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「どうですか父上、これで俺の話が嘘ではないと証明されたでしょう?」
腕組みをして言うファシオを、父と兄は複雑そうな顔で見る。
「……お嬢さん、名前は?」
「ミュリエルでございます」
「姓は」
「捨てました」
「捨てる前は」
ファシオの助けは入らないようだ。
「……ミュリエル・バルニエと」
「我が国の姓ではないようだが」
「アラノルシアの出身なので」
確か子爵家ですね、と誰かが呟く。
それを聞いた執事がそっと執務室を出て行こうとしたので、芹那は声をかけた。
「あ、わざわざお調べにならなくとも結構ですよ。
バルニエ家の長女で、先日、殺人未遂の罪で有罪になりまして、第一王子との婚約を破棄、実家より絶縁、その上で追放処分となっております」
あんぐりと口を開ける執事が年のせいで倒れないかどうか気にしつつ、
「そういう訳で、こんなご立派なおうちに御迷惑をかけるわけには行かないのです、ええ、そういう訳で、御前失礼いたしますわね」
「殺人未遂とは、何をしたのかね?」
まだ質問続いてた。
だんだんと芹那は腹が立ってくる。
先生を呼んだのは故意ではない、事故のようなものだが、責任の一端を認め謝った。
無理やり連れてこられ、汚い恰好で人前に立たされじろじろ見られるのも我慢した。
芹那が今、切実に思い描いているのは、柔らかいベッドだ。
現代日本で生きていた自分が、森の中の地面の上で何日も寝るのは本当につらい。
つらい出来事だった。
栄養剤らしきものでごまかしているが、疲労はたまっている。
美味しいものを食べて寝たい。
せかされるように、その気持ちが膨れ上がっていた。
「お答えする義務はございません」
言い切った芹那に、男たち三人は単純に驚いた顔をする。
貴族だかなんだか知らないが、建前だろうがなんだろうが、人類みな平等の国で生きてきた芹那には通用しない。
「先生に対する補償がまだ必要ならおっしゃってくださいませ。
今の私は、いち旅人で、吹けば飛ぶような身分ではありますが、あなたがたに何かを強制される立場ではない。
今夜の宿も探さなければなりません、時間は誰しもに有限なのです。
皆様も、ご自分の必要なお仕事をなさいませ」
言うが早いか、芹那は、ファシオの兄にずぼっとかばんをかぶせた。
彼の姿は煙のように消え、執事がまた、のけぞる。
「ではごきげんよう」
ぺこりと頭を下げて出て行こうとする芹那の手を、するりと掴む者があった。
ファシオだ。
「連れてきたのは俺だ。送る」
「ちょっと、手をはなしてよ」
「待ちなさい」
押し問答する二人に声をかけてきたファシオの父は、難しい顔をしている。
「お嬢さん、疑うわけではないが、どうも信じられない」
「信じてもらわずとも困りません」
「礼のとりかたもおかしい、口調もおかしい、エスコートを断るのもおかしい。
君は、貴族令嬢としてまったくなっていない。
躾が悪いというレベルではない。
貴族ではありえない、という話だ」
「あら」
この小汚い恰好には一切触れないところに、ちょっと感心する。
「では貴族ではないのでしょう」
「そうかね」
「正確には、元貴族ですらないのでしょう、ですかね」
「ならば、犯罪者でもないのだろう。
おいファシオ、お嬢さんを客室に案内しろ。
ああ反論は結構だよお嬢さん、外を見てごらん、今から宿を探すのはかなり難しい、うちに泊まるのが安全だよ」
「昨日まで野宿してたので平気です」
さすがの父親も絶句し、なんということだ、とつぶやきながら首を振る。
「モーガン、おもてなしを頼んだよ」
すっとんで出て行く執事の後を、では父上のちほど、と言いながら、ファシオが芹那の手を引いて追いかける。
あれよあれよという間に執務室から連れ出された。
「貴族っていうのはこんなに人の話を聞かないもんですかね」
「俺はむしろ、そのことをなぜ知らないのか、不思議だよ、元子爵令嬢」
どうやら他人の、正確に言えば下々の者の人権はないらしい。
地球で人権と言う言葉が出てきたのはいつだ?
貴族制と人権はどう両立したのだろう。
興味は尽きないが、知ったところで役には立たない。
「あの森で、お前は俺に事情を打ち明けた。
もちろん、俺は出来る男だから、裏付けを取った。
答え合わせをしようか?
君の罪状は、一体なんだ?」
「殺人未遂だと言ったじゃないですか、クラスメイトの女子を殺しかけたんですよ」
「どうやって? そして、なぜ?」
芹那は黙り込む。
神様はそこまで教えてくれなかった。
「どうやら、お前には秘密があるようだ」
「先生。私はね」
到着した部屋の前で、四人のメイドが腰を折って頭を下げた。
それらを一瞥もせず、ファシオは部屋の中へと芹那を導く。
「今のところ、神様以外誰も信じていません。
家も仕事も友達もなく、明日をどう生きようか、不安でいっぱいです。
同時に、誰も私を知らない世界で生きることに、わくわくしてもいます。
誰かに何かを決められるのはまっぴらなんです。
あなたのお父様がどれだけ偉いのか知りませんが、私を自由に動かせると思わないでください」
ファシオは、目を見開く。
そして、片膝をついて芹那と目線を合わせ、握ったままだった手を持ち上げた。
「ああ……そうか、不安か、なるほど。
ミュリエル、我が父はお前が思うほど悪いやつじゃない、ただちょっと貴族的なだけだ。
お前を留め置いたのも、別に詮索しようとかそういうことじゃないんだよ。
まあ……今のところはね。
単純に、令嬢を外に放り出すのが忍びなかっただけだ」
子供に言い聞かせるような声が、妙に堪えた。
そう言われて初めて、自分が変に肩に力が入っていたこと、ぴりぴりと毛を逆立てた猫のような状態だったことに気づいたのだ。
森に呼ばれ、サバイバルよろしくさまよい、神様だの転生だのに巻き込まれ、おまけに犯罪者の身分だ。
自分が口に出した以上に、不安と恐怖にじわじわ襲われていたようだ。
「……私、可哀想ですか?」
「ああ。割と」
ファシオは控えていたメイド達を呼び、芹那を任せた。
抗う気力もなく、手際よく脱がされ浴室に放り込まれ、何から何まで世話を受け、気づけばやけに手触りの良い布団にくるまっている。
少なくとも、ベッドで寝たい、という希望は叶えられたらしい。
そう思いながら、芹那は深い眠りに落ちて行った。