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「目が、目がぁ!」
飛び起きた。
まだ体力残ってた。
「あ、すまんの。だって急に呼ぶんじゃもん」
目を閉じてすら瞼を突き刺していた白い光がすうっと弱まり、芹那はようやく目を開けることができた。
強い刺激に痛む目から涙をこぼしながら、なんとか視界を確保すると、目の前におじいさんがいた。
おじいさん。
白いひげで、白い着物を着ている。
「誰よ!」
「神様じゃよ、だって、呼んだじゃろ」
「呼んだっていうか……恨み言を言ったけど」
神様だというおじいさんは、国民的RPGの猫モンスターが持っていそうな杖を携えている。
「まあ良い、用件はなんじゃ?」
「用件なんかあって呼んだんじゃないけど。
でも突然こんな森の中に現れるなんて、普通じゃなさそうだから一応聞くけど、ここどこか分かる?」
ダメもとで聞いてみると、神様は軽く頷いた。
「知っとるよ。ここはアラノルシア国南端の森で、名前はない。捨てられた森、というところかの」
期待した分、がっかりする。
芹那は特別才媛ではないが、それほど馬鹿でもない。
アラノルシアなんて国は存在しない。
つまり、このじいさんはボケている。
「やっぱり死ぬんだ、しかもこんな場所で、怪しいじいさんと!」
叫びだした芹那に、じいさんは驚いた顔で言う。
「なんじゃと! せっかくお前さんの願いを叶えてやったというのに、なぜ死ぬんじゃ!」
「願い? 願いってなによ、私が何を願ったのよ」
「10年でいいから若返りたいと言ったであろ」
まあ、思い当たることはある。
まだ結婚する前は、何度か人生をやり直したいと思ったことがあった。
ばかばかしい妄想だし、本気のわけがない。
芹那の渋い顔を見て、神様は慌てて、鏡のようなものを出した。
覗き込むと──。
「……ほんとに若い……っていうか……誰!?」
明らかに十代の顔、しかし、鏡の中で合わせた目の色は、薄い紫だ。
髪の毛はいつもの自分と同じくらいでボブスタイルだが、ふんわりウェーブがかかっていて、なにより透けるような金髪。
っていうか顔の造りがもう違う。
「うん、彼女は子爵家のお嬢さんで、ミュリエル・バルニエ、17歳じゃ」
たっぷり一分ほど、芹那はあれこれ考えた。
いろんな可能性や、あり得そうなことを考えた。
そして結局、全てを放棄するしかなかった。
「全部。全部説明して。なにもかも、あんたが知ってること」
ぐったりと座り込む芹那に、じいさんはまた、ひょいひょいと軽く頷いた。
じいさんは本当に神様だ、と言い張る。
地球には信仰が溢れていて、神様の力、いわゆる神力はかなり強いのだそうだ。
そして、その溢れる力を使い、時々ランダムに人々の願いを叶えている。
今回当たりを引いたのが、芹那だそうだ。
色々とぼんやりとした願望はあったものの、最も具体性があった、若返りを叶えてくれることにした。
だがもちろん、地球で若返ったのでは色々と不自由がある。
家族や親類、友人への説明や、結婚生活の継続、見た目と内面のギャップ、成人年齢ではないことなど、多岐に渡る問題を解決するのは不可能だ。
だから、転生させた。
誰も芹那を知らない、地球ですらない場所へ。
願いを叶えるためには、転生も17歳から始めなければならない。
だから、ちょうど17歳で、ちょうど死んだ人間に魂を憑依させた。
この辺で口を挟みたくなったが、芹那は我慢した。
もうすでに混乱しかしてないし、突っ込みしか思い浮かばないのだから、あとでまとめてするほうが効率が良い。
さて、その実に都合の良い死体は、追放された令嬢だ。
彼女は、貴族の集まる学園に通っており、政略ではあるが第一王子の婚約者だった。
しかし、ある問題を起こして断罪されたばかり。
どうやら、王太子のクラスメイトである女子を死に至らしめかけたらしい。
未遂であったことと、令嬢が曲がりなりにも貴族であったことから、死罪ではなく追放になった。
芹那はなんとなく、だから髪が短いのか、と思った。
追放の際に、短く切られたのだろう。
高貴な令嬢というのは髪が長いイメージがある。
貴族だと言う割に粗末な服を着ていることもそうだ。
彼女、ミュリエルは、罪人としてこの森に放り出されたのだろう。
「それって手を下さないだけで、実質死罪じゃん」
