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学園における、周囲の反応は、様々だった。
主に男子生徒たちはアンリエットの味方、そして令嬢たちは半分がミュリエルの味方、半分が傍観といったふうだ。
それが、ある時を境に、一気にアンリエットに傾くことになる。
「聖女……ですか?」
「そうだ、アンにはその資質があると判明した。今後、祈りの力と魔力コントロールの手ほどきを受け、天秤の試練を乗り越えれば、聖女と認定される」
聖女、というのは、伝説ではない。
ここ50年ばかり不在ではあるが、前聖女はお年寄りたちの記憶には現実として存在している。
さすがに、魔王のような存在はいないし、魔物もいない。
聖女は信仰の対象であり、特に癒しと清めの力をもって、王家の安定した政治に貢献してきた。
もちろん、国民もそのおこぼれにあずかることができ、ほぼ完全に王家に囲い込まれているとはいえ、国が栄える源といわれていた。
「そうだな、あと三カ月ばかり後には、認定がおりるだろう」
わざわざ期限を告げたのは、それこそが、婚約を白紙とする時期であるという警告だ。
聖女は王家の誰かと婚姻を結ぶことになる。
現時点では当然、王太子に最も近いジョスランが候補に挙がる。
ただもちろん、ミュリエルの存在があれば、第二王子以下、まだ婚約者のいない者たちが、その事実を盾に名乗りを上げてくる可能性がある。
彼にとって、ミュリエルは邪魔なのだ。
膝の力が抜け、倒れそうになるのを、必死でこらえた。
三か国語を覚えた。
国の歴史と、経済、他国との関係を理解した。
身分に見合ったマナーを体に叩き込み、ダンスも刺繍も血が出るまで練習した。
なにより、自由な外出もできず、人生のほぼすべての時間を王子妃になるための心構えで過ごした。
全部無駄になる。
「承知いたしました」
かろうじてそう呟いたミュリエルに、ジョスランは初めて笑いかけた。
それは、優しさのかけらもない、まさに、あざ笑うかのような笑みだった。
悔しい。
悲しい。
そういう気持ちがあったことは否定しない。
ジョスランがあえて漏らしたのだろう、三カ月の期限を待たず、学園ではすでにミュリエルは婚約者ではなかった。
王子妃の立場を取り上げられ、捨てられた子。
今まで、アンリエットの態度を非難し、ミュリエルに声をかけてくれていた令嬢たちも、あっという間に離れていった。
令息たちはと言えば、鬼の首を取ったかのような顔で、ミュリエルをあからさまに馬鹿にした。
「次の婚約者は見つかったのかい? おっとごめん、そんな酔狂な男はいないか」
「俺がもらってやろうか? もちろん、正妻にはしてあげられないけれど」
「辛気臭い顔をするくらいなら、学園を辞められては? なんのためにいらしているのです?」
対して、アンリエットの修行は、上手くいっているようだった。
彼女は膨大な魔力を有しているそうだ。
複数の属性を持ち、中でも、ユニーク属性である光の魔法に特化している。
順当に魔法のコントロールを身に付け、底知れぬ量の魔力を自由にできるようになった彼女は、王家だけが知るという神の天秤の試練を終え、正式に聖女となった。
同時に、ミュリエルとジョスランの婚約は白紙となる。
そしてあの夜が来た。
聖女の誕生を祝う、王家主催の盛大な祝いの席のことだ。
国中の貴族が招かれ、当然、ミュリエルも招かれた。
なかったことになった婚約は、王家から微々たる慰謝料が支払われ、表向きはバルニエ家に瑕疵はないとされている。
だからこそ、それを理解し許したというバルニエ家の意思を示せ、という招待だ。
行かないわけにはいかない。
今まで着ていたドレスは、ジョスランに合わせて作ったもの。
とうてい着られるはずもなく、慌てて既製品を手直しするはめになった。
侍女たちは嘆いたが、ミュリエルも、そして父と母も、そして年の離れた兄も、それについて考えるほど余裕はない。
両親は思いのほか、冷静だった。
おそらく、聖女現る、の一報以降、こうなることは予想していたのだろう。
ミュリエルに対して、つらくあたることはなかった。
ミュリエルのせいではない。
けれど、優しく慰めることもなかった。
そっけなく淡々とした態度は、もう間もなく、彼らがミュリエルを斬り捨てるだろう未来を予想させる。
どこかの後添いに嫁がされるか、あるいは修道院か。
さすがに後者はないだろう。
いくら傷がついたとはいえ、貴族の一人娘だ。
他国に、というのはあるかもしれないが──。
パーティー会場の片隅、ぬるい果実酒のグラスを持ってぼんやりとそんなことを考えている時だ。
突然、全身が痛みを訴えた。
ただの痛みではない。
刃物をあらゆる関節に差し込まれ、内臓をひっかきまわされるような、強烈な痛みだ。
ミュリエルは耐えきれず、グラスを取り落とす。
半径数メートルの人々の視線を集める中で、ミュリエルは自らを抱きしめ、そして、そこからの記憶は恐ろしいものだった。
体が勝手に動いた。
自分の意思ではないものが、自分の体を動かしていた。
操られた体は、滑るように動き、中央のテーブルからケーキサーバーを手に取ると、そのまま、王座のある壇上へと歩み寄る。
そして、逆手に持ったケーキサーバーを、聖女に向かって振り下ろしたのだ。
「血迷ったか!」
怯える聖女の肌にその切っ先が触れる寸前、彼女を守ったのは、ジョスランだった。
「聖女を逆恨みしての犯行か! これは、まごうことなき人殺しの所業であるぞ!
騎士たちよ! 拘束しろ!」
違う!
違う違う、私じゃない!
そう叫びたいのに、ミュリエルの声は一切、発せられない。
喉が詰まったように、声が出ない。
体はぐったりと動かせず、走り寄って来た王宮騎士たちに取り押さえられ、床に頭を押し付けられても、抵抗すらできなかった。
「大丈夫か、アン」
「ジョスラン様ぁ……こ、怖かったですぅ!」
アンリエットはジョスランの胸に飛び込み、顔を伏せた。
ミュリエルは、床からそれを見ていた。
このあたりから、意識が薄れ始めていた。
だからきっと、夢でも見たのだろう。
アンリエットは、斜めにミュリエルを見下ろし、うっすらと、笑っただなんて。
意識が戻ったのは、もう刑が確定してからだった。
死刑かと思われたが、聖女の懇願で、追放に罪を減ぜられた。
場所は、隣国との境目に広がる、人の踏み入らない森の中。
果たしてそれは慈悲だろうか?
ミュリエルにはもうなにも分からない。
髪を短く切られ、粗末な服を着せられ、何一つ荷物を持たずに放り出された。
貴族として生きてきた人生は、森を生き抜く知恵も力も得られなかった。
ほんの、五日ほど。
それでもう、ミュリエルは動けなくなった。
大きな木の根元で横たわり、手を組み、祈りの姿勢でその時を待つ。
遠くで獣の声がした。
死は近い。
恨みはなく、ただ、疑問だけが渦巻いていた。
あの時なにが起こったのか。
自分の体を乗っ取られたように思ったのはなんだったのか。
答えを得ることはないだろう。
ただ、ミュリエルは、自分が死ぬこと以外なにも知らない。
うつらうつらとやって来たその瞬間に、また獣の声を聞く。
ああ──この体を、どうぞお役に立ててくださいな。
王子妃教育で抑えつけられていたミュリエルは、解き放たれ、ただの心優しい娘となって死んだ。




