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『そうそう、ユリアンナとファシオ君の結婚式は、来年でいいかな?』
来て早々、無邪気な笑顔でそう言ったジェルマン子爵の言葉は、沈黙を以て受け止められた。
そしてそれからすぐ、子世代は追い出され、大人たちだけの話になったようだが、詳細は伝えられていない。
ただ、しばらく彼らが滞在する、という、予定通りの用件だけが回って来た。
あれから、二週間。
芹那は、起業の準備を進めつつ、ユリアンナの嫌味をやりすごし、話題から締め出される食事を乗り切り、なんとかやってきた。
ヴァンドール伯爵の顔を立てた形だが、結局、ファシオが先にキレてしまった。
「よし、結婚しよう」
「なんて?」
「面倒くせぇ、籍を入れてしまえば諦めるしかなくなるんだ、それでいいだろ」
「まあそうだけど」
少し考えると、その案は妙に魅力的に思えた。
説得も不要、我慢もいらない、一気に問題を解決できる。
「いいかも」
「だろう?」
嬉しそうなファシオは、
「さすがに無断ってわけにはいかないからな、一応、今から結婚すると父と母に通告してこよう」
「止められたら?」
「そうだな、任されている仕事があるから、逐電は出来ん。……王族でも使うか」
「不敬ったらないわね」
冗談っぽい口調だが、聖女の立場を存分に使うなら効果的だろう。
もちろん、芹那はこの国の聖女にはならない。
それは女神の神託であり、絶対だ。
それでも、聖女の真似事は出来る。
魔法を使わずとも、国民の前に立つだけで価値がある。
引き換えに、ヴァンドール夫妻の説得をお願いすることは、容易いだろう。
「最後の手段ね、それは」
「他の手も考えておくか」
「私も考えるわ」
そう言って、いよいよ今日。
二人は、揃って伯爵の元へ突撃した。
着ている晩餐用のドレスは、自分でデザインした。
といっても、おおざっぱにイラストを描き、イメージを伝えただけで、デザイン画に起こしたのは服飾店側だが、アイディアは歓迎された。
メインは、布だ。
今まで淡い単色しかなかった布に、開発したインクを用いた鮮やかな発色で柄をつけた。
いまはまだテキスタイルのみだが、そのうち花や人物などの絵柄も考えている。
「天使のようだ」
「真顔でなに言ってんの!?」
ふわりとした生地は、確かにミュリエルの儚げな雰囲気に似合っている。
ご機嫌なファシオは、いつものように手を取ってエスコートしてくれた。
「失礼します」
二人で入室すると、夫妻とジェルマン親子が一斉に注目してくる。
ユリアンナは悔し気で、その父は不思議そうな顔だ。
「やあ、久しぶりだな甥っ子よ」
皮肉なのかなんなのか、たまに雲隠れするファシオに、ジェルマン子爵が声をかけてきた。
「全員おそろいですね。ちょうどいい。話がありまして」
芹那とファシオは目を合わせた。
それから揃って、伯爵に向き合う。
「すぐにでも結婚しようと思いましてね」
伯爵はやれやれという顔をし、奥様は相変わらず無表情だ。
にっこり笑ったのは、ジェルマン子爵だ。
「やあ、心を決めてくれたのだね。うちは大歓迎だ。
良かったな、ユリアンナ」
ファシオが首を振る。
「伯父上、勘違いされては困る。私の花嫁は、芹那だ。もうずっと前からそう決まっている」
ぽかんとした子爵は、ユリアンナの顔を見た。
それから二度三度、ファシオと交互に視線をきょろきょろさせ、そして言った。
「いや、それは許されないよ。君は、うちの娘と結婚するのだろう」
「許されない? 一体、なんのつもりでそのようなおっしゃいようをなさるのです?
