚約破棄を叫ぶ令息と令嬢にも女神様は祝福(?)をお与えになるらしい
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王国を守護する女神ディメイラ。愛と豊穣を司り、その権能は国土をあまねく包み民に祝福を齎す。
ディメイラ女神は与えた祝福を奪わない。例えそれが愚かな罪人であれど。
✵✵✵
ディメア王国は一年を通して寒冷だが、それがいくばくか和らぐ夏秋期に女神様への感謝を捧げる奉納祭と建国記念を合わせ三日間の祭りが開催される。
今宵はその千秋楽ともいえる王宮舞踏会。国中の王侯貴族がこの大広場に集結していると言って過言ではなかった。
「挨拶回りはこれで全て終わったかな。アリィ、疲れていない?」
「そうね……疲れてはいないのだけれど、人が多過ぎて少し酔ったかもしれないわ」
「はは、実は僕もだ。こんなに人が多い場所、何度経験しても慣れない」
「学園も卒業して、王都を訪問するのは年に一度だけだもの。慣れるにはあと二十年はかかりそうね」
レイ、ことレイモンドは「二十年かー、その頃にはおじさんだね僕」とニコニコしている。
ミコッツ子爵家の娘である私アリアは、ケーボ伯爵家令息の次男レイモンドと五年前に婚約し、一年後には結婚を控えていた。一人娘の私が次期子爵、レイモンドは入り婿予定だ。
互いの領地が近い、親同士も交流している、故に幼馴染。ミコッツ家の子が私一人でケーボ家は男三兄弟。
そちらのお嬢さんにウチの次男どお? いいですね年も同じだし相性も良さそうだし! とあれよあれよ婚約が結ばれるのも自然な流れである。
そして私もその流れに逆らう理由がなかった。
レイモンドはほんわかとした穏やかな性格で、私はあまり物事に動じない現実主義。気性は正反対だが不思議に馬が合う。
相性が良さそうという両親の見立ては正しかったようで、学園に通っている間も関係が崩れる事はなく、寧ろ増々仲を深め在学中はおしどりカップルと呼ばれていた。
勿論今も。一方通行の勘違いじゃなく、自信を持って私は言える。
「人酔いで倒れたら大変だし、休憩スペースで休もうか?」
そうね、と返しながら空いた椅子を探す為に周囲を見回すと、こちらを見ていたご令嬢がいらした。
こちらというよりレイを見つめていたらしい艷やかな黒髪の美しいご令嬢は、私の視線に気付くなりギロリと睨み、再び満面の笑みを浮かべながら向かって来たのである。
「ん?」
突進としか例えようがないマナーギリギリの早足で迫り来る彼女にレイも気付く。
が、素早く私の手を引き、自分ごといなすようにそのご令嬢をヒラリと避けた。
直進していたご令嬢は「あの」と言いかけた表情のまま私達の横をすり抜ける羽目になった。重いドレスに慣性の法則も加わっている。あのスピードで急に止まれる訳がない。
「……闘牛士」
思わず呟いた。さしずめ私はレイが振る赤布か。確かに私の髪も赤いけど。
「え、闘牛士? そういえば今コロッセオで開催してるみたいだね。観に行きたい?」
「いいえ」
今まさに体験したから。
「そう? にしても本当に人が多いね。ぶつかったら大変だ。やっぱりどこかに座って落ち着こう、アリィ」
「……ええ」
背後に漸く失速して立ち止まり呆然とした顔を向ける黒髪ご令嬢の気配を感じるけど、この会話が聞こえたのか再突進して来る様子はない。
確か子爵家のご令嬢だ。一つ年上だけれど婚約者はおられなかった、はず。レイは容姿が良いので話しかけようとしたのだろう。が、闘牛避けに今の会話。あちらからしたら敢えて無視したように感じたかもね。
でも違うのよ。レイは天ね……いえ、少しだけおニブさんなの。家族と私、ごく一部以外の異性に好意を向けられても全く気付かない程の。よしんば告白されても「え、僕には婚約者がいるよ? どうして告白してくるの???」とか素で言える人なのよ。それをわざわざ彼女に教えて差し上げる気はないけれど。
