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「あなた……あなたようやく戻ったのね! 遅かったじゃないの!」
目の前に、あんなに待ち焦がれた僕がいる。
アンリエットが責めるように叫ぶが、その顔は輝いていた。
「いい、いいわ、許してあげる、こうして戻って来たのだから!
ねえあなた、私の魔力、取り返してきなさい、今すぐ!」
この小さな生き物は、ある日突然現れ、アンリエットにこう言った。
あなたが聖女よ。
その日から、世界が変わった。
しがない男爵の娘だった立場は、いまや、王太子妃でもあり、国王に次ぐ地位さえ手に入れた。
この生き物がいれば、なんでも叶う。
「あら、それは出来ないのだわ」
「……なんですって?」
膨れ上がった希望は、みるみるしぼんだ。
込み上げるのはまたもや怒りだった。
「どうしてよ!」
「だって、あれはそういう術なのだもの。
対象が死ななきゃ魔力は戻らないわ、最初にそう言ったわよね?」
彼女の言う通りだった。
アンリエットは、実行を少しだけ心配したが、聖女の立場を使ってミュリエルを死罪にするなど簡単なことだと思いなおし、彼女の計画に乗った。
なのに、優しい自分を演出しようとして、斬首から追放に減刑してしまったのが運の尽き。
あの女は、まだ生きている。
「じゃああの女を殺して来なさいよ!」
彼女は、赤ん坊みたいなぷっくりした頬に、大人びた仕草で手を当てた。
「私を何だと思っているの、私は聖なる心の象徴なのだわ。
直接命を奪うことは禁じられているのだわ」
「ちっ、使えないわね!」
アンリエットは、爪を噛む。
何か策を考えなければと思うが、食事を減らしているため、頭が回らない。
そうだ、と気づく。
「ねえ、聖心力は、あなたに宿っているのよね?」
「そうよ」
「なら、私の代わりに、その力をふるうこともできるのよね?」
「もちろんなのだわ」
聖女として力を発揮するとき、アンリエットは、自分のもつ魔力と、彼女から流れてくる聖心力とで術が発動する感覚があった。
「だったら、二日後のお披露目で、大々的にその力を使いなさい。
私は、ふりだけするわ。
あなたは、打ち合わせ通りに、私の動きに合わせて魔法を発動するの。
ねえ、出来る!? 出来るわよね!?」
彼女は、無邪気ににっこり笑った。
「もちろん出来るのだわ!」
は、と息が漏れる。
安堵の息だ。
完全な安心ではない。
けれど、とりあえず最も危機だと思われる、お披露目だけは乗り切れる。
その後のことは、また考えればいい。
「ふふっ、あははっ!」
きっとうまくいく。
運は自分の味方だ。
アンリエットは、久しぶりに追い詰められた気持ちから解放され、笑みをこぼす。
「もういいわ、お祈りの真似なんて」
大声で侍女を呼び、彼女は、聖堂を出ると宣言した。
すぐにジョスランが会いに来るだろう。
彼も安心するに違いない。
聖女と王子の恋は、もう間もなく、成就するのだ。
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「あら、本当、可愛らしいですね」
「そうでしょうそうでしょう!」
しげしげと商品を眺めるクラリスに、芹那は得意げに胸をはる。
ただの空箱を、手触りの良い紙で包み、リボンを三色でかけて、その真ん中に造花を留める。
かなりシンプルであっさりしたラッピングだが、使われているリボンも造花も実は高級品だ。
だから、手をかけた以上に豪華に見える。
芹那がまず目を付けたのは、ドレスショップだった。
この世界の、特に貴族たちの服は、ほとんどがオートクチュールだ。
使用人の制服さえ、それぞれの家が注文している。
普段着は何度も着るが、夜会に出るようなドレスは、数回しか袖を通さないらしい。
よほどの大貴族でなければ、古いものは払い下げられるそうだ。
中古のそれらは、二束三文で売りに出されるが、下級貴族が細々と購入する程度で、ほとんどが処分される。
見栄が命の貴族が、誰かと同じドレスは着ないわね、そりゃ。
