第43話 ガゼルの決意
咲羅が発熱した報告を受け、クレイセスは無理もない、と息をついた。
この世界で目覚めた日から、咲羅は日を置かずに様々な事態に直面している。シェダルの元に行った夜にでも、心理的な衝撃のあまり倒れるのではないかと思っていたが、意外にも持ちこたえた。いつ体調を崩してもおかしくないと思っていただけに、むしろ今日で良かったとも思う。舞踏会の当日だったら、どうにも出来ないところだ。今ならまだ、ゆっくりと休ませてやれる。
「当然っちゃー当然だな。むしろ今まで頑張りすぎなくらいだ」
一緒に報告を聞いたガゼルも、同じ感想を述べて笑った。
「だな。医師の許可が降りるまで、サクラから目を離さないでくれ。サクラの性格を考えたら、少し調子が良くなったらまた見境なく動き出しそうだ」
「クロシェとサンドラは回せるようにする。俺も取り調べの合間には付いておけるし」
「頼む」
昨夜の事件から引き続き、騎士団はクレメンデール侯爵邸の徹底した捜索を行っている。主な指揮はガゼルが執り、クレイセスは上がってきた証拠をもってハーシェルの命を受け、ラグナルとともに闇市に関わりのあった貴族の捕縛に当たった。昨日の今日、あまりの迅速さに逃げ隠れする暇もなく、皆、あっけないほど楽に収監できた。
それもこれも、咲羅の機転のお陰だ。
ハーシェルは吹っ切れたのか、貴族の粛正に強硬な姿勢を見せた。
「しかしまあ、敵が増えるな」
「ああ。だが、今の時勢だ。フィルセインのこともあるし、これはいい機会でもあるだろう」
貴族の任命、及び剥奪自体は、王の特権だ。ハーシェルは今回、その強権を迷うことなく発動した。
今回の件に関わった者は皆、その爵位を剥奪された。クレメンデール家に関しては、家族もろとも平民へ落とすという、容赦のない措置だ。そしてほかの貴族に関しても、関わっていた当人の爵位は剥奪、嫡子の叙爵は認めるものの、家格自体を下げるという処分を下した。これにより「公爵」は「侯爵」に、「伯爵」は「子爵」にと二家が降格した。
それが朝から発令されたのだ。午後からの会議は荒れるだろうことは、火を見るより明らかだ。抗議も嘆願も、入り乱れることだろう。
「あのお姫さんは、すごいな」
ガゼルが行儀悪く机に足を載せ、伸びをしながら言った。
「貴族の勢力図は、これでまた変わる。ハーシェルが無能でないことを知らしめれば、遠征も夢じゃなくなるかもな」
「無能な王でないからこそ、喪失を恐れる強硬派も出てくる危険はある。どちらにしろ、ハーシェルが越えなくてはならない壁は、まだまだ多い」
「それはそうだけど。でも、一気に楽にはなった」
ユリゼラをただ一人の妃としていたいなら、この強硬姿勢は有効なはずだ。ユリゼラに手を出せば王の敵と見なす、そう宣言したようなものなのだから。
「お姫さんが、ちゃんと選ばれるといいな」
ガゼルが天井を見ながら、そう言った。
「今回の件といい、襲撃のときといい、救護舎のことといい……主として戴くなら、ああいう人がいい」
ガゼルが手放しで人を評価するなど珍しく、クレイセスは思わずガゼルを見た。
「ちゃんと……人の痛みがわかる人が、いいと思ったんだ。多分彼女、頭も悪くない。最初は苦労するかもしれないが、この世界の制度や組織に慣れてしまえば、あとは早いだろうよ。それに」
「それに?」
「あんな風に信頼されるのも、悪くない」
ガゼルは襲撃された夜についた傷を撫で、思い出したように笑った。
そう、「賭け」に出るとき、端から負けると思って賭けることなどしない。あれは、咲羅が見せた信頼だ。
「昨夜といいあのときといい、サクラ様の運動神経は猿並だな」
それを否定は出来なくて、クレイセスは黙っておく。
「次に選定を行えば確実だとは思う。けど、万が一選ばれなかった場合、俺はサクラ様について行こうと思う」
ガゼルの、クレイセスにとってはあまりに意外な発言に、しばし固まった。
「……サクラがセルシアであることを祈ろう。組織が回らなくなる」
「お前もそうなのか?」
「そのつもりでいる」
「ま、連れてきた責任も感じていそうだしなー、クレイセスは」
にっと笑ったガゼルに、クレイセスはなんとなく視線を逸らした。
責任感。それも否定はしないが、たとえほかにセルシアとなる人物が現れたとしても、純粋に守りたいと思えるのは連れてきた少女のほうだ。恐らく、それはサンドラもクロシェもそうだ。教育係として一緒にいる時間が長い分、わかりやすく傾倒していっている。
「そろそろ時間だろ? これだけ署名してってくれ」
渡された書類に目を通して署名をすると、クレイセスは会議に臨むべく、立ち上がった。




