14
「ミュリエル!」
芹那の、うっすら開いた目の前は、眠さとだるさとひどい頭痛で、もやがかかって見えた。
「ああ、神様、良かった!」
神様の何がいいのよ。
瞬きを必死で繰り返し、ようやく視界がクリアになってくる。
上から覗き込んでいるのは、ファシオだった。
「先生」
「ひどい声だな! だが生きているぞ!」
「いやひどい声とか言う必要ある?」
「中身も一致しているな、良かった」
どういう意味だよ。
起きようとしたが、身体は全く動かない。
「まだ横になったままでいい、医者の見立てに寄れば、全身がひどく疲労しているそうだ」
「私……なんかしたっけ」
「襲われたんだ。騎士をつけていたはずなのに、すまなかった」
ようやく思い出す。
浮かれて買い物をした帰り、馬車から引きずり出され、そして──。
「ナイフ! 私、ナイフで……! やだ、なんで……!」
心臓が一気に冷えるような恐怖に襲われる。
怖い。
怖い怖い。
全身が熱くなり、なのに顔だけが冷たくなる。
「大丈夫だ、お前は助かった、どこにも傷はない。
もう、襲わせたりしない、大丈夫だ」
「嫌よ! なんなのあいつら、なんで、私を……殺そうとしたのよ!?」
「ああ、罰は与える、そしてお前は俺が守る。だから大丈夫だ、ミュリエル」
無意識に振り回していた両手を、ファシオが握る。
何度もエスコートされ、慣れた感触と温かさに、ゆっくりと落ち着きを取り戻した。
「駄目よ、ミュリエルは死んだわ」
ふと、口から力が抜けるような呟きが出た。
「なんだって?」
「死んだのよ、可哀想な、あの子」
吐息のような小さな声で、芹那は、さっきまで夢のように見ていたミュリエルの人生を語った。
夢のようだけれど、多分、夢じゃない。
神様が話してくれた追放のくだりと、つじつまも合う。
「聖女……いや、たしかに、アラノルシアに聖女が誕生したと通達が来た。
三カ月ばかり前だったか」
「アンリエットね」
「名前までは分からん、父に聞けばはっきりするだろうが。
いや、男爵家の娘だったという話は聞いたな」
「間違いないわ」
喉がつまり、せき込む。
ファシオが背中を支え、身体を起こし、水を飲ませてくれる。
「ねえ、私が見つかったのってどんな状況?」
芹那は話しながら、枕元に置いてあった神様のかばんを引きずり寄せた。
中から、疲労回復ドリンクを取り出し、飲む。
続いて頭痛薬を取り出して、飲む。
ファシオはそれを渋い顔で見ていたが、
「街中で襲われたから、目撃者はゼロじゃなかった。
そのうちの一人が、馬車の紋章を見てうちに知らせてくれたんだ。
もちろん、町の衛兵たちも動いていたが、事態を把握したと同時に、とてつもなく強い魔力放出があった。
それを感じ取った俺がかけつけると、お前と、それから男が二人、民家の中で倒れていた」
「魔力放出……」
ぜんぜん覚えていない。
ナイフで刺されそうになった瞬間、怖くて、うずくまったはずだ。
それ以降の記憶がない。
ただ長々と、ミュリエルの記憶をおさらいする夢をみていたわけだ。
「なんだろう、無意識に魔力でやっつけたのかな」
「お前、魔法を教えてやったのに、なぜやすやすとさらわれたんだ?」
「怖かったからに決まっているでしょ!」
ファシオは絶句した。
「……そ、そうか。怖かったのか」
「普通そうでしょ、普通、さらわれて殺されそうになったら怖くて魔力操作どころじゃないでしょ」
「いや、そうだな、襲われると真っ先に攻撃に打って出る魔力持ちしか知らなかったから」
「知らないわよ、私はね、戦争のない国から来たの。武器どころか、ハサミ持ち歩いてるだけで捕まる国よ。
暴力沙汰とは縁がないの!」
「そりゃまた……平和な世界だな」
「戦争がないわけじゃないわよ、あるところにはあるし、こっちよりやり口はえぐいわよ。
私自身が無縁だったっていうだけ」
ファシオは、へえ、という顔だ。
「男たちはどうなったの?」
「捕縛して、牢に入れてある。
取り調べの最中だ。
まだ吐かないが、時間の問題だろう」
わあ、取り調べってなにしてるんだろう。
芹那は気になったが、聞かないでおいた。
回復薬と頭痛薬が効いてきたのか、身体が楽になった気がする。
「結局、なんだったんだろ……」
呟いたその時だ。
「あーっ、目が覚めてるのだわ!」
大きな声がした。
はっとしてその方向を見る。
ドアでもない、窓でもない、出てきたのは──芹那のかばんからだった。
「妖精……?」
アニメや漫画で見る、妖精の姿にそっくりだ。
30センチくらいの小さな女の子に、羽根が生えている。
ティンカーベルほどすらりとはしておらず、むっくりした子供みたい。
「違うわよ、私は、聖心力そのものなのだわ!」
「聖心力」
「なんにも知らないのね! 私が宿れば、宿主が聖女となるのだわ!」
誇らしそうな女児の、くるんくるの巻き毛を思わず指で撫でながら、ほほう、と考える。
「……え? 聖女」
「崇めよ、なのだわ!」
「待って待って、じゃあ、君、今、ここにいる場合じゃなくない?」
「うん? というと?」
「だって、聖女はアンリエットでしょ? じゃあ君、アンリエットに宿ってなくちゃなのでは?」
「ああ、そうね」
彼女は芹那に撫でられながら、生意気に腕を組む。
「でも彼女、私をあなたの中に送り込んだから」
「……ううん、もう少し詳しく」
「私をあなたの中に送り込んで、操ったの」
パチン、とスイッチが入ったように、全てが理解できた。
「ああっ、あの、ミュリエルが起こした殺人未遂事件!
体が操られたようになってたの、君の仕業!?」
「ああ、あれね、そうそう、そうよ」
当たり前のように言う。
「なんで、そんなこと……」
「私は知らないのだわ。ただ宿主がやれっていうからやっただけ」
「君は……おかしいと思わなかったの?」
「私は、宿主の言うことは絶対なのだわ」
私は、聖なる心とは?と思いながら、その悪びれない顔を見ていた。
「つまり、アンリエットは、君を使ってミュリエルを冤罪に陥れたのね。
そして、反論も出来ない彼女を、追放して殺した」
ずっと黙って渋面を見せていたファシオが、我慢しきれないように口を出してきた。
「で、お前は今、なぜ、ここにいる?」
妖精の姿をした聖女のモトは、にっこり笑って言った。
「それはもちろん、彼女が次の宿主だからなのだわ!」
可愛らしい指は、芹那にまっすぐ向いていた。