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星の影放浪記シリーズ

星の影放浪記外伝「毒と黄金」

作者: ウシュクベ

(これは、絶対に公表してはならない)


 錬金術師は即座に判断した。

 これは、富をもたらすものではない。魔王が撒いた悪神の毒だ。


 神話の中で、悪神マガファは神々に敗れ追い詰められた際、世界に毒を撒いてあざ笑ったという。これはその毒だ。誰かの手に渡してはならない。


 窓の外から歓声が聞こえる。大量の人間を殺す兵器を生み出したことを、乾杯でもって祝福している者たちがいる。

 この国で、この技術を公表してはならない。




『お前たちは、毒と知りつつも、これをすすらずにはいられないだろう』




 神話に記された、悪神マガファの言葉、世界に毒を撒いた時に放ったとされる言葉が脳裏に浮かぶ。



 錬金術師の机にあるのは、「海水から黄金を生み出す」方法についての資料だった。




 遡ること二年前、「黒の森」に潜む、黒魔女の結社についての情報が入り、軍が派遣された。

 その結社は討伐され、拠点としていた洞窟の中が改められたが、そこに「アブロヌ王の遺産」についての資料が見つかった。



 アブロヌ王。中東の不毛な大地に生まれた騎馬民族の王。様々なおぞましい兵器を生み出す魔女を傍らに、世界を恐怖に陥れ、魔王とまで呼ばれた男。

 その残した魔法や技術は、王の死後130年を経た今なお、闇の中から世界を蝕んでいた。


 アブロヌ王の遺産、すなわち、かの魔王が用いた、あるいは用いようとした、禁忌の技術の数々。

 しかしこの国は、忌まわしき魔王の遺産こそ、閉ざされた未来を開き、失われた栄光を取り戻すための福音と考えた。

 そして国が抱える魔術師、錬金術師たちに、その資料の解析を命じた。

 

 成果は次々に現れた。強力な毒薬や爆薬の生成方法はじめ、疫病の人為的発生方法、生物の体を組み合わせてより強力な生き物を生み出す技術、いわゆるキメラの作成方法などが発見されたのだ。


(これは、神々の倫理に背く、悪魔の技術だ)


 忌まわしい技術の発見に喜び、それを発展させようとする者たち。

 この国の歴史は古く、華々しい過去があった。それを失い、過ぎし日の栄光にしがみつくしかない。その鬱屈した精神が、禁断の技術に嬉々として飛びつかせようとしている。

 この国に、黄金を作る技術を渡すのは危険すぎる。


「このキメラの技術だが、人間にも応用できるのではないか?」

「スラムに行けば、いくらでも材料があるじゃないか。実験には困らんぞ」

 嬉々として語る同僚の声に、耳が腐る気分になった。


 彼が担当として割り当てられた資料の正体が「黄金を生み出す技術」であると知ったのは、そんな時だった。


(下手をすれば人類の破滅を招く爆弾になり得る)

 錬金術師は、その危険性をすぐに理解した。


 与えられた資料のうち、根幹に関わる部分を気づかれぬように破棄すると、致命的な欠損があるため解析はできないと、上司に報告した。

「そうか」

 短く返された。頬肉が垂れるほど贅肉のついた顔の中、細く陰険な視線とともに。

 あとは知らんとばかりに机上に視線を戻す上司に内心安堵しながら、錬金術師はその場を離れた。


 錬金術師は「金を生む技術」の存在を、そのまま自身の胸の中にしまい込むことにした。



 だが、運命の女神タラの織物は、彼の運命の糸を用い、あまりにも多くの人間を巻き込んだ、残酷な模様を描いていた。




———神話にいわく。悪神マガファは、生きとし生ける全てのものに「飢え」という呪いをかけた。それによって生き物は互いを食い合い、「死」が生まれた。

 神々が「出産」の救いをもたらし、生命が繁殖を始めると、マガファはそこに「性欲」の呪いをかけた。それを見た神々は、「愛」を授けた。

 マガファはそれをあざ笑い、愛に「執着」の呪いをかけ、愛がもたらす苦しみと、苦しみが生む怒りについて教えた。




 錬金術師には、最愛の妻が残した一人娘がいた。

 娘は、難病にかかっていた。

 錬金術師は医師でもある。薬の調合は自分でもできるが、その材料は高価なものだった。その調達に加え、自身が留守の間、娘の世話を頼んでいる侍女の給金が、家計を圧迫していた。

 さらに、成果の出ない錬金術師に対し、国は冷徹にその俸給を下げた。


(これでは……)

 ベッドの娘に就寝の挨拶をし、自室に戻ると、錬金術師は机に突っ伏し頭を抱えた。このままでは、ほどなく娘の治療ができなくなる。

「……」

 顔を上げた時、窓灯りに光るその目には、暗い決意が宿っていた。

 もはや、自ら毒と断じたものに手を出すしかないと。


 金の生成。


 大いなる悪しきものの手招きを感じつつも、その毒をすすることを彼は決めた。




 金の生成には海水が必要だが、その国は内陸国だった。だが、海水の成分を残す、質の粗い塩であれば、金の生成に利用可能だと錬金術師は判断した。

 問題は入手経路だった。塩の売買は国が管理し、しかも流通しているのは岩塩が中心だった。質の高い高価な海塩は入手可能だが、欲しいのは質の低い粗塩だ。


(裏の世界を、頼るしかない)


 国が高い価格で塩を扱う一方、闇で流通する安価な塩がある。古今東西、多くの国や地域で見られるものだが、この国にもそれはあった。

(資金も時間も、余裕はない)

 早急に闇のルートを探し出さなければならない。

 そしてそれを取り仕切る、おそらくは後ろ暗い組織を相手に、怪しまれることなく入手しなければならない。


 人づてに当たり、塩の密売人に接触するまでは、存外早かった。

 だが、運搬の費用だけでも相当にかかる海の塩を、わざわざ入手しようとするのはなぜか。そのうまい理由を捻り出すことができなかった。心が焦りすぎていたのだ。


「個人的な実験のために、天日干し程度の、精製の粗い塩が欲しいんだ」

 そう、説明するのが手一杯だった。


 どうにかまとまった量の粗塩を入手できた。砂が混じるような粗悪なものだったが、これこそ求めていたものだ。

「よし……」

 最初の関門は抜けた。

 彼は、自宅の一室を用い、早速、金の生成を試すことにした。



「これは……」

 結果から言えば、成功した。

 質の低い、海の成分を多く残す塩は、純金を生じさせた。

(しかし……)

 その量は、決して多くはない。少量の塩を用いた実験とはいえ、その塩の一粒にも及ばない程度だった。 


 それに、大きな問題がある。

 製造の過程で生じた排水だ。緑がかった黒色の、泥のような液体で、果実の腐ったような臭いがした。今は蓋付きのガラス容器の中に入れてある。

 蓋の上には分厚い本を重しにしてある。なぜ重しを置いたかと言うと……。

「やはり、動いている……」

 容器の中の液体は、揺れもないのにかすかな動きを見せていた。

「アシッドモンスター……」

 

