第46話 幼なじみ
「お礼? ですかね。今回のことで来られただけですよ。話してたらわたしがふらついて、助けてくれただけです」
「そう、でしたか。ハーシェルもいないのに珍しいことだと思ったまでです」
そうしてすっと耳の下に指先を触れ、「下がりませんね」と手を引っ込める。この世界には水銀体温計のようなものがあるが、計測には時間がかかる。基本的には医師しか持っていないようなので、ひょっとするとそれなりに高価なものかもしれなかった。けれど、熱があるかないかを彼らは大体わかるようで、「少し下がりましたね」と言われたときには下がっていたし、「また上がりましたね」と言われたときには上がっていた。本人の体感より、だいぶ正確な指先でもって測定していく。
「ルース……サラシェリーアはどうしたのです?」
「この時間なら、食事の準備に行ってるのかも。さっき目が覚めたときには、もういなかったので」
日中はずっと、咲羅の手を握ってくれていた。変な夢を見たときもサラシェの声が聞こえて、これは夢だと思えば束の間、安心した。繰り返してうなされる自分に、そうしてずっとついていてくれる。
「クレイセスたち、ハーシェル王と仲いいんですね」
「は……?」
唐突に何を、と言いたげな顔に、推測をぶつける。
「ときどき、呼び捨てるから。多分無意識でしょ?」
しまった、という顔をして口許を覆ったクレイセスに、咲羅はふふっと笑った。
「まあ……王になる、とも思ってなかった、従兄ですので」
「いとこ……あ、そっか。クレイセスのお母様が、王様の妹、でしたね」
「ええ。そういう意味で、サンドラも従妹です」
「え?」
「サンドラの母は、私の母の妹です。そしてクロシェの母は、サンドラの母の侍女でした。年も近く、母親同士の仲が良かったのもあって、一緒に遊んだ時間は長かった」
少し懐かしむような目をするクレイセスに、彼らにも子供の頃ってあったんだよねえ、と当然のことながらも、今ひとつ想像のつかないことを思う。
「ガゼルさんは?」
「ガゼルは、ハーシェルと同じ年に生れたということで、学友として幼い頃から王宮に上がっていました。十歳のときにドゥミス侯爵夫妻が流行り病で亡くなり、私の両親がガゼルの後見として立ったことからうちに引き取られたので、彼が騎士養成学校に入るまでは一緒に暮らしていましたよ。私のひとつ上で、なんでも卒なくやってのけるので、兄のようには思います」
「なるほど。それでみんな、距離が近いんですね」
仕事仲間、にしては気心が知れたような距離感の謎が解け、咲羅はひとつすっきりした気分で笑った。
そこにサラシェリーアが食事の準備をして現れ、クレイセスは腰を上げた。
「食事はしっかり召し上がってください」
「クレイセスも」
「え?」
「あんまり顔色、良くないですよ? ちゃんと大人しくしてるので、様子見に来る時間あるなら、休んでください」
一瞬意外そうな表情のあと破顔し、「そうします」と言い置くと、機敏な動きで出て行く。病人に心配されるなど、心外だったのだろうか。それほど表情が動かないだけに、最後に残していった笑顔が咲羅には印象的だった。
サラシェリーアが調えてくれた食事を摂り、また薬を飲まされて眠る。額に冷たい布を置いてくれるが、すぐにぬるくなるので断りを入れた。眠りは浅く、夢は、元の世界の夢を見る。いずれも胸が痛くなるような内容ばかりで、咲羅は眠っているのも苦しくなっていた。
そんな微睡みから抜けたのは、夜中。目の前にはサンドラがいて、咲羅の首筋に指先で触れていた。
「申し訳ありません。起こしてしまいましたね」
「いえ……寝てるのも、正直ちょっと、嫌になってきてたので」
もそもそと起き上がると、大きく息をつく。夢の残像が、怒声が、なまぬるい質量でそこにある気がして、心臓が大きく脈打っていた。
