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無言で見つめ合う。
ぱかぱかの蓋のかばんから出てきたのは、男だった。
ややくすんだ金髪に、グリーンの瞳。
育ちの良さそうな毛色なのに、目つきはやたらと悪い。
いや、剣呑そうなのは当たり前か。
芹那が思うに、今まで出した水も薬も食べ物も、どこかから手元に引き寄せている気がしている。
つまりこの男も、どこかから来た。
というか来させられた。
「ででででってでー、まほうのせんせい~……」
「口は利けるようだな」
溢れる怒りを押し殺したような声だが、一応、事情を聞こうとしてはくれるらしい。
芹那は言葉を選びつつ、事情を説明した。
「なるほど、ふざけるなよ?」
言葉を選んだところで、とばっちりであることは隠せない。
異世界転生についてだけ隠し、これまでの経緯は正直に話をしたが、男は結局怒った。
「仕様が悪いわよね、私の意思ではないっていう、そういう神様が作ったこのかばんの仕様が悪いっていうか」
「黙れ。しかも捨てられた森だと? 帰るのに三日はかかんじゃねえか!」
「いい服着てんのに口悪いわね。貴族じゃないの?」
「あいにくと、家を飛び出して最近出戻った放蕩息子でな。
現在、絶賛反省中で、一生懸命家業を手伝っているところだ。
その最中に、最低でも三日は再びの失踪をしでかすことで帳消しになりそうだがな!」
タイミングが悪すぎないか?
神様というのは、運も味方につけるはずでは?
「あ。でも大丈夫、そのかばんに放り込めば、元の場所に戻るみたいだから!」
「ほう。俺に、『みたい』程度の未知の仕様を信じろと?
俺がさらに別の場所に飛ばされたらどうするつもりだ?」
芹那は黙り込んだ。
確かに、もし自分なら、そんな訳の分からない道を通りたくない。
結局、芹那は、また叫んだ。
「神様! 神様ちょっと!」
「可愛い我がいとし子よ、僕は忙しいと言わなかったかな……」
「ねえ、魔法を教えてもらおうとしたら、人が出てきたんだけど」
「そりゃあ、魔法は人が使うものだ、人が出てくるのは当然だよ」
「この人も、かばんに突っ込めばちゃんと元いたところに帰れる?」
「それは保証する、安心して元いたところに戻しておいで」
「ねえそれとね、」
「まだあるのかい、それは今じゃなきゃ駄目かい?」
「駄目」
「しかし僕はとても忙しくて」
「駄目だってば」
神様はむむむむという顔をしてから、はっと何かを思いついたようだ。
「よし、僕が知っていることはもともと教えるつもりだし、だったら、僕の全知に直接アクセスするがいいよ」
どんな形にしようか、と、理解できないでいる芹那をおいてきぼりに、神様は人差し指を頬に当てている。
「君の慣れた形がいいだろうね」
そう言って、ゆっくりと右手を動かす。
何かをかき混ぜるような仕草は光を生み、渦を生み、その中心から何かが現れる。
ひらべったいそれは、滑るように芹那の手元に飛んできた。
「タブレット?」
「そうだよ。君にしか起動できないし、充電は君の魔力で行うから、使えるのは君だけ」
画面に触れると、有機ELっぽいくっきりした画面に、検索アプリがひとつ。
タップして開き、検索窓に『かばんから現れた男は安全?』と入れてみた。
「ふむ。善人には比較的安全、ですって」
「使えたようだね。じゃあ僕は忙しいから。本当にね、しばらくはそれでなんとかしてね」
神様は逃げるように消えてしまった。
「ちゃんと帰れるそうです! 良かったですね!」
一応、魔法の先生になるのだから、敬語で微笑みかけた。
彼は──すごい形相をしていた。
その目は、さっきまで神様がいた空間に据えられている。
「あの……」
「あれが……神だと信じられる根拠は?」
冷静さを保とうと頑張っている。
というか、すぐさま検証しようだなんて、冷静すぎないか?
