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「雰囲気を察してくれてありがたいね」
「ば」
「ば?」
「……っかじゃないの、言ったでしょう、私は27歳で」
「平和な島国の27歳より、強盗の首をはねる国の22歳のほうが経験値は高い」
「結婚してたし」
「今はしていない」
「クソみたいなダンナを選んだ人生だったし」
「良かったな、今度はもうちょっとマシなダンナだ」
追いつめられ、芹那は、多分持ち出すべきではない反論をした。
「先生の好みと違うじゃない」
「俺の好みなんて知らないだろ」
「知ってる、メレディア義姉様でしょ」
そう言うと、ファシオは嫌な顔をした。
「なんで知ってる、誰かに言われたのか?」
「女の勘よ、すぐ分かったわよ」
「諜報部に向いてるかもな」
「誰のことでも分かるわけじゃないから駄目」
大変に良い笑顔を返された。
「なによ」
「いや、別に。
メレディアお嬢さんに関しては、過去のことだ。誰にでもある、通り過ぎた日々さ。
人の物に興味はない。
もちろん、かつて俺が守るべき人としてあの人を真ん中に置いていたのは本当だ。
だが今、その場所は、別の人間がとって代わってしまった」
「それが誰か、なんて聞かないわよ!」
ファシオの手が、なんの許可もとらずに、芹那の手をとる。
今まではエスコートで手袋越しだったのに、少し硬い手のひらが直に触れたのだ。
17歳のミュリエルの手は、幼さの残る柔らかな皮膚で、芹那自身のものではないのに、感覚は本物で。
「だから言ってるだろう、名前を教えろ。ミュリエルはお前の名ではない。
俺が今から、本物の結婚を申し込むのは、中身なのだから」
「なによ」
いい年をして、心臓が聞こえるくらいに鳴っている。
この自信、きっとこの人は、芹那の気持ちに気づいているのだ。
「なによ、なんで急に。そんな風に」
「急ではない。だが、自由であることに心躍るのだと言ったお前を、この家に迎えることに躊躇していたのは確かだ」
それは、本当に最初の頃、この家に無理やり連れてこられた時の芹那のセリフだ。
あれを覚えていてくれたのか。
「だが今のお前は、この世界で生きると決めたくせに、どこか不安げだ。
どこにも根を下ろさず、いつかどこかへ行ってしまう気がした」
「……困るの?」
「困る。だからここにいろ。俺が、お前とこの世界の縁になってやる」
芹那が口を開こうとしたその時、目の前がきらきらと光った。
そして、ぱっと何かが現れる。
「ただいま、なのだわ!」
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「こんな時に限って……!」
アンリエットは、関所を目の前にして、足踏みをしていた。
ただでさえなけなしだった魔力が、切れかけている。
おかげで、髪色と、顔にかけた幻想魔法が解けてしまった。
仕方なく、いったん、関所近くの宿をとり、回復を待つことにした。
三日前、バルニエ家でエドガーに面会を申し込むと、執事があっさりと断って来た。
だが、もちろんそれも想定内だ。
アンリエットは、髪も顔も変えていたが、美しさは捨てていない。
その顔を見せながら、
「エドガー様の御子を授かりました。どうぞせめて一目会わせて下さいませ」
と、はらはら涙をこぼしながらすがって見せれば、執事はあからさまに動揺し、奥に引っ込んだ。
かと思えば、想定より早く戻ってくると、面会を許可したのだ。
屈強な下男に運ばれて来たエドガーは、無残な様子だった。
頬はこけ、目は落ちくぼみ、何より、表情が死んでいた。
けれどアンリエットは、かけらも同情しない。
失敗した本人が悪いのだと、本気で思っている。
「役立たずのあんたの代わりに、私があの女を直接下してくるわ」
耳元で囁けば、彼は、死んだ目に少しだけ生気を取り戻し、
「……どうやって」
「どうとでもなるわよ。馬鹿なあんたには分からないかもしれないけど、人を殺すのなんて簡単なの。
でも……そうね、教えてあげる。
私はね、他人を操ることが出来る術を知っている。
その術を知りたいと思った私は、他にも色々、知識を手に入れたと思わない?」
「何を言っているのか分からない。
聖女よ、あなたのお披露目はどうなったのだ?」
アンリエットは、手を振り上げ、エドガーの頬を平手で打った。
「な、なにを!」
「黙れ。黙りなさい。分からないのかしら、あなたが生き残る道は、私が聖女に返り咲く以外ないのよ?
その身体、魔力の気配がするわ。
魔術で施されたものは、魔術でしか解けない。
私だけが、あなたを救えるの」
「ほ、本当か、本当に私は、元の身体に戻れるのか」
「そうよ、エドガー・バルニエ」
さっき打ち据えたばかりの頬を、そっと撫でてあげる。
「私だけが、あなたをもう一度、人間にしてあげられるの。
分かったら、私に協力なさい」
「何をすればいい」
「お金よ。それと、侍女。
私が怪しまれずに隣国へ入り、動けるようにする、ただそれだけ」
エドガーはすぐさま執事を呼び、アンリエットに手切れ金を渡すよう命じた。
執事は顔をしかめていたが、坊ちゃんが孕ませた相手の処置がそれで済むならばと了承したようだ。
同時に、若いメイドを一人、呼び寄せる。
どうやら、唯一今のエドガーに同情を寄せている使用人らしい。
彼女に言い含め、帰って来た時の給金上乗せを約束し、アンリエットの世話をするよう言いつける。
そうして、支度を整えたアンリエットは、ようやく国境まできた。
関所の役目は、確認作業だ。
犯罪者、および危険人物、立ち入り禁止命令が出ている者、そうしたものをせき止め、同時に、誰が出入国したかを記録する。
ただそれだけだが、魔法の切れた今のアンリエットには越えられない。
聖女の顔は、姿絵をばらまいたおかげで、誰でも知っているからだ。
一日休み、ようやく回復した魔力で、再び顔と髪を変える。
侍女のふりをしたメイドが荷物を持ち、貴族の観光のふりをして、アンリエットはようやくエルサンヴィリアへと足を踏み入れた。
エドガーに聞いた通り、ミュリエルが嫁入りするという、ヴァンドール家へと向かう。
そして近くに宿をとり、機会をうかがうことにした。
その機会は、すぐに訪れた。
ミュリエルは、なんの警戒心もなく、連日出歩いているからだ。
美丈夫な男と二人、実に楽しそうにあちこち行っている。
私がこんなに苦労をしている間に、野垂れ死ぬはずの無価値な女が、貴族の次男を捕まえて遊び暮らしているですって?
