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第44話 貴族の役割

 移動しながら、クレイセスはガゼルが咲羅を主君と定めたことに動揺していた。幼いときから一緒にいるが、ガゼルが誰かを評価するなど珍しいことだ。誰とでもうまくやれる、しかし常にどこか一線を引いた彼は、主君を選ばず組織に身を置いておくのだろうと思っていた。が、違ったらしい。気がつけば頭の中で後任人事を考えている己に、クレイセスは軽く首を振った。



 議場に入ると、すでに落ち着かない空気が蔓延していた。ざわめきにはいつにない緊張感があり、密やかに話し合う者たちの表情も硬い。ほどなくして片頬を腫らしたラグナルを連れてハーシェルが現れ、一瞬、水を打ったように室内が鎮まり返る。昨夜の事件はすでに皆の知るところであり、会議は案の定、最初から紛糾した。


 貴族の処分、それ自体は王に裁定が委ねられていることとはいえ、元は王家から派生した公爵家にまで及んだことは皆で審議すべき事柄であるとか、闇市に関わっていた罪は裁かねばならないが、あまりに感情的に過ぎるとか。せめて三妃を立てればこのようなことにはならなかったとの意見もあり、後宮のありようにも言及された。


 今ここにいるのは八十名に及ぶ貴族たちだが、興奮気味に発言する大半は、概ね今回の三名を擁護するものだ。何も言わずに静観しているのは三分の一ほどか。それはそれで、何を考えているのかわからないところもある。


 ハーシェルは喧噪に近い意見を二十分ほど黙って聞いていたが、ふうっと小さく息をつくと。


 ダン! と机上を叩き、全員を黙らせた。反射的に「横暴な!」と声を上げた者は、その鋭い視線に射貫かれて「ひっ」と息を呑む。


「何か、勘違いをしているようだな」


 ハーシェルの声は、耳が痛くなるほどの静寂の中、腹に響くように聞こえた。

「そなたら貴族は、なんのためにあるか。すでにはき違えたまま存続している者が、多くいるようだが……?」


 きろりと目を動かし、議場を見渡すハーシェルに、皆が圧されていくのがわかる。うしろ暗い者ほど、呑まれるのだろう。

「貴族とは、王を助けるためにあるものだ。何もわがままを聞けと言っているのではない。貴殿らに与えられたのは、『王』がこの世界の『人心を掌握』し、『健やか』で、『安寧にあること』を実現する、その補佐をするための特権だ。己の私腹を追求することなど、いつの時代にも許されてなどおらん」


 話しながら、ハーシェルの視線は意図を持って個々に注がれていく。

 その視線の意味するところに、注がれた者は皆、顔色を変えてじわりと視線を逸らした。


「己そのものが貴種であるかのように思い込む者が、どうやらことのほか多いことに、私は驚いている。今ここでつまびらかにはしないが、いくつかの家には是非を問いたいこともある」


 証拠は握っている、と匂わせる言い方で、ハーシェルは一際大きな声で言った。


「世界が二分しようかという今、貴族が民を弑虐(しいぎゃく)する罪の重大さを思い知るがいい! それは私の治世にあって見逃しなどしない。足枷でしかないものなど今の時勢には要らん! フィルセインの侵攻を食い止めるに当たって領地に戻らぬ者は何をしている? 地震の際に屋敷に閉じこもって財産を守っていた愚か者は何をもって貴族というつもりだ! 王に娘を売ることでしか中央政権に食い込めないとあれはほざいたが、今こそ功績を挙げて上り詰める好機であろう。私はこの時勢にあって貴族足らんとした者に、正当なる評価をもって報いたいと思っている」


 フィルセインの陣営に積極的に寝返った者は、すでにその爵位や領地などは書類上、取り上げられている。奪還した暁には、爵位の見直しや領地の再分配もあるだろう。貴族が、本来のあり方で王の助けとなれば、その先にはわかりやすく栄誉や富があるのだ。


