第39話 保護
(やった!)
窓の桟を強く蹴って、可能な限り跳び、枝にぶら下がった。あとは鉄棒の要領で体を反転させ、枝の上に腰かける。
「やれば出来る子!」
自分を鼓舞して、ほっと息をついたのも束の間、扉を破る鈍い音がして、咲羅は枝を伝って幹に隠れた。しかし男は迷うことなく、咲羅が開けた窓から枝に飛び移って来る。
「俺から逃げられると、思うなよ!」
彼は懸垂のようにして自分の体を持ち上げると、枝の上に立ち上がった。
折れてくれたら良かったのにと、我ながら物騒なことを願いつつ、咲羅は逃げ場を探す。
「お前さえいなけりゃ、この計画は完璧だったのにな! 俺様がこんなに追い詰められるなんざ、小僧のとき以来だ」
それはもう、顔を隠していない時点で、自信があるのだとは思っていた。従えていた男二人は、咲羅から見ても怯えた雰囲気と挙動から「雑魚」と判断したが、この男だけは体格も雰囲気も、圧倒的に違っていた。今だって、咲羅を追いかける雰囲気に余裕すら感じられるのは、切羽詰まっているがゆえの咲羅の気の所為だろうか。
この木は大きい。飛び降りるべきか迷ったが、咲羅はとっさに上へと逃げた。枝の細いところなら、彼は追って来られまい。彼の手の届かない場所で、時間を稼げればいいのだ。そうすれば、イリューザーが来てくれる。
「イリューザー!」
あの咆哮は近かった。だったらもう、聞こえているはずだ。彼はもう、自分の場所を特定出来ていると、確信していた。
息を切らせて木を登る咲羅を、男は目をぎらつかせて追いかけて来る。
そのとき。
樹上から、金色の塊を先頭に、騎馬隊がこちらに向かって来るのが見えた。夜目には一瞬わからなかったが、クレイセスたちだ。
「イリューザー……!」
自分の言ったことを、それ以上に意図を汲んでくれたのだろう。
どこまで言葉が通じているだろうと思っていたけれど、やはりイリューザーは、言語による理解以外に、高い思考能力もあるのだ。
男が舌打ちをし、忌々しげに吐き捨てた。
「これで俺もお前も、終わりだな」
追いかけるのを諦めたのか、男が止まった。彼にとっては王妃と不貞を働いていた小僧だ。斬首決定への憐れみすら浮かべてこちらを見る目に、彼自身も逃げることを諦めている色を見て取った。確かに、隣の木や外塀に移るにも距離があるし、下に降りるにも高さがありすぎる。外にも騎馬隊の気配はあるし、逃げられないと判断したのだろう。ひょっとすると、捕まったあとにまた逃げればいい、とでも考えているのかもしれないが。
咲羅はリクバルドに擬態するのをやめ、先程侯爵が言っていたことを訊いてみる。
「ねえ。闇市があるって言ってましたよね? 売られるために集められた人は、ここにいるんですか」
「なんだ急に。女みたいな話し方しやがって」
「答えてよ」
「いる。どこかは知らんがな」
「ふーん……うわわっ」
どーん、と木が大きく揺れ、咲羅は足を踏み外した。とっさに足を載せていた枝を手で掴み、事なきを得て下を見ると。
「イリューザー……」
イリューザーが木に体当たりをしていた。咲羅を追いかけていた男を睨み、グルグルと威嚇音を鳴らしている。立ち上がって幹を引っ掻く姿は、爪砥なのか登るための助走行為なのかはわからない。
サルよろしくぶら下がった状態で、さてどの枝に移ろうかと考えていると。
「サクラ! そのまま手を放しなさい。受け止めます」
クレイセスの声がして、咲羅は受け止める人のほうが危険じゃないかな、と頭を掠めたが。
(指、限界だし)
(クレイセス身体能力高そうだし)
大丈夫だよね?! と、手を放した。
落下する感覚は一瞬のこと。
どさっという音とともに、恐る恐る目を開けると。