 石炭や石油から、魔力を抽出する技術が提唱され、用いられたことがあった。

 それは思わぬ副産物を産み出した。煙や排水が大気や土壌に悪影響を与え、それが蓄積すると、猛毒の煙や汚染された水、あるいは汚泥が、自立した行動を取り始めることがあるのだ。

 スモッグモンスター、アシッドモンスター、スラッジモンスターなどと呼ばれる代物だ。


 これがアシッドモンスターなら、錬金術師は対応する薬品を作れる。

 幸いそれは効果があった。細かな泡が液体から立ち昇り、身をよじるかのように動くのを最後に、液体は静止した。


 錬金術師は椅子に深く腰掛け、大きく息を吐いた。


 生成できる金は少なく、危険な物体を生じかねない。

 しかし、塩の入手は錬金術師の財産に相当な出血を強いていた。国をまたいでの海塩の密売は、粗製のものであっても安くはなかった。残された現金は決して多くない。

 もう、後戻りはできなかった。


 その夜、錬金術師は慎重に、少しずつ、金を生成し続けた。

 できた金は、溶かしてまとめ、なんとか小麦一粒程度の大きさにした。

 そして、溜まった排水に薬品を投入すると、夜陰に紛れて近くの川にそれを廃棄した。


 翌日、仕事帰りに両替商で金を現金化したところ、錬金術師が思っていた以上の金額になった。


(これならば……)

 錬金術師の心に希望の光が灯った。

(だが、慎重に……)

 自分が持つ技術が、他に知られるわけにはいかない。

 錬金術師は、毎晩少量ずつ、細心の注意を払いながら金を生成し続け、そして少しずつ売却した。



 しかし彼には自覚がなかった。学術に関する知識はあっても、世の中のことを、それほど知ってなどいないことを。つまり、自分が世間知らずであることを。

 特に、人の目に映りづらい、薄暗い世界のことについては。

 彼は慎重に動いているつもりでも、暗闇の中を灯も持たずに歩いているに等しかった。

 闇の中から、自分を注視する目に、彼は気づかなかった。




「もう、お売りできないんですよ」

 いつもの店で、娘のための薬の材料が購入できなくなった。

「なぜ……」

 理由を尋ねてもはぐらかされた。

 その時の、店主の泳いだ目を見て、錬金術師の背中に冷たいものが走った。

(まさか……)

 心のどこかで、いつかこんな日が来るのではないかということを、分かってはいた。

 頭から血の気が引いた感覚があったが、それを顔に出さないようにし、

「分かった。ありがとう」

 そう言って、店を出た。


(ああ、地母神テラよ……)

 崇敬する神に祈りながら、足早で家に向かった。

 そして気づく。ここしばらく神に祈りなど捧げていなかったことを。

(わが罪を赦したまえ)

 もはや、この町にはいられないかも知れない。逃げることも考えなければ。


 しかし、その考えもまとまらないうちに、追い撃ちは来るのだった。

 


 翌日、普段陰気な顔を向けてくるだけで、滅多に声もかけてこない上司が、

「今晩、一緒に飲みにいかないかね?」

 そう、上機嫌に笑いかけてきた。

 

 連れていかれたのは、贅沢好き、美食好きで知られる上司には似つかわしくない、場末の酒場だった。古く薄暗く、人もまばらで、置いている酒瓶も埃っぽく見える。

 錬金術師は店にいる客たちを見渡す。

(堅気に見えない)

 刃のような目を持つ者。死んだ魚を思わせる、濁った、湿った目の者。いずれも人の一人や二人は刺し殺していそうな者たちだった。

 その視線は、そろって錬金術師に向けられている。


 背筋がぞくとした。嫌な予感は的中したようだ。


 カウンターの席に並んで座る。丸い椅子は古くて小さく、クッションもつぶれかけ、肥満体の上司の尻は、大きくはみ出していた。


「最近、金回りがいいそうじゃないか」

 灯に照らされた、そのにこやかな笑顔は、悪魔のごとく邪悪なものに見えた。

「わざわざ海の塩を取り寄せて、何を作っているのだね?」

 そこまで知られていた。


「個人的な実験です」

 可能な限り平静な口調で答えると、上司はうんうんとうなずいた後、

「君は、私を甘く見ているのではないかね」

 笑みを深くした。


 それからカウンターに顔を向け、上司は酒を口にした。彼の嫌いそうな安酒なのに、上機嫌なままだ。

「致命的な欠落があるからと君が返却してきた資料、よくよく精査してみたんだよ」

 その欠落は、後から意図的に作られたものではないかと、彼は疑った。そして、

「気づいたのだよ。これは、海水から、何かを生成する技術ではないのかと。たとえばそう、金とか」

 この上司のことを、確かに甘く見ていたようだ。錬金術師は真っ白になった頭を、どうにか回転させようとし続けていた。

「まあ、それに気づいたのは、彼がもたらした情報を得てからなのだがね」


 フロックコートを着こなした、身なりのいい紳士が、上司と挟む形で錬金術師の隣に座った。

「はじめまして先生。こんな店ですが、お楽しみいただけておりますか?」

 そう言って、思わず警戒を解いてしまいそうな、人懐こい笑みを浮かべた。


 上司が彼を紹介する。

「君が購入した塩も、金を持ち込んだ両替商も、彼が営んでおってね。いわばこの町の裏の顔役さ」

「いやいや、顔役だなんて、そんな大層なもんじゃございませんよ」

 そう言って、男は笑った。その目の奥は、錬金術師を凝視したままだ。


 男は言う。

「国お抱えの錬金術師さまが、我々を頼って海の塩を欲しがる。まあこれくらいならちょっとおかしいか、くらいに思うだけなんですがね。しかしその次の日には、同じ方が今度は純金をお売りになる。その後も少しずつ、続けてね。ああこれは、少々怪しいなとなりまして」


 この時点で錬金術師は終わりを悟った。


 上司は言う。

「私は君に協力したいのだよ。君が娘さんのためにカネが必要なことは知っている。しかし、ひとりでできることには限りがあるだろう? もちろん国に報告する必要はない。国に報告したところで、お褒めの言葉と美食の席、まあ給金は少々上がるかもしれないが、そこまでだ」

 国に報告する必要はない。この面々だけが知っておけばいい。その言葉は絶望に傾いた錬金術師の心を大きく動かした。


 男も言う。

「協力者が必要でしょう? 塩を手に入れるにも、純金をさばくにも。先生、あんたはとても頭のよい方なんでしょうが、世間知らずでもあるようですからね。その両方がどれほど難しいことか、ちゃんと理解していないでしょう?」

