第6話 王と王妃と騎士たちと
結局、着替えないまま連れ出された先は、王の執務室だった。
執務室に至るまで、長い長い道のりだった、と咲羅は思う。しかし「城」というのは皆こういう距離感で出来ているのだろうかと、クレイセスのうしろに付いて行きながら忙しく視線を動かした。
見た目はヨーロッパ系の城に近い内装で、豪奢な重厚感に溢れている。基本的には白を基調に金の装飾が施され、そこに落ち着いた色合いを足して仕上げられた印象だ。
何よりも感じるのは、年代だろうか。時折廊下の端に置いてあるテーブルセットは、長年磨きあげられたゆえの艶を放っている。ほかにも目に入る木製品は、いずれもそういった年輪に由来する光沢を纏っていた。
さっきの部屋に自力でたどり着ける気がしなくなった頃、クレイセスの歩みがようやく止まった。
ごく普通の両開きの扉の前で、クレイセスは周囲を窺うと、静かに扉を叩く。中からすぐに返答の声がして、クレイセスは咲羅を中に促した。
「良く来てくれた。我々はそなたを歓迎する」
入るなり、良く通る低い声がして、咲羅は声がしたほうに視線を向けた。
目に飛び込んできたのは、五人。
立っている三人はクレイセスと同じ服装をしていることから、先程ルースが言っていた「近衛騎士」なのだろうと推察する。では座っている、あの威圧感に満ち満ちた男女が、王と王妃なのだろう。
この世界の挨拶のしきたりはわからないが、咲羅は背筋を伸ばし、なるべくきちんと見えるように頭を下げた。
「紹介します。この世界を統べるハーシェル王と、界王妃ユリゼラ様です」
クレイセスが隣に来て腕を伸ばし、椅子に座っている二人を紹介する。
王と呼ばれた男性に灰色の狼のような印象受け、咲羅は一瞬身構えた。くすんだ銀髪に、青みがかった鋭い眼光に射られるような気がしたが、咲羅の怯えを見て取ると、彼は不意に微笑んで視線を和らげた。
隣に座る王妃は、等身大の人形でも置いているのかというほど、精緻に作り込まれたような秀麗さで、咲羅はこれにも、腰が引けるほどの威圧感を感じてたじろいだ。「金色」といえばこれ、というお手本のような髪は艶やかに波打ち、「雪のように白い肌」というのは本当に存在するんだなと、感心しながら鑑賞してしまう。穏やかに微笑を湛える目は金色にも茶色にも見え、口許は瑞々しい薄紅だ。彼女は間違いなく、咲羅が目にした中で最も美しい人間だった。自分の中にある貧困な美辞麗句では、太刀打ち出来ないほどに。
どうするのがいいかわからず、少し深めの会釈をする。
「そんなに怖がらないで。あなたを取って食べようという訳ではないの」
ユリゼラが涼やかな声を放ち、咲羅に椅子を促す。しかしまだあと三人、紹介されていないことを思うと、座るのも心地が悪い。王妃の勧めに従って椅子を引いてくれたクレイセスを見上げ、勇気を出して訊いてみる。
「あの……あの方たちは?」
問うた途端に、三人はきびきびとした動きで、一斉に咲羅の前に片膝をついた。戦いて一歩下がったところで、クレイセスにぶつかってしまう。クレイセスは気にした風もなく、頭を下げる三人を紹介してくれた。
「今後サクラの護衛も兼ねる近衛騎士たちです。向こうから順に、ガゼル、サンドラ、クロシェと申します」
この世界の人間は、顔の造りや色合いが派手に出来てるらしいと、咲羅は呑まれたまま彼らを見つめる。するとガゼルと呼ばれた一番大柄な男が顔を上げ、人懐こそうな笑みを浮かべて口を開いた。
「我々は誠心より恒久の忠誠を……」
「それは、待ってください」
騎士の誓いと察して、咲羅は遮った。
「あなた方が期待してる人じゃないかも、しれないですし」
ぎゅっと握った手は、自然と震えた。
「初めての場所で緊張するなというのは無理かもしれないけれど、どうかそんなに思い詰めないで」
立ち上がったユリゼラが近付いて来たかと思えば、うつむいて拳を震わす咲羅の手に、そっと触れて包んだ。
「あなたに聞いてもらわなくてはいけないことが、まずはたくさんあるの。私たちに、この現状の説明をする時間をいただけないかしら」
咲羅より少し身長の高いユリゼラは、わずかに屈んで、のぞき込むように話をする。あまりの近さに怯むも、寄り添おうとする姿勢も窺えて、咲羅は「はい」と、小さく答えた。
咲羅が今度こそ椅子に座ると、膝をついていた三人も立ちあがり、クレイセスの後方に控える。王と王妃は咲羅の向かいに座ると、ハーシェルが口を開いた。
「どこから話せば良いだろうか。クレイセスによれば、サクラの世界はこことはまったく違う理で動いているらしいということだったが。世界は三世界ではないのだろうか」
「三世界? ……ですか?」
この王が言っているのは、国の単位ではないことだけが、なんとなく推察できる。咲羅はこの際だから、わからないことはすべて訊いておこうと姿勢を正した。
「じゃあ、そこからだな」
ハーシェルは馬鹿にした様子もなくそう言うと、ユリゼラに視線を遣った。ユリゼラは頷き、優しい声音で説明を始める。
「少し長くなるけれど、この世界に伝わる創世記から、聞いてもらいましょう」
言うと、ユリゼラは幼い子供に読み聞かせでもするように、この世界の成り立ちについての伝承を語り始めた。
「その昔、空と海はひとつだった」




