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朝食の席で、芹那は、おそろいの面々にぺこりと頭を下げた。
「昨日はとっても失礼な態度でした、ごめんなさい」
彼ら、すなわちヴァンドール家の面々は、顔を見合わせた。
やがて、場を取り仕切る者としてか、父親が最初に答える。
「そう素直に謝られてしまうとこちらも分が悪い。
下心が完全にないかと言えば、そうではないからな。
それにしてもまず、不便はなかったかな?」
「久しぶりにベッドで寝られて助かりました。
お世話になりまして」
そう言いつつ、促されてテーブルに着く。
今朝起きてからすぐ、タブレットでファシオの家族を検索した。
この厳しい顔つきをしたファシオの父は、ジャック・ヴァンドール伯爵。
高位の爵位を持ち、国王の傍らで政務を担当する偉いさんでもある。
そして、向かいに座った兄は、アベル・ヴァンドール、23歳。
大学を卒業後、父の右腕として政界入りしている。
そして、魔法の師匠であるのが、不肖の弟、ファシオだ。
エリートの家系で、唯一の放蕩息子は、18歳から二年間家出をし、近頃戻って来た21歳。
ばりばりの貴族の家で、親切が無料だなんて思っていない。
下心があると言ってくれただけ正直というものだ。
なんにせよ、久しぶりにベッドで寝られたこと、朝から風呂を使わせてもらえたことは、全てをはねつけてやろうという気持ちを変えるくらい最高だった。
席に座り、ナプキンを手に取ると、すぐに温野菜とパンが運ばれてくる。
手を合わせていただきますと言い、ありがたく食べた。
卵料理とスープが追加され、たっぷりケチャップをかけたくなるのを我慢してそのまま平らげる頃、ファシオの兄が先に席を立った。
「失礼、そろそろ仕事に出るので。
また会いましょう、お嬢さん」
「あ、はい、あ、かばんから出してごめんなさい」
彼はくすりと笑う。
「ファシオを叱っておいたから、君に咎はないよ。
聞いたことのない魔道具に興味は尽きないが、僕自身が詮索するのは控えておこう。
今日はお土産がある、楽しみにしていて」
爽やかに言って、彼は出かけて行った。
「いや、今日は帰るのですが……」
「帰るところなんかないだろ」
「だから家探しをするのよ、黙ってよ」
「家探しねえ」
皿のソースをパンでぬぐって食べ切り、手を合わせてご馳走様と言うと、同時に、ファシオの父もカトラリーを置いてナプキンで口を拭った。
「ではお嬢さん、私の話を少し、聞いてもらえるかな?」
応接室のような、とはいえ貴族の家の部屋としてはやや小ぢんまりした個室で、ヴァンドール伯と向かい合わせで座る。
なぜか、ファシオは横に立った。
「君は、神と話ができるとか」
もちろん、ファシオが言ったのだろう。
彼の方を見そうになり、なぜかそれをぐっとこらえた。
なぜだろう。
責めるような視線になりそうだったから?
この件は、芹那のほうが悪い。
何があったか知らないが、家出から戻り、改心して信用を得ようとしていた彼を、予告なく遠方へ呼び出した。
いや、お取り寄せした。
自分の誠実さを訴えるために、ファシオが事情を説明するのは当たり前のことだ。
たとえそれが、荒唐無稽で信じてもらえそうになくとも。
そこまで考えて、責める気持ちは消えた。
嘘つきと断じられる辛さは、わりと、よく、知っている。
「こちらの神様ではありませんよ?」
ヴァンドール伯は、片眉をあげた。
「ほう。君はここの神をなんだと心得ている?」
「いえ、よくは知りません。
ただ、女神様なんですよね?
世界を創生した、唯一神だとか。
私が呼べるのは、男神ですし、他にも神様いそうな口ぶりでしたし」
これももちろん、タブレットで調べた。
世界を創りし女神は、大地を生み、海で包み、命の種をまいたとか。
つまり、この世のあらゆるものの母であり、世界唯一の信仰だ。
「……近頃、不思議な出来事が頻発している。
まず、空から人が降ってくる」
「は?」
「いつしか空種と呼ばれるようになった彼らは、この世にはない言葉を話し、この世にはない記憶を話し、そして空種同士では特殊な言語で会話をする」
それって地球人?