伯父上の許しなど、私の結婚に必要ないはずですが」
「ははっ、何を言っているのかと問いたいのは私だよファシオ、だって私は、お前の父の兄なのだよ?」
「だから?」
ここで初めて、子爵はいら立った顔をする。
なぜ分からないんだ、という風に、椅子に深く腰掛けなおし、指を立てた。
「いい加減にするんだファシオ、例え身内でも、許されない態度だぞ」
あ、ファシオがキレそう、と思った芹那は、ここでようやく前に出た。
「ユリアンナ様にお聞きしたいことがございますの」
「なんだお前は、どんな立場で我々の会話に立ち入ってくるのだ、無礼な!」
怒鳴られたが、芹那は平気だ。
前世で慣れているし、何より、ファシオが絶対に守ってくれる。
魔法もあるしね。
「もちろん、ファシオの未来の妻として、ですわ、子爵様」
「勝手なことを言いおって、おい、ジャック、この女を追い出せ!」
芹那は構わず、ユリアンナに問いかけた。
「ユリアンナ様。ファシオと結婚するのだとおっしゃっていますが、それでよろしいのですか?」
相変わらず、芹那を憎々し気に睨みながら、彼女は答える。
「なぜ私がお前のどうでもよい質問に答えると思うのよ。馬鹿じゃないの、叔父様に追い出されないうちに出て行きなさい」
「ミルティ・ソーンダイク様とはもうよろしいのかとお聞きしているのですわ」
芹那がぶつけた名前に、ユリアンナは分かりやすく動揺した。
「な、なぜお前がその名前を……」
「もちろん、女神さまにお聞きしたのですよ。
ユリアンナ様は、そのかたと懇意にされている、と」
嘘、本当はタブレットで調べた。
そして、実はそれ以外も調べた。
ヴァンドール伯爵夫妻の態度の訳も、なにもかも。
「そんなんじゃ……ないわよ」
「でも、愛し合ってらっしゃる」
驚いたことに、彼女はあっという間に動揺を捨て、立ち直った。
「だからなに? 私と彼は誰の目から見ても友人で、それ以上でも以下でもないわ。
私たちにはそれぞれに別の目的があるのだもの」
「目的とは?」
「決まっているじゃない。この家を取り戻すのよ」
強い決意を思わせるユリアンナとは対照的に、急に落ち着かなくなったのは、ジェルマン子爵だ。
「おい、そんな、はっきりと」
「いいじゃないのお父様、この者たちが、第一等権利を持つお父様を差し置いて後を継いだのは事実なのだもの!」
ジェルマン子爵は、長女で一人っ子だった妻のために、入り婿になった。
そのため、ヴァンドール家はファシオの父が継いだのだ。
「確認なさったの?」
「は? 現に、兄であるお父様ではなく、弟のジャック叔父様が継いでいるじゃない」
「それが、ジェルマン様の御希望であったのに?」
「知ってるわよ。でも、お父様は本心からそう言ったのではないわ。
お母様と結婚するために仕方なく権利を譲ったのよ。
本来なら、叔父様はお父様に配慮して、両方の爵位を得られるよう手配すべきだったのよ!」
あまりの身勝手な言い分に、芹那はあきれた。
確かに、爵位を二つ持つことは可能だ。
しかし、好きな女性と結婚するために家を捨てるという男に、領民を預けようという貴族などいるだろうか。
「お父様は、私が小さい頃からずっと言っていたわ、この家は奪われた、だからいつか取り戻すべきだし、それは娘である私の義務だってね。
貴族として、私は、不当に得られたものを正しい場所に戻すつもり。
色々手があるけれど、一番穏当なのが、私がこの家に迎えられることだわ。
私たちは、あなた達にチャンスを与えているのよ。
誰も傷つかない方法で、間違いを正すチャンス」
芹那は、手のひらを上向けた。
「そこまで。これではっきりした。ジェルマン子爵は、契約を破った」
「……契約?」
何もない空中から、手のひらに一冊の書類挟みが落ちてくる。
すとんと受け止めたそれは、革表紙の深い茶色が光を放っている。
この家に来た当初、芹那自身も契約をした。
自由を諦め、この家に守られる契約だ。
あの時、契約書が光った通り、これは口約束ではない、女神の力を借りた魔力契約だ。
「ひとつ。甲は乙に自分の意思で家督を譲ったと証を立てる。
ひとつ。以後、甲乙ともに、後継を巡って異議申し立てはしない。
ひとつ。甲の戸籍に連なる者が、乙の権利を侵害しない。
これらが守られる限り、互いに家族としてよい関係を保つ努力をすべし。
これらが破られれば、互いに接すること、およびヴァンドール伯爵家に立ち入ること能わず。
これら契約の内容を、他者に話してはならない」
「どういう……こと」
「簡単よ。ジェルマン様はなにがなんでも奥様と結ばれたかった。
だから、女神の契約を交わしてまで、この家を捨てた。
お義父様があなたたちを優しく受け入れていたのは、契約のためだわ。
けれど、ジェルマン様はこれを違えた。
娘をそそのかし、自らが身勝手で捨てたものを再び手に入れようと画策した」
「そんな、そんなつもりではない!」
「つもりなんてどうでもいいのよ。契約とはそういうもの」
芹那が書類を取り上げると、それは白く光り、紙の形がみるみる解けて、いくつかの破片に散った。
それらは四散し、うち二つがそれぞれ、ユリアンナとジェルマン子爵の胸元に吸い込まれる。
「何よこれ!」
「契約の行使よ。あなたたちは、一族含め、この家の者にはもう近づけないわ」
「知らない、そんなこと! 勝手なことしないで、私はこの家に迎えられなければならないのよ!
