第51話 女の戦い
「サクラ様の少年姿を本気で見破れない者がいることが、嘆かわしいですね」
騎士においては審美眼をたたき直さねば、と意気込むサンドラに、それはどうやってだろうと思いつつ、正直なところを吐露する。
「お陰で回避できた危険もあったんですけど、気持ちは少々複雑です」
建物からも少し離れ、庭も深く静かな場所まで来ると、咲羅は深呼吸した。
「星が、めっちゃくちゃ綺麗に見えますねー」
空を見上げると、爪の先のような三日月に、無数の星の瞬きが見える。手を伸ばせば届きそうなほど、近く感じる光。元の世界では、田舎ではあってもこれほどの夜空を見たことはなかった。
ほうっと息を吐けば、息は白くて。
もう冬なのだと認識するとともに、麦畑が、記憶から呼び覚まされる。
収穫がなかったら飢える。弱い者から死んでいく、と言ったガゼルとクロシェの切羽詰まった表情も。歌えば大事になるようだから、あれから歌うことはしていない。それもずっと、引っかかっていた。こんな煌びやかなことを、していていいのかな、という後ろめたさも、罪悪感を煽る。
「サクラ様。お体が冷える前に、お戻りください」
サンドラの促す声に頷き、会場に戻る。戻るために人目につかないような経路を行くと、小さいだの、あれがあんな光響を起こしたなど嘘だろうなど、懐疑的な噂がいくつも聞こえてきた。ほかにも、長官たちを独り占めするなど身のほど知らず、や、淑女としての教養もないらしい、など、品定めする声も聞こえる。
「お気になさらず。良くも悪くも、主賓でいらっしゃる以上、注目は集まります」
「うーん……今のところ、いい評価は聞こえないところが切ないですねえ」
会場に戻ると、クロシェが安堵したように近付いてくる。クレイセスとガゼルは、曲に合わせて踊っているのが見えた。人波が途切れたのか、ユリゼラが一人でいるのが見え、咲羅は「ユリゼラ様のところに行っても?」と確認すると、二人は頷いた。
「サクラ」
近付いていくと、気付いたユリゼラが立ち上がり、壇上から降りて咲羅のところへと歩んで来てくれた。
「ユリゼラ様」
最初に挨拶をして以来、貴族との怒濤の接見で、まったく話が出来ずじまいだ。
「姿が見えなくなったから、心配していたの。また事件にでも巻き込まれたかと……」
安堵と憂いを瞳に映し、艶やかに彩られた唇でそう紡がれ、咲羅はぼうっとユリゼラに見蕩れる。山吹色のドレスは繊細なデザインのもので、ほかの貴族令嬢に比べると特別「華美」という訳ではないのに、いつもより華やかなユリゼラは、誰がなんと言おうと美しかった。髪飾りとして鏤められた真珠が甘い光沢を放ち、王妃としての冠も、胸元で光るダイヤのような宝石も、いつもきらきらして見えるユリゼラを、より一層煌めかせている。
「サンドラさんが一緒についててくださったから、大丈夫ですよ。ちょっと人酔いして、外の空気を吸いに出てたんです」
見惚れている自分に気がつき、慌てて答えると、ユリゼラは安心したように微笑んだ。
「そう。……サンドラ、少し、耳に入れておきたいことがあるの」
そう言うと、周囲にさっと視線を巡らせ、ユリゼラはサンドラを連れて咲羅から離れた。
そんな二人を眺めながら、傍にいるクロシェに訊いてみる。
「こういう席って、どのタイミングで出て行ってもいいんでしょうか……」
「たいみんぐ?」
「ええと、出て行くのにちょうどいい頃合い?」
「もう主立った貴族に挨拶は済ませましたしね。お戻りになりたければハーシェル王に挨拶をしてからなら、退出して問題ないかと。もうダンスは、参加しなくてよろしいのですか」
「したい訳ないじゃないですか。訊くだけ意地悪ですよそんなの」
恥ずかしさも相俟ってむくれる咲羅に、クロシェが笑った。
