第52話 勝者
「光響を起こされたのでしょう? たった一度きりの」
「メルティアスの言葉でお話しなさるとか」
「少年にもすぐになれるとか」
口々に上がる事象のいくつかに、「んな訳ないし」と心の中で突っ込みを入れつつ、光響起こせれば納得するのかな、と様子を見守る。
「皆様、そういくつも申し上げては失礼ですわ」
公爵夫人がまるで咲羅の味方であるかのように振る舞い、相変わらずの芝居がかった口調で、にっこりと笑って言った。
「以前、メルティアスから呼ばれたセルシアは、音楽に造詣が深く楽器の形を今のように整えたと言われます。私どもも、淑女の嗜みとして楽器を少々いたしますの。よろしければメルティアスの音楽というものを、お聞かせいただきたいわ」
なるほど、と咲羅はこの場に音楽を提供している宮廷楽団を見遣った。
咲羅の知っているオーケストラの形式であるのは、文化の関与があったからかと納得する。ただそれにしては。
「わかりました。お耳汚しに」
「サクラ様?!」
答えると、心配する長官たちの声が、小さく重なった。
ユリゼラが弾いていたピアノ。あれは咲羅の知るピアノとちょっと違ったのだ。
(チェンバロ……かな)
(何鍵あるんだろ……)
色も、咲羅の知るピアノとは逆だ。黒鍵が白く、白鍵が濃茶だったのだ。しかも少し、全体の幅が狭い。ピアノの原型とされるチェンバロと推定し、ユリゼラに確認する。
「ユリゼラ様、ユリゼラ様のお部屋にあったあれ、ピアノって言います? チェンバロって言います?」
「あれは、ピアノと言うわ」
「鍵の数は?」
「六十八よ」
「ちょっと少ないけど、いける、かな」
何があるのかと、周囲にほかの貴族たちが集まってきて、好奇心も露わに見守っている。
「あのピアノ、お借りしても?」
クレイセスを見上げると、眉間にしわを寄せた視線がどうするつもりかと問う。
「少しだけなら弾けます。しばらく弾いてないから、指が上手く動くかはわからないけど。私が知ってるピアノは八十八鍵なんです。でも、間違ったとしても、元の曲知らないんだから大丈夫でしょ」
小さく答えると、クレイセスは大きく息をつき、楽士たちのところに交渉に行った。
ユリゼラが不安そうに眉根を寄せるのに、咲羅は笑う。
元の世界の音楽家が残したピアノ曲は、毎年発表会のたびに違うものを弾いてきた。高校に上がったときに辞めてしまったが、レパートリーならそれなりにある。
「サクラ様」
クレイセスの様子を見ていたガゼルに促され、人の輪を抜け出してピアノのところまで行く。
「本当に、よろしいので?」
「ええ。鍵盤の数が違うけど、音は同じだし、いけると思います」
咲羅は調節してもらった椅子に座ると、大きく深呼吸して、鍵盤に手を置いた。
しんと静まり返った場内、そのすべての視線が集まっているのもわかり、緊張に指先も冷えていく気がした。しかし、ここで怯んでは今後に響く。
(うまくいきますように)
祈って、鍵盤を押した。
選んだのはショパン。「バラード第一番ト短調作品二十三」。初手は緩やかに始まるが、最後は派手で華やかな印象で終わる。その頃までには指も温まり、運指も激しい音の連なりに耐えられるだろうと見積もった。十分近い曲だが、咲羅に最後の発表会で宛がわれた曲だ。これで認められないなら、正直諦めがつく。自分の中でも難易度は最大級だ。
ピアノに触れるのは久しぶりだが、思っていたより指は動く。色が反転している視界は邪魔だが、鍵盤の幅は同じな分、ある程度は見ないで弾くことも出来た。ただ、記憶を呼び覚ましながらの集中力がいる。しかもちょっと鍵盤が足りず、適当に折り返して誤魔化すなどの小細工をしていると、いつの間にか周囲の視線は気にならなくなり、咲羅は渾身の一曲を弾き終えた。
音の余韻だけが残る、全くの静かな空間。
これでも駄目だったかと息をつく。
しかし。
宮廷楽士たちが数名、呆然としたように立ち上がり、静寂の中に拍手を上げた。それに続き、会場に割れるような拍手が起こる。
「サクラ! あなたすごいわ!」
ユリゼラが駆け寄ってきて、満面の笑みで抱きしめると、咲羅を立たせた。そして拍手をしている各方面に、緩やかに腰を落とした礼をしていく。
ほっとしながら周囲を見回すと、夫人たちの面白くなさそうな姿が目に入った。
(これだけ拍手もらえてるって事は)
(成功した)
(で、いいよね?)
ユリゼラも安堵した顔をしていることだし、と思っていると、ハーシェル王が拍手をしながら近付いてきて咲羅の手を取り、公爵夫人にきろりと視線を遣ったそのとき。
「光響だ!」
その声に全員が一斉に外を向き、庭へと向かって行く。
夜の庭で、常緑樹の葉先が淡く光っていた。
「サクラ、もうついでだわ。何か、歌える?」
ユリゼラが興奮した顔でのぞき込む。
頷いて、咲羅はピアノに座り、伴奏をつけつつ歌った。
興奮した雰囲気を鎮めたくて、なるべく静かで、短い曲を。
先程見上げた空に知ってる星座は見当たらなかったが、思いついて「冬の星座」を歌い上げる。これで「光響」も「メルティアスの言葉」もお題クリアだと、少し軽やかな気持ちで臨めた。
おお! というどよめきが会場を埋め尽くし、それはだんだんと、呑まれたように静寂に変わる。今では会場に飾られている切花までもが白く発光し、淡く虹色に輝いていた。
咲羅の伴奏に呼応するように、外からも音が聞こえてくる。反応してくれてありがとう、そんな感謝を込めて、静かに歌い終えた。
静けさの中、ハーシェル王はよく通る声で言った。
「メイベル」
皆と同じに外に目を向けていた公爵夫人が、肩をぴくりと震わせ、振り向く。
「並びに諸孃には、サクラの持つ類い稀な文化やその力を目の当たりにし、さぞ畏敬の念を深くしたことであろう」
鋭い視線は、公爵夫人と一緒になって口を開いていた令嬢たちも、逃すことなく射竦めていた。
「今後この世界の文化隆盛に寄与するためにも、謙虚な姿勢で学ぶがいい」
公爵夫人をはじめとする令嬢たちが、一斉に深く腰を落とす。
「サクラ、見世物めいた扱いを止められずに申し訳ない。今夜はもう、退がっていいぞ」
ハーシェル王の言葉に礼を言うと、咲羅はようやく宴から解放されたのだった。




