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「よう、大人しくしてたか?」
「そればっかりね、先生。当たり前でしょ」
入ってくるなり、別れ際と同じことを言われ、憤慨する。
後ろから入って来たメレディアが、朗らかに笑った。
「ねえ、先生って?」
「はい、私、魔法の使い方を知らなかったので、先生に教えていただいたんです」
「わあ、そうなのね、実は私もよ」
「そうなんですか?」
「ええ、魔力量に頼って大雑把に使っていたのだけど、我が家の下働きだった彼が、見るに見かねてね」
なるほど。
タブレットで知ったが、魔力があるのは総じて貴族がほとんどだ。
だから実際その時点で、シェルライン男爵は、ファシオがどこぞの貴族の血を引いていると知っていたに違いない。
外腹の子、とか。
だから、メレディアにつけた。
まさか、高位貴族とは思っていなかっただろうが。
ノックの後、さっきの執事がまた入って来た。
「ファシオ様、旦那様が、いくつか書類にサインをいただきたいと」
「ああ、分かった、今行く」
立ち上がったファシオは、いいか大人しくしろよ、とまた言って出て行く。
なんなの一体、何をするっていうのよ。
「ほほ、ねえ、なんでしょうね、あれ」
愛想笑いをすると、メレディアは面白そうな顔をした。
「私もよく言われたわ。考える前に魔法をぶっ放すのをやめろ、って。
後ろで大人しくしてろ、って。
あれは、ファシオなりに、あなたを守っているつもりなのよ」
はたと思い当たる。
つい先日、攫われて殺されかけた芹那に、なぜ魔法を使わなかったのか、と真顔でファシオは聞いた。
怖かったから、という返事にたいそう驚き、やられたらやり返すタイプしか知らなかったと言った。
この人のことか。
「ふふっ、メレディア様は、守られてばかりではなかったのですね」
「そうねえ。旦那様と結婚した直後は、後ろに引っ込んでいたこともあったのだけれど。
今は、取り繕うのはやめたの」
頬を染めるメレディアは、幸せたっぷり、という風情だ。
あーあ、可哀想なファシオ。
芹那は心の中で、ちょっと笑う。
「あなたも結婚したからって我慢する必要はないわよ?」
うんうん、と思わず肯く。
「そうですね、いつか結婚することがあれば、取り繕うのはやめます」
今度こそ、とそっと付け加える。
『今日のカレー、なんか味違うね?
あれ、なんで俺の好きなルーじゃないの使ってんの?
お前がこっちが好きとか、俺に関係ある?』
『部屋きったないね、ちょっと掃除したら?
出かけて帰って来たばっかりって、お前は助手席に乗ってただけじゃん。
疲れたのは、休みの日つぶした俺でしょー?』
『なんか太ったな。
体重は変わってないのかー、じゃあ年取って垂れたのかよ、あーやだやだ。
こっから劣化してくばっかってこと?』
この世界は、先進国だった日本より、ずっと男尊女卑の世界観だ。
でも、果たしてそうか?
ここには同時に、レディファーストの精神もある。
結婚前の男は、ずいぶんと女性に対して紳士だと思う。
結婚した途端に、前世の夫のようになるとしても、それまでは少なくとも規律と伝統が女性を守っている分、マシかもしれない。
つまり、結婚しないでいるのが正解ってことだ。
「ずいぶん、先のことみたいに言うのね。
婚約から結婚まで、だいたい一年くらいが相場よ?」
芹那は内心大きく動揺したが、それを顔に出すのはこらえた。
もしかして、ファシオは彼女に、全ての事情を話してはいないのだろうか。
表向きの事実はどこまでだっけ。
ええと、殺人未遂で追放されて、魔力で生き残ってファシオに拾われ、結婚するために養子に入る。
多分、そこまで。
「そうでしたね、なんだか実感がなくて。
ついこの間まで、森をさまよっていたので」
「まだ若いもの、そんなものよね」
「あの、そういえば、メレディア様はなぜこちらに?」
あまり掘り下げるとまずい。
話題を逸らした。
「ああ、そうそう、ほら、あの子」
指さした先には、今日はまったく隠れる気のないサクラが浮いている。
「ようやく話しかけてくれたのだわ!」
飛んできたサクラは、嬉しそうにメレディアの周囲を飛び回った。
「あなたの魔力も、なかなかね! うん、なかなかなのだわ!」
「ふふ、ありがとう、おちびさん。
今日はね、ファシオに頼まれて、あなたが良い子なのか悪い子なのか、見に来たの」
どういうことだろう。
サクラと一緒に首をかしげる。
「なんでも、前の御主人と一緒にいた時は、悪い子だったのですって?