芹那は、自分以外にもこの世界に飛ばされて来た人間がいるのだと直感した。
「そしていずれも、元の世界に帰りたい、と訴える。
だが、我々にはどうしようもない。
せめて彼らを保護し、生活の保障をするくらいだ。
そうすれば、彼らは、実に自由な、そして驚くべき技術を元にした発想で、我々に新たな知識を与えてくれる」
「へえ。共存って感じでいいじゃないですか」
ヴァンドール伯は、眉間を揉んで、渋い顔をした。
「ああ……しかし、ひとつ問題が起こった。
もともと、この国は、現王の戴冠に関していくつかもめごとがあった。
つまり、対抗勢力がそれなりにいるということだ。
そうした人々が、空種人たちを取り込み、彼らこそが女神の落とし子であり国を導く者である、として、王座を寄越せと騒ぐようになったのだ」
「現在明らかになっている空種は5人。
その中で、年若い男が、この話に大いに乗り気でね」
ファシオの補足に、その父はゆっくり肯いた。
「まだ小さな火種だ。
だが、空種の存在は、我々の常識を超えていて、神と名乗るに必要な背景は備えている。
女神さまを盾に、信仰とともに広がれば、決して楽観視は出来ない勢力になろう」
芹那は、何か言おうとして、やめた。
なぜその話を私に?などととぼけたところで、益はない。
だって、ファシオはもう、気づいている。
「お前、空種だろう?」
上から覗き込まれるように問われ、目をそらす。
「さあ、彼らが何者か、私には分かりませんし。
それに、私は隣国の貴族の娘だったって、言ったでしょう?」
「姿かたちはな、確かにその特徴を備えている。
だが、魔力があるのに魔術が使えない、マナーもなってない、というか、貴族のお嬢さんが森の中で生き抜けるわけがないだろう」
おかしなことだらけ。
つまり、ファシオは、芹那が異界から来たと考えたうえで、迎えに来たのだ。
「……他人の親切なんて、信じるもんじゃないわね」
「そう、親切はただじゃない。
だが、お前を放っておけないと思ったのも本当だ。
何も知らないお前は、すぐにこの世界でぼろを出すだろうさ。
あっという間に空種だとばれて、向こうの組織にとりこまれる」
「そんな馬鹿じゃないわよ」
「事実すぐにばれてるじゃないか、俺たちに」
ぐうの音もでない。
「もちろん、強制するつもりはない。
だが、どうだろう、先ほどお嬢さんが言った、共存という言葉を実践しようじゃないか。
我々は、君に十分な衣食住と、この世について学ぶ環境を提供しよう。
代わりに、君は例の組織に存在がばれぬよう、そして取り込まれてしまわぬよう、我が家預りとして多少の自由を諦めてほしい」
「……多少の自由って?」
「君が言っていた、自立だよ。
自分の家を探し、一人暮らしをし、自分で仕事を探し、一人で生きていく自由だ」
「それは多少ではないわ」
「そうかな」
「少なくとも私はそうだし、あなた方の言う空種たちもそう言うわ」
伯はにっこりと笑った。
笑うとイケオジだ。
「我々にとって君は救世主だ。
ほぼ取り込まれてしまった空種たちの主義主張、考え方、望み、そうしたものを我々に教えてくれる。
私はね、お嬢さん。
現王こそが、この国を統べるにふさわしいと確信している。
この国が現状、安定し、幸福であり、戦争の気配がないのは、王の王たる采配のおかげだ。
その座を狙う輩どもには、決して邪魔はさせない。
そのために、君と取り引きをしようと言っているんだよ」
強制しない、と言ったのは、嘘だ。
どうあっても芹那を自由にさせる気はない。
その決意を感じる。
だが、不思議と腹は立たなかった。
彼が、私利私欲ではなく、国政に携わる者として真剣に国を案じていると分かるからだろう。
「覚えておいてほしいのは、私がこの話をとても不愉快に思ってるってことです。
本当は断りたいけど、どうせ権力とやらで監視がつくのは目に見えてる。
さっきファシオが呟いていたわ、『家探しねえ』って。
多分、どこへ行っても、家なんか借りられないのね?
そうでしょ?
だから受け入れます。
仕方なく。
……細かい条件を文書にして下さい。
お互いに同意に至れば、契約しましょう」
少し驚いた顔をしてから、ヴァンドール伯は困ったように、でも満足そうに頷いた。
「思った以上に期待が持てる。
賢い子だ。
文書作成にはしばし時間をいただこう。
お嬢さん、それまでファシオを使って時間つぶしをしていておくれ」
そう言って出て行った父親の後姿に渋い顔をしつつ、ファシオは芹那の手を引いて同じように部屋を出た。
「時間つぶしって言ったってなあ、何かしたいことあるか?」
「正直言って、一人でちょっと考えたい。
部屋に戻ってもいい?」
「ああ、そうだな。じゃあその間……」
応接室から玄関ホールを抜け、部屋へ戻ろうとしたその時だ。
「ファシオ様ぁ、お久しゅうございますぅ!」
ひらひらした何かが現れ、ファシオの腕にぎゅっと巻き付いてきた。