 最初から自分は詰んでいたのだと、錬金術師は理解した。


 結局、その晩は黄金の生成について何も語らずに帰った。

 もしこの時、錬金術師が誘いに乗っていれば、後の歴史は大きく変わったかも知れない。彼個人の破滅が、避けられなかったものだとしても。


 

 動きは速やかだった。

「旦那様、実は……」

 翌日の夕方、侍女が告げてきた。

 町で、買い物ができなくなっていると。

 なんでも、錬金術師が魔女の一派であるとの噂が広まっているという。

「夜な夜な、旦那様が川に何かを流し入れているという話も……」

 それも見られていた。錬金術師は天を仰いだ。


 そして侍女は言った。噂だから、だけでなく、どの店も、何かに怯えたように彼女を追い返したのだと。


 娘の薬の材料どころではない。錬金術師の一家は地域から孤立しようとしていた。


 夜、カーテンの隙間から外を見る。これ見よがしに家を監視する怪しげな男たち。

 町から逃げる、という選択肢も、おそらくない。自分一人でも監視の目をくぐる自信はないのに、病の娘を連れて逃げるなどというのは不可能だった。


「お父様、どうしたの?」

 あどけない顔で尋ねてくる娘に、どうにか笑顔を作る。

 毎日彼女を診察する錬金術師は分かっていた。娘の命の灯が、日々弱くなっていることを。

 薬は切れて、手元に残された材料で、どうにか対処できる薬品を調合するしかなかった。


 生活も息苦しさを増していく。食料を買うにも冷たい言葉とともに拒否され、顔の知られていない遠方に出向くしかない。

 しかし、そんな錬金術師の後を追うように、噂は広まっていく。


 そんな日々に、錬金術師の心は、闇に染められていく。

 彼は分かっていた。自分の行く末に破滅しか待っていないことを。

(ああそれでも、地母神よ、せめて娘だけでも……)



「申し訳ありません。もう、私には耐えられません。お暇をください」

 涙ながらに訴える侍女を止める言葉は出てこなかった。噂話と周囲の視線、家の周りにたむろする怪しげな者たち。若い彼女にはもはや限界だったのだろう。

 侍女は娘の姉のごとき存在でもあった。彼女がいなくなることが、この家に、いや、最愛の娘にどんな影響を及ぼすのか、錬金術師は理解していた。

「そうか」

 承諾の言葉は、消え入りそうなものだった。

 足元で、見えない何かが音を立てて崩れていくのを感じた。



 侍女の姿が消えてから、娘の衰弱は著しくなった。

 錬金術師は日に日に細くなる娘の体を抱きしめた。娘は気丈に微笑みながら、涙を流す父の背をさすった。

「お父様、私は大丈夫よ、大丈夫」

 娘の体からはすえた病の臭いがした。その臭いによって、錬金術師は娘の近い死を確信していた。



「色よい返事はもらえないものかね」

 人気のないところで、上司が誘いの言葉をかけてきた。

 上司としては、錬金術師が衰弱して見える今こそ、格好の声のかけ時と思ったのだろう。

 これがもう少し早かったなら……、錬金術師が娘の死を確信する前だったなら、この勧誘は成功していたかもしれない。

 錬金術師は何も言わず去った。

 その目が、深く暗い闇に浸食されつつあることに、上司は気づかなかった。



 それから間もなくのことだ。

「私としては至極残念なことなのだがね。君を解雇せざるを得ないのだ」

 軽い調子で上司は告げた。

 理由は成果未達成と世間の噂。実際のところは知らない。どうせこの上司が手を回したのだろう。

「そうですか」

 平坦な声でそれだけ言って、錬金術師は退出した。


 帰宅すると、玄関先に麻袋が置いてあった。中を見ると、塩だった。それも、以前頼んだものと同じ、密輸された粗塩のようだ。

 錬金術師はそれを踏みつけて家に入った。置いた者の意図は明白だ。

「これを使って金を作ってみろ」

 わざわざその現場を押さえるために、あらゆる収入を断った。

「豚め」

 暗い言葉とともに、後ろ手に扉を閉めた。



 娘の死は、それから間もなくのことだった。

 いつものように、遠方まで食料を買いに出ていたときのことだ。

 部屋に入り、ベッドの中の娘を見た錬金術師は、暗い目で娘を見つめたまま、幽鬼のごとく、しばし立ちすくんでいた。

 夕暮れのオレンジの窓灯りに照らされる娘の顔は、とても安らかなものだった。

 錬金術師はベッドの横にゆっくりと腰かけ、

「苦しくはなかったかい?」

 そう言って、娘の頬に手を当てた。落ち窪んだ目からは、涙は出なかった。


 

 その日から錬金術師は、娘の遺体とともに家にこもり続けた。誰とも接触せず、食料すら買いに行かず。

 彼の家を監視する者たちはその様子に訝しんだ。そして三日、様子を見続けた。



 その間、錬金術師は怨嗟を募らせていた。この世の全てに対して。娘を死に追いやった、自分自身を含むすべてのものに対して。

 絶望の日を予感していた錬金術師はすでに、この世を業火に沈めうる爆弾を用意していた。

 そして彼は、その導火線に火を付けたうえで、狂気に満ちた目で、裁きの日を待ち続けていたのだ。


 しかし彼は、その心にわずかな良心も残していた。自分に、この導火線を止めさせる誰かがいるのではないか。たとえば、この国の上の方のほう、やんごとなき人々の中ならどうだ。その希望の灯がなければ、彼はすぐにでも、爆弾に火を突っ込んでいただろう。

 導火線についた火を消す。そんな判断を自分にさせてくれる人間がいるのなら、その時は、破滅するのは自分一人でいい。




 錬金術師の家から、異臭がする。裏に生きた人間にはそれが、人間の死体の臭いであることがすぐに分かった。


 官憲が踏み込み、ベッドに寝かされたまま腐敗を始めた娘の遺体と、そのそばでうなだれたように座り続ける錬金術師の姿を認めた。

 錬金術師の衰弱した姿を見た官憲らは、最初、彼もまた死んでいるのかと思ったという。


 死体遺棄を名目に、錬金術師は連行された。

 しかし収監された先は、どうやら官憲の建物ではないらしい。


 華美な応接室のソファーに、錬金術師は座らせられていた。


 ややあって、見覚えのある男が、従者を連れて入室した。

「やあ先生」

 酒場で出会った、あの身なりのよい男だった。

 ただしその姿は、三角帽子の士官服だった。

(これが本業だったか)