 静まり返った議場で、ハーシェルは立ち上がった。

「今回の処分に関して、まだ何か言いたいことがあるなら聞こう」

 静かな議場は、静かなままだ。(しわぶ)きひとつ、聞こえない。

「ならば今日は散会だ。三家処分の結果と詳細は、追って発表する」

 今もって調査中の案件も含めた上で、さらに追加の処分もあり得ることを示唆すると、ハーシェルは議場を出て行った。


 扉が閉まると同時に、議場の中は一気にざわめく。

 王が横暴であるという声は、もはや聞こえない。三家を擁護する声も、もう潜められた。あいつはやる──そんな空気が満ちていて、中には怯えている者も見える。

 クレイセスはそういった者たちの顔をひとつひとつ覚えておき、どこまで尻尾を掴もうかと頭を巡らせた。闇市は、巨大な市場だ。まだ何食わぬ顔をして関わっている人間がいることは、明らかだ。市場を潰すことはもちろんだが、そのうしろ暗さは時に有益に使える。


 一通りの顔と王への評価を耳に入れて、クレイセスは議場をあとにした。

「クレイセス」

「ジェラルド卿」

 呼びかけてきたのは、クロシェの父だ。


「ハーシェル王は、ずいぶんとご立腹だったね。とりあえず、報告と挨拶に伺いたいのだけれど、可能かな?」

「大丈夫でしょう。珍しいですね、卿が改めてなど」

「伝える暇がなくて、クロシェにもまだ言ってないんだが。我らの領地にも、フィルセインが迫っていてね。私はしばらく領地に戻り、指揮を執る」

 穏やかな表情のままそういう彼に、クレイセスは「そうでしたか」と目を伏せた。ジェラルド侯爵領は、今までの中では最も王都に近い。


「ついでに報告しておくが、セルシア直轄領でも、不穏な噂が流れているという話だ。隣とはいえ、少し見過ごせない噂だ。それは把握しているか?」

「噂、ですか」

 特に思い当たることがないクレイセスは、卿の顔を見た。


「次のセルシア候補として、フィルセインの手の者が王宮にいる──そういう噂だ。我が領内でその噂を積極的に広めていた者を捕らえたところ、フィルセインの領内の者であった。家族を人質に取られ、やむなくそうしている、と」


 それはまずい、とクレイセスは口許に手を当てた。

 領民の不安を煽れば、内側から瓦解しかねない。セルシア不在の今、直轄領はセルシア院に委ねられている。これは早急に手を打たねばならない。

「ありがとうございます。いろいろと、やってくれますね」

「ホントにね」

 肩を竦め、ジェラルド卿は笑った。


「クロシェを連れて行かれますか」

「まさか。あれにも一応、戴いている役目があるだろう。私もまだ、動けないほど年じゃないつもりだし。……異世界からの小さな客人のことは聞いているよ。騎士として主君と仰ぐなら、それもよし、と思って見ている」

「そうですか」

「君は?」

 意図するところがわからず首を傾げると、余裕の微笑みでもって告げられる。


「早いところ素直にならないと、失うものもある」

「それは……どういった意味でしょうか」

「いつもいつも責任感を優先して涼しい顔をしていると、立場も気持ちも、行き場を失うことがあるからね。小さい頃はもう少し表情があったのに、最近は小難しい顔ばかりしていて、少し心配になっただけだ」

「それは……どうも」

 先王と、クロシェの両親と、サンドラの母。彼らからは、実の両親と同じような距離感で、愛情を注がれたように思う。


「そうそう。ジゼラが、二十歳の誕生日にはお兄様たちからうんと高価な物を巻き上げるつもりだと豪語していたから、覚悟しておいてくれ」

「おめでとうございます。恐ろしいことこの上ないですね……」

 クレイセスの返答にはははっと軽快に笑い、ジェラルド卿は言った。


「とりあえず、私は貴族の役割というヤツを果たしに行ってくるよ。何かあったときは、クロシェを頼む」

 そう言って王の執務室へと入って行く背中を見送り、クレイセスは溜息をついた。

 毎日毎日、片付く前から色々なことが山積していく。

 しかし、後宮をめぐる争いはこれで鎮火するだろうことは、手応えとしてあった。


 それもこれも、咲羅が無茶をしたお陰であろう。

 これでは正直、叱るに叱れない。


 また時間を見て様子を見に行こうと、クレイセスは自分の執務室へと足を向けた。

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