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『その日の記憶が、なぜかないんですよね。

 ただ、ああ死んだ、って感情だけ覚えてて。

 あの後、女神さまに確認したら、やっぱり私死んでました。

 でも、思い出す必要なんてないのよ、って悲しそうな顔するから、細かいこと聞けなくって』


神崎は、詳しい話を求めた際の芹那の返事に、もの悲しい気持ちになったことを覚えている。

女神の気遣いは、芹那の末期がどんなものだったかを想像させた。


捜索願を提出した時の聞き取り内容は、さほど詳細ではなかった。

成人が自分の意思で行方をくらませたとなれば、警察は単に届けを受け取るだけのことが多い。

ただ、女性ということで、多少は調べたらしい。




鳴海芹那が失踪したとされた日は、朝から雨が降っていた。

重く黒く垂れこめた雲が、日中でも光を遮り、薄暗かったという。


夫の孝文が、芹那からのメッセージを受け取ったのは、夕方だった。

会社にいる時間だったため、既読をつけたのはそれよりもさらに後で、退社時である7時過ぎ。


『ごめんなさい、探さないでください』


孝文は、はっとして、すぐに母親に連絡を取ったそうだ。

彼の母親は、夫である孝文の父の死を機に、実家を売って近所のマンションに引っ越してきていたからだ。



神崎は、部署が忙しくないうちに、と、所轄を訪ねた上で、孝文の自宅を訪ねた。

同行しますよ、と言ってくれた刑事とともにチャイムを鳴らすと、出てきたのは母親だった。

お話を、と切り出す神崎たちを、不承不承あげたのも母親、お茶を出すのも母親。

在宅していた孝文は、ただ、居間のソファに座っていた。



「なぜ母親に?」


神崎が聞くと、孝文は、意味が分からないといったふうに首を傾げた。

その仕草がやけに幼く、隣に座っている母親の微笑まし気な顔とあいまって、なんだか居心地の悪い気持ちになる。


「いや、合鍵持ってるんで」

「ねえ、芹那さんは嫌がってたんですけどね、こうなってみると、預かっておいてよかったですよ」


ほほほ、と笑う母親は、神崎たちがなんの捜査をしているのか、分かっていないような明るい表情だ。

隣で、所轄の刑事が、やはり落ち着かないのか、尻をもぞもぞさせている。


「そして、お母様が自宅に侵入してみると、部屋はもぬけの殻だった」

「侵入って……俺が頼んだんですけど」


わざと使った言葉に敏感に反応し、孝文が嫌な顔をする。


「っていうか、この話、何度もしましたけど。

 ちゃんと情報共有してるんですか?」


捜索願を出したときに一度、そして、事件性を確認するために所轄の刑事が訪問して一度。

何度も、というほどではないはずだが、彼は不満そうに口をとがらせる。


「すみませんね、私は警視庁の人間でして。部署が違うんですよ。

 それに、話すことで新しい何かを思い出すことがよくあるんです。

 奥様を早く見つけるためです、ご協力願えませんか」

「そりゃ。まあ、もちろん、出来ることはしますけど」

「孝文さんの方では、何か掴めましたか?」

「は? 俺?」


きょとん、とした顔に、隣の刑事がぴたりと動きを止めた。

神崎もまた、じっくりと彼を観察しながら、


「ええ。お友達にあたるとか。ほかの書置きを探すとか。

 あるいは、失踪の兆候になるような出来事を思い起こしてみた、とか」


要するに、通常、家族を探すとなった時にやれるだけのことは何かしたのか、という問いだ。


「え。いやそりゃ勿論。でもあいつ友達いなくて」

「一人も?」

「そういうやつなんですよ」

「他には?」

「いや、さあ。PCも持ってないし」


母親が、隣でちょっと漬物をつまみながら、


「欲しいとは言っていたらしいんですけどね、そんな、働いていない身分でぱそこんなんて、とんでもないことでしょう?