 男は錬金術師の向かいに座った。

「まずは娘さんのお悔みを申し上げよう」

 そう言いながら、足を組んだ。

 そして従者から紙を受け取り、それをテーブルに乗せてきた。

「これは、君が作ったものだね」

 それを見て、錬金術師は死人のように虚ろな目に、わずかに生気を戻した。

 そして、か細い声で、

「それは、この国の王族で一番賢いと言われる方に送ったものだ」

「その方は、私の主でもある」

 男は口の端をわずかに上げると、紙をたたみ、後ろに控える従者に預けた。


 男はソファーに背を預ける。

「海水で金を作る方法。ただし、肝心な部分が抜け落ちた資料だ。これを送ってくれたということは、それを提供する気があるということでいいかな」

 錬金術師は答えない。男は両手を組んで続ける。

「あの豚……、失礼、君の上司に渡すより、はるかに賢い選択だ。我が国のためにもね」

 その言葉を受けて、錬金術師は顔を上げた。

「海水で金を作る、その技術を知って、あんたの主はどうするつもりだ?」

 うめくようなその言葉に、男は首をかしげた。

「どうする、とは?」

「それを、使うつもりなのか?」

「当たり前だろう」


 錬金術師の目から、また光が消えた。そして顔を伏せ、つぶやく。

「毒だ。これは悪神の毒だ。あんたの主なら、それが分かるかもしれないと思っていたのに」

「それはあれかね? よく言う、欲で身を滅ぼす話のことかね?」

 違う。そうではない。


 男は続ける。

「個人でこんなものを抱えていてはそうなるだろうさ。だが、国と言うレベルではどうだ?」

 分かっていない。国という規模だからこそ、これは人類を破壊しうるものになるのだ。

「もちろん君にも相応の見返りはするつもりだ。こんな素晴らしいものを……」

「頼む。あんたの主に伝えてほしい。金を作る技術など、毒にしかならないと。毒と知りつつ、すするつもりなのかと」

 こいつでは駄目だ。こいつの主なら?

 だが、錬金術師の心はすでに、冷たい絶望に染まりつつあった。きっと無駄だろうと。

 導火線に火はついている。見えないそれを、錬金術師は見つめている。


 翌日、錬金術師は引き出され、拷問部屋に連行された。



 乱暴に引き立てられたのは、古めかしい、中世代じみた拷問部屋だった。血の跡のついた年代物の器具が所狭しと並んでいる。


 しばし入口で立たされたのは、それらを目にする時間をも、脅しとするためか。

 冷淡に部屋を眺めていると、突然、背中に電撃が走った。悲鳴も上げることもできず、そのまま拷問台に押し付けられた。


「いきなりすまんな、先生」

 聞き覚えのある声。例の男だった。

 痺れる体を何とか動かし、肩越しにその姿を見ると、昨日と同じ、三角帽子の仕官服。さらに、電気をまとう、小さな杖を片手に持っていた。

(バトルメイジか)


 男は人当たりよさげな、飄々とした雰囲気を脱ぎ捨て、氷のように冷徹な目で錬金術師を見下ろしていた。

「こんなことになるのは私としても不本意だがね。早いうちに素直になってくれると助かる」

 一片の感情も汲み取れないような冷たい口調だった。


「そろそろ痺れも取れてきたかね? 深呼吸したまえ」

 男は錬金術師の体から震えが消えるのを待ってから、

「さて、我々の仕事は君の発見した技術について尋ねることなのだが、君が素直に話すなら、痛いのはさっきの一発だけで済む。どうかね? 我々としても余計な手間と時間をかけずに済むほうがありがたいのだが」

 錬金術師は絞り出す声で、

「昨日、頼んだ伝言は……」

「ああ」

 男は錬金術師に顔を近づけると、

「あの方は、君ごとき身分の者など、同じ人間とは思っておらんよ」

「……」


 錬金術師は心に残る、希望の灯を消した。

 残るのは、この世に対する怨嗟のみだった。

 もはや、導火線が爆弾に至るその日を、ただ待つだけだ。



 その日から、苛烈な拷問がはじまった。

 例の男はたまに顔を出しては、冷たくその様子を眺めていた。

「いい加減、我々の時間を浪費するのを、やめてくれんかね」

 そう言って、懐中時計の蓋をいじっていた。


 時間の浪費。それこそ、錬金術師が狙っているものだった。

 彼は日数(ひかず)を数えながら、待っていた。

 娘の死を確信し、絶望したあの時から仕掛けていた爆弾が、爆発する日を。



 その日が来た。だがまだ早い。錬金術師はボロのように打ち捨てられながらも、笑いをこらえた。


 さらに三日が経った。もう、頃合いだろうか。


 その日は拷問部屋でなく、小さな中庭に引き出され、背中から突き倒された。

 砂にまみれた顔を無理やり引き上げられると、例の男がその背後に立ち、恭しく従う男がいた。服装から言って貴人だ。

 かすれた目をこらして見てみると、

(ああ、こいつが来たか)

 王族だ。錬金術師が、「金を作る技術」に関する資料を送った相手だ。この国で、最も賢い王族と名高い男だ。

 実際にその顔を見ていると、蛇を思わせる、いかにも陰気で細面な男だった。


「貴様、このようなものを送りつけておいて、口を割らないとはどういうことだ」

 王族は、錬金術師が送った資料を従者に広げさせ、言った。


 錬金術師は、その傲岸な顔を観察するように眺めたあと、

「あんたに止めてほしかったんだろうな。でも無駄だった。そしてもう遅い」

 消え入りそうな声で言った。

「何?」


 王族が怪訝な顔をすると、それまで死人のような顔をしていた錬金術師は、にわかに目を剥き、三日月を思わせる狂気じみた笑みを浮かべた。

「黄金を作る技術が欲しいんだろう? 今ごろ届いているはずだ。俺を相手に余計な手間をかける必要は、もうないぞ」

 こいつは何を言っているのだと、左右と顔を見合わせる王族に、錬金術師は、

「三日前に、弁護士が送ったはずだ。あんたたちが欲しがっている、『金を作る方法』をな」

 王族も、その周囲も、意味が分からないと目で語る。


「分からないか?」

 錬金術師の笑みが顔いっぱいに広がる。人を陥れた時の悪魔なら、こんなふうに笑うだろうという、邪悪な笑顔だ。

「配ったんだよ。『金を作る技術』を。あんたを含めた王族、貴族、商人、大学、新聞……、考えうる限り、あれを使えそうな、広めそうな、ありとあらゆるところにな」

「何だと!」

 例の男が声をあげた。

「貴様、それでは、技術の独占が……」

「それだけか? それだけなのか?」

 あざける錬金術師の目は、王族へと移る。

 最初呆然として見えたその顔は、みるみるわななきはじめる。


 錬金術師は邪悪な笑みで、

「なあ、あんたには分かるか? 俺がやったことが。なあ?」

「貴様、この方を……」

「黙れ!!」

 王族は、肩越しに例の男を怒鳴りつけた後、真っ赤に染まった顔を錬金術師に向け、

「貴様、自分のやったことの意味が分かって……!」

「分かるのか、あんた!」

 それまで瀕死のごとき有様だった錬金術師の体が、海老のように跳ね、押さえつけられる。再び顎を上げると、乾いた血がこびりつく赤黒い顔の中、剥いた眼が爛々と光っていた。