少し天ね……鈍いところはあるものの、見目が良くて仕事もできる。父からどんどん執務を引き継ぎ奮闘する私をしっかり補佐してくれる。互いに愛情もある。結婚するのにこの上ない相手でしょう。私も彼といると程良く肩の力が抜け、跡取りの私を立ててくれる彼を逆に立てられる。おしどりカップルと呼ばれる所以だ。
ただ時々『マンザイカップル』と呼ぶ人がいるのだけど。
マンザイって隣国で流行っているという喜劇よね。言った当人にどんな劇なのか尋ねても教えてくれないのよ。新婚旅行は隣国にしようかしら? 現地で観て確認するのが一番確実だわ。
休憩スペースのソファでレイとそんな話をしながら休んでいた、その時だった。
「ロクサーヌ! オレは真実の愛を見つけた!」
大声に驚いて振り返った。
すると少し離れた先で、男女の二人組と一人のご令嬢が対峙するように立っている。
やや斜め、こちらに背を向けている銀髪のご令嬢が恐らくロクサーヌ様。美しく淑女の鑑として名高いアキレータワ公爵家のご令嬢。
その正面、こちら側からお顔が見える位置にいる黒髪に立派な眉毛の美青年はコモドス・ウァーキヤラゥ侯爵令息様。
お二人は私とレイの二つ下で婚約者同士だったはずだ。私達が最終学年の時に入学してきた高位令嬢と令息のビッグカップルだったので覚えている。
その婚約者であるロクサーヌ様に向けて何と叫んだの、ウァーキヤラゥ侯爵令息様は?
真実の愛を見つけた?
……えーと、もしや、密着状態で隣にぶら下がっている淡い茶色の髪の可愛らしいご令嬢がその「真実の愛」のお相手かしら。恐らくデビュタント前だろう。貴族名鑑に載るのはデビュタント後の子女なので、年下だと顔を知らない事がよくある。
「……アリィ、あれがもしかして『不貞現場』ってやつかな? いくら名門のウワキヤロウ侯爵家のご令息とはいえ、王宮の夜会でこんな真似をすればタダでは済まないよね……」
「レイ、『ウァーキヤラゥ』侯爵家よ。あともう少し声を抑えてね」
確かにウワキヤロウと聴こえそうな名前だけれど。あと名は体を表すとか思ってしまったけれど。
幸い周囲はロクサーヌ様達に注目していて、レイの声に反応する人はいなかった。
周囲の人々は無表情、或いは眉を顰め、或いは怯えを浮かばせ遠巻きに距離をとる。嘲笑を浮かべる方もいるが、それは侯爵令息に対してだ。
ディメア国で不貞は推奨しないどころか、禁忌である。愛人を持つ者が皆無ではないものの、直系嫡子に恵まれずやむなくであり、正妻に許可を得、更に国の承認を得た者に限られる。その場合とて、大々的に公表するなどあり得ない。
つまり、このような多くの衆目がある場で叫ぶ侯爵令息こそ何言ってんのと頭を疑われるレベルの非常識なのだ。
更に、もう一度念を押すが禁忌なのである。良い顔をされないとかそんな話ではない。『この国では許されない』のだ。
貴族平民関係なく、幼い子供ですら知っている事なのだけれど……?
「…………コモドス様、正気ですか?」
ロクサーヌ様のお声も、冷静ではあるけど少し呆れが混じって聴こえる。
「正気だとも! 紹介しよう、こちらの美しく愛らしい女性こそ、カレン・ネトゥリウォンヌァ伯爵令嬢。オレの最愛だ!」
「ごめんなさいロクサーヌ様……。私、コモドス様を愛してしまったの。決して貴女を軽んじるつもりはなかったのよ。許して……」
と言いながら瞳を潤ませるカレン・ネトゥリウォンヌァ伯爵令嬢とやら。でも口元がニヨニヨしてるし、目が三日月になっているしで愉悦が隠し切れていないわよ。
それと、ウァーキヤラゥ侯爵令息。今指摘する事じゃないかもしれないけど、ちょっと胸元を開けすぎじゃないかしら? いくら最近、着崩しが流行だからといって国王夫妻もいらっしゃるパーティーなのに……え、それでよもやご挨拶した訳? まさか。
国王夫妻は広間の奥で玉座に鎮座しており、まだ彼らの様子に気付いておられないようだけど……だからといって催しに招かれた立場で私情の騒ぎを起こして良い訳がない。そこまでで止めた方が宜しいのでは?
まさかまさか、これも隣国で流行ったという『アレ』を披露する訳じゃないわよね……?
