黒鬼
読んでくださる読者様に最大の感謝を。
見つからないように身を屈めながら森の中を歩く。現代のように間伐などされてない森の中は木が鬱蒼と生えていて身を隠すのには好都合だった。
木の枝などを踏んで音を立てないように慎重に一歩一歩進んでいくと目の前に洞穴が現れた。中を見るとそこまで広くはないが隠れるには良さそうだ。
「とりあえずここで様子をみよう」
入口から見えない位置に座る。そういえば風呂敷には何が入っているのだろうか。背負った風呂敷を下ろして中を確認する。
「チョコレートが一袋にマッチと懐中電灯と五百ミリペットボトルの水が二本。それに着替えとして着物と、なんだこれ?」
四角くて薄い物があったので見てみる。ぱかりと開いたそれは、どうやら折り畳みの手鏡のようだ。
「あ、婆ちゃんから手紙がある。なになに?どんな時でも身だしなみは大切に。うーん。そんな余裕はないかな。あとは服は目立つから着物に着替えた方がいいよ、か」
手紙に書かれていた通りこの時代に誰も着ていないTシャツとジーパンは目立つだろう。忠告の通りに着物に着替える。入れてあった着物は新品ではないようだが、とても高そうだった。
「へぇ。爺ちゃんが着ていた物なんだ」
手紙にはそうあって、最後に死なないように気をつけてと書かれて文章は終わっている。手紙を読んだことで少し冷静になった庵は手鏡を懐に仕舞う。すると外から声が聞こえてきた。
「おい!あそこに洞窟があるぞ!」
心臓がドクンと跳ねる。どう考えても自分がいる洞窟だ。慌てて風呂敷をしまって背負うと白那を構えた。人を傷つけるのは抵抗があるが殺されないためにも、せめて動けなくなるくらいはやらなければいけない。
地面を擦る足音が聞こえてきて洞窟の前で立ち止まった。内容までは聞こえないが会話しているのは二人のように思える。多分さっき会った二人だろう。足音が岩を踏むコツコツとした音に変わり庵が白那を持つ手のひらが汗ばむのが分かる。その時遠くから叫び声が聞こえてきた。
「いたぞ!黒鬼だ!こっちだ!全員戻って来い!」
「なにっ!向こうか!早く行くぞ!」
入口にいた足軽達は走って行った。緊張から解放された庵は洞窟の壁を背にへたり込んで大きくため息を吐く。
「助かった。でもこのまま一人でいるのも修行の意味がないし、誰か人に会わないとダメだな」
この時代に来たのは強くなるためだ。それなのに逃げ回っていても一向に強くはなれない。とりあえず足軽達が警戒している黒鬼がどんな人なのか確認しよう。そう決めた庵は白那を腰に下げて足軽達の後を追うことにした。
しばらく進んで行くと森が開けた場所に出た。そこに足軽達に囲まれた黒い鎧を着込んだ男が一人立っている。周りの足軽達に比べて相当大きい。戦国時代の平均身長は百六十センチもなかったはずだ。足軽達がその程度だとしたら黒鬼は百九十センチ以上はある。
「貴様が黒鬼か!」
足軽の中で一人だけいい鎧を着た男が足軽大将なのだろう。その男が誰何した。問われた黒鬼は背負った金砕棒を地面に叩きつけて銅鑼のように大きく響く声で名乗る。
「如何にも!我は石動雷堂!黒鬼と呼ばれし御佩刀家重臣なり!貴様らは何者だ!」
「我らは大路家の者!黒鬼!御佩刀家一の武人である貴様が死ねばこの国を落とすのは容易!さすればこの国は大路家の物となる!素っ首渡せぇ!」
「貴様ら如きが易々と取れる首ではないわ!やれるものならやってみよ!」
「言われずともそのつもりだ!者どもかかれ!黒鬼の首を獲れば褒美は思いのまま!末代までの誉よ!」
「「「応ッ!!!」」」
欲を刺激された足軽達は槍を構えて討ち取ろうと向かっていく。すると爆発するように雷堂の持つ金砕棒から赤黒いオーラが立ち上った。そして金砕棒を振り上げると足軽達に向かって薙ぎ払う。
「……なんだあれ」
それだけで少なくとも二十キロはあるはずの装備を付けた男達が、旋風に巻かれる木の葉のように天高く舞い上がった。
「うわぁぁぁ!嫌だ!死にたくねぇ!」
遥か高く飛んだ足軽達は、重力に任せるままに地へと降り注いでいく。金砕棒の一撃で死ななかった者たちもグシャリガシャリと嫌な音を立てながら潰れていった。
運良く狙われなかった足軽は果敢にも雷堂へと挑んで行くが、ある者は金砕棒で頭を砕かれ、ある者は足をへし折られて倒れた所に頭を踏み潰される。
みるみると数を減らす足軽達と比例するように雷堂の持つ金砕棒から出るオーラは弱まっていく。それでも止まらない雷堂は一人また一人と足軽を屠っていった。
足軽達の血や臓物を浴びながら金砕棒を振り回す黒い鎧の雷堂は通り名通り、まさに黒鬼だった。
「どうした!その程度では俺の首は獲れんぞ!?」
「くそっ!お主らも行け!力で無理なら数で攻め」
足軽達に指示を出していた大将の顔に雷堂は金砕棒を横薙ぎで叩きつけた。千切れた頭は庵の方に飛んできて目の前をコロコロと転がっていく。庵は口を押さえてなんとか声を出さないようにした。昼に食べた大量の食べ物が込み上げて来たが、それもなんとか飲み込む。転がる頭は庵の目の前で止まって恨めしそうな瞳孔が開いた目を庵に向けていた。
「ひぃ!こんな化け物なんかに勝てねえ!逃げろ!」
大将がやられたことで足軽は散り散りに逃げていくが、雷堂はそれを追わなかった。そして庵の方をちらりと見たが何も言わずに走り出した。
「はぁ!はぁ!はぁ!はぁ!」
目の前で起きた殺戮に庵の心臓がドクドクと激しく鳴っていた。それでもなんとか胸を押さえて呼吸を徐々に落ち着かせていく。死がこんなにも身近な時代ということを庵は嫌というほど理解させられた。
「とりあえずここを動こう。戦国時代なら野犬がいるはずだ。きっと血の匂いに集まってくる」
そう言いながらも庵は戦国時代という考えは捨て去っていた。桶側胴に書かれていた家紋は見たことのないものだったし、御佩刀家という名前も聞いたことがない。なにより人の力であんなに人間を跳ね飛ばすことなど不可能だ。
「ということは異世界か?」
それにしては日本と似ている部分も多い。謎は多いが夜鷹が言っていた通り、死ぬかもしれないということだけはしっかり理解した。
「おい!早く歩け!」
「親分。こんな気味が悪い女なんてきっと売れませんぜ。もう面倒だからここで殺して捨てていきやしょうや」
「あー、それもそうだな。おい、お前の斧を貸せ」
一難去ってまた一難といった所だろうか。道の先には山賊らしき男達と、それに連れられる縄で手を縛られた少女がいた。親分らしい男は部下から斧を借りると少女に対して振り上げた。少女は諦めたように項垂れている。
「こんにちは!少しいいでしょうか!」
「あ?なんだお前」
どう見ても面倒ごとだ。それなのに気付いたら声をかけていた。やってしまったと思ったが、このままでは少女の命はないだろう。庵は意を決して山賊達の元へと向かった。
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