そうだわ、叔母様、叔母様は私の味方でしょう!?
なんとかしてくださいな!」
呼ばれた夫人は、相変わらずの無表情でユリアンナを見た。
「あなたを受け入れたのは、この契約があったからです。
まあとはいえ、ふさわしい器量があれば別にファシオと結ばれてくれても構わなかった」
「じゃあ……!」
「なかったけれどね」
「えっ」
「聖女の地位を理解せず罵倒する、社会性のなさ。
お茶会でふさわしい話題選びができない、貴族としての手腕のなさ。
主催の意向を汲めない、社交性のなさ。
なにより、品のない思想。
あなたはいろいろと、不足しています」
「そんな、だって……お茶会の時は、この者を追い出したではありませんか!
二度と呼ばないと!」
「あのような不快な席には二度と呼ばない、ということよ。
この子はこの子で、とても貴族の仮面はかぶれそうにもないけれど、それでも、経営手腕と聖女という地位がある。
今はそれで充分です」
今は、ってなんだ。
芹那が嫌な予感に包まれた時、ヴァンドール伯爵が立ち上がった。
「残念です、兄上。いや……私の我慢もそろそろ限界でしたからね、むしろ良かったかもしれません。
しかし、兄上に敵対すれば、女神の契約をもってこの家から追い出されてしまう。
身分うんぬんではなく、立太子間近の今、私が政局を離れるわけにはいかなかった。
……荷物は使用人にまとめさせています、今日の内にお発ちになられるがよいでしょう」
「お前……お前、兄に向って何を言うのだ、まさか追い出すつもりか!」
「さて、私の意向ではないのですがね。
兄上。あなたが自ら契約を結び、あなたが自らそれを破った。
自分で自分の足をすくったのです。
その代償は、自らで払わねば」
「こ、後悔するぞ、ジャック! 唯一の肉親をそのように扱って、悪い評判が立つだろう!
その時になって泣きついてきても遅いのだからな!」
憤然と立ち上がり、噂をばらまくぞという不穏な脅迫を残して、ジェルマン子爵が出て行く。
慌てて付いていくユリアンナの背中に、伯爵は言った。
「そうそう、ジェルマン家への支援も打ち切ることとするからね、お父上にそう伝えておくれ」
「ひどい! 叔父様、見損なったわ!」
芹那は、困ったような顔の義父と彼女の間に立ちふさがり、怒りを隠さず反論する。
「ひどいのはあなたでしょう。
父親を妄信するのは仕方がないし、家のために策を弄するのも構わない。
でも、その手段として、ファシオを騙したじゃない。
ファシオが好きなふりをして。
私はそのことを、一生許さないから」
「なっ……お前にそんなこと、言われる筋合いは……」
「あるわよ。
私はこの人の妻になるのだもの。
幸い、私を愛しちゃったから大丈夫だったけど、あなたに騙されて傷ついた可能性もほんの少しはなくもなかったかもしれない」
「馬鹿にして……ふざけないで!」
「あら失礼。よく考えたら、私に関係なく、あなた嫌われていた気もしてきたわ」
ぎりぎりと歯ぎしりをするユリアンナと芹那を見て、ファシオがため息をつく。
「そこまで。さあユリアンナ、我が家の敷地からどこへなりと出ていけ。それが契約の結末だ」
「嫌よ! 私は、私はこの家をとりもど──」
唐突に、ユリアンナの姿がかき消えた。
驚く芹那に、やはり同じように驚きつつも、事情を把握している義父が教えてくれる。
「契約の行使だよ。敷地外に飛ばされたんだ、なに、どこか近くだろう、……多分」
なるほど、とほっとする芹那は、ようやく、全ての障害がなくなったのだと実感した。