婚約者に破棄を告げて違う女性に乗り替えるとかいう――。
「そう、オレ達は愛し合っている! 可愛げのない君の出る幕は最早無い! ロクサーヌ、今ここで君との婚約を破棄する!」
と思ったらあっさり披露した。何なの、流行りに乗るタイプなの、あの方。
周りの貴族達もザワリと驚愕し、その反応にウァーキヤラゥ侯爵令息とネトゥリウォンヌァ伯爵令嬢はご満悦みたい。
でも気付いてないのかしら。そのざわめきは
「あーやっちまった」
という呆れを多分に含んでいること。
アキレータワ公爵令嬢は小さく嘆息を落とし、一応とばかりに反論した。
「……この国でそのような宣言をする意味がお分かりですの?」
「女神の怒りに触れる、か? ハッ! 心配など要らない。ディメイラ女神は愛を司る女神。真実の愛で結ばれるオレとカレンを祝福してくれるだろうさ」
「そうですよ。嫉妬するのは分かりますけれど、脅されたとしても何があっても、私はコモドス様を愛する事を止めませんわ!」
お二人とも勝ち誇ったように何やら言ってるけど……。
やってる事は不貞以外の何モノでもないわよね。要は、婚約者がありながら、片やそれを知りながら、これまで仲を深めてたって事でしょう?
婚約が嫌ならお家同士で解決すべき。こんな場所で声高に宣言するなんて、ロクサーヌ様を貶める意図があったか、はたまた単なる目立ちたがりか。いずれにしても愚行としか言いようがない。
果てして彼らの不貞は『真実の愛』として認められるのか――?
衆目が固唾を呑んで見つめる中。
誰かが「あ」と声を漏らした。
私とレイも気付いた。ウァーキヤラゥ令息の『変化』に。
当然正面に立つアキレータ公爵令嬢も気付かないはずがなく、慌てたように扇で顔の半分を隠した。
「っ……そ、そういえばコモドス様は『女神様の祝福』をお伽噺と馬鹿にしていらっしゃいましたわね。数々の逸話は調べれば事実とお分かりになるものでしょうが……いえ、貴方に何を言っても聞く耳が無いのですから無駄かしら。もう遅いですようですし……」
「? 何を言っている? 泣いてオレに縋ろうとしても無駄だぞ!」
「鏡でもご覧下さいまし……ふっ」
「!? 泣いてるんじゃなく笑っているのか!? 馬鹿にするな!」
ロクサーヌ様は馬鹿にしているつもりは無いと思うわ。
ただ今のウァーキヤラゥ侯爵令息様『達』のお顔は正面から直視できるものではないのよ。
ロクサーヌ様だけでなく、周りでも視線を逸らし、フルフル肩を震わせる方は少なくない。
何故なら――ウァーキヤラゥ侯爵令息嫡男の、眉毛が。
左と右に分かれていたはずの眉毛が。
……一本に繋がったから。
隣でレイが感心したようにコソッと囁いた。
「ウワキヤロウ侯爵令息の眉毛は元々立派だから、ここからでもよく見えるね。『アオノーリ』を思い出すよ。ほら、海岸地方の海産物」
「あったわね。見た目が黒いのに何故『アオノーリ』と言うのか不思議で……いや今は論点そこじゃないと思うわ」
自分でもアレ何かに似てるな、と思った為に答えを教えられたようでついノッてしまった。でも『アオノーリ』は美味しかったし、眉毛に例えるのは失礼ね。漁師のおじさま方、ごめんなさい。
あとうっかり注意し忘れたけど『ウァーキヤラゥ侯爵令息』よ、レイ。何度も間違えては侯爵家に睨まれてしまうわ。
……って、あら? すると『真実の愛』のお相手カレン・ネトゥリウォンヌァ伯爵令嬢も何やら『ネトリオンナ』と聴こえなくも無いような……ロクサーヌ様のお名も『アキレタワ』………いえ、きっと気のせいね。ええ。
話を戻しましょう。
ウァーキヤラゥ侯爵令息の眉毛は元々繋がっていた訳ではない。確かに指二本分の幅のある立派すぎる眉毛だけれど、貴族らしく手入れは欠かさないようできちんと二枚……じゃなかった、左眉と右眉に分かれていらっしゃった……はず。あの令息をまじまじ観察する趣味はないので朧げだけれど、多分。
しかし婚約破棄を告げた直後、一瞬にして左右の眉間を埋める如く生えた。毛が。
そして眉毛はガッツリ繋がったのだ。
何故そんな事が起こり得るのか――?
