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「お嬢さん、あなたも、界渡りなのでは?」
ファシオの身体が、わずかに緊張するのが分かった。
壁際のクラリスも、腰に佩いている細身の剣を抜くのではないかと思うほど、顔をこわばらせている。
「何の話だ。俺の婚約者の出自を疑う、ということか?」
わずかに低めた声で聞けば、さすがのタカイチも顔をひきつらせて両手を振った。
「そ、そういう話ではない。
ただ、こちらのお嬢様が、日本食に興味を持っていると噂だったから……」
私のせいだ、と芹那は歯噛みした。
伯爵やファシオが守ろうとしてくれたものを、故郷の味恋しさに、自ら流出させたようなものだ。
芹那は、一生で一度というほど、頭を回転させる。
どうする。
どうすれば乗り切れる?
するりと口から出たのは。
「まあ、やはり、そう思われます!?」
芹那は、満面の笑顔を作り、嬉しそうに見えるようパチンと手を打ち合わせた。
ファシオがぎょっとする。
「私も、そうではないかと思っておりましたの!
ショーユ?
あのちょっと独特の風味が、私の口にとても合いますのよ!」
クラリスは目を真ん丸に見開き、そして、タカイチは、あれ?という顔をしていた。
「あー、あー、そう、なぜ、食べようと思われたのです?」
「界渡り様がお造りになられたという話を聞いたのです。
一度、試してみたいと思っておりましたが、想像以上に美味しくて。
ねえ、つまりこれって、私、本当は異世界から来たのではないでしょうか!」
「あ、さあ、どう、でしょう」
「だって、小さなころから、お父様もお母様も、私を出来損ないと言いましたもの。
今なら分かります、私は、この世界の人間ではなかったのですわ!
本当の私は、別にある、ずっとずっとそう思っておりました!」
芹那は、これは演技だろうか、それとも、と思いつつ、ぐいと身を乗り出した。
「ショーユというのは、ソフエ様のお国のものですの?
私は、きっとその国から来たのだわ!」
「いや!」
タカイチは、逆にぐっとのけぞり、ここだとばかりに笑顔で両手を突き出した。
「どうやら私の勘違いのようです!」
「あら。そんなこと言わずに」
「日本人は、黒目に黒髪なのです。
お嬢様のその御髪は、染めですか?」
「あら……いいえ、残念ながら、生まれつきですわ。
あっ、両親が染めたのかもしれません!」
「いやいや、ご存じないようですが、髪は伸びますからね、染めても根元の色は戻っていくのです。
それに、小さい頃からのご記憶があるようで」
「そうですわ、両親とも、私を、この家には相応しくないと言いますの。
つまりこれって、私が異世界……」
「あーっ、ざ、残念ですが、界渡り達は、前の世界での記憶と姿が持続しているのです。
いやー、これは私の勇み足でした。
つい、仲間を求めたくなりましてね。
そういう訳で、どうも、お邪魔しました」
「あら、ねえお待ちになって! もっとお話を……!」
追いすがる芹那を振り切るように、タカイチは帰って行った。
その気配が遠ざかり、窓から彼を乗せた馬車が遠ざかっていくのを見送ると、ファシオが大声で笑い出した。
「やるじゃないかお前、意外と演技派だな!」
「笑わないで! 忘れなさい! 恥ずかしかったんだから!」
「いやいや、本気かと思って途中までかなり心配したぞ」
「必死だったのに! なんで笑うのよ!」
ふと見ると、クラリスが床に倒れていた。
笑い声をこらえようと頑張った挙句、床にうずくまって震えているのだった。
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「戻られましたか。いかがでしたかな、例の、娘」
タカイチが領主の屋敷に戻ると、当主である老人が出迎えた。
結果が気になっていたのだろう。
「ああ、無駄足だった」
「おや、そうでしたか。
まあ私も、紫の瞳を持っているという時点で、違うかなと思っていたのですがね」
「なら止めろよ!」
老人は、タカイチの暴言にも余裕をもって笑う。
「私はそう申し上げましたよ。
しかし、娘が美人らしいと聞いて、偵察に名乗りをあげられたのはソフエ殿ではございませんか」
それはその通りだったので、タカイチも黙らざるを得ない。
「よくいる、妄想系の女だったよ。
今の自分は本当の自分じゃない、本当の自分はもっと凄い、ただ本気出してないだけ、みたいな」
「ほう。確かに、娘は実親から絶縁されているようですからな」
「ふうん、みなしごか。俺がもらってやってもいいがなあ」
「婚約中のはずですぞ」
タカイチは、ふん、と笑った。
「知るか。王になれば、側室は置き放題なんだろ?」
「さすがに、既婚者を召し上げるのは問題がございますな」
「不可能じゃないならいーんだよ、駄目なら駄目で新しい法でも作るさ」
ほっほ、と老人は笑う。
「頼もしいですなあ。
なに、難しいことは私どもに任せ、ソフエ殿は王として祭られておればよいのですからな。
なにせ、その存在こそが、神と同等。
人々はみな、ソフエ殿を崇め、平定は容易でございましょうからな」
「そうだな、俺は、選ばれた男だからな!
