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三日、我慢した。
外出に監視がつくということは、わざわざそのための人員を当てるということだ。
日本人らしい体質で、それを負担に思ってしまうせいか、出かけたいとはなかなか言い出せなかった。
が、さすがに限界。
四日目の朝食時、ヴァンドール伯爵に、外出を申し出た。
「明日でいいのかね?」
「今日、すぐに護衛の都合がつくのですか?」
「当家の人間だからね、もちろん可能だとも」
「休みの人を呼び出すとかだと困るのですけど」
「なぜ?」
「不本意でしょう、そんなの。嫌々付いてこられるのは、こちらも嫌です」
伯爵は変な顔をしている。
「使用人の機嫌をうかがっていては、貴族として不適格だよ、お嬢さん」
「お忘れですね伯爵、私は、貴族ではないのですよ」
たとえ貴族の客人としての立場があったとしても、実際は庶民としての身分しかもたない。
何か言いたげな伯爵だが、それらを呑み込み、ただ、
「控えとして詰めるだけの任務が彼らにはある。その中から選ぼう。だから今日でも構わないよ」
「では今日でお願いします。
実のところ、退屈で困っていたので、ありがたいです」
「お初にお目にかかります、ヴァンドール家付き騎士団より本日お供をさせていただきます、クラリス・クララックと申します。
誠心誠意努めさせていただきます」
心臓に拳を当てて敬礼してくれた騎士は、女性だった。
芹那と同じような、パニエもコルセットも使わないシンプルなドレスを着ている。
貴族の子女と侍女、という設定だろう。
「ミュリエルです。お世話をかけます」
25歳くらいだろうか。
クラリスはにこりと笑って、私を馬車へと連れて行ってくれた。
「おい!」
乗り込む直前に息を切らせてやって来たのは、ファシオだ。
「どうしました?」
「これ、持っていけ」
渡されたのはどう見てもお金。
「私、お金持ってるよ?」
「分かっている。だが、我が家からお前に支出するのも必要だってことだ」
「なんで?」
「お前がうちのだって、帳簿に残すんだよ」
「ふうん」
いつか役に立つかもしれない設定のために大金を出せるなんて、本当に金持ちなんだな。
「使い道は制限されたりしないでしょうね」
「犯罪行為以外なら勝手にしろ」
「わあ、フラグ?」
首をかしげるファシオに、ほほほと笑ってごまかし、馬車に乗り込む。
手を取って支えてくれるのはありがたい。
柔軟性のない靴底に高いヒールは、気楽に踏み台に乗れるような代物ではないのだ。
「あまり遅くなるなよ」
「遅くって何時? いえいいわ、クラリスさんにお任せする」
「さんづけはいらない」
「なんで先生がそんなこと決めるのよ」
「忘れるな、お前はうちの客で、クラリスはうちの部下だ。そして、余計なことを説明する必要はない、いいな?」
私は元貴族、私は元貴族。
忘れがちな設定を思い出しはしたが、偉そうな物言いにむっとする。
「分かったわよ。でも、私に命令しないで」
ファシオはにやっと笑った。
「それでいい」
別に設定を出したわけじゃない、本音だったのに、満足そうにされる。
それとも、本音だと分かって笑っているのか?
貴族なのに家出していたという彼もまた、設定が必要なのかもしれない。
馬車は静かに出発する。
ドラマでは車中でおしゃべりなんかしているけれど、石畳を固い車輪が走る音は、想像以上にうるさい。
とても話をする気になんてなれず、とりあえず、
「既製品の服が買えるお店に行きたいの」
「かしこまりました」
行先だけ、クラリスが御者に伝え、あとは沈黙。
とはいえ、そうかからずに目的地に着いたから、気まずさはなかった。
「素敵、可愛い!」
「気に入った品がありましたら、お申しつけ下さいませ」
コスプレみたい。
芹那の最初の感想は、それだ。
中世ヨーロッパ、ドレス、コスプレ、で検索したら出てきそうなドレスの数々に、気持ちが浮き立つ。
可愛いものは好きだ。
芹那だった頃はもう着られないような可愛らしいドレスが、今なら着放題。
「最高」
布がいずれも単色なので、色柄のバリエーションは少ない。
だが、その代わりに、手作業による細かな刺繍やレースで装飾してある。
「お似合いですわ!」
という店員の声に気分を盛り上げてもらいつつ、何着か買い上げる。
サイズ直しが必要なものは、後日届けてくれるらしい。
そのまま、アクセサリや帽子、靴と見て回ってから、全てを御者に持たせて引き揚げることにした。
とてつもなくご機嫌だった。
その帰り道。
馬車が襲撃され、芹那は、見知らぬ男たちにさらわれてしまった。
芹那は騒ぎも暴れもしなかった。
怖かったからだ。
恐怖で体も喉も、凍てついたように機能しない。
押し入って来た男たちは、騎士であるクラリスを一撃で昏倒させた。
引きずり出された時にちらりと見えた御者は、血を流して倒れていた。
圧倒的な体格差のある男たちは、芹那を軽々と抱え、素早く路地へと駆け入る。
馬車を使えば足がつくと分かっているのか、何度も角を曲がりながら、複雑な細い道を走り抜けた。
たどり着いたのは、ごく普通の民家。
悪党のアジト、なんて雰囲気もない、その辺に同じ建物がいくつも建っている家のひとつだ。
だが、一歩中に入れば、入り口に裏から鉄格子が作りつけてある、普通とは思われない部屋だった。
芹那はようやく、男たちが二人しかいないことに気づく。
何かを把握する余裕もなかった。
突き飛ばされるように壁際に追いつめられ、手が離されたのは分かっていても、こわばった体は動かない。
手足の震えが止まらない。
「ミュリエル・バルニエ」
名を呼ばれ、思わず顔をあげる。
男は、髭面をニヤリとさせた。
「間違いないようだな」
「な、なん、なんなの……」
何の用か、と聞いたつもりだった。
しかし、男たちに答える気はないようだ。
何も言わず、髭面は腰から刃物を取り出したのだ。
そして、追いつめた芹那に向かって、それを振り上げた。