 やれ食洗器が欲しいとか、新しい掃除機が欲しいとか、最近の若い子はすぐに楽することばーっかり考えて」


ずずっ、とお茶をすすって、言う。

際限なく出てきそうな嫁への不満は、そのまま、芹那との関係を表している。

事前に芹那から聞いていたとはいえ、隠しもしないあたり、全く悪いとは思っていないのだろう。

嫁を躾けるのは自分だ、という考えの持ち主だ。


「さて、では、少し部屋を調べさせてもらえますか?」

「な、なんでですか、一回見たじゃないですか!」


母親が慌てたように言う。

神崎とともに、刑事も隣で立ち上がった。


「先ほども言いましたが、捜査は繰り返すことで新たな発見をするものです。

 そしてまたこれも繰り返しになりますが、ご家族の発見にご協力いただきたい、ということです。

 彼女がいなくなって、一週間。

 さぞご心配なことでしょう、我々も、全力を尽くす所存です」


真剣な顔で言うと、母親は、たじたじとなって引っ込んだ。


「あー、じゃあ、その間、飯食ってきていいですか」


唐突にそう言いだした孝文を、さすがの母親もぎょっとした顔でたしなめたが、彼は面倒くさそうに、


「いやだって俺たちがいたって仕方ないだろ。朝から何も食ってねえし腹減ってんだよ。

 ね、いいですよね?」


母親から神崎たちに目線を移し、そう言った。


「ええ、もちろんです」


神崎が微笑んで答えると、彼らは連れ立って出かけて行った。

30分で戻るんで、と言い残したのは、それまでに終わらせておけ、ということだろう。


玄関が閉まると同時に、神崎は刑事に言った。


「後をつけてくれ。可能なら会話を記録しろ。気づかれそうならいい」

「了解しました」


素早く、しかし静かに刑事が出て行くと、神崎は部屋をぐるりと見回した。

まっさきに夫婦の寝室に入る。


そして呆れた。

母親が捜査を渋った意味も分かった。


芹那の私物は、誰かが漁った形跡があった。

特に、下着類はぐしゃぐしゃにされ奥に押し込まれている。


『ここに化粧品類、ここに私しか使わないもののストック、あと簡単なスケジュールカレンダー』


芹那が見取り図を描きながら説明してくれたところを、さっと見る。

ストック類は空だ。

誰かが持ち去ったのだろう。

誰かというか、母親に決まっている。

あのように当たり前に出入りしているのだから、すでにここに住んでいるつもりかもしれない。


カレンダーは処分されていた。

刑事たちはそれらを、私物をかきあつめての失踪とみたようだが、真実を知っている神崎にしてみれば、犯人を示しているも同然だった。


彼ら──孝文とその母親は、芹那がもう帰って来ないことを知っているのだ。




「まあ、予想通りだけどな」


そう言いながら、神崎はそっと右目に触れ、『解析(サーチ)』と呟いた。











刑事に、明日はどうするのかと聞かれ、芹那の実家に行くと答えた。

すると、彼は、自分もついていきます、と言う。


「なぜ?」

「いや、知りませんけど、ただの失踪じゃないということですよね?」

「うん、だからなぜ?」

「二課長が確信をもっているっぽいのと、あの親子が嫁を探す気がまったくないってとこですかね」

「おかしいよね」

「はあ。とは言え、二人とも失踪時のアリバイはありますし、夫婦仲も普通だったと証言を得ていますが」


後をつけても、彼らは特に気づく様子もなかったという。

普通なら、何か悪いことをしていればびくびくするはずだ。

だから、半信半疑なのだろう。



それでも、彼は、言葉通りに翌日、隣県の芹那の実家までついてきた。


「まあまあ本当に、ご迷惑をおかけして申し訳ないやら腹立たしいやら、ねえ!」


芹那の母親は、そう言いながらお茶とお茶菓子を出してきた。

これはどうも、と口をつける。

いいお茶だ。

室内は、華美ではないが、質の良い家具を使っていて、そこそこ余裕のある生活をしているらしいと分かる。


「どうせねえ、何か気に入らないことがあってちょっと拗ねてるだけなんですよ!