楽しみだぜ、王様ってやつには、一度なってみたかったんだ。
人の上に立つってのは、楽しいんだろうなあ」
老人に促され、タカイチは、ご機嫌で自室へと戻った。
途中、見かけたメイドを無理やり連れ込んでいたが、誰も、咎めることはなかった。
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ファシオから父親に話を通し、父親から命令を受けた諜報部員が派遣されてくるまで、三日ほどかかった。
空種から接触があったと聞き、きちんと情報を共有したほうがいいという父親の判断だった。
その男が訪ねてきたのは、夕方だ。
応接室に案内してきた執事のウォーレンが出て行くと、ファシオの表情はなんだか不機嫌そうなものに変わった。
「ジェラルド様、なぜ、あなたが?
父は諜報部が来ると……」
すらりとした長身で、涼し気な目元の、美丈夫だ。
やだイケメン、と芹那が心の中で思ったのが伝わったのか否か、ファシオがちらりとこちらを見た。
「それが俺の仕事だからだ。
それから、もはやお互い以前とは立場が違う、敬称も変えられるが良いだろう」
石膏かなにかで固められたように、表情のない男だが、それもまた良し。
彫像のようでいいではないか。
「やはり、リャナザンド家の裏の仕事は……」
ファシオは言葉を止め、首を振って、気持ちを切り替えたようだ。
「紹介が遅れましたが、これが、ミュリエルです。
この度、子爵のご厚意に甘え、養子に迎えていただきました」
男は、存外柔らかな目元を芹那に見せると、
「私は、君の義兄ということになるな。ジェラルド・リャナザンドだ。
しがない次男だ、気を楽にしてくれ」
「ありがとう存じます。
お屋敷に滞在中はご出張とのことで、お会いできませんでしたわ。
挨拶もできなくていたこと、気になっておりましたの」
「ああ、たまたま仕事でね。
気にすることはない、君こそ、やっかいな家に縁付いたと後悔するかもしれないしな」
タブレットで検索し、今のファシオよりずっと正確に彼の本当の仕事を知っている芹那は、同意しそうになった。
慌てて話題を変える。
「ということは、メレディアお義姉様の旦那様でいらっしゃるのですね」
「そうか、妻にはもう会ったのだね。
何か君を困らせていなければいいが」
「とんでもない、真っ直ぐで聡明で美しい、私の理想のような女性でした」
驚いたことに、ふ、とジェラルドが笑った。
ファシオまでもぎょっとしている。
「面と向かって褒められるのも、悪くないものだな」
芹那も思わず微笑むが、ファシオがそれを遮るように、
「お忙しいところあまりお時間いただくのもなんですからね、早速話に入りましょうかね」
ソファセットに全員を座らせ、強引に用件に入ってしまった。
やあね、男の嫉妬って。
芹那は、すましてファシオの隣に座った。
「さてでは、基本情報を共有しよう。
まずは、貴殿らが会ったという、タカイチ・ソフエ。
彼こそが、真の王、と名乗る、空種のリーダーだ」




