29
聖女お披露目の日は、朝から晴れていた。
気温、風、ともに気持ちの良い具合で、誰の顔もその空のように晴れやかだった。
「よく似合う」
ジョスランに言われ、アンリエットはにっこりと微笑んだ。
本当は、もっと豪華でもっと華やかなドレスが良かったけれど、歴代の聖女が身に着けたのだという式典の衣裳を否定することはできない。
真っ白なドレス。
胸元で切り替えのあるすとんとしたドレスだが、せめてもと、裳裾をレースとシルクで贅沢に長くとってもらった。
まるで結婚式のように長い裾を、侍女たちが持ち上げしずしずと着いてくる。
ずっしりと重いネックレスに、何重にもなったブレスレット。
ジョスランに贈られたアクセサリーは、ドレスのシンプルさを補って余りある金額だ。
けれどアンリエットは、それを当たり前だと思っている。
自分には、最高の物がふさわしい。
自分にはその価値がある。
パレードは、王宮から始まり、大通りを通って、引き返して聖堂へと向かう。
ジョスランと並んで、特別にあつらえた屋根のない馬車から、沿道の人々に手を振る。
誰もが歓声をあげ、二人の姿を見られたことを喜んでいる。
騎士や兵士を総動員し、人が街道になだれこまないよう整備をしているようだ。
そうでなければ、興奮した人々が馬車に押し寄せたかもしれない。
それほどの盛り上がりだった。
「さあ、行こう」
聖堂に到着すると、ジョスランの手に導かれ、アンリエットは、パレードの馬車から優雅に降り立った。
目の前で、聖職者たちが地面に膝をつき、頭を垂れている。
先頭の一人が、ジョスランの声掛けに答えて顔をあげた。
「お久しぶりですわ、祭司長様」
それは、アンリエットに魔術の手ほどきをした老人だった。
彼は、声を出さないまま、また深々と礼をする。
「教皇様がお待ちでございます」
さっと聖職者たちが立ち上がり、道を開ける。
祭司長についていくと、彼よりもさらに年老いた男が中で待っていた。
「本日を迎えられましたこと、心よりお慶び申し上げます。
つつがなき道中、お疲れ様でございました。
これより、神への祈りを行い、そののち、聖女様の御力の恩恵をおすそ分けいただくことになります」
教皇がアンリエットに頭を下げる。
それを見ながら、心の中が興奮で満たされた。
王さえ彼を敬うという。
神に人生を捧げ、神の子と呼ばれた男が、アンリエットにひざまずくのだ。
それもこれも、聖女であるおかげ。
自分の幸運に、感謝だわ。
ぞくぞくする。
内心を、優しい微笑みで押し隠し、アンリエットは鷹揚に肯いた。
祈りは簡素なものだ。
すでに一週間近く、聖堂にこもって祈ったことになっているし、数十年ぶりの聖女の降臨に国民たちは興奮している。
あまり時間をおかず、奇跡を見せてやれということだろう。
ジョスランの腕にそっと手をかけ、聖堂のバルコニーに出る。
そのとたん、揺れるような歓声がアンリエットを包んだ。
奇妙なことに、涙が出そうにさえなる。
誰もが自分の存在を喜び、受け入れている。
アンリエットを愛し、敬い、頭を下げる。
感極まって泣いている者もいる。
「さあ、アンリエット、見せてやれ、お前の美しい魔法を」
「ええ、分かったわ」
一歩前に出ると、歓声は一層高まった。
アンリエットは両手を広げ、天に差し上げた。
「……」
揺れるような歓喜に包まれるはずだったのに、なぜか、場は徐々に静まっていく。
そっと目を開ける。
「え?」
光の蝶と、魔力で飛ぶ花が国中を乱舞するはずだった。
だが、一向に何も起こる気配がない。
奇妙に胸がざわついた。
先ほどまでの喜びが、少しずつ消えていく気がした。
「あなた、どこなの、私の僕、なにをしているの」
小さく唸る。
すると、目の前に小さな光が現れ、ぱっと妖精の姿をとった。
アンリエットはほっとする。
声を出すことはできないので、仕方なく、思念で聖心力に苛立ちをぶつけた。
「何しているの、どこ行ってたのよ、ちゃんとタイミング合わせなさいよ!
ほら、早く」
「あら、なんだったかしら?」
彼女は、薄く笑ってそう言った。
再びアンリエットの心がざわめく。
「なに言ってんの、ふざけてる場合じゃないの、さあ、早く!
