第57話 この手で出来ること
リクバルドもユリウスもイリューザーも虫の息で、傷そのものよりも毒の回りで命が危険な状態だった。
クレイセスは急所を外れているものの、傷は誰よりも深く、また毒も回っていて、予断を許さない状態だ。
救護舎の二階に運ばれた皆は、医師たちにより手を尽くされている。しかし、意識を取り戻す様子はない。
「サクラ様」
いつの間に来たのか、サラシェリーアがそっと咲羅の肩を包んだ。
「最奥に戻りましょう。サクラ様も血だらけです。一度お召し替えを」
「でも……!」
「主君として、彼らの気持ちを無駄にしないことも、大切なことです」
はっきりと告げられ、咲羅は言葉を失った。
「どうか、彼らが目を開けたときに、健全なお姿を見せてやれるよう、整えてください」
それが、「主君」としての有りようだと説かれ、咲羅はやりきれない思いで奥歯を噛み締める。
「自分はあなたを守れたのだと、思わせてやってください」
懇願するような声音で言われ、咲羅は頷くと、しがみついていた部屋の窓枠から手を放した。
入浴し、体に浴びた血を洗い流す。ドレスに着替えて髪を整え、咲羅はまた急いで救護舎に戻った。
ひととおりの指示を終えたのか、長官三人が揃っていて、一斉に咲羅を見る。一瞬怯んだものの部屋に足を踏み入れると、サンドラが微笑んだ。
「お怪我がなくて、何よりでした」
「あの人が着てた、服、の、持ち主は……?」
ガゼルが少し迷ったようだが、落ち着いた声音で説明してくれた。
「俺の麾下に配属されていた見習いが一人、殺されているのを発見しました。お察しのとおり、そいつから服を奪い、怪しまれることなく城内をうろついたのでしょう。あの男には、見覚えがあります。シェダル殿の、右腕を奪った男です」
この見習いは、逃げずによく戦いました、とリクバルドを見て目を伏せるガゼルに、咲羅はいまだにどうすることが正しかったのか、答えを見出だせずに問う。
「わたし……どうしたら、良かったんですか……?」
「お逃げ下さい。迷わずに」
その答えに、心臓を掴まれたように、呼吸が苦しくなった。
「状況にもよりますが、かばいながら戦うより、相手に集中出来るようになります。警護対象が……あなたが無事であれば、それでいい」
少しだけ、ガゼルも微笑んだ。
家族のように育ったクレイセスが瀕死の状況にありながら、彼らは誰一人として、咲羅を責めない。
(護られるだけって)
(胸が)
(痛い……)
伏せるイリューザーも呼吸が弱く、咲羅は奥歯を噛みしめる。今ここで、自分が泣いてはいけない。護られることすら上手く出来ない、命のやりとりをしていたあの場で、適切な判断力さえ持たなかった自分が。
「おい、しっかりしろ」
バトロネスの声に、リクバルドに駆け寄ると。
「ああ……ちゃんと、無事だったんだな」
解毒薬を飲まされたとはいえ、顔色の戻らないリクバルドが、力ない声で言った。
「うん。大丈夫だよ。お陰でどこも、怪我してない」
「ばーか……団長のお陰、だろ……。やっぱ、つえーなあ、あの人……俺、もっともっと、強くなりたかったなー……」
「これからなるんでしょ。あんまり弱気なこと言わないでよ」
「それ……お前もな」
焦点の危うい目が、それでも咲羅をとらえる。
「お前、セルシアになれるよ」
咲羅に向けて、ゆっくりと手が上げられる。それをそっと握ると、存外力強く握り返され、リクバルドを見つめた。
「サクラはちゃんとやれるから……自信、持て」
そう言って、顔を歪めるようにして笑った。
「なんか、スゲー疲れたわ……ちょっと、寝る……」
そう言うと、握っていた手から力が抜ける。咲羅ははっとするが、弱いものの、まだ息があった。
ユリウスとクレイセスは、一度も目を覚まさない。咲羅は震える手でリクバルドの手を一度強く握り返すと、そっと寝台に置いた。
もっといろいろ、望んでいい────
ハーシェル王の言葉を思い出す。
『諦めることなど、後からいくらでも出来る。望まなければ、手に入る機会など永遠に来ない』
咲羅はぎゅっと手を握りしめ、部屋から駆け出した。