 彼は狂喜とともに叫ぶ。

「分かるんだな、あんた! そうさ、滅びるんだ! 何もかも、毒で腐って滅びるんだよ!」

「どこだ、どこに送った! 国外にもか!?」

「もちろんだ、俺が送れる限りのあらゆる場所にな! できればもっと遠くの沿岸国にも送りたかったが、さすがにそれは駄目だった!」

 錬金術師は狂ったように笑う。

 その哄笑の響く中で、例の男の顔色も変わる。錬金術師のやったことの意味が、理解でき始めたのだ。

 

 錬金術師は王族に爛々とした目を向け、

「いいねあんた、噂通りに賢い! いやいや、やっぱり馬鹿だ! 『黄金を作る方法』なんてもの、自分たちだけでこっそり使えるとでも思っていたのか!? どうせ遅かれ早かれ、みんな知ることになる! そして終わる! 何もかも!」


 錬金術師は押さえつけられながらも、天に向けて高々と叫ぶ。

「そうだ、みんな滅びてしまえばいい!」

 その笑いを地獄のアブロヌ王が聞けば、きっと満足げに笑ったことだろう。




※ ※ ※



「……この時、もしもその技術が、倍以上の純金を生成できるものであったなら、人類社会は滅んでいたとも言われておる」

 

 それからおよそ60年が経った、世界歴196年。遠い南の大陸、移民の町アマーリロの宿屋で、学者先生ことグラナドス教授が、宿屋の息子のカミロ少年に、錬金術師の物語を聞かせていた。

 一階の酒場、客のいない昼下がりだった。


 カミロ少年は首をかしげる。

「なんで、金を誰でも作れるようになることが、そんなに悪いことになるんですか?」


 先生はあごひげをさすり、どう説明すべきか少し考えたあと、

「今は紙幣で物の売り買いをしているが、例えば、その紙幣をいくらでも出すことのできる機械が手元にあるとする」

 それで、今まで欲しくても買えなかったものを買おうとする。

「しかし、誰もが同じ機械を持ち、自由に現金を作れるとすればどうかの? 高くて買えなかったものにまで、誰もがおカネを持って群がることにならんかの?」

 しかし、物には限りがある。


「つまり、おカネの価値がなくなる?」

 カミロの返答に、学者先生は満足そうにうなずいた。

「そういうことじゃ。紙幣はゴミ同然になる。黄金についても、その価値が高いのは、ただ美しいからではない。希少な物質だからじゃ。それが大量に生成できるとなると、価値は暴落するじゃろう」


 当時も紙幣はあったが、それは、「金と交換」できることを前提としたからこそ、信用され、用いられるものだった。

「いわゆる金本位制じゃ。ゆえに、『黄金を生成する技術』などというものは、社会に大規模かつ重大な混乱を招きうるものだったのじゃ」

 もし金がゴミになれば、それを元にしていた全ての金融資産もゴミと化す。


「極端な話、王侯貴族も大商人も庶民も、みんなそろって一文無しになるに等しい」

「うわ……」

「だからもし、この錬金術師の発見した技術がより多くの純金を得るものだとしたら……、また、彼がもっと広い範囲の国々にその技術を配っていたとしたら、その時点で経済は意味をなさなくなり、社会は崩壊し、秩序は乱れて混沌の世となり、中世代、いやもっと昔の時代まで、人類の文化は後退していたとも言われるのじゃ」


 さすがにそこまでの決定的、破滅的混乱には至らなかったが、

「でも、これが十二国戦争のきっかけになったんですよね」

「そうなるのう」



 錬金術師が最後に行った世界への復讐、すなわち「海水から黄金を作る技術」の配布は、時限爆弾のようなものだった。

 最初、彼がその技術を配布した地域は、自国を中心とした限定的なものではあったものの、技術はじわじわと広がっていった。国々はその危険性を知って厳しくこれを禁じたものの、明らかに金の流通量は増えていく。

 その存在が広く知られるようになるころには、国々は、いずれ金の価値が暴落することを悟り、その爆弾が爆発する前に、別の価値あるものを確保しようと躍起になっていた。



 植民地をめぐる争いが活発になった。新たな資源を求めて、大航海時代の再来のごとく、鉄の船が次々と海に出た。


「このアマーリロに、連合王国の海軍が押し寄せたのも、この時のことなのじゃ」

「へえ……」

 その時は、フ・クェーンという伝説的な魔術師が中心となって迎え撃ち、連合王国の艦隊は撃退された。



「さて一方、西方の国々は、増えた金を、何も知らない東洋などの国々に売り付けることもした。ババ抜きのババを押し付けたわけじゃな」

 そうして銀などの鉱物、隙あらば土地すら確保し、それが新たな摩擦を生む。

 そしてババを引かされたことに相手が気づいた時、対立は加速度的に強まる。禍根は西方世界に収まらず、そうやって世界に広がっていった。



「さらにこの技術のいやらしいところは、海水を金に変える……、海塩を金に変えられる、という点にもある」


 大きな視点で見れば、沿岸国と内陸国の争いがある。

 この技術を知った沿岸国は、金の価格が下がる前に、ひそかに、その大規模な生成に着手した。

 半世紀以上経った今なお、アシッドモンスターの存在が確認されるほどの環境汚染を引き起こしつつ、ほとんど必死に金を生成した。

 そして作った黄金で、時限爆弾に火がつく前に、新たな資源を確保しようとする。


 同時に沿岸国は、海塩の輸出を規制する動きを見せた。こうなった以上、もはや海水および海塩は戦略物資だった。

 金の生成が難しい、質の高い塩なら売ってもいいが、金を作れる粗塩は渡さない。そういう動きがいたるところで起きた。

 一方、内陸国は塩を止められただけでなく、海外へ新たな資源の確保に動くこともできない。親交の深い国同士ならともかく、多くの場合、内陸国は隣接する沿岸国との対立を深めた。


 視点を身近にしてみよう。

 海塩が金に変わることにより、塩の価値が上がる。これは金の価値の下落などとは比較にならないほど、庶民にとっては大打撃となるものだった。

 塩は庶民にとって、単なる調味料ではない。冬を越すため、食料を保存するために必要となる存在だ。魚などの輸送にも必須で、さらにはなめし皮やガラスなどの生活必需品の製造にも関連する。

 そんな、庶民にとって欠かせないものだけに、国が流通を管理して利益を独占する、重要な物資なのだ。



「塩を金に変える技術……。アブロヌ王、あるいは直接それを作ったであろう、『アブロヌの魔女』の性格が透けて見えるような、実にえげつない技術じゃと思う」

 