話は数百年前に遡る。
✵✵✵
かつて違う名であったこの王国は世界の最北に位置する、世界で最も厳しい土地であった。
冬は雪に埋もれ、夏でも作物が育ちにくい。多少恵まれた鉱山や森林資源、塩湖を用いて食料を輸入しようにも、気候が僅かに温暖という近隣諸国であれ自国の食を賄うだけで輸出する程の余力は無い。
もっと南国の豊かな地域との交易は可能だったが、何せ遠い。運ぶうちに食料の殆どが腐ってしまうせいで、輸入品は日持ちする極僅かな種類と量数に限られた。
更に、寒冷地域ならではの特質もあった。
子供の頃から寒さを凌ぐ為に特産の高濃度酒を常飲し、量を賄う為に脂質の多い物を食べ、少しでも満足感を得る為に塩分の高い味付けを好む。
やむを得ない習慣だった。
しかしそれらの習慣は……人々の頭髪に甚大な影響を齎したのだ。
当時の悲哀を彷彿とさせるエピソードがある。
とある貴族の夫妻がいた。
若かりし頃、明るく溌剌としていた夫は二十代の後半から塞ぎ込むようになった。
十代ではあれほど強靭だったコシが年々儚く頼りなげに。
櫛を通すたび抜ける数本、朝起きた際に枕に付着している数本、風呂に入れば湯と共に流れ落ちる本数はもはや束……。
それらが自毛の半分にも及んだ時、夫は、このまま行きつく所まで行きつくしかない、アレを被るしか道はないのだと悟り、遣る瀬無い微笑みを浮かべながら切なく涙を落としたという。
――そこへ、妻が駆け寄って叫んだ。
『泣かないで、旦那様! わたくしが愛しているのは、貴方の毛根じゃない。貴方の心、貴方そのものなのです!』
ひしと抱き合い号泣する夫妻―――この逸話は現代、純愛演劇となりロングセラーを更新し続けている。
ただ、この夫妻は幸福な例だ。年々薄くなる夫と出歩くのを嫌がる夫人は少なからず存在したし、その逆の例もある。女性の側とて同じ食習慣なのだ。女性だからこそ男性よりも悩みは深かったとも言える。
これらの理由によって、王国は世界で最も寒い、(色々)侘しい国とも呼ばれていたが――。
世界創造神の一柱、ディメイラ女神が憐れみ、愛と豊穣の権能を以て守護し、土地と国民に祝福を与えたのだ。
するとやがて。
国内には穀物や野菜が力強く実るようになり。
国民はアルコールと脂質、塩分に強い体質となり。
誰しもがフサフサとなった。
王と人々はディメイラ女神に深く感謝し、国の名をディメアと定めたのだそうな――。
✵✵✵
――という伝承がある。
伝承とは言うが史実でもある。周辺国で干魃や蝗害があってもディメア国内に影響は及ばず、飢饉などこの数百年一度も起こらず、民はどれほどお年を召した方であろうと例外なくフッサフサ。
ディメイラ女神の守護と祝福は今も遍く国と民に注がれている。そして一度与えられた祝福は、呪いではないので誰かに解呪できるものではない。与えた女神も奪う事はない。それが罪人であれ性悪であれ。
とはいえ、慈悲深い神とて怒らない、という訳でもないのだ。
やらかした人間は祝福という名の罰(お仕置き)が与えられる。
かつて民に圧政を敷いた何代前かの国王は、強烈な汚物臭を放つ植物が身の回りに生え続ける異能が与えられ、匂いと寄って来る虫に苦しんで心を病み、即位して数年で退位する事になったという。
またとある貴族夫人は優しい夫を傷付け多くの愛人を囲ったが為に、唇の横にあるセクシーなホクロから一本の長い剛毛が生え、抜いても抜いても一瞬にして元通りになるお陰で社交界に姿を現す事ができなくなったという。
女神は与える。罪人にも性悪にも与える。殺傷や金銭に関わる形で他者を害した者には植物にまつわる(要らない)祝福を。不貞や愛に関して誰かを貶めた者には毛にまつわる(余計な)祝福を。
当人の精神が耐えられないような、或いは尊厳に関わる祝福(?)を、当人が心から悔い改めるまでひたすら嫌がらせ――否、与え続けるのだ。