 いなくなってほんの一週間でしょう、あと三日もすれば帰って来ると思うんですけどねえ、すみません、お手数かけて」


明るく、朗らかな口調で言う。

神崎は微笑みながら、


「なるほど。芹那さんは、以前にもこういうふうにいなくなったことが?」

「え? いえ、そういうことはなかったですけどね」

「ではなぜ、拗ねているだけだと思うのです?」

「あの子にはねえ、そういうところがあるんです、子どものころからね!

 全く、困った子なんですよ、どうせまともに勉強もしないくせに大学に行くと言ってみたり、どうせ役に立ちゃしないのに、自分でバイトしてまでねえ、我儘なんですよ。

 卒業後も、ここから通えというのに、一人暮らしを始めてね。

 お父さんが反対して止めたのに、それを振り切って!

 いい年をして、親に反抗するなんてねえ、幼いというか、大人になりきれないというか。

 挙句に、勝手に結婚相手を連れてきて!

 お父さんが良い人を見つけてやるってずっと言っていたのに、ほんとにねえ、我儘ばーっかり!」


ずずっ、とお茶を飲む。

その合間をついて、ようやく質問した。


「では、お兄さんは高卒ですか?」

「……はい?」

「芹那さんには、お兄さんがいましたね。

 大学が役に立たないとおっしゃるので、彼も行かなかったんですね」

「え、いえ。上のは、ちゃんとした大学に」

「ほう。では、同じように学費をバイトで稼がれて。いや、素晴らしいですね」

「……いや、上の学費は……まあ、その……そういうわけでは」




神崎は、ずっと不思議だった。

芹那本人には言えなかったが、内心、『なぜこんなに普通の女性が、女神に選ばれ、聖女に転生したのだろう』と思っていたのだ。


決して失礼な意味ではない。

そう聞こえてしまうことは承知していたので口にはしなかったが、界渡りと呼ばれた地球人はみな、専門家だったという事実がある。

神崎のように犯罪捜査のプロ、あるいは知識、技術、いずれも一流の人間たちばかりだった。


芹那だけが、良くも悪くも普通の人間だった。


なぜ?


その答えを、今、神崎は得た気がする。


──芹那とミュリエルは、とても似ている。


目に見えて劣っているわけではないのに、なぜか家族に馬鹿にされ、虐げられている。

彼女をターゲットにし、全員でスポイルすることで、残りの家族が結束する。

兄と差をつけられ、それを誰もが当たり前に受け入れていた。

妹本人たちさえも。

そして愛する男は、彼女たちとは別の女を愛し、家族と同じように虐げ、下に見て、そればかりか死に至らしめた。


彼女たちは『同じ』だったから。


同じ体を共有するために、そっくりな魂をしていた。

だから転生などという荒唐無稽な術が叶ったのだ。





「芹那さんの部屋は残っていますか?」

「あ、はあ、その、物置になってはいますが、一応」

「見せていただいてよろしいですね?」


有無を言わさぬ口調に、母親はおどおどと肯いた。

神崎は、隣で黙っていた刑事に、


「失踪前、どんなふうに連絡をとって、なんの話をしたか、聞いておいてくれるかな」


と言いおいて、母親の案内を断り、二階に上がる。

教えられたとおりのドアを開けると、そこには、子供用の学習机や本棚を隅っこにおいやり、男物の服やギター、フィギュアなどが雑然と並んでいた。

物置、とは、兄の物を置く部屋、という意味だったらしい。


神崎は、込み上げる様々な気持ちを抑え、右目にそっと触れた。







大丈夫、ミステリに流れそうなところを魔法の力でねじふせて解決します大丈夫。

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