芹那は、そうした中古のドレスを仕入れることにした。
狙いは、縫い付けられているレースや色石である。
布そのものももちろん加工ができる。
ラッピング用の安価なリボンが製造されていない今、大量に安く買い付けられるのは、ユーズド品しかないと考えたのだ。
まだリサイクルの意識が芽生えていないからか、ファシオには嫌な顔をされたが、クラリスの反応は良かった。
「ファシオ様はご存じないかと思いますが、こうしたレースや刺繍は、一つ一つ手仕事ですから。
思いもしませんでしたが、再利用というのは、とても良い考えだと思いますよ」
インク、印刷の工場と、ドレスを解体しリボンや装飾に加工する作業場は、ヴァンドール家の領地に置くことにした。
いずれ、ラッピングの技術自体は、誰かが真似をするだろう。
しかし、包装紙の開発技術だけは外に出さず秘匿する。
この技術が、元々狙っている商売ネタである。
領民の雇用にもなるし、いずれドレスの布が余るようになったら、リボン以外のものにリメイクして売ってもいい。
そのためのお針子は、女性がお金を稼ぐ手段にもなる。
アイディアだけは一人前だが、もちろん、契約に関してはほとんどファシオの力を借りた。
鉱山との交渉、土地の確保、人足や販売員の募集、インク製造の開発、それらが法に反していないかどうかの調査。
雑貨店の店舗も、どこにするか考えないと。
やることは山積みだ。
まだまだ手を付け始めたばかりだし、実際に動き出すのは、来年かもしれないと思っている。
いや、インクの製造がまごつけば、もっとかかるかもしれない。
それでもいいと芹那は思っている。
ただ、もしかして、計画の途中でこの家を出ることになるかもしれないなとは考えていた。
エドガーは追い返したが、聖女と王子はまだ残っている。
だがそれも、長くはないだろう。
もうまもなく、聖女お披露目の儀が行われると聞く。
もちろん、聖心力を失ったアンリエットは、魔法のお披露目などできるはずもない。
決着は近いはずだ。
同時に、この国でももうすぐ立太子が行われる。
そうすれば、国の中枢が王家をのちに王子が継ぐものとして認めたことになり、国民もそれを受け入れる。
空種達が国家転覆を狙うのはここしかなく、逆に言えば、ここを乗り切れば、現王政が安定することを示している。
あらゆる騒動の結末は近い。
そしてそうなれば、芹那も、誰にも守られる必要がなくなる。
婚約者の立場も不要になる。
いつか、ここを出て行くのだ。
そのことを、最近はとてもよく考える。
なぜ、事業を始めたりしたんだろう。
何かがしたかったから?
生き方を変えたかったから?
もちろんそうだ。
けれど、どこかで、ヴァンドール家とのつながりを残しておこうとしているんじゃないかと、自分を疑っている。
「明日だな」
ファシオに話しかけられ、ぽかんとした。
考え事をしながら、無心でクッキーをむさぼっていたからだ。
「何が?」
「聖女のお披露目だよ」
「ああ……そうなの?」
「呑気だな、お前は」
呆れたように言う。
「そっか、だからこの一週間、ずっと私に張り付いていたのね?」
「今気づいたのか」
「どこにでも付いてくるから」
「から?」
「私のこと大好きじゃん、と思って」
ふん、とファシオは笑った。
「婚約者としてふさわしいな、そりゃ」
「もう誰も疑ってないわよ、きっと」
そうか、明日か。
なぜ、聖女は、アンリエットは、何もして来ない?
なりふり構わず、芹那を殺しにきてもいいのに。
エドガーが失敗したことで、何か不具合が生じた?
いずれにせよ、明日で全てが決まる。
今夜が一番、危険だろう。
「今夜は、俺とクラリス、うちの騎士二人で寝ずの番をする。
お前もベッドには入らず、服を着たまま、同じ部屋にいてもらう」
「分かった」
とっさの反撃は出来ないと自分でも諦めているので、大人しく守られることにする。
「あれ」
「どうした?」
芹那はふとあたりを見回した。
おかしいな。
サクラの姿が見えない。
そういえば、昨日から見ていないかもしれない。
「……サクラ?」
呼んでも、答えはなかった。




