18
「あんた、何者なの」
その日の夜、再び姿を魔力で変えて、使用人の振りをして抜け出してきた。
例の路地で、あの男は当たり前のように待っていた。
「僕の名は、エドガー・バルニエ。バルニエ子爵家の、長男にございます」
わざとのように、優雅に礼をとる。
「バルニエ、ですって……!
じゃああなた、ミュリエルの……」
「はい、兄でございます、聖女様?」
彼は、皮肉っぽく笑い、顔をそらした。
アンリエットを見下すような顔だ。
「その節は、我が妹が、聖女様に大変な無礼を働いてしまいました。
ああ、元妹、ですが」
「あ、あなたがなぜ、ジョスラン様の御付きに?」
「不思議ですよね?
実際のところ、王子にお仕えするようになったのは、妹のおかげなのですよ。
あいつが王子に婚約を解消されたことで、我が家には微々たる慰謝料が支払われた。
とはいえもちろん、我が家だってくさっても貴族。
表向きの慰謝料とは別に、それなりの配慮をいただけるよう、父がお願い申し上げたのですよ」
つまり、ミュリエルを捨てる代わりに、兄を昇進させた、というわけか。
「ところが、その辞令が正式に出た後で、馬鹿な妹が事件を起こした。
あいつは罰を与えられた上、我が家から縁切りされたことで、表向きうちには類が及ばないよう手配がなされました」
バルニエ家は、政治の中枢にいる。
強力な保守派で、王はその意見を重用していたはずだ。
ここが崩れれば、現体制が変化しかねない。
王家としては、少なくとも今すぐ、バルニエ家に倒れられては困るのだろう。
「表向き?」
「そりゃあそうでしょう、あいつはうちとは関係ないんです、と主張したところで、一体、誰が心から納得します?」
彼は凄みさえ感じさせる顔で笑った。
「針の筵とはこのことだ。
聖女様、あなたが崇拝されればされるほど、そして私が王子に近い仕事をすればするほど、周囲は憤りを強くする。
あなたを傷つけようとし、聖なる奇跡を先延ばしにするほどショックを受け引きこもらせてしまうようなひどい女の、その兄を重用するなんて!とね」
「何が望みなの」
「我が家は、爵位こそ低いが、歴史が長い。
それなりに、王都に情報網を巡らせてある。
ねえ聖女様、あなたが、ゴロツキと言われる兵士崩れの犯罪者どもと接触したなんて、驚きましたよ」
「だから、なにが望みなのよ!」
「使用人に化けて、支度金を流用してまで、あなたは、隣国の平民を始末しようとしたそうですね」
エドガーは楽しそうだ。
「金色の髪、紫の目の、17歳くらいの、小娘。
ああなんだか、とても、親近感がありますね」
彼は、まるで見せつけるように、その紫の目を月にさらした。
「もうねえ、うんざりなんですよ。
馬鹿な妹の馬鹿な行動のせいで、周囲から白い目で見られ、腫れ物のように扱われるのは。
そもそも、ほどよき頃に、降格されるでしょう。
今すぐはなくとも、私が後を継ぐ頃には……。
冗談じゃない。
我が家がどれだけ、王家に仕えてきたと思っている」
「私に、どうしろと……」
「お手伝いしますよ」
「は」
「その、紫の目の小娘を始末する手伝いをしましょう」
「何が、目的」
「見返りはもちろん要求します。
だってあなたは、ここらを仕切っているゴロツキに断られ、もう打つ手はない。
他の誰も引き受けない。
その仕事、私が肩代わりしましょう。
その代わり」
エドガーが一歩二歩と近づく。
吐息のかかるような距離で言った。
「天啓を得た暁には……僕を引き立てるよう、言ってもらえませんか?」
アンリエットはおののき、のけぞった。
「天啓をゆがめろとおっしゃるの!? 聖女である私に、嘘をつけと、王家をたばかれと!」
エドガーは大声で笑った。
「聖女様、あなたはきっと、肯くでしょう!
そうですよね、だって、あなたは宮を抜け出す危険を冒し、ゴロツキどもに大金を渡してまで、あの女を始末しなければならないんだ。
理由はなんなのでしょう。
僕ごときでは想像もつかない。
けれど分かることがある。
あなたは、こうして外出できるほどぴんぴんしているのに、病気のふりをなさっている。
そして、聖なる魔法をずっと、封じておられる」
「それ……は……」
「さあ、肯くのです。
これは正当な取り引きだ。
あなたには切実に妹を殺す理由があり、その手段がない。
僕にはその手段があり、見返りさえあれば望みを叶えられる。
分かりますね?
ねえ、分かり、ますね?」
アンリエットの心は、これ以上秘密を抱えてはいけない、と言っている。
けれど、それ以上に、追いつめられてもいた。
あと一カ月のうちに、ミュリエルが死ななければ、自分が死ぬことになる。
命と引き換えならば、何をためらうことがあるだろう。
「いいわ……絶対に、絶対に成功させてちょうだい。
約束よ。
この約束が守られたかどうか、私にはすぐに分かる」
く、とエドガーは肩を揺らして天を仰いだ。
「はははは、そうこなくっちゃ!
いいとも、聖女様、任せておいて下さいよ。
この僕が、すぐにあの馬鹿を始末してご覧に入れますからね!」