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「で? その姿ってどういうことなんだよ?」
ラシュレー侯爵とやらの屋敷に着くと、すぐに、応接室らしきところに押し込まれた。
タカイチは最初、自室に連れ込もうとしたのだが、さすがにそれは侯爵が許さなかった。
当人は不服そうだったが、意外にも抗議はせず、場所を替えている。
自身に爵位がないことは、それなりに不利だと理解しているのだ。
単なる馬鹿ではなさそうだ、と、芹那は苦々しく思う。
とはいえ、その応接室はひどく狭く、第二か、あるいは第三応接室だと思われる。
狭いがゆえに、勢い、タカイチと芹那の距離はやけに近くなる。
二人掛けのソファの隣に座らされ、気安げに話しかけてくるタカイチは、すっかり日本人だ。
「……自分でも分かりません。ある日こうなっていたのです」
「堅っ苦しい話し方すんなよ、お前いくつ?」
二次会のカラオケか?と言いたくなる気安さで肩を抱こうとしてきたところで、その手をぴしりと叩く。
途端に、怒りの形相を浮かべるタカイチだが、芹那は引かなかった。
「ソフエ様、今の私は、ミュリエル・リャナザンド子爵令嬢でございます。
ここは異世界。
そして、我々はここで生きていく以上、その地に根付き、守るべきものを守らなければなりません。
よくご存じの格言で申しますならば……郷に入っては郷に従え、ですわ」
彼は、立ち上がり、芹那を見下ろしてくる。
「お高く留まりやがって、何が令嬢だ、どうせ向こうじゃ庶民だろ?
説教臭い様子から言って、元はババァか?」
「そうだ、と言ったら?」
「フン……関係ないさ、今の見た目なら中身がババァだって上等さ」
おい、と声をかけると、ドアが開き、体格の良い男たちが入ってくる。
鋭い目つきは、ただの従僕ではない。
「お前は俺の妾にする。17歳なら向こうじゃJKか、しかも聖女なんてそそるなァ?
まだ誰だかってやつの婚約者らしいから、まずはその解消からだな。
なぁに、すぐにお前は俺のもんだ、大人しく待ってろよ」
男たちに囲まれ、芹那は、客室に案内された。
室内には、これまた体力のありそうな侍女が一人、そしてここまで芹那を監視してきた男たちは、そのまま部屋の前に立った。
どうあっても逃がさないつもりらしい。
「さて、どうしようかしら」
芹那は窓際の椅子に深々と腰かけた。
抜け出すだけなら、簡単だ。
けれどそれでは意味がない。
タカイチは激怒し、結局再び、立場を利用して芹那を監禁するだろう。
一度逃げられたら、さらなる手を使ってくるに違いない。
つまり、物理ではダメだ。
社会的に逃げるしかない。
そしてそれは、芹那の専門ではなかった。
考えなければ。
目の前をクロールで泳いでいるサクラを見て、心を落ち着けることにした。
「どうだ、美味いだろ?」
タカイチが得意げにしているが、彼が作ったわけではあるまい。
それに、晩餐で席に着いているのは、たった二人だけ。
楽しくないことこの上ない。
「結局、料理なんて材料がよけりゃあ美味いんだよな!」
料理人が激怒しそうなことを高らかに言い、手の込んだパイを一口で放り込む。
下品この上なく見えるが、日本ならば普通だろうなとも思う。
貴族のマナーや手順が面倒だと思う気持ちも分かる。
しかし、ならば、爵位の要求などすべきではない。
自分の身の丈に合わない生活を、彼はするつもりがあるのだろうか。
「しっかし、お前がなんの能力もないとは思わなかったわ。
当てが外れたっていうか、がっかりだ」
こめかみがピクつくようなことを平気で言い放ち、ワインをがぶ飲みしている。
「他の界渡りはさあ、農業の専門とか、医者とか、宮大工とか、とにかく手に職持ってるやつばっかりなんだよ。
まあ、宝の持ち腐れっていうか、貴族に囲われてのほほんと生きてっから、俺が実現化してやったんだけどさあ」
「すみませんね、ただの主婦で」
「ほんとだよ、なんなの主婦って、寄生虫だったくせに今は聖女とか、ずるくね?」
思わず、手にしていたグラスをテーブルに叩きつけた。
タカイチは、ビクッとし、それから取り繕うようにへらへら笑った。
「じょ、冗談だって、ったく、ジョークも通じないとかきっついわー」
芹那は深いため息をついた。
「……そうですわね、話していても楽しくない、とりえもない私をここにとどめておく理由はないでしょう。
もう帰してもらえませんか」
「だーめ。日本人の気安さがあって、見た目が金髪紫目のロリとか、他にいないじゃん。
だからお前は、俺の妾になるの。
これもう、けってーい」
話にならない。
とにかく、邪な思いをもって芹那を監禁していることは確かだ。
ファシオはどうしているだろう。
きっと、家族を巻き込んで何か考えてくれてはいると思うのだが。
芹那はナプキンを使い、立ち上がった。
「ご馳走様でした。下がります」
「はいおそまつさん。ってか、ちょっと、部屋で飲もうよ」
「結構です」
「え、結構って、OKってこと?」
芹那が無視して客室へ戻ろうとした時だ。
慌てたように、執事が現れた。
「あっ、ミュリエル様」
「どうしました」
「だ、旦那様がお呼びです」
「旦那様って……ラシュレー侯爵ですか?」
「ええ、と申しますか、なんというか……」
にじんだ汗は、どうやら暑さでかいているものではなさそうだ。
タカイチをあしらう手管をもった執事らしからぬ焦りぶりに、眉をひそめる。
いずれにしろ、行かなければならないだろう。
「なにそれ、俺、聞いてないけど」
「お急ぎください」
「おい、無視すんなよ。っていうか俺も行くわ、なんの話だよ」
「申し訳ありません、ソフエ様はご入室できません」
「はああああ? お前、何様!?」
騒いでいるタカイチをしり目に、執事が目配せしてきた。
芹那は、侍女に合図をして、晩餐室を出た。
彼女の案内で、執務室に向かう。
背後で喚いている声は、だんだん遠ざかり、執事がうまく引き留めているらしい。
芹那はわずかな希望を持った。
タカイチから引き離し、個人的な話があるとすれば、当然、外部から何かそうせざるを得ない圧力があったのだ。
どうか、自分をファシオの元へ返すよう、なんらかの権力が使われていてほしい。
身分上等。
使えるものは何でも使ってほしい。
「失礼いたします、ミュリエル様のご到着でございます」
侍女がノックをして名乗ると、ドアはすぐに内側から開いた。
中は広く、正面に立派な机がある。
しかしそこは使われていなかった。
その手前にある応接セットに、どうやら客人が来ているのだ。
そしてその客は、ミュリエルの姿を見て、立ち上がった。
歓迎の意味ではない。
その証拠に、その男の顔は、怒りに満ちていた。
「ようやくか。遅い、何をしていた」
芹那は、思いがけないその顔に、呼吸が止まるほど驚いた。
「……ジョスラン殿下」
それは、かつての婚約者にして、ミュリエルを追放処分にした、あの、ジョスラン第一王子殿下だった。