「死罪そのものを与えられれば、一族郎党が全ておとり潰しになる。
実際の結果がどうであれ、過程が追放であれば、降格かあるいは累が及ばないとして実家はそのまま残っている可能性が高い。
そういうことじゃ」
つまり政治的な判断ということか。
まだまだ聞きたいことはあったが、まず最初に言いたいことは決まっている。
「いつ願ったかも分かんない願いなんて叶えなくていいから、元に戻してちょうだい」
神様は、目をむいた。
「なんでじゃ!?」
「いやなんでって、こんな場所に放り出されて、誰とも知れない上に犯罪者の死体に魂入れられて、はい若返って良かったね、とはならないよね?」
「ならないのか」
「なるわけないじゃん。だいたいさ、私の願いは若返りたい、じゃない。
10年前から人生をやり直したい、だよ。
全然違うじゃん。
これが苦労しない金持ちとか、チート能力があるとかなら別だけど」
途方に暮れたような顔が、ぱっと輝く。
「それなら大丈夫じゃ、お前さんは魔法も使えるし、お金もある」
「どこに?」
「……あれ?」
芹那の体をちらちらと見て、それから、そっと懐から何かを取り出す。
渡すの忘れてた、ときまり悪げに渡されたのは、斜め掛け出来そうな革のバッグだ。
「欲しいものを思い浮かべて探れば、必要なものが出てこよう。
ただし、基本この世界にあるものしか無理じゃからの」
「忘れてたんだ。こういう便利なものがあるのに、あんたはただ私を、身一つで、この森に放り出したんだ」
黙り込む神様をしり目に、芹那はまず、歩きやすい靴、を願ってみた。
ぱかぱかのふたを開けて手を突っ込むと、何かが手に当たる。
おお、と取り出すと、それは、今自分がはいているのと寸分たがわないサンダルだった。
「ああああああこの程度の文明で生きるなんてむりいいいいいい!
帰して! 帰してちょうだい!」
全てを放り投げて神様をがくんがくん揺さぶるが、目を白黒させた彼は、突然消えた。
つんのめる芹那をしり目に、空中にぱっと現れた神様は、
「それは無理なんじゃこらえておくれ!
何かあったら呼んでいいから、まず頑張ってみてほしいんじゃ!」
「願いそのものが違うって言ってんでしょう!」
「その子の人生をやり直せばよかろう!
頼むぞ、我がいとし子よ!」
「ちょっと待ちなさいよおおおおおおお!」
今度こそ消えた。
芹那は地面に膝を突き、しばらく泣き叫んだ。
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アンリエットは、足早に部屋の中を歩き回っていた。
軽いノックに応えると、三つ上の兄がひょいと顔をのぞかせる。
「アン、うろうろするのをやめておくれ、ただでさえ薄いじゅうたんが擦り切れてしまうよ」
そののんきな顔をキッと睨みつけ、アンリエットは舌打ちをする。
「黙ってちょうだい、そんなくだらない用なら出て行って」
「やれやれ、何をそんなに苛立ってるんだ? もうすぐ夕食だからね、機嫌を直して降りておいで」
ぶつけた苛立ちもふわりと躱され、ますますイライラする。
目に入る足元は、兄の言う通り、すっかり色褪せた絨毯だ。
なんてみっともない、みすぼらしい家だろう。
一体自分はいつまでこの家にいなければいけないのか。
「ジョスラン様……」
第一王子の名を呼び、少し落ち着きを取り戻した。
アンリエットの苛立ちの理由は二つだ。
一つは、第一王子であるジョスランの婚約者を追い出したにも関わらず、次期婚約者候補の話がまったく持ち上がらないこと。
すでに公の面前で愛していると言われたのに、先の話となると進展がない。
もう一つは──魔力が戻らない。
あれから四日も経つのに。
理由はひとつしかなかった。
「ミュリエル……まだ生きているのね、あの女……!」
森に放り出せばすぐに死ぬはずだったのに。
しぶとい女だ。
あの森は、捨てられた森。
抜け出すことは不可能だから、もうすぐにでも死ぬだろうけれど──もしも、もしも死ななかったら?
ジョスランがミュリエルを捨てて自分を選んだ理由のひとつに、魔力があることは否定できない。
いずれ聖女として立つ予定だからこそ、この大勝負に打って出たのだ。
あの時、あれに使った魔力は、絶対に返してもらわなくては。
もう死んでよ。
アンリエットは爪を噛む。
死なないのなら……殺さなくてはならなくて、面倒だわ──。