いいえ、詳しいことは知らないわ、そうファシオに聞いただけ」
ストレートな質問に、変わった人だわ、と改めて思う。
悪い子、というのはもちろん、アンリエットに命じられ、ミュリエルを操り死に至らしめたことだろう。
悪い子どころではない、悪意の極みだ。
サクラは、メレディアの質問に、楽しそうに笑う。
「まあ、おかしなことを言うのだわ!
私自身は、良き者でも悪き者でもない、ただの聖魔力の塊。
意思も、性格も、姿かたちさえ、私を決定づけるものではないのだわ。
私とは、宿主そのもの。
宿主が良き者であれば良き僕に、悪しき心あればそのように。
私を人間のように考えるのは間違いなのだわ」
そう言うと、サクラは、スライムの姿になった。
それは、芹那が彼女に伝えたイメージそのものだ。
そこから一転し、ティンカーベルの姿になる。
最初に妖精をイメージした時の姿。
芹那は、ふと、神様を思い出した。
彼もまた、芹那のイメージに合わせて姿を変えた。
とても似ているけれど。
「私の歴代の宿主は、時代が浅いほど、私を使いこなせなかったのだわ。
こんな風に、まるで人格を持つように姿を整えるまではね。
きっと、人間は、能力を使うのが下手なのだわ。
私と、言葉を、イメージを、身振り手振りを、たくさんやり取りすることで、魔力は安定する。
それが分かって以来、私はずっと、こうやって人のように振る舞うのだわ」
ふわりと、最初の姿に戻る。
「だからね?
私に良き者であってほしいならば、その願いは、この子に伝えたらいいのだわ」
AIみたいなものだ。
サービスAIがヒトの姿をとるように、人間たちはその向こうに勝手な人格を見る。
ペットや野生の動物にすら、感情を当てはめる。
そういうことだろう。
テクノロジーは、使う者によって、良き物にもなり、悪事を働く一因にもなる。
「……分かったわ。ありがとう、不躾な質問に答えてくれて」
サクラは笑う。
「構わないわ。
そして、私に感情がないと分かってなお、お礼を言うあなた、魔力と同じくらい変わっているのだわ!」
ノックがあった。
入って来たのは、フットマンではなく、ファシオだ。
「話は終わったの?」
「ああ、書類を持って執事が走っているからな、夕刻には正式に、お前はここの娘だ」
「子爵様にお礼を言わなくちゃ」
「ああ、夕食の時で構わないだろう」
むしろ仕事を邪魔するな、ということか。
「では、我々はお暇しよう。
また明日、来るからな。大人しくしてろ」
「はいはい」
メレディアに対し、ごく自然に手を出す。
その手にエスコートされて、メレディアはまたね、と帰って行った。
窓から見れば、見送りが出来るだろう。
けれど、芹那はそうしなかった。
「あーあー、良くない、良くないわ、私」
自覚すべきではない気持ちに、無理やりに蓋をする。
元犯罪者で異世界人で、しかも真の姿はだいぶ年上で、結婚歴がある。
「どうなさいました、お嬢様?」
メイドに聞かれて、芹那は力なく笑った。
王都のヴァンドール家から、鳥が飛ばされて来たのは、翌日だった。
昨日、ミュリエルの兄と名乗る男が、訪ねてきたという一報だった。