 金を生成する技術の噂と、それを必死で抑えようとする国。これも大衆の不信の種になったが、生活に直接関わる塩の価格上昇は、それと比較にならないほどの大きな社会不安を招いた。

 膨らむ民衆の不満と不信を、国家はどう処理するか。

 外国に向けさせればいい。


 そうやって、対立の芽は次々に植えられ、大きく伸びていった。



「そうした諸々が、世界大戦とも呼ばれるかの大いくさに繋がるのじゃよ」

 カミロ少年は少し考えて後、

「錬金術師の話に戻りますけど、その人はその危険性にすぐに気づいたって話ですよね。他にももっと気づく人はいなかったのかな?」

「魅力的な、あるいはそう見えるものは、人の頭を鈍らせるものじゃよ。そして人間、こんな風に考える。自分ならうまくやれる、とな」


『お前たちは、毒と知りつつも、これをすすらずにはいられないだろう』


 悪神マガファが毒とともに放ったとされる言葉を、先生はつぶやき、腕を組む。

「この錬金術師が仕えたカロリアという国は、西方世界において、衰退した白海帝国に代わり覇権を握った、古く偉大な国じゃった」

 西方世界ローレアにおいて、古代エルゲの都市国家群が「源流」、大白海帝国を「父」とすれば、このカロリア王国は「母」と呼ばれる存在だった。


「しかし、この『母』という呼び名には、いくつもの国を産み出した……、言い換えれば、いくつもの国家の分離独立を許した、という意味も含まれる」

 そうして独立した国々から、宗家として一応の敬意を受けていた。だが、敬意は一応のもので、結局は圧迫され、内陸に押し込められ、凋落し、小国となっていった。


「ゆえにカロリアは、かつての大国のプライドを捨てきれず、巣立っていった国々を憎みながら、復権の野心を抱き続けたとも言われておる」

 その歪みが、禁断の技術をも積極的に取り入れさせた。


「結局、カロリアはその後どうなったんですか?」

 学者先生は少し沈黙した後、

「人口の九割を失い、国都は廃墟と化した」

「え……」


 十二国戦争は、西方世界の国々を疲弊させたが、カロリアはその中でも、最大の敗者と言える国になった。

「カロリアは、やりすぎたのじゃ」

 この国は、十二国戦争において、アブロヌ王のおぞましい技術を最も積極的に使った国だった。


「まあ、順を追って話そうかの」

 先生は、ひとつ咳をした。


「くだんの錬金術師が黄金の製造技術をばら撒いたことが判明してのち、カロリアはまず、海塩の入手に躍起になった。金の製造技術が広く知られる前に、可能な限り金を作り、それを別のものに変えようとしたのじゃ」

 カロリアが取引可能な沿岸国は、北にあるトイテンラント、オーランド、西にあるリュテスあたりになる。

 しかし、錬金術師はトイテンラントの一部に「海水から金を作る技術」を配布していた。そしてオーランドとリュテスも、カロリアが必死で塩を集める様子を見て怪しみ、間もなくその意図を知る。

 そして、それらの国は塩の輸出を制限した。特に、粗塩について。

「これによって、沿岸国とカロリアとの対立が始まった」



 カロリアは国内でも民衆の不満や不安が高まっていた。金の製造技術と、それを躍起になって潰そうとする王国。上昇する塩の価格。そうした不信や不満を、カロリアは沿岸国に向けさせた。


「塩の輸出規制は、当時としては戦争の大義名分に十分だったのじゃ」

 カロリアは開戦の気運が高まり、「金を作る技術」によって世界が混沌に向かう中、表と裏とで準備を整えていった。

 自国と同じように、海への道を閉ざされてた内陸国と同盟を結んだ。国内の世論も煽り、戦争の一色に染めた。

 その裏で、「アブロヌ王の遺産」を用いた兵器の数々を用意していった。



「いや、兵器だけではなかったな。カロリアは石炭などの鉱山を有していたのじゃが、そこからこれまでになく高純度の魔力を抽出する技術を、『アブロヌ王の遺産』から得ていたのじゃ」

 ただし、それがもたらす環境汚染は従来の非ではなかった。生み出されたアシッドモンスターとスモッグモンスターの毒性と凶暴さも同様だったという。

「カロリアはそれすらも兵器に転用した」


 そして、西方世界、いや、世界各地で戦火の煙が上がると、カロリアはこれを機とみて、ライナス川にアシッドモンスターを流した。


「ライナス川?」

 カミロが聞くと、

「西方世界ローレアにおける、最大の河川じゃ。カロリア国内にも流れている。そしてこの川は、カロリアのみならず、多くの国が沿岸に工業地帯を設けていたのじゃ」

 カロリアは、このライナス川の河口までの支配権を確保しようとし、それによって外海への進出を計った。


 ライナス川の河口に至るには、先述したトイテンラント、オーランドというふたつの大国を突破する必要がある。

 その動きを見た国々は、カロリアを笑った。老いたネズミが二匹の象に挑もうとしていると。

 しかしこのネズミは、猛毒を持っていた。

 

 カロリアの奇襲は、アシッドモンスターとスラッジモンスターを川に流し、下流にあるトイテンラントの工業地帯を襲わせることから始まった。

 放たれたモンスターたちの猛毒は、それまでの対応方法では処理できないものだった。ライナス川流域はたちまち毒にまみれ、川から這いあがってきた毒の魔物たちに、町は汚染された。


 直後にカロリア軍が川を下ってきた。彼らはモンスターたちの制御に成功していた。しかし兵員が少ないため、町や拠点を占拠するより、略奪して火と毒を放ち、二度とそこを使えないように破壊、汚染することを優先した。

 カロリアは、そのままライナス川を進み、オーランドにも侵攻。河口の町まで毒まみれにして、そこを占拠した。



 当然、報復は来た。

 それまで、トイテンラントとオーランドも緊張関係にあったが、すぐに手を結び、共同でカロリアの本国を攻めた。


 しかしそこで待っていたのは、世界で初めて使用された毒ガス兵器と、その中を突き進むキメラ……、異形の怪物だった。

 いずれも、「アブロヌ王の遺産」から産み出されたものだった。


 国力ではるかに勝っていたはずのトイテンラントとオーランドの軍は、これにより大打撃を受けた上に恐慌をきたし、それを追撃するカロリアは容赦なく、無慈悲に、大量の人間を殺す兵器と、おぞましい怪物をけしかけていった。



