そういう恋愛、あり!
「ねぇ、私、誰だかわかる?」不意に、道を歩いていた知明の後ろから声をかけた女があった。立ち止まって振り向くと、チャーミングな女が立っていた。その女は、数秒前に知明がコンビニから出てふと右を見た時、少し驚いた様子をした後すぐにニコッと笑った女だった。だが、知明には、見覚えのない女だった。しかし、知明に声をかけてくる女の中では、近来稀に見る美人だったので、知明は、糠喜びに糠喜びした。その女は「幸恵よ、幸恵、大学で同じ教室だった。」と言った。しばらくして、確かに大学時代、そういう名前の同級生がいたことを思い出した。しかし、目の前の女と同級生の幸恵は、別人のようだった。知明が呆気にとられていると、その女は「知明くんでしょ。私、あれからダイエットしまくって、かなりやせたの。」と少し恥ずかしそうに笑いながら言った。そう言われても、昔の面影は全く感じられなかった。あたかも、目の前のレモンが昔はリンゴだったと言われているようだった。二人はそれから歩きながら、大学時代の思い出話や現在の近況について語り合った。声の感じや話し方は、幸恵と言われれば幸恵、幸恵と言われなくても幸恵かもという気がしてきた。ところで、この二人、実は大学時代、一方がプロポーズをし、一方がそれを断った間柄であった。大学を卒業する約一ヶ月前、「これを読んでください。」とラブレターを渡したのは、幸恵であった。それに対し、「今は、これからの進路のことで、それどころではないんだ。ごめん。」と断ったのは、知明であった。そのようないきさつがあったので、知明は何かと引け目を感じながら幸恵であろう女と話していたが、再会して明るく話しかけてくる幸恵とこれから何とか付き合っていけないものかと思い始めていた。と、その時、「おーい、待ってたよー。」と数メートル離れたレストランの屋外に設置されているカフェテラスから、男の声がした。「あっ、ごめーん。」と幸恵が答えた。幸恵はそれから、知明の方をチラッと見て「ごめんなさい。ここでお別れね。じゃあ、元気で。」と言ったが、落胆の表情を隠せない知明を憐れんで「知明くんの携帯電話の番号は、前と変わってないかしら?」と訊ねてきた。「あー、変わってないけど。」と知明が答えると、「じゃあ、機会があったら電話するわ。バイバイ。」と幸恵は言った。知明の希望は、あっと言う間に失望に変わってしまった。機会があったら電話すると言っていたが気休めだろう、たとえ本当に電話がかかってきたとしても友達として話ができるだけだろうと思った。
その日は家に帰るまでの時間がやけに長く感じられた。季節が変わっていてもおかしくないと思われる位、長く感じられた。家に帰ってからも、その日の知明はどうかしていた。毎週、楽しみにして見ているドラマ番組が面白くもくそもなかった。面白くないばかりか、歌謡番組のようであった。そして、それは、実際に歌謡番組であった、違うチャンネルでやっていた。むしゃくしゃしてフロに入ったが、何回かくしゃみをした後、フロには自分の体以外、何もないことに気づいた。夜、寝る時に飲む紅茶は、だしを間違えて番茶だった。
かつて、幸恵から教えてもらった幸恵の携帯電話の番号は、知明の携帯電話の電話帳に残っていたが、知明の方から電話する気は湧いてこなかった。
それから一週間という時間が、台所の棚の奥にあるお椀にとっては、何事もなく過ぎ去った。
その次に日に幸恵から電話があった。「幸恵だけど、あれからどうしてるの?」
「うーん、どうしてるって、特に面白いことは何もなかったなー。」
「それは、残念だったわね。」それから後は、幸恵の近況報告が延々と続いた。その中で、この前の男は幸恵とは単なる仕事仲間であり、この前も仕事の打ち合わせで会っただけであることを言ってきた。本当かどうか知明にはわからなかったが、そこまで言ってくるからには、幸恵にとって自分はそんな捨てたものでないかもしれない、と思った。
次に幸恵から電話があったのは、それから数日後であった。今度は、知明も電話があることを想定して、面白いエピソードを用意して待っていた。おかげで前の時よりも話が盛り上った。
それからは、知明の方からも電話をかけるようになった。ただし、知明の方からまた会いたいとは、依然として言いにくい感じがあった。幸恵の方でも、何かためらっているような感じがあった。
そんな関係が続いてから数ヶ月後、ついに幸恵の方から、今度また会えないかと言ってきた。知明は、すぐにOKの返事をした。
再び会って、知明は驚いた。また、大学時代の時のように、幸恵はポッチャリと太っていたのである。
それでも幸恵は言ってきた。「今度は、恋人として付き合ってもらえるかしら?」
知明は答えた。「もちろんさ。」
幸恵の顔に満面の笑みが広がった。
面白ければ、ブックマーク、評価をお願いします。