「サクラ……あなたという人は」
そう言って、大きく息をついたクレイセスに、ぐっと抱きしめられた。
助かった、という安堵と同時に、彼の嫌に早い心音が聞こえて。
(本気で)
(心配してくれてたの)
(……かな)
申し訳なさと、そこまで心配されることへの不思議さとを感じつつ、クレイセスを見上げる。そうしているうちにもガゼルの指示する声が聞こえ、イリューザーがもう一度木に体当たりして落下させた男は、騎士たちの手で捕らえられたようだった。
「クレイセス。この屋敷の中を探してください」
「何をです?」
「侯爵は明日、闇市を開く予定だって言ってました。人身売買も行われるみたいです。さっきの人も、ほかにいるのは知ってるけど、場所はわからないって。攫われてきた人は、ほかにもいます」
咲羅の言葉に、クレイセスは頷いた。
「ツイード、シンとアクセルの隊をつれて屋敷内を探せ。あとは任せる」
うしろに多数控えている騎士の一人にそう言うと、名を呼ばれた騎士たちが「はっ」と短く返答し、騎乗して去って行く。
「立てますか」
「ええ。ありがとうございました」
そう言って立ち上がると、イリューザーが纏わり付いて来る。
「ありがと、イリューザー」
ぎゅうっと抱きしめて頬ずりすると、尻尾が猫のようにきゅいっと上がり、ご機嫌になったらしい、と笑いが込み上げた。
「あの、ユリゼラ様は」
「ハーシェル王が無事保護しました」
クレイセスの答えに、ほっと息をつく。あとは侯爵さえ捕まれば、この件は終わりだろう。闇市の件も、明らかにされるに違いない。
「さあ。城に戻りましょう」
クレイセスに促されるままに騎乗し、咲羅は城への道のりを、誘拐の経緯をほぼ尋問されるに近い形で戻ったのだった。
*◇*◇*◇*
最奥に入ると、サラシェリーアに泣きながら抱きつかれ、怪我の有無をしつこく確認された。
「サクラ様は大きな怪我はなさいませんが、小さい傷が絶えません。自重なさいませ」
お小言をくらいつつ、風呂上がりに傷口に薬が塗られていく。自分が気がついていない引っ掻き傷などもあったが、おおかたバルコニーから飛び降りたときか、樹上で逃げ回ったときだろう。
「サクラ様! ああ……本当にご無事で」
サンドラとクロシェ、それにユリウスが入って来て、咲羅に駆け寄ると安堵の息をついた。
「お怪我を?」
ユリウスが包帯を見て心配そうにするのに、咲羅は「どれもかすり傷です」と笑う。
こうして全員が揃ってしまうほど、先程の誘拐は「大事」だったのだと、しみじみ思う。
「サンドラさんたちがお帰りってことは、侯爵、見つかったんですか?」
「はい。侯爵に使用人、賊、関わりのある者はすべて捕縛いたしました。また、地下深くに捉えられていた者たちは衰弱が見られましたので、救護舎にて保護しております」
「良かった……ありがとうございます」
報告の内容にほっとし、咲羅は侯爵の居場所を尋ねる。
「今、どこに? あの、ひとつだけ、訊きたいことがあるんです。会わせてもらえませんか」
「サクラ様?」
全員が一斉に怪訝な顔をするが、サンドラが請け負ってくれた。
「ヤツはユリゼラ様が不貞を働いている、と騒いでおりまして。『光響を起こせる小僧がいたはずだ』と証言しております。ついでですので、我々にも種明かしをしていただけますか」
「それは、もちろんです。とりあえずわたし、ちょっと着替えますね……」
湯上りのドレス、ではあるが、恐らくこの世界では人前に出る恰好ではないはずだ。
それに。
「サラシェ、わたしのこと、どっからどう見ても女の子、に出来ますか。多分この状態だと、女装とか言われそうで」
咲羅の要求に、サラシェリーアは「お任せください」と笑った。