サンドラはすっと離れると、すぐに水を持って来てくれた。礼を言って受け取り、ゆっくりと喉に流し込む。
「熱、下がりませんね。サラシェリーアは退がらせました。ついておりますので、何かあればお申し付けください」
「あ……」
口を開いたものの躊躇した咲羅に、なんでも構いませんよ? とサンドラは微笑んだ。このまま眠れそうにもないし、咲羅はおずおずと言ってみる。
「少しの間……話し相手になってくれませんか……? その、夢ばっかり見て、眠るのに、ちょっと疲れてしまって」
「ずっと難しいお顔で眠っておいででしたね。あまり夢見は良くなさそうだとは思っておりました」
穏やかだが、まっすぐに咲羅を見つめる翡翠に、どうしたらいいかわからず目を伏せる。彼らは、全員そうだ。まっすぐ、射るような強さで視線を向けてくる。威圧するためでないことはわかっていても、咲羅の気持ちは勝手に萎縮した。
「今日……もう昨日になりましたね。クロシェを助けてくださったそうで。ありがとうございました」
当たり障りのない話題を探していることを察したのか、サンドラが話を振ってくれる。踏み込んだ内容ではないかと気になっていただけに、ありがたく乗ることにした。
「いえ……なんかちょっと、意外な気がしました。クロシェさんは、女性をあしらうの、上手そうに見えるのに」
クロシェに限らず、みんな上手そうではあるが、それは飲み込んでおく。
「クロシェはあの容姿ですから誤解されやすいのですが、女性を遠ざけてばかりですので、扱いはむしろなってないのですよ。そうなった発端は、あの公爵夫人ですけどね。幼馴染みとして、よく教育を非難されます」
「ああ……サンドラさん、自分のことを淑女扱いしなさいって言って、育ってきた訳じゃなさそうですもんね……」
咲羅の言葉に、サンドラが小さく噴いた。
「わかっていらっしゃる」
言われて思い返せば、クロシェとした会話は実務的なことがほとんどだ。会話から推察して女子の扱いに慣れていそうなのは、ガゼルとラグナルか。同じ会話をするにしても、彼らはお世辞や、女子なら好みそうな話題などを交えて話を展開する。咲羅は居心地が悪かったので、むしろそれ要らないと思っていた分、実務的なだけの会話であることは気にならなかった。
「それにしてもあの女性、積極的でしたね。この世界の貴族の子女って、あれが普通なんですか?」
「人によります、としか。けれど女の行動も嫉妬も、果ては噂も。この王宮においては人を殺すこともありますので、どのような場合でも警戒は必要です」
サンドラが示した警戒すべき内容に、咲羅は「どこの世界でも女って女なんだなー」と思う。文化の違いに戸惑うことはこれからも多そうだが、人間性における様々な部分においては、なんとはない覚悟は通用しそうだとも。
初めてマルヴィンに会ったときの、「今のセルシア騎士団は揃いすぎ」「お嬢様方のいらん嫉妬」といった台詞が、今は身に沁みている。救護舎や王宮の中をちょろちょろしていれば、嫌でも自分についての噂は耳に入ってきたし、長官たちが護衛として就いていることを羨む声は多数聞いた。一部では、長官たちは「得体の知れない客人」の「愛人」扱いされていて、聞こえた咲羅が目を回しそうになったほどだ。嫉妬や噂を警戒すべきなら、咲羅は大いに心しなくてはと、渦中にいる恐ろしさを改めて実感する。
「そういえば救護舎で、長官たちはモテすぎて大変だ、みたいな話を聞きました。中でもクロシェさんは、気の毒なくらいだとか。サンドラさんも、女性に迫られることもあるって」
「あいつら……」
余計なことを、と半眼になったサンドラに、咲羅は笑った。
「サンドラさんはそういうとき、どうやって躱すんですか?」
「悪い男を演じます」
「悪い男?」
