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訓練すること三日ばかり。
芹那が体得したのは、「魔法には属性なんかないんじゃないの?」という感覚だ。
それとも、やはり神様とやらの恩恵か?
芹那には、魔法に得意不得意はないようだから。
言葉を媒介にするだけあって、イメージ力が強いほど、発現しやすい気もする。
まあ仕組みのことは芹那にはどうでもいい。
「よし、行くか」
かばんから引っ張り出した三日分の水や食料の残骸を片付け、同じくお取り寄せした旅装を身に着ける。
ちなみに、お取り寄せが別名窃盗ではないかと気づいたころから、残骸とともにお金を添えるようにしてみた。
物価はタブレットに聞いた。
それでも気が咎めることには違いないが、生きていくために手段は選んでいられない。
「強化」
好きだったオンラインゲームのバフ呪文を参考に、芹那なりの短い詠唱をイメージと紐づけした。
守備に攻撃にオールマイティな便利魔法は、もちろん、移動のためだ。
タブレットに地図と自分の現在地を表示してから、芹那はよっこらしょと走り始めた。
さて、設定はどうしよう。
アラノルシアと、隣国エルサンヴィリアの国境付近で、一度立ち止まる。
少し向こうには、大きな街道と、その先にある入国管理の関所が見えた。
タブレットに聞いたところ、国家間の移動には特にパスポートのようなものは不要らしい。
ただ、姓名と出国の理由は聞かれる。
「嘘はすぐばれるからね」
芹那はぱぱっと髪を撫でつけ、関所の列に並ぶ。
「次。名前と入国目的を」
入国ということは、この関所の管理はエルサンヴィリアなんだな。
「ミュリエルです、働き口を探しに行きます」
関所の管理官は、片眉を上げて芹那をちらりと見た。
「なぜわざわざ他国へ?」
「婚約者に振られて居づらいので、遠くに行こうかなって」
彼は、はぁん、という顔をして、少し微笑んだ。
「よし、通れ」
片手をあげて、なんとなく励ましてくれる雰囲気を感じながら、ぺこりと頭を下げる。
街道は、すぐに大きな街へと入った。
交易の盛んな様子が分かる、活気のある街だ。
『ようこそエルサンヴィリアへ、ようこそ始まりの街アルエへ』
相変わらず、知らない文字なのに読める。
木製の看板に染料で書かれた歓迎の言葉を横目に、まずは宿屋を探そうと考えた。
もう、地面で寝るのはこりごりだ。
ベッドで寝たい。
切実な希望だ。
きょろきょろとお上りさんよろしく見回している芹那の上に、ふと、影が差した。
誰かがやけに近い位置に近づいたのだと気づくより前に、がっしりと二の腕を掴まれる。
「ぎゃ……」
「待て、騒ぐな、俺だ!」
ぱっと口をふさがれた直後に、聞いたことのある声がした。
見上げると、これまた見覚えのある顔。
「わあ……先生じゃないですか」
「絶対にここを通ると思って張ってたんだ」
「手、放してくれていいですよ?」
「あの時みたいに不意を突かれちゃたまんないからな」
「でもほら、周りから不審者だと思われてます」
少女の二の腕を掴み、口をふさいだ行為は、多分に怪しい。
芹那が穏やかに会話をしているからじろじろ見られるだけで済んでいるが、あまりに長ければ、誰かが止めに入ってくるだろう。
いい人が多そうな街だ。
それとも、貿易と、当然防衛の要でもあるだろう街で、もめごとはご法度なのかもしれない。
先生──ファシオは、しぶしぶ手を離したが、目は油断なく芹那をねめつけている。
「私を待ってたんですか?」
「誤解を生むような言い方をするな」
「でも待ってたんですよね」
「文句を言うためにな」
付いて来い、というファシオは、絶対に逃がさない、という顔をしていて、芹那は諦めてその後ろをとぼとぼと歩いた。
乗れと言われて馬車に乗り、降りろと言われて降りる。
到着したのは、見上げんばかりのお屋敷だった。
「まじで貴族だったんだ」
「そう言ったろう?」
ノッカーを鳴らし、内側から扉が開く。
顔を見せたのは、蝶ネクタイにビシッとした黒服の男性。
「……元居たところに置いてらっしゃい」
「わあ、聞いたことあるセリフ」
「モーガン、こいつは俺の名誉の回復に必要な証人だ」
執事とか家令とかそういう人種だろう壮年の男性は、芹那の姿を上から下まで眺めた後、しぶしぶと扉を開けた。
「お待ちください。まさかそのまま旦那様の部屋に?」
「そうだ」
「ご冗談ですよね?」
「本気だ」
歓迎されていない空気を感じ、しかし諦めそうもないファシオに、いつまで拘束されるか分かったものではない。
芹那は焦って、
「あ、大丈夫です、綺麗にしますから」
浄化を唱え、山道を疾走してきた汚れを洗い落とす。
モーガンは目を見開いた。
「……お前なあ」
「ごめん、馬車の中、汚れたかな?」
「そんなことはどうでもいいんだよ、馬鹿。
さあモーガン、せめて先ぶれに走ったほうがいいんじゃないか?」
父親の部屋に押し入るつもりであることを伝えると、モーガンは何も言わずに早足で廊下の奥へと消えていった。
ファシオに促され、ゆっくりとその後を追う。
「父上、入りますよ」
半開きだったドアを開け、暗かった廊下から、明るい執務室へと入る。
まぶしくて目を細めたが、次第に慣れてくると、ファシオによく似た男性が、立派な椅子に座っているのが見えた。
「先日の失踪未遂の件。正式に言い訳に参りました」
「言い訳だと宣言するか」
「仕事に穴をあけたのは事実ですからね」
ぐい、と背中を押され、男性の前に無理やり進まされた。
「ちょ、先生、私ですか!?」
「お前が言い訳の内容そのものだ」
「何を言えばいいんですか!」
「俺を呼んだと証明しろ」
見知らぬおじさんだが、屋敷の規模と言い、執事の様子と言い、多分めちゃくちゃ偉い人なんだろう。
「み、ミュリエルと申します、この度は、私が息子さんを呼び出してしまいまして、ご迷惑を」
しりすぼみに小さくなる声。
おじさんの顔が険しいままで、信じている様子がなかったからだ。
「よし、俺の兄を出せ。そのかばんからな」
「いや知らんし、兄」
「条件が合えばいいのだろう、俺の兄、というのは一人しかいない、うってつけだ」
「ほんと、どうなっても知りませんからね。
これが終わったら、解放してくださいね?」
「お前は俺に取り引きをもちかけられる立場か?」
睨まれて、目を逸らす。
芹那は、斜め掛けにしてたバッグをおろし、やけくそで叫んだ。
「先生のお兄さん!」
手を突っ込み、触れたものをずずっと取り出すと、それは、ファシオによく似た男性だった。
驚愕に目を見開き、完全に固まっている。
床に座り込んだ状態で、男性はゆっくりと視線を動かした。
「父上……?」
当の父親は、その男性と全く同じ顔で、やはり同じように固まっている。
その中にあって、ファシオだけが、やけに満足そうな顔をしていた。