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「この件は終わったものだと思っていたよ、ユリアンナ」
「分かっておりますわ、あの時、私がどうすべきか、教えてくださったのですよね?」
笑顔で答えられ、さすがのファシオも面食らったようだ。
「何を、だ?」
「お父様を通せば結婚できるのだ、と!」
かろうじて絞り出した問いに、自信満々でそう答えられ、とうとう絶句する。
確かにあの時、ファシオは、どちらの親も通していないことを指摘し、抗議すると告げたのだ。
もちろん皮肉だった。
ユリアンナと結婚することになんの利益もない、と言ったも同然だったのだが、通じなかったのだろうか。
「おっつけ、父もこちらへ参ります。叔母様には、滞在の許可をいただいていますわ。
お話を進めてしまいましょうね、ファシオ」
にっこりと笑う彼女からは、通じなかったのか、それともそれを逆手にとっただけなのか、分かりにくい。
いずれにしても、メリッサ夫人がよしとしているところ、ファシオの権限では追い出せない。
彼は大きなため息をついた。
「部屋に戻ってろ。俺は父上と話してくる」
ファシオに言われ、仕方なく頷いた。
インクの出来を確認するのは、後日にするしかない。
まさに緊急事態だ。
メイドとなにやら話しているユリアンナを置いて、部屋に戻ることにした。
「ん、着信?」
何気なくタブレットを取り出すと、画面に見知らぬアイコンの着信メッセージがあった。
開いてみると、SNSっぽいアプリが増えていた。
開いてみると、どうやら動画が一本、届いている。
タブレットの代わりに、サクラがもぞもぞとかばんの中に入っていった。
昼寝でもするのだろう。
再生ボタンをタップする。
『幕の内っすね、了解っす』
流れてきたのは、スーツを着た若い男性の声。
彼は、手元の紙に何かを書きつけている。
手前にはグレーのスチールデスクと、PC、電話、書類。
奥には同じデスクがずらりと並び、スーツ姿の人々が思い思いに仕事をしていた。
「神崎さんね。刑事部屋ってこうなってるんだ」
短い動画は、すぐに終わった。
おそらく、解析を試してみたのだろう。
魔法を使った場合は、自動送信になるらしい。
無事に戻ったんだ。
芹那は、ほっとした。
ファシオにかばんをかぶせた時とはさすがに不安感が違った。
なにせ世界が違うのだ。
本当に、「元の場所に戻る」ことが出来るかどうか、結果が出るまで心配だったのだ。
彼は責任感の強い人だ。
ほんの短い間しか付き合いがなかったが、そう思える人。
だから、いつになるかは分からないが、芹那の結末を届けてくれるに違いない。
芹那は安心して、その時を待つことにした。
「お嬢様、あの、あのあの!」
短い性急なノックと共に、侍女の一人が声をかけてきた。
「どうしたの、入って?」
許可するとすぐにドアが開き、芹那付きの三人の侍女の内、一番年若いエマが足早に入室してくる。
「大変です、あの……」
何かが起こったらしい。
しかし、彼女がそれを伝える前に、答えが現れた。
「ふうん、悪くないじゃない」
ユリアンナだった。
芹那ですら唖然とする。
招かれもしていないのに、いきなり自室に入り込んでくるなど、この世界どころか前世でもありえないマナー違反だ。
彼女は、ぽかんとしている芹那の前で、なめるように室内を見渡している。
この部屋は、芹那に与えられた私室だ。
当初、曲線が主流の様式でそろえられ、白とゴールドで大人っぽくまとめられていた部屋を、許可を得て模様替えした。
タレントの某夫人の自宅みたいな印象がぬぐえず、流行りと理解はしても、馴染めなかったから。
今は、北欧っぽいイメージの、シンプルな木の家具と、くすみカラーでそろえている。
もちろん、前世で身近だったような家具とは、値段がけた違いだったけれど。
「この部屋は、私が使うわ。あなた、出て行ってちょうだい」
「本気か?」
思わず本音が出た。
ユリアンナは、首を傾げている。
そんな言葉がそんな言葉づかいで出てくるとは、思っていなかったからだろう。
芹那は咳ばらいをする。
「お断りするわ」
しかし、ユリアンナの返事は、不敵な笑みだった。
そうして彼女は、芹那を無視し、メイドに合図をする。
メイドたちは、戸惑った様子で入って来たが、その手にはいくつもの木箱や鞄があった。
どうやら、強引に荷物を運びこむつもりらしい。
じわり、と苛立ちを覚える。
驚きや呆れとはあきらかに違う、腹立たしさ。
タカイチではないが、やはり、このような権力を前面に押し出した行為は、どうも受け入れられない。
嫌な奴。
芹那は不快さを隠すことをやめ、扇を取り出した。
そして、
「警告するわ。
ユリアンナ様、これ以上勝手に私の部屋に居座ることは受け入れられません。
早急に退室なさって?」
「その辺に全部置いて行って。荷解きはうちの侍女がするから。
よそのメイドになんか、任せられないわ。
壊しでもしたら、一生かかっても償えないのよ?」
無視された。
メイドたちは、顔を青くして、さっと退室していく。
あーあ。
芹那は、扇で口元を隠しながら、舌打ちをした。
世間知らずを絵にかいたような娘だ。
芹那は善人ではないが、少なくとも、一生こんなセリフを言うことはないだろう。
「ねえ。何してるの?」
不満そうな声がかけられた。
ユリアンナの目がこちらを睨んでいる。
芹那は、やや顎をあげ、その顔をまっすぐに見返した。
「な、何よその目は、生意気ね、庶民のくせに。
早く出て行きなさいよ!」
「とんでもない馬鹿娘だわね、ジェルマン子爵のたかが知れるというものだわ」
「なんですって! 今なんと言ったのお前! お父様を侮辱したのね!」
いきり立つ彼女に、ぱちんと扇を閉じ、その先を向ける。
あからさまに格下に向けたその仕草に、彼女は真っ赤になって口をぱくぱくさせている。
怒りのあまり、言葉が出ないらしい。
「あなたがその程度なのだから、ご両親が恥をかくのも仕方ないのではないかしら?」
「お、お前、絶対許さないんだから!