ディメイラ女神の司る『愛』とは、他者への思いやり、誠実さの土台あってこそだとも伝えられている。不貞や己の欲の隠れ蓑にしようとも、それが邪念に基づいていれば望まぬ祝福(お仕置き)は与えられる。
ウァーキヤラゥ侯爵令息の現状はつまり、女神の怒りに触れたという結果であった。
たった一部分ではあるが、効果は絶大だ。少々濃ゆいものの美形といえる顔立ちだったのに、眉毛と眉毛が繋がっただけで魅力が八割くらい減っている。言動も合わせれば評価はマイナスもマイナス、奈落へと落ちるだろう。
「………………はあ!?」
そこでネトゥリウォンヌァ伯爵令嬢が叫んだ。
周囲の反応が自分の思うのと何か違うと気付いたのか、首を傾げた後ウァーキヤラゥ侯爵令息へと視線を移した。よって、その顔……眉毛状態をマトモに見てしまったのだ。
ウァーキヤラゥ侯爵令息もまた、その声に振り向いた。そして、ネトゥリウォンヌァ伯爵令嬢の『状態』にギョッと後ずさる。
「カ、カレン!? なんだ、その顔は!??」
「顔? いやコモドス様こそ何その眉毛!?」
「眉毛がどうした!? 君こそなんで髭が生えてるんだ!?」
「髭!?」
「「「 ブホッ……!! 」」」
その遣り取りに、頑張って堪えていた衆人の方々が次々吹き出した。
そう、『罰』は不貞した本人だけではない。婚約していると知りながらやらかした相手も同罪と見做される。
ネトゥリウォンヌァ伯爵令嬢は――口周りにモサッと髭が生えていた。
衆人の中には青褪めている女性もいる。同性としてその末路を想像し憐れんだのだろうか……。
「ネトリウォンナ伯爵令嬢はとてもダンディなご令嬢になったね。僕は髭を伸ばしてもあんな風に綺麗な菱形に揃わないんだよ。いいなぁ」
「レイ、惜しい。『ネトゥリウォンヌァ』伯爵令嬢よ……ダンディな令嬢って何」
どうやらレイは本気で羨ましがってるみたいだけど、女性がダンディと呼ばれても絶対に喜ばないと思う。
「いやぁあ! 何よこれぇ! なんで髭!? 私に髭!??」
「オレの眉間がモサモサしているんだが!?!? ハッ!? おのれロクサーヌ! 君が呪いでもかけたのか!?」
自分達の状態を理解した令息と令嬢が騒ぎ出す。
なんて短絡的な。呪いを他者にかけられるような『魔力持ち』は遥か昔に途絶えたというのに。学園で習うはずよ? 忘れてるのかしら。
ロクサーヌ様も何度目か分からぬ溜め息を吐いた。もう笑いの衝動を抑え込んだなんて流石淑女中の淑女。
「呪いではありません。それは女神の『祝福』です」
「はぁ!? こんなもの(繋がった眉毛)が祝福なはず無いだろう!! こんなもの(眉間)剃ればいい話だがこのオレを辱めるとは、悪女め!」
「私も髭なんて望んでないわ! どうしてこんな目に遭わなきゃいけないの!? いくら嫉妬したからってこんな事するなんて!」
「おかしな言い掛かりは止していただける? 嫉妬、とは貴方がたにですか? 婚約はしておりましたが単なる政略で、その男に嫉妬する程の情を抱いた事などございません。そして祝福は事実ですわ。ディメイラ女神様は愛を以て豊穣を与える御方。その怒りに触れた者にも祝福を与えるのです。ただし、本人が決して望まぬ祝福(お仕置き)を。本来であれば誠実に扱わねばならない『愛』を、軽々しく不貞の言い訳にしたのですから当然でしょう。貴方がたの姿は女神の思し召し。甘んじて受け入れなさいませ。因みに剃っても延々と生えてくるらしいですわよ」
「え?」
「え?」
「で、婚約破棄でしたわね? 了承致しました。入り婿予定のはずなのに日頃からご自分が我が公爵家を継ぐような発言をなさっていたようですし、当家でも白紙か解消の手続きに入っておりましたのよ。お家乗っ取りをむざむざ見逃す訳には参りませんから。まさかこんな場所で宣言する程のおバ……愚かとは思ってもみませんでしたが、皆様に周知させる手間が省けたと考えておきますわ」