「カロリアの戦争は、以後ずっと、そんな有様じゃった」

「……」

 カミロ少年は言葉が出なかった。



 しかし、そのやり方は他国の批判を買い、カロリアの悪名を高めた。


 当時はまだ、騎士道精神的な文化が残っていた時代だった。戦争にも条約があり、一応の礼儀もあった。同じ文化圏の国家同士であればなおさらだった。



 先生は腕を組む。

「十二国戦争は、強力な爆薬や、機関銃のような銃火器が次々に登場し、戦いのあり方が大きく変わった戦争と言われる」

 火力を増した戦場は、わずかな時間で膨大な死者を出すようになった。

「結界防御の重要性が見直され、現代のバトルメイジの戦術が確立したのもこのころなのじゃが……、それはまあ置いておいて……」

 カロリアは、そんな中でも、アブロヌ王が残した禁忌の技術を、一切のためらいもなく使い続けた。

 そして、時代の「悪役」となっていった。



「十数年にわたり続いたあの複雑怪奇な戦争について、細々と語ると時間がいくらあっても足りないから、終盤についてのみ語るが、あの戦争の最後はカロリアとその他連合軍との戦いとなっておった」

 元々が小国で兵員も少ないカロリアは、最後には死霊術に手を出した。

 敵味方の死体を用いたリビングデッドの群れが、国土を守る最後の軍になったのだ。

 さらには捕虜や囚人を「改造」して、戦場に送り出したという。


 しかし、

「そのころには、他の国々も、ひそかに研究していたアブロヌ王の遺産による高火力の兵器を、隠すことなく戦場に出し始めていた」

 アブロヌ王が残した毒をすすっていたのは、カロリアだけではなかった。



『お前たちは、毒と知りつつも、これをすすらずにはいられないだろう』



 カミロは悪神の言葉を心に思い浮かべた。

 先生は語る。

「長く過酷な戦乱の中、騎士道精神などは忘れ去られ、一言の指示で何百もの人間を殺す兵器が、容赦なく使われるようになった。カロリア一国にその地獄の蓋を開けた責任があるとは言い切れんが、大きな要因となったのは否定できん」

 そして、「悪役」となったカロリアは、覇権を夢見て手を出した「毒」によって、滅亡への道を進んだ。


「リビングデッドも排除され、毒への対策法も確立していくと、カロリアはいよいよ追い詰められた」

 そして、連合国が迫る中、カロリアは最後の毒に手を付けようとし、その毒に自ら焼かれた。

「カロリアの国都で『アブロヌの火』が爆発した」

「それって、アマーリロでも使われたっていう……」


 一撃で都市を破壊し、毒を撒き散らすという「アブロヌの火」。かつてアブロヌ王がアマーリロに迫った時にもそれは使われ、きのこ雲が天に高々と立ったと伝わる。


「連合王国の兵たちの前で、それは五度、きのこ雲を立ち昇らせたという。爆発の衝撃は大地震に等しく、その揺れだけで、少ないながらも連合国軍に死者が出たほどじゃった」

 そしてカロリアの王都は廃墟となり、王都の中心に「カロリアの大穴」と呼ばれる、底の見えないほどの巨大な穴が空いたという。


「新兵のバトルメイジじゃったわしも戦後すぐ、それを見た。カロリア王都を望む山からな」


 王城は崩れながらも一応の形を残し、その目の前に、おそらく直径2キロはあろうかという黒い穴が空いていた。その周囲は瓦礫の山と化し、王都の郊外に至ってようやく、形を残す建築が散見されたという。

「その時、遠い山の中腹で、毒に対する防備服に身を包んでなお、長居は危険と判断された。それほどの毒素が漂っていたのじゃ」

 四十年近く経った今でも、カロリアの首都には近づけない。一度に五発もの「アブロヌの火」の起爆は、それを作らせ使用したアブロヌ王ですら行った記録はない。その毒素は今なお強く残されているという。


「そして、その毒を浴びて異形の怪物と化した動植物が、かの地には蠢いている」

 その廃墟に残された宝物を目当てに、トレジャーハンターらが侵入することがあるそうだが、ほとんど生きて帰らないと聞く。


「でも、なんでそんなことに……」

「分からん。カロリアの王都には、一人の生き残りもいなかったとされる」

 起動の失敗か、あるいは王都内で内紛でも起きたのか。


 それから先生は、すこし考え込むように顎髭に手を当てた。

「どうしたんです?」

「いやな、あくまで噂話程度のことなんじゃが……」


 金を生成する技術を発見した、例の錬金術師が、「アブロヌの火」を起爆した、という話もあるという。

「……?」

 カミロは首をかしげた。

「いやな、その錬金術師がその後どうなったのかは判然としないのじゃが、かなりおぞましい話があってな。罰として、死んだ娘の死体とかけ合わせられ、キメラにされたとか……」

「やっぱカロリアって、滅んだほうがよかったんじゃないですか?」

 カミロ少年は、眉をひそめて即座に言った。

「いや、ちょっとそれは乱暴な気もするのう」

 カミロ少年に少し鼻白んだ先生は、ひとつ空咳をして、

「まあとにかく、怪物となった錬金術師が王家への復讐として『アブロヌの火』を起爆した、なんて話がある。まあ、出所も分からん怪談じみたものじゃがな」



 そして話は、カロリアのその後に移る。

「カロリアに残された人口は、地方に住むものを合わせ、八万人程度だったそうじゃ」

 そして国々は、その人々に容赦ない罰を下した。


「まず、カロリアの王族のうち、早々に国を見限り亡命した者を引っ張り出し、カロリア大公とした。これによりカロリア王国はカロリア大公国と呼ばれるようになる」

「消滅はさせなかったんですね」

 消滅した方がよかったと言わんばかりにカミロ少年は言ったが、

「むしろ、消滅したほうが、残された人々にとってはよかったかもな」

「え?」



 カロリアには豊富な鉱物資源がある。戦勝国が最初に目をつけたのはそれで、いかに切り分けるかの議論が起きた。

 しかし、

「『アブロヌの火』による大地震は、それらの鉱山をことごとく崩落させたが、そこを掘ってみるとだ……、中の空洞に、リビングデッドやアシッドモンスター、スモッグモンスターが満ち溢れていたのじゃよ」