「さあ。神様ってあなたにとってどういう存在ですか?
私は、人にできないことをした時点で、まあ、人じゃないんだから神様か悪魔のどっちかかなって感じで、今のところ私に優しいから神様かな。
そんな感じです」
「……神とは信心の象徴で、実在しないものだ」
「へえ、意外な答えですね。
私たちの信仰で存在しているし、実体はないと彼が言っていたので、そういう意味では、神様で間違いないですよ」
信じられない、と、彼は地面に座り込み、木にもたれた。
しばらく心を整理していたようだが、やがて、髪の毛をかきあげながら芹那を流し見た。
故郷の見慣れた顔とは違う、彫りの深いカラフルな顔面は、少しだけミーハーな芹那の心をどきりとさせる。
「で? 俺に何をしてほしいんだ」
「あ、はい、なんか私魔法使えるみたいなんですけど、使い方が分からないので。
教えてくれる人を取り寄せました」
彼はため息をついた。
それから三時間ばかり、時々お茶とおやつを挟みながらレッスンを受けた。
もちろんかばんで取り寄せたお菓子だ。
ふんわりした、シフォンケーキに似た何かだったが、彼は微妙な顔をしている。
どうやら貴族階級の食べ物らしい。
まあまあ美味しい、と言う私には、嫌な顔をしていた。
魔法はとても不思議だった。
もともといた世界には実在しなかったけれど、それは人々の想像のなかにあり、たくさんの物語に描かれて来た。
科学で補われて来たその夢のような世界に、自分が生まれ変わった。
わくわくするような、あるいは、かけはなれた常識に不安なような、複雑な心境ではある。
そうした事情を置いても、不思議、という感覚が大きい。
身体の表面から感じる刺激はいろいろあるが、身体の中を何かが巡る感覚は初めてだ。
体内の魔力を巡らせ、言葉を媒介にして意思を具現化する。
「とりあえずこんなもんだろう。
今教えたものを使えるようになってから、その先を考えればいい」
「はいっ、ありがとうございました!」
芹那は正座で頭を下げると、いそいそとかばんの蓋を開いた。
「さ、どうぞ」
先生はなぜかためらっている。
「お前、これからどうするつもりだ」
「あ、そうですね、とりあえず森を抜けて隣の国に行こうと思います。
ここ、ええと、アラノルシア?で追放されたので、刑の執行は済んでいると解釈します。
ただ追放ってふつう国外追放でしょうから、境目とはいえ、国内にとどまるのはよくないでしょうね。
だから隣の、エルサンヴィリアってとこに行こうかと」
「どうやって?」
「ここで少し魔法の練習を続けて、高速移動できるようになったら、魔法で移動しようかなって。
あ、もしかして越境には許可がいるとか?
関所とかあります?」
「……お前、生まれは?」
「え? いや言いましたよね、アラノルシアの貴族令嬢だったって」
はっ、と先生は鼻で笑う。
「誰が信じるんだ、振る舞いも言葉遣いも貴族のものではない、地理の知識も国勢の知識もない、そのくせ、妙に頭が回る。
見た目だけは貴族然としているところも、ちぐはぐだ。
挙句に、神とコンタクトがとれるだと?
一体お前こそが、現実の存在なのか?」
芹那は焦った。
異世界人だなんて言っても信じてもらえるわけがないし、かといって、うまいこと言いくるめられるような言い訳も思い浮かばない。
「ええと……まず、座りましょうか。
私の名前は、ミュリエル・バルニエです、17歳です。
それで……あ、そういえば、先生のお名前は?」
話をするような雰囲気を醸し出しつつ、思いついたように先生の名前を聞く。
先生は、話を聞く体勢になり、地面に座るとくつろいだ様子を見せた。
「俺は、ファシオ・ヴァンドール」
芹那はその瞬間、かぽ、っとかばんを先生にかぶせた。
あっという間に、彼の体はかばんに吸い込まれ、消えていった。