ロクサーヌ様がそこまで言って、漸く、本当に漸く、彼女の言葉が嘘ではないと理解したらしい。ウァーキヤラゥ侯爵令息とネトゥリウォンヌァ伯爵令嬢は揃って青褪めた。
「ま、待てロクサーヌ……すると……オレはどうなるんだ? 眉毛もこのままなのか?」
「私の顔もよ! 治らないっていうの!?」
「さあ? 呪いではないので解く事は不可能ですが、祝福(お仕置き)ゆえ心から反省し行いを改めれば徐々に効果が薄れるとは言い伝えにあるようですけれど」
「反省だと……くっ、仕方ない。ロクサーヌ、婚約破棄は撤回してやる。どうせお前も、その可愛げのない性格では他に貰い手もないだろう? オレが娶ってやってもいい。感謝するんだな!」
お前の『反省』は反省じゃねえ。
周りの方々はそう思った事だろう。私も思った。
ネトゥリウォンヌァ伯爵令嬢もちょっと思ったらしい。白い目を令息に向けている。
そして、女神にもお気に召さなかった模様。
おかわりが来た。
「うぉわ!?」
ウァーキヤラゥ侯爵令息の、ご自慢の胸筋を見せたいのか知らぬが大きく開いた胸元から、ブワァと毛が溢れ出たのである。
しかも、癖毛が強いご本人とは裏腹な、やたらツヤサラした美しい胸毛が。
「凄いな、見事なストレートの黒毛だ。はは、彼はこれから髪自慢の女性に羨まれるだろうね」
「レイったら……そんな女性がいる訳な」
いじゃない、と返そうとした私の声が、レイの向こう側の向こう側辺りにいらした令嬢の姿を視界に映して止まる。
ん? あれってさっきの闘牛……もとい黒髪の綺麗な子爵令嬢よね。何故ウァーキヤラゥ令息の胸元を見てハンカチを噛みながらキーっとしていらっしゃるの?
羨ましい、てか悔しいの?
嘘でしょ胸毛よ? 無駄に美毛だけど胸毛なのよ???
どんだけサラツヤでも胸毛は胸毛。貴女の黒髪には敵わない、と彼女の肩を揺すぶって訴えたい衝動に駆られる。
「道を開けよ」
葛藤していた私の耳に、その威厳ある豊かな声音が届いた。
人垣が割れ、国王陛下が王妃殿下を伴って現れた。私とレイも慌てて恭順の礼をとる。
「皆のもの、よい。楽に致せ。して、これは何の騒ぎか」
許しを得られたので周囲共々頭を上げた。
壮年に差し掛かってなお美麗な国王陛下が厳しい面差しで問う。玉座まで喧騒が届いて煩わしく思われたのだろうか。
それなら侍従か騎士を遣わせれば良いと思うけれど、舞踏会の主催として自ら警告しようとなさったのかもしれない。
私がそう考えている間に、この場で国王夫妻に次いで高位のロクサーヌ様が陛下に事の次第を説明した。
ウァーキヤラゥ侯爵令息とネトゥリウォンヌァ伯爵令嬢も国王陛下のお出ましに、流石に不味いと自覚したらしい。震えながら顔を俯けている。いや自覚できるならやらかす前に気付けたのでは? 頭に恋情の花が咲くとマトモな判断ができなくなるの典型という事かしら。
「―――という事にございます。年に一度の舞踏会でお騒がせした上、ご迷惑をおかけしました。陛下、王妃殿下、そして皆様に心からお詫び申し上げます」
「そなたのせいではなかろう、アキレータワ公爵令嬢。婚約を解消するという話は余も耳に挟んでおった。家同士で静かに片付けるべき事をよもやこの場で騒ぎ立てるなど予想できるはずもない。しかも『真実の愛』と来た。浮気と不貞をその名で呼んだ者はことごとくディメイラ女神の怒りに触れたというに、まーだ理解せぬ者がおったのだなぁ……」
陛下は嘆息しながら、次にウァーキヤラゥ侯爵令息とネトゥリウォンヌァ伯爵令嬢へと鋭い眼光を向ける。
「ウァーキヤラゥ侯爵令息、ネトゥリウォンヌァ伯爵令嬢、そなたらの家には厳重に注意を言い渡す。よもや言い逃れなどするまいな」
「へ、陛下! ですがオレ、いや私は……」
周りの貴族達は顔を顰めた。王陛下の許可もなく発言するとは。しかもするなと言われた言い訳じみた内容。
