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現在、この世界にいる空種は8名。
いずれも王都付近に降ってきて、保護されている。
最も滞在が長いのは、14年前に落ちた老人で、最も浅いのは3年前に現れたタカイチ・ソフエ。
このソフエが、反王室派の庭先で保護されたのが、界渡り推進派のきっかけだった。
彼は、それまでばらばらに貴族に抱え込まれていた空種を、ひとつの組織としてまとめたのだ。
曰く、保護という名目で飼い殺しにされるな地球人よ、だそうだ。
彼らは庇護される存在ではなく、この未開の世界を近代化するために与えられた神の子だ、という。
実際のところ、塩の生成の効率化と塩蔵の保存技術、あるいは外科手術と呼ばれる体を切り開く医術の導入、農地改革による収穫量の増加と安定など、多岐に渡る結果を出している。
これらはソフエの才能そのものではない。
それぞれに専門家がいて、まさに塩漬けされていたそれらの才能を、ソフエが各方面と交渉や調整をして実現させたものだ。
彼は、人を使うという点においての才能があるのだった。
そして、ある日、爵位を寄越せと言い始めた。
人と人とは平等であり、身分制度は間違っている。
しかしすぐに変えられないことも分かっている。
この世界で才能を発揮させるため、誰にもあなどられない地位を寄越せ、だそうだ。
貴族たちは話し合いを持ち、結果、『検討する』という返事で濁している。
それが時間稼ぎだと見抜いた空種たちは、これ以上の知識は放出しない、すぐさま爵位を寄越せ、と言い始めている。
同時に、ソフエを保護した貴族が主導し、空種こそこの世界のために与えられた奇跡、すなわち神と同等である、と唱え始めた。
結果、ソフエの身分保障の要求とそれらが結びつき、最終的に、王座にふさわしいのは空種である、という現在の主張にまで発展した。
「だから、新たな空種を取り込もうとしているのか」
「そうね、その人が何かのスペシャリストなら、これ以上発展に協力しないよーっていう脅しがきかなくなっちゃうもんね」
ジェラルドの簡潔な説明を聞き、芹那とファシオは納得して頷き合った。
「まあ、来たのはなぜか、庶民で一般人でなんの技術も知識もない私なんだけど」
「見た目も見た目だしな」
「そのソフエって人、何してたのかな、むこうじゃ」
首をかしげる芹那に、上品な仕草で紅茶を飲んでいたジェラルドが答える。
「企業コンサルタントとか言っていたな。何をするのかは知らないが」
「あー、なるほど」
芹那の感想は、なんか胡散臭いな、である。
「いずれにせよ、とりあえず君の取り込みには興味を失ったようだ。
用心するに越したことはないが、しばらくは安心していい」
「はい」
「さて、もうひとつ」
ジェラルドは、カップを丁寧に置く。
「君の兄上……いや、元兄上とやらが、我が家を訪ねてきた」
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エドガーは最高に苛立っていた。
ヴァンドール家でそっけなく追い返され、ミュリエルの行先を調べ、たどり着いたリャナザンド家でまたまたあしらわれた。
ここ、エルサンヴィリアは、武力の国だ。
竜の加護があるという昔々の言い伝えもあるほど、堅牢な国だ。
対して、祖国アラノルシアは、魔法こそ発達しているが、武に秀でているとは言い難い。
周辺の国々が、今は勢力を拡大する気がなく、安定した政権を敷いているから呑気にしていられるが、国が荒れればまず真っ先にアラノルシアに攻め込んでくるだろう。
そうした国力はそのまま、国家間の上下関係でもある。
例えエドガーが子爵の家の者だとしても、ではこの国で同じように貴族として振る舞えるかと言えば、そうではない。
軽視されているのは明らかだった。
それら全てが、エドガーは気に入らない。
自国では栄華を誇った子供時代から引きずり降ろされ、他国でもあなどられる。
腹が立って腹が立って仕方がなかった。
それでも、下男のカールが奔走し、ミュリエルが旅行に出かけたこと、その行先までが判明した。
家族が苦境に立っているときに、呑気に旅行だと?
憎しみに拍車がかかり、一週間の道行きを、5日で踏破するほど気がはやる。
そして、やけにメルヘンな城にたどり着いた。
別荘というにはあまりに大きな規模で、それもまたエドガーを苛立たせる。
ぶっ殺してやる。
ミュリエルの姿を思い浮かべると、少しだけ気が収まった。
いつもおどおどし、口数の少なかった妹は、可愛げのなさから両親にもうとまれていた。
なにが悪いわけでもないが、しいて言えば、優しすぎるところが気に入らない。
いたずらで、小さかったミュリエルの髪を掴んで振り回しても、突き飛ばしても、しくしく泣くだけで、怒らない。
挙句の果てに、ごめんなさいと謝りだす。
ちょっかいを出していただけのエドガーも、いつしか、泣いて謝らせるためだけに、ミュリエルを虐げるようになった。
物を奪い、尊厳を傷つけ、笑いものにし、お前は駄目な人間だと言い聞かせた。
そのたびに、素直に謝る妹が、滑稽で気分が良かった。
ノッカーを鳴らしながら、エドガーの口は抑えきれず引きあがった。
ぶっ殺してやる。
散々に罵り、泣かせ、昔のようにはいつくばって謝らせてから、だ。
「どちら様でございましょう」
現れた執事はまだ年若く、エドガーは、優位に立てると踏んだ。
高圧的に出れば、屋敷全体を支配できるだろう。
「ここに、ミュリエルという娘がいるはずだ。連れてこい」
大声で命令したが、執事はやや驚いた顔をするだけだ。
鈍いのか?
好都合だが、話が通じないのも面倒だな。
エドガーがそう思った時、彼は、かすかに笑みを浮かべた。
「恐れ入ります、お名前を頂戴できますでしょうか」
「ああ、そんなものはいらない。ミュリエルに、お前の兄が来たと言えば分かる」
「さようでございましたか。承知いたしました、ではこちらで少々お待ちくださいませ」
素直に命令を聞きはしたが、応接室に案内することもなく、エドガーとカールを玄関ホールに立たせたままだ。
躾が行き届いていないらしいな。
憤慨しつつも、ようやくミュリエルに会えることになり、なんとか怒鳴るのを我慢した。
やがて、その我慢も限界にこようかというほど待たされた後、ようやく、ざわめきが奥からやって来た。
正面の大階段を、誰かが降りてくる。
背の高いがっしりした青年と、同じく長身だがすらりとした男、二人に挟まれて、一人の令嬢が見える。
艶のある髪を見事に結い上げ、一目見て分かるほど高価なドレスに身を包んでいる。
誰だろう。
遠目では分からなかった女が、近づくにつれ、ミュリエルだと分かった。
舌打ちをする。
いい暮らしをしているようだ。
ふざけるな。
犯罪者が。
「ミュリエル。こっちに来い」
エドガーが言えば、すぐに、駆け寄ってくる──はずだった。
だが、返って来たのは、やけに冷えた視線。
そして、固くとがった声音だった。
「なにしにいらしたのです、エドガー・バルニエ様?」
「は?」
片手を男に預けたまま、ミュリエルはまっすぐにエドガーを見据えていた。
今までずっと、伏せて目を合わせようともしなかった妹が。
「なんのつもりだミュリエル、貴様、俺にそんな口をきいて、ただですむと思っているのか?」
一歩踏み出し、怒りを隠すこともなく怒鳴りつけてやった。
ミュリエルは怯えた顔をするに違いない。
エドガーは、口の端が吊り上がり、恐怖する妹の顔を見逃すまいと目を見開く。