 鉱山から目を離し、国土を見渡しても、リビングデッドや異形の魔物の死体で、土や水は汚染されつくしていた。


「なので、カロリアを消滅させて汚物まみれの国土を分割するより、残してそれを管理させ、賠償金を搾り取ったほうがいいと、戦勝国は考えたわけじゃ」

 かくして、返済に数百年はかかると言われる賠償金が課せられた。


 カロリアの生き残りは他国への移住を許されていない。カロリアを恨む国々に周囲を囲まれ、逃げることもできず、文字通り、搾り取られている。


 鉱山の利権は他国に渡って一銭も入らない一方、危険な鉱山での労働を強いられ、湧き出る怪物の処理も押し付けられる。

 ライナス川の利権も奪われ、自国の川を通行するにも、他国からの税金が課せられる。


 カロリアは、今や檻のない牢獄となっていた。


「やっぱカロリアって、滅んだほうが良かったんじゃないですか?」

 今度はいささかの同情を込めて、カミロ少年は言った。


 先生は苦笑し、それから遠い目をして、

「あの戦争が終わってもうすぐ四十年。カロリアに親兄弟を殺された者も、まだまだ存命じゃ。その恨みが消えるまで、どれだけの月日が必要かのう」


 しばしの沈黙の後、カミロ少年はあっと気づき、

「そういえば先生、結局、おカネって、どうなったんです?」

「ああ、そうじゃな」

 カロリアが最大の敗戦国と言われる一方、かの戦争の最大の戦勝国と言われた国がある。

 アルカナ新大陸の、合衆国だ。


「合衆国は、主要な戦場となったローレアから遠く、そして豊富な資源と優れた工業技術、生産力を有していた」

 その合衆国にとって、未曾有の大戦争はかつてない特需、この上なきビジネスチャンスとなった。


「現在、世界の国々が発行する紙幣のほとんどは、黄金の代わりに、合衆国の紙幣との交換を価値の基準にしている。それほど彼の国の国力は膨れ上がったのじゃよ」

 いわゆる基軸通貨が生まれた。


 一方、黄金なのだが、元々魔法との親和性が高く、素材として重用されるものであり、大きく価値を落としたものの、ゴミとまではならなかった。

 しかし、大きく価値を落としたことに変わりはない。そうなると、禁制を冒して逮捕されるリスクと、アシッドモンスターを発生させるリスクとを冒してまで、黄金を生成しようとする者はいなくなった。そもそも、生成できる量も少ないのだから。

 結局のところ、十二国戦争以後、金の価値は、銀と同程度で落ち着いた。


 終わってみれば……、時限爆弾は爆発したが、世界の決定的な崩壊には至らず、しかし国々は自ら別の爆発を引き起こし、新たな時代を迎えることになった。



 それから先生は、また顎髭に手を当て考えにふける。

「今度は何です、先生」

 カミロが尋ねると、

「終戦後すぐに、生き残ったカロリア王族を名乗る者たちが、その合衆国に沸いて出ての。自分たちこそ正当なカロリアの主であるとし、それを支持する者たちとともに『カロリア王党派』を結成したのじゃ」

 この「カロリア王党派」は、いかにしてか不明だが、莫大な財力をもって合衆国に根を張り、財団を作った。それを元に、合衆国で資源の発掘をはじめとした事業に手を出し、成功をおさめている。


「そいつらが、賠償金を払えばいいのに」

「まあそうじゃのう。とはいえ、この王党派も謎が多くてな。本当にカロリアの王族が作ったものかもよく分らんし、財団を作ったそもそもの資金源も分かっておらん」

 カミロ少年は汚いものでも見たような目で、

「そいつらも滅べばいいのに」

「君、意外と過激なところがあるのう」


 学者先生は腕を組んだ。

「実際、相当に怪しい連中なのは間違いない。ほとんどの国が禁じている死霊術の解禁を堂々と提言しているし、『アブロヌ王の遺産』の研究も進めるべきという考えも明言している」

「それ、どうして捕まえられないんです?」

「意見を言うだけなら自由じゃからな。少なくとも合衆国では」


 学者先生は、組んでいた腕を解き、テーブルに置いた。

「研究だけなら、別に構わんじゃろうと、わしも思わなくはない。死霊術も本来は死者との交信から始まったものと言われておる。問題は、人間が守るべき倫理、超えてはならない一線を、それらは易々と超えうるものだという点だ」


 死霊術師は人間の魂を捕えて、焚き木のようにそれを使う。『アブロヌの遺産』も、破壊や破滅を目的として、悪魔のような者たちが作った魔術だ。


「だからこそ、細心の注意をもってそれに望まねばならない。だが……」


 その危険を知り、良識をもって封じようとした錬金術師も、娘への愛によって毒に手を出した。


「やっぱり最初から触れずにおいた方がいいかもな」

 学者先生は結論し、カミロ少年も無言で同意した。



「でも先生、合衆国は結局、そのカロリア王党派とか言う人たちのことを、野放しにしているんですか?」

 カミロ少年の中で、カロリアの評価は地に落ちているようで、まだ納得していないようだ。


 先生はそんな少年に少し困ったような顔を見せ、

「さっき、合衆国を『最大の戦勝国』と言ったが、あの国は武器や資源を売っただけで、直接、戦争には関わっておらん。ローレアの多くの国は『王党派』に目をつけておると聞くが、合衆国にカロリアとの遺恨はない。もしも、かつてのカロリア王国のように、彼らがおぞましい魔術に手を染めているならば、さすがに黙ってはいないだろうがの」


 それからふと、また顎髭に手をやった。

 今度は何ですと聞こうとして、カミロは先生の視線が、自分から逸れていることに気づき、肩越しにそれを追う。


 写し絵があった。

 カミロの一家を写したものだが、

「悪神の毒を焼く、『存在を許さぬ者』か……」

 先生はつぶやいた。



 毒を撒いた悪神の神話には続きがある。


 この世の始めに世界を形作り、夜空のかなたに去っていった原初の神々の中に、オハリアという魔法神がいた。

 その乗騎にして玉座、「白い炎の体」と「三つの星雲の目」を持つ神獣ペリューンに乗って、毒に侵された世界に帰還したオハリアは、ペリューンの白い炎を地上に降ろした。

 悪神マガファの毒はその白い炎によって焼かれた。燃え広がったペリューンの炎を用いて神々は神器を鍛え、悪神を貫く魔法の杭と、悪神を捕える稲妻の鎖を作り、それを英雄たちに託したという。


 そして悪神は、空飛ぶ船に取り付けられた魔法の杭に心臓を貫かれ、稲妻の鎖に戒められて、地獄と化した自らの領域に閉じ込められた。


 ペリューンはその異名を、「存在を許さぬ者」という。魔法に対する絶対的な権限を持ち、悪神や、その眷属の悪魔たちによって生み出された昏き魔術を許すことなく焼き祓うと伝えられる。



 カミロも学者先生も、飾られた写し絵を見る。

 一年前、それを撮った特異な旅人のことを思う。あれから伝え聞く彼の物語は、悪神の毒を焼くペリューンの定めそのものであるかのようだった。


 一方で存在する、悪神の毒に進んで手を付けるものたち。


「……」

 カミロ少年も学者先生も、なにやら宿命じみたものを感じる。

 そしてその予感は正しいことを、後にふたりは知る。


 ふたりの知る「彼」にとって、「カロリア王党派」は、毒を撒く全ての元凶「アブロヌの結社」に次ぐ宿敵だった。


 しかし、その物語を耳にするのは、もう少し先の話となる。



 そして「彼」は、今まさにそのころ……、黒き森の断崖の縁に立ち、魔境と化したカロリアの王都を眺めていた。


(お父様を、助けて)


 そう囁く、あの錬金術師の娘の声に導かれて。


 それもまた、別の話になる。

 



 

 


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