お父様に言って、死刑にしてやる!」
あらまあ、そうなったら二回目ね。
などと思いながら、芹那はゆっくりと彼女に近づき、鼻先が触れるほどの距離で言った。
「私は、元々隣国の貴族の娘。子爵令嬢です」
「……だ、だから何なのよ、今は庶民だと、叔父様が言ってたわよ!」
「いつの話かしら。
確かに一度庶民の身分だったことはあるけれど、今は、養子に入ったのよ」
一瞬、ユリアンナの瞳が揺れた。
知らなかったらしい。
だとしても、許されることではない。
それを一番よく知っているのは、彼女だ。
「自己紹介して差し上げるわ。
私の名は、芹那・リャナザンド。リャナザンド子爵家の、娘よ。
同時に、女神に認められた聖女でもある」
「えっ……」
芹那は、メイドには言わないだろうセリフを、ユリアンナには言うことにした。
「頭を下げなさい」
「な、なんですって……」
「膝を折り、許しを乞うのよ、ユリアンナ・ジェルマン。
私の部屋に無断で入ったこと、庶民とののしったこと、警告を無視して不快な行動をとり続けたこと。
どれひとつとして、子爵令嬢が私に向けて良い行為ではなかった。
そうでしょう?」
ここで頭の一つも下げれば、芹那もあっさり許すつもりだった。
だが、彼女は想像以上に、我儘に育てられたようだ。
謝ることも、間違いを認めることもないまま、ここまできたのか。
「い、嫌よ、身分が何よ、私は、メリッサ叔母様にお前を追い出していいって許可をもらってるのよ、だから謝るいわれはないわ!」
憎しみのこもった目で芹那を睨んでくる。
後ろで、ユリアンナの連れてきた侍女たちが慌てたように右往左往しているが、諫めることはできないらしい。
芹那は、三歩、下がった。
一歩ごとにほっとした表情をするユリアンナだったが、すぐに、怯えた顔をすることになる。
彼女の持って来た荷物の内ひとつが、爆発するように粉々になったからだ。
「ひっ……! な、なんなの、何が起こったの!?」
木箱の中身は、ドレスか帽子か何かだったらしい。
残骸となった布切れが、底に散らばっている。
「メイドが一生かかっても償えない額、だったかしら?」
芹那は、扇を彼女に向けた。
その先が、ぼんやりと光をまとっていることに、その場の全員が気づき、くぎ付けになる。
「私への不遜な態度、その木箱一つで許して差し上げるわ。
これ以上、荷物が減らないうちに、出て行ってちょうだい」
静かに言う。
その芹那の肩に、かばんの中で寝ていたサクラがふわりととまる。
聖女様、という侍女の小さな呟きを聞いたユリアンナは、わなわなと震えた挙句、
「だから、なによ! 私はね、絶対にファシオと結婚するの!
お前は邪魔なのよ、叔母様に言ってすぐにでも追い出してもらうから!」
と言い放ち、身をひるがえして逃げていった。
「……どうなさいます、お嬢様」
「放っておいていいよ。
自分で言うのもなんだけど、やすやすと追い出されるほど安くないと思うんだよね、私」
「勿論です!
聖女で、正式な婚約者で、共同事業主ですし」
「ね。だよねえ」
あーやな気分。
芹那は破裂させた木箱のゴミを魔法でかばんに放り込み、残りの荷物を部屋の前に並べて置いた。
その内、誰かが運ぶだろう。
「身分を笠に着てごり押ししたくせに、身分でやり返されたら、今度は他人様の権力に頼ろうなんて、なんていうか……そういう躾なのかしら」
荷物を運び出したせいで開けっぱなしだったドアを、コンコンコンと叩く音がした。
ファシオだ。
すでに顔をのぞかせている。
「どうぞ」
「なんかあったな?」
「あったわよ」
芹那が簡単に話して聞かせると、彼は渋い顔をした。
「お義父様のほうは?」
「ああそれが……アレをすぐには追い出せないようだ」
「えー……」
「ユリアンナの父、ジェルマン伯父は、父上の兄なのだ。
長男だが、一人っ子の伯母上に恋をして、家督を弟である我が父に譲って婿養子に出た。
父上はそのことに変な負い目を感じていてな。
本来兄が継ぐべきものを、横から手に入れたようなものだ、といつか言っていた」
「ちょっと分かんないわね」
「そうだな……世代かもな」
はあ、と、珍しく本気のため息だ。
「とにかく、伯父上が数日後においでになる。
少なくともそれまでは、彼女を置いておくつもりのようだ」
うへぁ、という顔になってしまう。
丁度そこに、メイドがためらいがちなノックをした。
ずっと半開きのままのドアの隙間から、そっと顔を出し、
「奥様がお呼びでございます」
と言う。
芹那は今度こそ、うへぁ、と声が出た。