問い返した瞬間、スッと流し目をされ、どきっとしたところに、凛々しくも美しい顔が近付いてきて。緊張のあまり固まったところで、ふっと笑うと、その流れのまま頬に口付けられた。
「サクラ様は、あまりにも慣れておられないご様子ですね」
ぷはっと笑われ、顔が熱ではなく赤くなっているのが、自分でも認識できるくらいだ。
「恋愛物の舞台を見たときに、本来女性はああいうふうに扱われたいのかと思いまして。迫ってくるわりには、やってみると意外に、口付ける前に腰を抜かすので、そこで終わります」
「ええと……際どすぎませんかね⁉」
説明するより実演のほうが手っ取り早いと思ったのだろうが、動揺が治まらない咲羅はもはやサンドラを直視できない。この刺激は、自分には強すぎる。
彼女はもう少し、自分の容姿を自覚すべきだ。
「まあ、これをクロシェがやったらそれこそ泥沼になりそうなので、勧めてはいませんが。あいつはもうちょっと、ズルくなればいいと、思うんですけどね。宮廷という場所においては、正直にありすぎる」
そういうサンドラの表情は、恋人の心配というよりは、家族を慈しむようなもので。
「なんかサンドラさん、クロシェさんのお姉さんみたいですね」
言うと、得意げな顔をしてサンドラが答えた。
「お姉さんですから。一日」
一日? と手近にあったクッションに顔を埋めて悶えていた咲羅は、サンドラを見上げた。
「わたしが生まれた翌日に、クロシェが生まれたのです。ですので、わたしのほうが、お姉さんなんですよ」
ふふっと、笑うサンドラに、ああ、姉弟っぽいと思ったのは遠くなかったなと思う。ここ最近、二人と一緒にいる時間が多かった分、二人の距離の近さに最初は「恋人?」と思いはしたものの、そういう「雰囲気」は微塵も感じられなかった。どちらかと言えば、兄弟の物言いのように見えた。
「さっき発端は、って仰ってたの、クロシェさんはあの人に振られたとかなんですか?」
「いえ……少々、えげつない事件がありまして」
やはり掘り下げてはいけない話題だったかと、咲羅は慌てる。
「あ、ごめんなさい。軽々しく聞いちゃいけないことだったなら、答えなくていいです。なんかホント、いつもやわらかい雰囲気のクロシェさんが、全部削ぎ落とされた、みたいになってる感じが意外な気がして。過去に上手くいかなかった恋愛の名残とかかな、くらいしか思いつかなくて」
あわあわと言い訳をする咲羅に、サンドラが微笑んだ。
「心配してくださったのでしょう? サクラ様が妙な下心をお持ちでないことくらいは、見ていればわかります」
「それは助かります……」
「そもそもサクラ様は、自分より年嵩の人間と話すことに慣れておられないようにお見受けしました。リクバルドと話しているときが、恐らく素に近いのでしょう」
「なんかもう……いろいろバレてますね……」
サンドラの推測に返す言葉などなくて、なんだか恥ずかしくなる。学校にいるときはやはり、同じ年頃の人間に囲まれていたわけだが、咲羅は教師も含めて、大人と話すことは苦手だった。学生と社会人という、見えているものが違うためか、はたまた社会に出て性格が変わるのか。両親を初め、何かあれば最後には「まだ学生」を理由に退けられることが多かった身としては、「大人」に対して理屈でなく怯んでしまう側面があることは、自覚している。
彼らがそうではないことは、わかりつつあるけれども。
小さくなった咲羅に、相変わらず優しい視線をくれるサンドラは、ふいっと視線をずらすと、口許に微笑みを湛えたまま言った。
「でもそうですね……ああいった負の側面と、まったくの無関係ではいられないでしょうし……」
ほとんどひとり言に近いサンドラの横顔を見つめると。
「今から、大きなひとり言を言います」
そう宣言されたのだった。




