第5話 逡巡
咲羅が、クレイセスを探したほうがいいかと窓から視線を外したときにノックが聞こえ、「はい」と返事をする。すると入って来たのは見事な銀髪の長身の女性で、咲羅はとっさに身構えた。
「良かった。お目覚めになられて」
彼女は安堵したように微笑み、深く腰を落として頭を下げる。
その衣装はシンプルだが、いわゆる「ドレス」だ。舞台や映画でしかお目にかかったことはないが、幾重にも重ねられた薄い布に、繊細なレースや刺繍があしらわれていて、ラベンダーのような色合いのドレスは、彼女の白い肌と、瀧のように流れる銀髪を美しく引き立てていた。
「初めまして。これよりサクラ様のお世話をさせていただきます。よろしくお願い申し上げます」
目を伏せると、一度深く腰を落としてから立ち上がる。その一連の動作の美しさに吞まれつつ、根本的に大きく違う文化の存在を察し、咲羅は戸惑いを隠せないまま、なんとか声を発した。
「……よろしくお願いいたします」
まっすぐに咲羅を見つめる目は薄く透き通った紫色をしていて、それにも思わず見入ってしまう。その色合いは、咲き初めの藤を想起させた。
「何か?」
微笑みを絶やさぬまま首を傾げる彼女に、「ごめんなさい」と慌てて目を逸らす。
「あなたみたいな目の色を、初めて見たので……」
「謝っていただくことでは。私も、サクラ様のような目の色は初めてお目にかかります。クレイセス様の仰ったとおり、黒曜石のようですわね」
「黒目の人は、少ないんですか?」
「というより、おりません」
「え?」
「黒い髪も、珍しいのです。クレイセス様の髪の色も珍しいのですが、サクラ様の髪はまた質感もずいぶん違っていて、漆黒のようですね」
そうして近付き、咲羅の肩にかかる髪にそっと手を伸ばすと、「手触りのいい髪ですわね」と掌からさらりと流れた髪に目を細めた。
「あの……あなたの、お名前は?」
この女性も百八十センチ近くはあろう。咲羅は百六十五センチと決して小柄なほうではないが、自然と見上げて話をする。
「私は……名を、思い出せぬままでして。今はルースと呼ばれております」
「ルースさん?」
「私は、ルースベルヌという土地にあったある屋敷で、意識を失っていたところを、クロシェ様の隊に助けられて、ふた月ほど前にここに参りました。名前が思い出せないので、今は場所の名前で呼ばれております。ただ、『ルース』とお呼びくださいませ」
二十代も半ばくらいに見える彼女はそう言うと、「お召し替えを」と手を差し出す。
「そのお姿では目立ってしまい、動きにくいかと存じます。お休みの間にいくつかご用意致しましたので、どうかそちらにお召し替えを」
恐る恐る、差し出された手に手を重ねると、先程寝かされていた寝台の向こうに連れて行かれる。こちら側には、レースのカーテンのような天幕が降ろされていて気が付かなかったが、七、八メートル四方の広さがそこにはあり、クローゼットやチェストと思われるものが、壁に沿って設えてあった。
ルースはそのうちの一つの扉を開けると、白い衣装ばかりの中から一枚を取り出す。
「え? そんな、ひらひらしたのを着ないといけないんですか?」
咲羅の知りうる限りの中で適切な表現をするなら、それは「ウエディングドレス」だ。この制服よりも、よほど目立ちそうに思える。しかも彼女が着用しているものよりも、裾の広がりや生地の量が、明らかに多い。
「お気に召しませんか? セルシア様がお召しになるものは、白と決まっておりますので……」
困惑したようにそう言った彼女に、咲羅は「そういえばそういう話だった」と思い出す。
「その、『セルシア』って、職業なんですよね? そのあたりのこと、詳しく教えて欲しいんですけど……」
クレイセスの感触だと、その適正ありきで話が進んだように思う。しかし、「違っていた場合」も否定はしなかった。
「職業……と言えば、職業ですが、この世界においては王様と対のご職業と申しましょうか……」
そういえば、「世界の一柱」とか言ってたな、と記憶を探り、「世界の安寧を祈る」のが役割だと教えられたことを思い出す。
「世界の安寧を祈るのが役割だと聞いています。具体的には、何をするんですか? 祭祀みたいなことですか?」
「祭祀も執り行いますが、何より、大地が荒れぬよう、祈ることがお仕事かと」
ルースの返答では要領を得なくて、咲羅は困惑する。
そもそも、世界を超えたのだ。職業を気にするよりもまず、この世界のことを知らなくてはならないことに、咲羅はここでようやく思い至った。
「あの、この世界のことを、教えてもらえますか?」
言ったサクラに、ルースはふんわりと微笑んで言った。
「それは、皆様がお話なさいます」
「皆様?」
「はい。王と王妃、それに騎士団長のクレイセス様をはじめ、セルシア近衛騎士の方々です」
クレイセスは騎士団長だったのかと、咲羅は顔を思い浮かべる。咲羅が小説などで読んだ分には、団長とは壮年期の男性が務めていたが、クレイセスはどう見積もっても三十にも見えなかった。
優秀だから、なのか、事情があるのか。
どちらにしろ、話を聞いてみないことには、何もわからない。
そこにまたノックが聞こえ、返事をすると。
「ああ、目覚めていましたね」
今し方思い浮かべた顔が現れ、安堵したように微笑んだ。その出で立ちは紺色の軍装で、額には彼と同じ瞳の色の飾りが装着されている。颯爽と近付いてくる姿に「この世界の人なんだな」と、咲羅は妙に納得した。
あの境内で、クレイセスは異国人というだけでは説明のつかない、「異質」さを纏っていたと、咲羅は思う。
「具合は如何ですか」
「大丈夫です」
「ならば良かった。私は、あなたが歌うまでは体が重たくて仕方がなかったので。不調があれば仰ってください」
落ち着いた物腰で話をするクレイセスに、あの独唱会を見られたのだと思うと、咲羅は気恥ずかしさでうつむいた。
「サクラ、あなたに紹介しておきたい人物が数人います。説明申し上げたいこともある。おいでいただいても?」
クレイセスに白い手袋を嵌めた手を差し出され、咲羅は、多分これは手を重ねるところなんだよね? と、おずおずと指先を重ねた。