「臥せっておいでの時間が長かったので、仕方ありませんよ。ただ、そのわりには様になっておいででした」
「その甘めの評価は、今後のやる気を潰さないための布石ですよね……」
「サクラ様はご自分の評価に懐疑的でいらっしゃいますが、ダンスは事実ですよ。筋は悪くない」
そう言って微笑んだクロシェに、咲羅は目の前の本人よりも、背後から刺さる視線に気を取られていた。
(視線て)
(ホントに刺さるもんなんだなー……)
サンドラが離れ、クロシェと二人になったあたりから、なんだか細い針の束でも押し当てられるかのように、皮膚がちくちくする。これは間違いなく、マルヴィンが言っていた「お嬢様方の嫉妬」の視線だ。サンドラと二人のときも皆無ではなかったが、これは、段違いだ。
「サクラ」
クレイセスとガゼルが戻って来て、話を終えたのかユリゼラとサンドラも同じくして戻って来た。全員が揃ったところで、「皆様がお揃いのところを見られるなんて眼福ですわ!」といったひそひそ声が聞こえ、「きゃあ!」という喜ぶ悲鳴も聞こえる。この手の悲鳴を「黄色い」と表現した最初の人物に、心からの敬意を表するわーと思いつつ、気付かないふりをし続けた。
「そろそろ最奥へ戻りましょうか。お疲れでしょう」
ガゼルがそう促してくれたところに、咲羅が安心するより早く、遮るように高い声が割って入った。
「まあ、もうお帰りに? メルティアスからお越しの女性など初めてのことですもの、もっといろいろご披露いただきたいわ」
声高に芝居めいた台詞を放ち、にっこりと妖艶な笑みを浮かべる年配の女性。
(あの「公爵夫人」だ……)
クロシェをいまだに苦しめているという、あの夫人。この間邪魔に入ったときに見た顔だ。そのうしろには、年配から若いのまで、十人ほどの女性が固まって、こちらを見ていた。
「披露?」
クレイセスが問うと、赤い唇がつり上がる。
「ええ。異界の地からお越しの方は、豊かな文化をお持ちだということは、歴史的に証明されておりますわ。もうすでに、ご容姿だけでも独特の色合い。それに先程のダンスも、実に愛嬌のあるものでしたわ。さしものハーシェル王も、異文化に戸惑っておいでに見えましたもの。それほど差違のあるものでしたら、私どもももっとお客様に学ばなくては」
すらすらと紡ぎ出される悪意の塊に、咲羅は来たよ来たよと、自分でも謎の笑みが顔に浮かぶ。クロシェはああ言っていたが、やはり貴族からすればハーシェル王でもどうにも出来なかったくらいの出来映えだった訳だと、自覚があるだけに言い返す気にもなれなかった。それに何か披露しろ、というのも、もっと笑える材料を寄越せとしか聞こえない。いや、そう要求しているのだろう。
(これはあれだな)
(長官たち独占禁止法とかに抵触したに違いない……)
身に覚えなら、ありすぎる。
「慣れない席で疲れている。そろそろ……」
クレイセスがそう言うと、「慣れない?」とまた別の女性が、芝居がかった仕草で目を丸くして言った。
「まさかこのような席をご存知ないような、末端の身分の方ではございませんでしょう」
このような席は存じ上げない末端の身分ですが何か、と言いたいのをぐっとこらえ、咲羅はさてどうしようかと空を見つめた。社会制度の違いなど主張しても、鼻で笑われて終わりだろうことはわかる。要は女の戦いの火蓋が切って落とされたのだ。
サンドラと話もしたではないかと腹に力を入れる。
女の警戒すべき行動、嫉妬、噂の類い。それが、人を殺すこともあるのだと言っていた。
「何をお目にかければよろしいのでしょう?」
サンドラが何か言おうとしたのを遮って、咲羅は思い切って問う。自分が何かして丸く収まるなら、それに超したことはない。
そして、この大根役者たちに勝てはしなくとも、全面的に負けるのはなんだか癪だった。




