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「へい、タップタップ!」
芹那は、締め付けてくるファシオの太い腕を、ぱんぱんと叩いた。
いや本人は抱きしめているつもりなのだろう。
ただ、その力が強すぎて、窒息しそうだ。
ファシオは仕方なさそうに腕をゆるめ、しかし、芹那を抱き上げたまま屋敷に向かって歩き始めた。
「ねえ、何、その格好」
「ああ、お前を取り返しに行くところだった」
「……武力で? 一人で? 馬鹿?」
「馬鹿で構わん。お前を失うよりはな」
ストレートな言葉に、芹那の頬が熱を持つ。
どうも、こういう扱いには慣れない。
「どうやって帰って来た。全員、殺してきたか?」
真顔で聞かれ、馬鹿ね、と苦笑する。
「女神さまはそのつもりだったみたいだけどね。
私もそれでいいかもって思ったんだけど、どっかで、日本人としての感情が消えなかったっていうか……。
国まるごと滅ぼすって、やりすぎだなって思って」
「ふん、女神がやらないなら、うちの国がやったっていいんだが」
「駄目よ、裁定はもう終わったの。殺さないって約束したから、もういいわ。
彼らは二度と私に手出しできないし」
腕に担ぎ上げたまま、屋敷に入ると、執事のモーガンやメイド達が駆け寄ってくる。
よってたかって無事を確認するのを押しのけ、与えられていた自室に放り込まれた。
「湯を使わせ、着替えさせたら、休ませろ」
侍女に指示を出し、ファシオはそのまま、芹那の髪を撫でた。
「王宮に行ってくる」
「何かあったの?」
「ああ、例の、空種達が騒いでるだけだ。
すぐに黙らせて来るから、お前は寝ていろ」
少し考えたが、付いていくと言っても、どうせ却下されるだろう。
大人しく頷き、ついでに魔法を解いた。
シンデレラのように、ドレスはくたびれたものに変わる。
侍女たちは、目を吊り上げた。
「……お嬢様にこのような恰好をさせていたとは」
「おいたわしい」
ぶつぶつと呟きながら、ファシオを追い出し、すぐに湯を張ってくれた。
言いつけ通りに着替えさせられ、軽い食事の後、ベッドに放り込まれる。
「ありがとう、少し寝るわ」
侍女たちは深く腰を折り、心得たように出て行った。
芹那は、枕の下から、神様の鞄を取り出す。
これを持ち歩けないのは、やはり色々不都合だが、魔法があるだけまだましかもしれない。
タブレットを取り出したが、少し考え、それを放り出す。
そして、叫んだ。
「神様ーっ! すぐ来て!」
反応はあった。
もはや懐かしさすら感じる、神話の絵姿みたいな神様が、ぼわんと現れる。
「やあ、久しぶり」
「ほんとね」
「タブレット、使ってくれていいんだよ……?」
言外に、忙しいのだが、と匂わせる神様に、芹那はにっこり笑った。
「うん、これは対面のほうがいいと思って」
「ふうん?」
なにやら不穏なものを感じたのか、神様はやや引き気味だ。
「あのね。私をここに呼んだ目的を、教えてくれる?」
彼は、じっと芹那を見る。
「君の願いを叶えるんだって、言ったよね?」
「うん、でも、それ、嘘だよね」
黙り込む彼に、芹那は追い打ちをかける。
「嘘もつけるんだね。女神様」
沈黙がある。
そして、彼は、諦めたようにため息をついた。
ゆっくりとその輪郭が溶け、形を失い、そしてもう一度何かの形を取り始める。
ついさっき、アラノルシアで見た、女神その人だった。
「言ってたもんね。神様は概念で、本来は姿を持たないって。
信仰する者の心に合わせて姿を変えることができるって。
だから私の前に現れた時は仙人みたいな姿で、アラノルシアの人々の前に出る時は、女神様の姿だった」
「なぜ気づいた」
「それも自分で言ってたよ、私はあなたの半身だって。
あなたの心の中、ちょっとだけ見えたわ。
私を、ミュリエルの中に入れるところだった」
芹那は、女神の前だというのに、ベッドに寝転がったままだ。
司祭たちが見たら、気を失うかもしれない。
だが、芹那は、彼女を敬う気になれない理由がある。
「あなたからは言いづらいだろうから、私の想像を言うね。
間違ってたら言って」
この世界と地球は、薄くどこかでつながっているのだろう。
女神は、かねてから、この世界が魔法で維持されていることに心を痛めていた。
それは、貴族が潤い、人口のほとんどである平民たちが苦労するばかりの世界だ。
貴族が必要としない技術は発展をやめ、世界はまるで止まっているかのように同じ文化レベルを維持している。
