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死にかけた上に泣き叫んだので、芹那はもう涙も出ないほど疲れ果てた。
それで仕方なく、現状をなんとかしようと考える。
まずは水だ。
革のバッグに手を突っ込み、
「水! A glass of waterよ!」
日本でいいかどうかも分からないので適当に叫ぶと、指先に何かが触れる。
引き出してみると、いびつなグラスに水が入っている。
飲めるのだろうか。
ガラスに不純物が多いのか、濁りのあるグラスを通し、なんだか怪し気に見える。
どうせ死にかけているのだ。
芹那は思い切って水を飲んだ。
「う、ぁぁぁ、うまっ」
自覚している以上に渇ききっていたらしい喉が、冷えた液体に震えるほど喜んでいる。
もう一杯。
二杯を一気に飲み干して、ようやく人心地ついた。
「おかゆってあるのかな。美味しいおかゆ出して!」
弱り切った体に、固形物は危険な気がして、ザ・ジャパニーズ病人食を叫ぶ。
出てきたのは、温かなパン粥だった。
嫌な予感がする。
もしかして、コメはないのか?
考えないようにしつつ、ゆっくりとそれを味わって食べる。
少なくとも、ミルクと塩の味はする。
木の椀一杯分を食べ終わると、強烈な眠気が来た。
身を任せてしまいたい欲求になんとか抗い、体力回復の薬と毛布を希望する。
出てきたのはこれまた粗悪なガラス瓶に入ったどろっとした液体で、毛布はガーゼを何重にも重ねたような代物だ。
もう何も考えられない。
芹那はためらうことなくそれを飲み、布切れのような毛布にくるまって、あっという間に眠りに落ちた。
顔面が熱くて目が覚めた。
ガンガン痛む頭を押さえ、二日酔いかな、と考えながら天井を見上げる。
天井などなかった。
真っ青に晴れ上がった空と、容赦なく照り付ける太陽に、昨日のことが夢ではなかったのだと思い知る。
のろのろと起き上がってみると、例の薬が効いたのか、思いのほか体力は回復している。
「頭痛薬……と水」
薬包紙に包まれた粉薬と、水がバッグから出てきて、もう思考力は戻っているものの、それでもためらいを捨てて一気に飲む。
「さて……どうしよう」
森の中。
ぐっすり寝てしまったようだが、獣に襲われることもなく、まだ、生きている。
生きているだけで、先行きは見えない。
もう一度、神様を名乗るおじいさんの話を整理してみる。
芹那が現在動かしている体は、ミュリエル・バルニエ、17歳。
追放された犯罪者だ。
最悪。
しかし、手持ちのバッグは神様の特製で、願えばこの世にある物は全て出てくる。
その証拠に、芹那の周りには、グラスが三個に瓶に毛布に、いろいろと転がっていた。
「……どうすんのこれ」
芹那は少し考え、思い切って叫んでみた。
「神様! ちょっと来て!」
「はいよ、はいはいはい、なんじゃ?」
すぐ来た。
昨日と同じ、白髪に白髭、杖に着物。
「……ねえ、異世界なのに、どうして日本の神様まるだしなの?」
「……それが聞きたくて呼んだのかね?」
「ううん、この出したもの、どうしたらいいのかなって」
「なんじゃ、バッグの中に戻せば元あったところに返されるぞい」
「分かった」
「それと、この姿は、お前さんの持つイメージじゃ。本来のわしの姿ではない」
芹那は驚く。
「じゃあ本当の姿はどんななの?」
「明確なものはないんじゃ。わしらは概念じゃからな。実体はないから見た目も必要ない」
「じゃあ……じゃあ、ギリシャ神話みたいなイケメンにな~れ!」
両手を組んでそう願うと、神様はみるみるうちに形をなくし、それから再び人の姿をとった。
金髪ストレートに碧眼、白い祭服にマントの、超絶イケメンが現れた。
「なんでも良いのだが……もう用は済んだのだな?」
声もしゃべり方も違う。
でも日本語なんだな、と考えているうちに、神様は忙しそうに消えてしまった。
言われた通りに、出したものは全てバッグに放り込んでみた。
みるみるうちに全てを収納し、覗いてみれば、すでに消えている。
「さて……じゃあ、地図を出してちょうだい」
手を突っ込んで、触れたものを取り出す。
出てきた紙は、思ったよりは上質なものだった。
手すきの和紙のようなぼこぼことした感じはなく、ちょっと茶色がかったざらついた紙だ。
インクはなめらかとは言い難いが、地図としては十分な線が描けている。
正確さがどの程度のものかは疑わしいが、一応、地図としての体裁は成していた。
数枚にわたるそれを眺めていると、ふと、文字が読めていることに気づく。
アルファベットでも、もちろん日本語でもないが、意味も発音も頭に浮かんだ。
「これがチート?」
死にかけているけどね。
そしてどうやら、今自分がいるらしい森にも見当がついた。
名前がなく、王都から一番近い森で、国境に接している。
広い森だ。
森のどこにいるのかが分からない限り、はっきりしたことは言えないが、真ん中付近に捨てられたのだとしたら、どこから出るにしても30kmはありそうだった。
「歩くのは現実的じゃない……とすれば。神様! ちょっと!」
「あの……、僕もそれなりに忙しいのだよ」
再び現れたイケメンに、
「魔法が使えるって言ったわよね?」
「ああ、使えるぞ。もともとミュリエル嬢も魔力があった。そこに僕が転生のお祝いで足しておいたからね」
「いいわ、じゃ、使い方を教えて!」
彼は、首を傾げた。
「いや、僕が使える神力は、魔力とは原理を異にするものだから。理屈は知ってるけど、実践で教えることは出来ないよ」
「え、じゃあ、どうすれば使えるの?」
「魔力が使える誰かに教えてもらうしかない」
「誰かって誰よ」
「さて、そのかばんに聞いてごらん。じゃ、僕は仕事があるから!」
忙し気に消えてしまった。
かばんに聞く、ですって?
芹那はもうとっくにためらいは捨て去っていたので、すぐさま実践した。
「私に魔法を教えてくれる人!」
引っ掴んで引きずり出したのは──。