打ち合わせ通りに蝶と花を降らせなさい、さっさとしなさいよ!」
けれど彼女は、動く気配がない。
「……ねえ、まさか、出来ないんじゃないわよね?」
「出来るのだわ」
「じゃあ」
「でも、やるとは言ってないのだわ」
「……は?」
彼女は、ひらりと飛び立つ。
そしてまるで無邪気に笑う。
「神様が、あなたが叫んでうるさいから行ってやれって言うから来たのだわ。
でも、それだけ。
ただ来るだけでいいって言うから」
「なに、言ってるの。ねえ。ほんとにふざけてる場合じゃないの。
このままじゃ、私が聖女と認められないじゃない。
それじゃあ困るでしょう?」
焦りが、まるでおもねるような口調にさせる。
そんな自分にいら立つが、もう、恫喝するような態度は出来なかった。
「いいえ?」
「なんでよ! 聖女がいなくなっちゃうじゃない!」
「そんなことにはならないのだわ」
嫌な予感がする。
「どういう、意味」
「あなたはもう、聖女ではないのだわ」
絶対に、絶対にあってはならない言葉が、僕の口から出る。
「新たな聖女が誕生したの、だから、私はあなたの命令を聞かないのだわ」
「は、何を、馬鹿な。だって、私の魔力が、聖女の条件で」
「ええ、でもほら、あなた、空っぽなのだわ!」
差し上げていた両手が落ちる。
広場はすでに、しんと静まり返っていた。
「うそ、でしょ……?」
思わず声が出た。
妖精との会話をせっかく思念で聞こえないようにしていたのに、張り詰めたものが切れたアンリエットは、頭がぐらぐらとして何も考えられなくなる。
「ミュリエル……ミュリエル、ミュリエル、ミュリエル、あの、女……!」
「さよなら、只人のあなた」
妖精は軽やかに飛び立つ。
アンリエットは、気を失って倒れた。
再び目覚めた時、そこは、聖堂の一部屋だった。
どうやら気を失っていたのは短い時間だったようで、外からは民たちの興奮した声がまだ聞こえてくる。
天井から、ゆっくりと視線を巡らせると、数人の男たちが立っているのが見えた。
傍らには、司祭長が膝をつき、アンリエットの手首に手のひらを当てている。
「お気づきのようですな。
毒も感知されませんでした、体調はご健康のようでございます。
起き上がれますか?」
倒れた聖女をすぐに立たせようとする。
その態度と、取り巻く男たちの視線で、アンリエットは自分の立場を悟った。
いいえ、まだ。
まだ、なんとかなる。
「大丈夫かい、アンリエット」
手を貸し、ソファに座らせてくれるジョスランの顔も、引きつっていた。
驚いたのは、そこからほんの数分で、王宮への移動を余儀なくされたことだ。
まるで引っ立てられるように、前後を騎士たちに囲まれ、教皇や司祭長らとともに裏から粗末な馬車に乗り込む。
数人の司祭が、その馬車に魔力を込めている。
おそらく、姿を見えづらくする魔法だろう。
誰もが押し黙っている。
何も言わないまま、連れてこられたのは、会議室のような窓のない部屋だった。
そこで腰を下ろすまもなく、ドアが開くと、全員が腰を折って礼を取った。
アンリエットも慌てて同じようにする。
「よい、座れ」
入って来たのは、間違いなく、国王だった。
王は、ジョスランに一瞬だけ鋭い目を向け、しかしすぐに教皇に指先で合図をする。
「恐れながらご報告申し上げます。
聖女様の聖心力は、本日お目見えいたしませんでした」
どかりと上座に座った王は、同じく静かに座る男達をざっと眺め渡す。
そして、最後に、アンリエットに止まった。
「聖女よ。説明できるか」
「は……はい、いえ、私……」
嘘をつくか、つかないか。
本当のことなど絶対に言えない。
だが、嘘をつけばさらなる罪を重ねることになる。
どうしよう。
どうすればいいの。
喉が詰まって、言葉が出てこない。
わずかな沈黙を破ったのは、司祭長だった。
「発言をお許しください、王よ」
「……聖女と話している最中だが、私の質問を遮ってまで言わねばならぬことか」
「ご不興を買うことは重々承知でございます」
王は、祈るように頭を下げる司祭長に、覚悟を感じ取ったのか、肯いてみせた。
「聖女様は」
司祭長は、真っ青だった。
「聖心力を失ってございます」
アンリエットは思わず叫んだ。
「何を言うの、祭司長! 不敬だわ、なんの陰謀なの!」
「それだけではございません、おそらく、多大な魔力そのものももはやお持ちではない!」
「やめなさい! 誰か、この嘘つきを追い出して!」
興奮するアンリエットにぶつけられたのは、王の言葉だった。
「嘘だ、と言い切るのだな、聖女よ」
「嘘よ、嘘です、私は……私はただ……」
「では、示して見せよ。王宮内での魔法の行使は禁止だが、私が許可する。なんでもいい、使ってみるがいい」
「か、簡単です」
アンリエットは、自分の髪の色を変えて見せた。
何度もやっているし、少ない魔力でも上手くできる。
しかし、王は首を振る。
「新人の司祭でもできるような魔法では意味がない。
遠慮はいらぬ、聖女の、聖女たる大魔法を見せてみよ」
追いつめられる。
アンリエットは間違ったのだ。
嘘をつくかどうか迷っていたはずなのに、司祭長の言葉を反射的に否定してしまった。
もう後戻りはできない。
嘘をつき続けるしかない。
聖女であると、主張する以外に、道はないのだ。
「聞いて、くださいませ、国王様」
「ならぬ、私は魔法を見せろと言ったのだ」
「で……できません……」
「ほう」
国王は、まるで笑っているかのような顔をした。
だが違う。
それは怒りなのだ。
声が出なくなるほどの恐れに体が震えるが、ここで引いては何もかもおしまいだ。
だからアンリエットは叫ぶ。
「私は魔力を不当に奪われたのです!
あの、悪女、ミュリエル・バルニエに!」