だが、地球をのぞき見した女神は、そこが、少なくとも生活レベルという点において、おおむね平等であるように思えた。
世界は順調に発展し、歴史は塗り替えられていく。
そこで女神は、地球から、この世界を発展させるための人間を呼ぶことにした。
だから、技術者なり知識人なり、有用な者たちが多かったのだ。
とはいえ、彼らによる技術革新の歩みは息苦しいほどに遅い。
当たり前だが、多くは魔法で解決できてしまうことで、貴族たちが資金を出さないのだ。
そんな中、女神は、呼び込んだ異世界人を聖女とすることを思いついた。
只人ではなく、聖女の進言ならば、貴族はもっと金と協力を惜しまないだろう、と。
しかし、その思惑は、アラノルシアのせいで悲劇に終わる。
元々、魔法にひどく頼る国民性から、異世界人を送り込む意義が薄いと見ていた国だ。
まさか、聖女をさらって閉じ込め、死なせてしまうとは。
女神は怒り、同時に、呼び込んだ少女の死を悲しみ、しばし発展を諦めた。
だが、その間にも、平民たちはどんどん苦しい生活をし、貴族たちはどんどん肥えていく。
女神は、聖女の扱いに対して釘を刺したうえで、再び、地球人を呼び込み始めた。
最初はうまくいってた。
おかしくなったのは、タカイチが来てからだ。
地球の発展は、女神の想像を超えていたのだ。
今までは、呼び込んだ地球人たちは、嘆き、恐れ、泣きながらも、最後はこの世界と共生し、発展に手を貸してくれた。
タカイチは違う。
持ち込んだのは技術ではなく、思想だった。
それも、自らの思想を押し付け、この世界を変えようとする傲慢な人間だったのだ。
女神は失敗を悟る。
まさか、異世界を自分のための世界と思い込むなんて、そんな文化が地球に出始めていたなんて、知らなかった。
そんな時、女神は、聖女が罪を犯したことを知る。
聖心力を自ら手放すような人間が聖女では、世界を修正する者がいなくなってしまう。
そこでふと思いつく。
前回は、異世界人をそのまま聖女にして失敗した。
この世界の人間であることは、重要な要素だ。
女神が見守る中、聖女の悪の手にかかった被害者、ミュリエルは命を終えようとしていた。
その心が、仮初めの聖心力を湛えながら、美しき希望を呟く。
女神は少し、手助けをしただけ。
ミュリエル自身が、身体を差し出したのだ。
その死の瞬間、女神は、ミュリエルを天に召し上げ、芹那の魂を吹き込んだ。
なぜなら、ミュリエルに聖心力が移ったことを、当たり前だが女神は知っていたからだ。
想えば最初から、ミュリエルにないはずの魔力を、あると告げていた。
「彼女はどうしているの?」
女神が訂正を入れないので、当たっているものとして芹那は聞いてみた。
「苦しみも悲しみもないところにいる。
お前を見守ってもいる。
その決断を、嬉しそうに見ている。
自分に出来なかったことをするお前に、愛しいものを感じている」
「そう……全然良かったねなんて言えないけど、今が悲しくないのなら、それでいいわ。
だって、返せって言われても、もう返せないもの」
沈黙が落ちる。
話はほぼ、終わりだ。
最後に、聞かなければいけないことが残っているだけ。
「タカイチを何とかしてほしくて、私を呼んだのね」
女神は、そっと笑う。
「そうだ。私は、神罰を与えることは出来ても、自分が呼んだ異世界人たちに直接手を下すことができない。
彼らは、私の信仰の先にはいない」
ふ、と息をつく。
芹那は、目を閉じた。
「彼は今、何を?」
「武装した兵士たちの前で、演説をしている。
言葉で人を動かせると思っているようだ。
だが、兵士たちもまた、彼らに手を出すことはできないと信じている。
女神のいとし子と思っているからだ。
膠着状態、と言えるだろう」
芹那は言った。
「決戦はまだ先ね。
少し寝ます。
ちょっと疲れたから」
「相分かった。
お前の心に怒りがあること、私は分かっている。
だが同時に、この世界を愛し始め、私の願いをきかねばならぬと思っていることもまた、感じている。
お前の世界は、お前をそのように培った。
お前の国の神は、どうやら、とても寛大なようだ」
うとうととしながら、それはどうかな、と思う。
癒しの神力をかけてから消えていく女神を感じつつ、芹那は眠りについた。
そして翌朝。
芹那は爽やかに目覚めた。
ゆっくりと支度をし、美味しい朝食を食べ、侍女たちに世話を焼かれて、万事支度を整える。
「サクラ!」
「はぁい!」
「いっちょ頼むわ!」
──王宮へ。
女神の言う通りだ。
芹那は、現状に見て見ぬふりをすることができない。
二度目の転移は、あっさりと叶った。




