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「信じらんない、ピーラーがないなんて」
「魚は切り刻めるのに、野菜の皮は駄目なのか」
「出来ないことはないけど、ピーラーのほうが断然早いし便利なのに」
「作らせればいいだろう、うちの領にはその手の職人はたくさんいるぞ」
渋い顔をしてじゃがいもの皮をむいていたせいか、気を使ったコックが代わりを申し出てくれた。
芹那は、遠慮することもなくすぐさまそれに飛びつく。
包丁と残りの芋をさっさと渡すと、自分はパンの焼き加減を確認する。
せっかく美味しそうに焼けているが、これは、魔法で水分を抜き、すりおろしてパン粉にするつもりだ。
今日は、揚げ物パーティーだった。
シュニッツェルのような薄い揚げ焼き料理はあるが、分厚い肉をたっぷりの油に浮かべて揚げる料理は見当たらない。
どうしてもカツが食べたい芹那のために、朝から下男がかたまり肉を調達に出かけている。
ついでにコロッケもしましょう。
待っている間、暇だった芹那の思い付きで、屋敷中のじゃがいもが集められたところだ。
揚げたてを逃すまいとキッチンにはりついているファシオは、今日も油と卵を力任せに攪拌し、マヨネーズを量産している。
タルタルソースの準備だ。
芹那は、パン粉をすりおろすと、次に、神様のかばんから、先日送られて来た魚介類を取り出した。
送り主はカールあらためヨナス。
どうやら本当に、動けるくらいになったらしい。
ホタテと牡蠣を解凍し、片栗粉と塩をまぶしたあと、優しく洗う。
さらに、白ワインで洗った後、丁寧に水分を拭きとる。
下味をつけて、薄力粉、卵、パン粉の順につけて、熱してあった油に沈めた。
しゃわしゃわしゃわと心をくすぐられる音がして、同時に香ばしい匂いがあたりに立ち込める。
生でも食べられる鮮度だ、揚げすぎてはもったいない。
一時も目を離さず、芹那はその時を待った。
「今よ!」
音が変わった瞬間を見逃さず、一気にバットに取り出す。
ちょうど頃合い良く、コックの一人ができあがったタルタルを持って来た。
「味見をしましょう。それは料理をする人間の特権なの、ふふふふふ、誰も、主人でさえ、ほほほほほ、文句は言えないのよ、覚えておきなさい!」
抑えきれない笑いを端々にこぼしながら、揚げたての牡蠣フライをたっぷりのタルタルソースで一口いただく。
丁寧に下処理したおかげで、臭みはなく、ふっくらとした身が熱によってとろりと溢れてくる。
酢漬けの玉ねぎを混ぜたタルタルが、ともすればくどくなりそうな油の匂いを、口中でさっぱりと押し流してくれた。
「あっつ、うま、はぁぁぁぁ」
おかしな声を発する芹那につられ、横から手を出したファシオも、おかしな唸り声を発している。
すかさず、料理長がエールを二人に差し出した。
出来るだけこの世界の習慣に馴染もうとしている芹那だが、ぬるいエールばかりは我慢がならない。
だから、差し出されたそれは、キンキンに冷やしておいてほしいという要望に従って、グラスまでしっかり冷えている。
ファシオも、一度冷えたエールを経験してからは、芹那と同じようにしていた。
こいつはもう胃袋掴んでるだろ、と思ったりする。
が、一度作ったものは、料理長があっさり再現してしまうので、掴んだものはすぐに逃げ去ってしまうのだが。
「ご相伴にあずかります」
許可を出すのが面倒だから、勝手に味見に参加しろと言ってあるため、その料理長以下、手伝ってくれているコック三人が、次々手を出してくる。
「やっぱり揚げたてに限るっスねえ」
「だよねー」
「旦那様にも食べさせたいっスねえ」
「食堂で揚げれば? 小さいコンロを作るのよ。そして、伯爵様の横で料理するの」
「不敬では?」
「高級な料理店じゃ、わざわざそうやって作って見せたりするわよ。
逆に庶民は、テーブルにコンロと鍋を置いて、串に刺した材料をセルフで揚げて食べるわ」
ファシオが呆れたように、
「前々から思っていたが、お前の国は、食に貪欲だな」
コックと料理長には、芹那が異国から来たと伝えてある。
納得しているのかしていないのか分からないが、ファシオがそう言っている限り、そうでございますかと受け入れるのが使用人である。
「やあ、美味しそうだね」
とても久しぶりに顔を合わせる気がするが、現れたのは、ファシオの兄だ。
「アベル様、お仕事お疲れ様でございます」
「ああ、疲れたよ、資金の貸し付けは却下する案件が多くてね……心が痛む」
「まあ……お優しいのですね! 本日のお仕事はおしまいですの?」
「そうだね、いち段落だ」
「では、食堂に料理を運ばせますわ、お疲れを癒してくださいませ」
アベルは、無限に揚げ物をしている芹那と、それを吸い込むように食べているファシオを交互に見て、にっこり笑った。
「気を遣わずとも、ここでいただくことにするよ」