アンリエットは、ぎりぎりと歯ぎしりをする。
許せない。
許さない。
愚図で頭の足りない女は、私の聖女としての舞台を整えるためだけに存在し、消えていかなければならない。
用意したのは、一本の鋭いナイフだ。
魔力で始末をするには、さすがに分が悪い。
なにせ、今は奪われているあの余りある魔力が、どれだけのことを出来るのか、アンリエットが一番よく知っている。
ならば確実に仕留められる、そしてシンプルなやり方が良い。
アンリエットは、侍女を従え、店から出てくる呑気な顔をしたミュリエルとすれ違う。
その瞬間に、長い袖に隠していたナイフを腰だめに構え、突き刺す!
だが。
手ごたえはなかった。
代わりに、背中が燃えるように熱い。
背後から斬られたのだ。
そう気づいたのは、反射的に振り返った先で、アラノルシアの騎士が血濡れた剣を握っていたからだ。
「きゃぁぁぁぁぁぁ!」
甲高い悲鳴があがる。
それを合図にしたように、周囲の人々が悲鳴をあげながら逃げ惑った。
「誰、何をしているの!?」
その中で、鋭く叫んだのは、意外にもミュリエルだった。
アンリエットに駆け寄ろうとしたが、隣にいた男に腕を掴まれ止められた。
男は正しい。
アンリエットはまだ、ナイフを握っていた。
「おそれながら」
騎士の後ろにいた男が、かぶっていたフードを外す。
アンリエットは目を見張った。
それは、司祭長だった。
跡をつけられた……?
「この女が、そちらのお嬢様を殺害しようとしておりました。
このように処分いたしましたので、ご安心を」
ミュリエルは呆然としているようだ。
やわやわと、顔の周りを何かが撫でる感触がした。
魔法が解ける。
呆けていたミュリエルは、それを見て、みるみる顔を青くした。
「アンリエット……」
熱かった背中が、もう、なんの感覚もない。
霞みそうな視界のなか、司祭を探す。
「お、前、聖女を、手にかけるなんて」
しかし、司祭長は、冷ややかに見下ろすだけだ。
「こちらのお嬢様から、聖心力を感知いたしました。
あなたは、聖女ではなく、ただの、犯罪者です」
どんどん狭まる視界の中、ミュリエルの肩あたりに光を感じた。
足をぶらぶらさせている、あれは、妖精だ。
楽しそうにミュリエルの髪で遊んでいる。
「お前……私の、僕……」
そう呼べば、初めて気づいたように、アンリエットの顔を見た。
「まあ、あなただったの、どうしたの、死にそうじゃない!」
「助けて、お前の、力で……」
「なんという傲岸不遜な願いだ、殺害しようとしたミュリエル様に、助命を願うとは」
僕の姿が見えない司祭長は、アンリエットがミュリエルに助命を頼んだと見えたのだろう。
その非難に、違う、誰がこんな女に、と言いたかったが、なんだか疲れてしまった。
「まあまあ、もうすぐ消えるのね、ご苦労様なのだわ!」
誰にも聞こえない聖心力の声だが、ミュリエルが反応しているのが分かる。
やはり、やはりこの女。
身の内にアンリエットの魔力を溜めているだけではなく、聖心力も含めて使いこなしている。
「この、愚図、ただジョスラン様の隣にいただけの女……。
お前など、死んでしまえばよかったのに、私の力を奪い取るなんて、なんて図々しいの。
返しなさいよ、すぐ、そしたら、お前なんか……」
「ねえ、声、出てないのだわ、それじゃあ、私にしか聞こえてないのだわ!」
声が出ていない。
どうやら、思念でしか伝えられないらしい。
口惜しい。
この馬鹿な女に、一言言ってやらなければ気が済まないのに。
「どう、して、助けないの、お前」
「もー、前も言ったではないの、あなたはもう聖女じゃないのよって!」
「私の、魔力なのに。ねえ、私が、聖女で、いいではないの。
その女、無能で、役に立たないの。
そいつを殺せば、私がまた聖女になる。
ねえ、それでいいではないの」
んー、と、妖精は首を傾げた。
「でもほら。この子は特別だから」
「……なにが?」
「異世界人だし。神様に大事に連れてこられた子だし」
なによそれ。
ずるいじゃない。
もはや頭の働いていないアンリエットは、ミュリエルという存在が、異世界人であると断言されることのおかしさに気づかない。
ただ、恨み、妬み、そして、嗤う。
ごぼっ、と口から泡を吹くが、それでも、司祭長に向けて、呪いのように声を振り絞った。
その声は、最後の奇跡のようにあたりに響き渡る。
「ざま、みろ、空種は、聖女、に、なれな……」
一話がどんどん長くなるけどようやく恋愛タグ仕事したのではないか