あれ? でも様子がおかしいわ。
「…………」
「っ…………!?」
俯いていたウァーキヤラゥ侯爵令息とネトゥリウォンヌァ伯爵令嬢が揃って顔を上げた途端、国王陛下は硬直し、王妃殿下は扇で美しい面を覆った。
サラツヤ胸毛を長く伸ばし眉毛が一本に繋がった令息と、ダンディな髭を生やした令嬢を交互に見、――暫しの間沈黙していた陛下は、直後。
「…………ブワッハアッッ!!」
盛大に吹き出したのだった。
✵✵✵
「ウワーキヤロゥ侯爵令息とアキレータワ公爵令嬢の婚約、無事(?)に解消されたみたいだね」
田舎の領地に戻った後、恒例のお茶会で。小説を読んでいた私に声をかけたレイ。その手には新聞がある。
「解消だけで済んだの?」
「いや、ウワーキヤロゥ侯爵家と、ネトリウオンナア伯爵家からアキレータ公爵家に賠償金他が支払われたみたい。それと、令息と令嬢は当主に縁を切られて、それぞれ別の修道院に送られたらしい」
「うん、まあ……妥当ね」
解消だけならまだしも衆人環視の中で騒ぎ立てたのだ。公爵家の面子を潰してタダで済むはずがない。
「あと、ウワーキヤロゥ侯爵令息と、ネトリウオンナア伯爵令嬢の姿絵が、王都中に貼られているって」
「何その指名手配みたいな扱い」
「国王陛下のお達しらしいよ。ディメイラ女神の愛と豊穣を勘違いする者が後に続かないようにとの戒めだとか。教科書にも載るみたい」
今後暫くは、一本眉毛にサラツヤ胸毛の侯爵令息と、ダンディ髭と化した伯爵令嬢の姿が民に晒される模様。当人達は二度と王都に帰って来られないかもしれない。なんて地獄だ。
つまり見せしめなのだがふと、国王陛下は単に面白がって絵姿を描かせた可能性もある、と私は思った。だってあの時の陛下、爆笑が収まらず侍従達に強制回収された程で――いえ止めましょう。不敬よ。絵姿は陛下の深謀遠慮に基づいた戒め、そうに違いない。
話を変えよう。
「それにしてもあの方々、何故この国に善政が敷かれ、仲の良い夫婦が多いのか、考えた事はあったのかしら」
女神の祝福(お仕置き)は当人が絶対に望まないものが、傍目に隠せない形で与えられるので、周りには「あ、アイツ何かやったな」とすぐ判明してしまう。
それを恐れるからこそ、ディメア国民は身を正して生きるのだ。だって隠してもすぐにバレるもの。
勿論、中には心底善良で犯罪や不貞の概念すら無い、清廉潔白な人物も存在するだろうが。
「うーん、僕も元ウワーキヤルオ侯爵令息と同じ立場だけど、お考えはさっぱり分からないよ」
「同じ立場? レイとあれ……あの方が?」
「だって彼も入り婿予定だったんでしょう? 婚約を破棄して継げる爵位が侯爵家にはあったかもしれないから彼は行動したのかもだけど、うちのケーボ家には余分な爵位なんか無いし。次男だから君と結婚できないと平民になって、官僚を目指すしか道がない。僕はそれを良しとは思わないから、やっぱり彼の考えは分からない」
あら、と私はやや両目を眇める。
「じゃあレイは、余分な爵位があったり、跡継ぎで私をお嫁にとる立場だったら、他の女性に目移りしたかもしれないの?」
レイはきょとんとした後、「無いなぁ」ときっぱり言った。
「不貞をしたらどこかの毛量が増えるでしょ? 目元や耳に毛が生えたら大変だ。アリィが見えなくなるし、声も聞き辛くなる。それはとっても困るよ」
「ふふ」
レイの返事は少しズレているけれど、気を損なう言葉では決してない。お互い燃え上がる恋情があるかと問われれば首を傾げるけれど、私達はこれで良いと思える。
ただ、やっぱりあの二方の名前は正確に言えないみたい。……まあ、今後呼ぶ機会はあまりないだろうし、失敗しそうな時は私がフォローすればいいだけの話よね。
嗚呼、貴方との結婚式が待ち遠しい。
ディ◯イラ「次におイタをしたコには鼻毛がジャングルになる祝福を与える予定ですわ(^v^)」