「ただいま戻りました! いやー、身質の柔らかい、いーい肉が確保できましたよぉ!」
喜色満面の下男が、包みをかついで現れた。
ファシオは、ニヤリと笑い、
「働かざる者、食うべからず、という言葉が、こいつの国にはあるようですよ」
と言った。
目をぱちぱちさせたアベルは、数分後、玉ねぎを串に刺しながらホタテフライを食べ、エールを飲み干すという、案外と器用な面を見せていた。
「で?」
ジャック・ヴァンドール伯爵は、あきれたような顔で、しかし上品にナイフでカツを切り分けている。
皿には、にんにくをきかせたトマトソースを添えてある。
「厨房に入り込みたらふく食べて、ディナーが入らない、と。
それは分かった。
だがなぜ、わざわざ食堂に勢ぞろいなんだ?」
伯爵以外の前には、料理は出されていない。
ただ、酒のグラスとナッツの皿だけが載っていた。
「ミュリエルの事業の件について、ちょっと意見を聞きたかったんですよ」
ファシオが言う。
伯爵は顔をしかめた。
「食事の席でする話か?」
「ざっくばらんに話していただけるかと」
最後の一切れを口に入れ、上品にナプキンを使った伯爵が、メイドを呼ぶ。
「私にもワインを。
さて、事業の件か。
私としては、悪くないと思っている。
目の付け所が新しく、原料、人手、資金、いずれも問題はない。
ただ、店に出す商品が、いくら客寄せのサンプルとはいえ、質の悪いものを扱うのは止めたほうが良い。
包装、というのは、あくまで添え物だ。価値をかさ上げはするが、それそのものに価値はおけない」
答えたのは、芹那だ。
「そうですね……少なくとも、並べるものは全て私かファシオの承認を得てから、というふうにします。
店長にはある程度の権限を与えたいと思っていますが、いずれ、ということでもいいかもしれません」
伯爵が頷くと同時に、横からファシオが口を挟んできた。
「それでだ。俺としては、この事業に正式に噛ませてもらいたいと思っている」
「正式に? ちゃんと顧問として雇っているじゃない」
芹那は首を傾げた。
ファシオがいなければ成り立たないことは分かっていたから、アドバイス料を払って雇っている。
給料が不満なのかな?と思ったが、どうもそんな感じではない。
「共同経営者として、ということだ」
「ええ? なんで?」
「そうなれば、俺の資金も融通できるし」
「お金には困っていないわ」
「出所の分からない金をあまり使ってほしくない。どこかでつつかれたらやっかいだ」
「そうだけど……」
「俺の権限が増えれば、領内の人や土地や資源をもっと大胆に動かせる」
「ねえ、成功するかどうか分からないのだから、あまり手を広げるのは……」
くくっ、と誰かが笑った。
困惑する芹那がその発生源をたどると、どうやらそれは、伯爵とアベルの二人のようだ。
「ほら、お二人も笑ってらっしゃるわよ」
すると、彼らは含み笑いのまま、同時に手を振って否定した。
「いやいや、違うよ、ミュリエル嬢。
我が息子はね、わざわざ私の前でその話を持ち出した。
それも、経営の話だというのに、夕食時にね」
「はあ」
「それはつまり、これが、とてもプライベートな申し出だということだ」
「共同経営はプライベートじゃありませんけど」
やれやれ、とアベルが首を振る。
「分かるよ、こんな迂遠なやり方じゃ、駄目に決まっている。
ファシオ、もっと真っ直ぐ、言葉を選んでごらんよ」
隣に座っているファシオを見れば、父を見て、兄を見て、ニヤリと笑う。
「つまり、許可するってことか?」
「我々は構わない。こう言ってはなんだが、家としても色々と都合が良い。
だが、それを置いておいても、お前が腰を落ち着ける気になったのなら、まさに女神降臨といったところだ」
伯爵とアベルが、打ち合わせたように立ち上がり、慌てて腰を上げようとする芹那を制し、あとはお前次第だよとファシオに言いながら出て行った。
「何よ、全然分かんない」
むくれる芹那のそばに、なぜか、ファシオが椅子を引きずって近づいてきた。
ふと気づくと、メイドも、そしていつも背後にいるクラリスも、静かに食堂を出て行くところだった。
「ミュリエル」
「え?みんなどこいくの?」
「お前、本当の名は何という?」
驚いた。
きょろきょろしていた顔を、まっすぐファシオに向けてしまう。
貴族らしくない顔つきは、剣をふるい、拳をふるい、人生を切り開いてきた者の目をしている。
目が離せなくて、芹那は、なんとか言葉を絞り出した。
「何よ、言わないわよ、必要ないでしょ」
「ないと言えばない。だが、俺は知りたい」
伸びてきた手が、芹那の頬を優しく包んだ。
反射的に身を引く。
顔はきっと、真っ赤だろう。
色々な感情が渦巻き、思わず口走ってしまう。
「なっ……先生、まさか、私を口説こうとしてるんじゃないでしょうね!」
自分の手で両頬を包み、赤さを隠そうとする芹那の前で、ファシオはとても優しく笑った。




