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現れたのはこうだ。
『ラバーの開発』
「は? ラバーって……ゴム?」
疑問符で一杯になったところで、もう一度同じ検索をし、同じ結果を得た。
「意味わかんない」
そう言いつつ、思い出したのは、山中のサバイバルで鞄から取り出した、コルク底のサンダルだ。
芹那の足をボロボロにしてくれたアレ。
つまり、この世界にはまだラバーがない。
馬車ががったがたに揺れたのも、窓のほとんどが嵌め殺しなのも、靴底を張り替える習慣があるのも、そして孤児院が溢れかえっているというのもおそらく、ラバーがないせい。
「やらないよ? お金はあるし、私」
呟きつつ、『ラバーの生成』と検索し、『天然ゴムの生成』と検索し、『ゴムの木の生育地』と検索する。
「マレーシア。いやいやそうじゃなくてー。
そうか、ゴムの木って呼ばれてないのか。
もーめんどくさいなー、『ゴムの木 この世界の名前』……」
エッシャーという名前が出てきた。
画像を見比べると、地球で言うところのラテックスが取れる木と全く同じだ。
「えー? 同じ植物が育ってるの、この世界?
まあ地球環境とほぼ同じ条件だもん、おかしくないか……。
逆に、人類が発生するにはこの環境しかないってことかなあ」
どうでもいいことを考えながら、『エッシャーの生育地』を検索する。
「ヴァンドール領ザカリア地方」
ヴァンドールって、この家の家名よね。
地図で検索すると、ここから南に30kmくらい下ったところだ。
強化を使えば、1時間で行って帰ってこられるな。
そう考えてから、契約書を思い出す。
一人で出かけるのは違反だ。
芹那はため息をつき、タブレットを放り出した。
「お前、その道具はどうした……?」
「え? 鞄から出したけど?」
芹那は刺繍をしていた。
さすが貴族の国、服飾関係はかなり充実しているらしく、針と糸のレベルはそこそこに高かった。
刺繍糸の発色もそれなりで、百均の糸がぼそぼそですぐ引っかかるのに比べれば、引き出すのにも苦労しないこの糸は良いもののようだ。
「必要なものは取り寄せるし、なんなら買い物に出かけてもいい。
ここは森じゃない、なんでもかんでも鞄から出すのはやめろ」
「え。そっかごめん。通販気分だった……お金払ってるし……」
ファシオはすぐに、侍女に刺繍道具一式を取り寄せるよう指示し、ついでのように通販の意味を聞いてくる。
芹那は仕組みを説明したが、
「でもこれって要はスピードと手間のかからなさにお金を払ってるわけだから、ここじゃあ成り立たないと思うよ?」
「スピードか、馬より速いのか」
「時速60km程度の移動手段なら庶民でも買えるけど、時速300kmの乗り物は企業が所有していてそれにお金を払って乗るのよ。
速さは時間を生み出すから。
あっちじゃ、時間が一番高価なのよ」
「そんなに速い馬が!?」
「馬に引かせる発想から離れない?」
エンジンとボディとタイヤ、最低限の仕組みについて説明しながら、やはりラバーか、と考える。
「その意匠は?」
ファシオは通販を諦めたのか、芹那の手元を示す。
さっきまで刺していたのは、ハンカチの隅に、デフォルメされた猫のモチーフ。
対角の隅に、小さなハートマークだ。
「猫よ。こっちはハート」
「ハート?」
「心臓の形」
「心臓を見たことがあるのか」
「実際にはないけど、絵とか映像とかではあるよ」
「それも教育の一環?」
「そう。でも、実際の心臓はこんな形してないわよねー。
どっちかというとこれは、心を表す形だよ。もっというと、好き、って意味」
はい、あげる。
芹那は裏に絡ませた糸を切り、ファシオにハンカチを差し出した。
「あ、そうだ」
思い付きで、ハートマークを指でなぞりながら、癒しの魔法を込める。
「はい、回復効果付き」
「お前……高位魔法士のような施しをさらりとするな!」
ファシオは付与魔法を禁じると、ハンカチを両手に載せたまま、
「とにかく勝手に魔法を使うな!」
と叫びながら部屋を出て行った。
芹那はぽかんとしつつ、付与魔法が少ないらしいと気づく。
この国、というか、この世界はずいぶんと、なんというか──そう、想像力が貧困な気がする。
なぜだろう。
馬車と石畳の文化レベルならば、商魂たくましい人々がアイディア勝負で世に出てきていて然るべきだ。
地球ならば、蒸気の開発により、一気に産業が興る時期。
王政が数百年も続いているのならば、その間、文明は停滞しているのだろうか。
なぜ?
答えはもちろん、魔法、だろう。
魔法があれば事足りる。
貴族の多くは魔力があるか、魔力を利用した装置を手に入れることが出来る。
貴族が必要としなければ、開発も研究も行われない。
なぜなら、買うものがいないからだ。
では庶民は?
魔力も魔道具もない彼らは、ひたすらに原始的な生活を続けるだけだ。
いつまでも、いつまでも。
芹那はちらりとタブレットを見る。
暇つぶしの方法で検索し、ラバー開発の結果がでたのはなぜか。
あれは、神様の知能にアクセスするものだ。
嘘はないだろうが、偏りはあるのかもしれない。
もしくは、意図した方向に誘導されたり。
「すべてを信じるのは危険……?」
その思い付きは、芹那を不安にさせる。
この世界で、神様だけが信じられる。
かつてファシオにそう言い放った自分の言葉が、やけに重く思い出された。
唯一信じるものに疑いを差し挟めば、自分のよりどころが揺らぐ。
芹那は、ぷかりと浮いたそれらの疑問を、封じ込め、目をそらした。