第38話 対峙
「え……衛兵! ラグナル団長! 誰か!」
咲羅が去って間もなく。
セレトは突き放されたときにぶつけた頭を起こし、よろよろと立ち上がりながら叫んだ。微妙に絞められていた首に、一気に流れてくる空気も苦しい。
「誰か! ……っ」
ふらついたところを、やわらかく温かいものに支えられ、セレトは目を見開いた。
まるで剥製のようにじっとしていたオルゴンが、自分を支えてくれたことに驚く。
そうして。
オオォォォォ────ン……
思わず耳を塞いだが、その遠吠えを聞いた衛兵たちが、バタバタと駆けつけてきた。なるほど、自分が声を上げるより、確実に注意が向く。
「王妃様が! 何者かに攫われました! サクラ様もご一緒です!」
力の限りに叫び、この一大変事を伝える。
城内は一気に、騒然とした空気に包まれた。
イリューザーは後宮を出ると、ハーシェル王の居場所へと走る。
主が連れて来いと言ったのだ。合図があるまでに見つけなくてはならないと、多くの人間の雑多なにおいの中から、ハーシェルのにおいを探した。
時折、「ひいっ」と避けられるが構わず進み、ハーシェルのいる部屋までたどり着いた。
ちょうど中から扉が開き、すかさず体をねじ込む。
すぐに多くのどよめきと悲鳴がしたが、目的とする人物はすべて揃っていた。
主が言ったのはハーシェルのみだ。しかし、特定の服を着た人間たちが、主を守っていることは理解している。あの男──クレイセスも、連れて行くほうがいい。
「イリューザー……? どうした。サクラは、一緒ではないのか」
ハーシェルが立ち上がったところに、クレイセスも異変を察知したのか駆け寄って来る。
そこに、「会議中、失礼いたします!」と意を決したように入ってきた男が、ハーシェルに耳打ちした。
「何?!」
ハーシェルが血相を変えて立ち上がり、「ラグナル! クレイセス!」と瞬時に怒気を含んだ声で言った。
「直ちに王都を封鎖しろ! 鼠一匹逃がすな!」
王! 一体何事です! と口々に問う声も一喝する。
「黙れ。今日はこれで閉会する!」
いつにないハーシェルの怒声に、皆が怯んだように押し黙る。
そんな中を、三人は足早に出て行き、イリューザーもあとに続いた。
イリューザーはハーシェルに続き、来いとばかりにマントを引っ張った。
「なんだ? 今はお前と遊んでいる時間は……」
言いかけて、ハーシェルははっとした。
「サクラ、か? お前は、サクラから何かを言われてるんだな?」
グウっと喉を鳴らすと、ハーシェルは破顔した。
「わかった。教えてくれ、イリューザー。お前について行く」
ハーシェルの答えに、イリューザーは全神経をもって、主の気配を追った。主の出す合図……それを機に、ハーシェルを連れて行けるように。
*◇*◇*◇*
手荒な真似はされなかったが、ユリゼラも咲羅も、目隠しをされて両手を前で拘束された状態で、「さるお方」の前に引き出される。そうして目隠しを外されたときに、ユリゼラが息を呑むのがわかった。
「いやはや、間近でも誠にお美しい。王がほかの娘など、眼中に入れぬ訳です」
「クレメンデール侯爵……」
「おや。即位式の折にしかお目にかからなかったはず。覚えておいでとは光栄です」
咲羅の第一印象は、「ひょろ長いおじさん」だった。それに「よくしゃべる」を付け加える。
「驚きましたよ。まさか清廉を絵に描いたようなあなたに、こんなご趣味がおありとは。ハーシェル王を欺けるのも、さすがと申し上げるべきか」
ユリゼラは黙って唇を引き結び、侯爵を睨み付けた。
「私を、どうするつもりです」
「ふむ。世の中には、いろいろな需要がありましてね。あなたには闇の世界へと消えていただきます。明日、闇市を開くのでね……あなたはどちらに競り落とされるのか……楽しみです」
「それ、俺も一緒につけてくれよ」
言った咲羅に、侯爵は鼻で笑う。
「馬鹿か小僧。女が売られた先でどうなるか知らぬ訳ではあるまい? 子供といえど男を付けて出せる訳がなかろう。それとも何か? お前には何か特技でもあるのか」
「あるよ。植木でもなんでもいいけど、植物、ないの」
侯爵はふむ、とわずかに思案したのち、咲羅たちを連れてきた盗賊に目配せ、植木鉢を持ってこさせた。
咲羅は内心ドキドキしていたが、祈るような気持ちで歌う。
サラシェリーアが歌ってくれた、子守歌を。
「これは……!」
「おお!」
植木鉢は光った。一本だけだが、咲羅の歌に応えるように虹色に輝き、最後には金色の粒子を帯びて煌めく。その場にいた誰もが息を呑み、植木鉢に見入った。
「小僧……何者だ? こんな……この時勢において光響を起こせるなど!」
「これなら王妃様と一緒に売れる?」
「馬鹿な! こんな力を持っているお前を、売る訳がないだろう!」
興奮した様子で、侯爵がこちらに近付いてくる。
「お前は私がもらい受ける!」
「嫌だ。俺はむさ苦しいおっさんより綺麗な王妃様がいい」
咲羅の予定と違うことを言い始めた侯爵に、リクバルドの物言いを思い出しながら抵抗する。
「王妃様がいないなら、歌わない」
「王妃を殺すと言ったら?」
「なら舌でも噛み切るよ。おっさんわかってるか? 後宮でユリゼラ様と会ってたんだ。ばれたらその場で切り捨てられる。その覚悟があってやってた俺に、死ぬことが脅しになると思うなよ。それに、高く売れるってわかってる王妃様を、あんたは殺せない」
ふん、と横を向き、ユリゼラの隣に行くと、彼女に擦り寄るようにして侯爵を見た。
「俺の特技が気に入ったなら、王妃様と離さないでよ。王妃様にお願いされないなら、もう歌わない」
ううむ、と咲羅を睨む侯爵に、怯えを気取られぬよう笑って見せる。
「サクラ……」
ユリゼラが物言いたげな視線を寄越すが、咲羅は応じない。
時間。時間さえ稼げば、彼らはもうすぐやって来るはず。
(!)
そのとき、イリューザーの遠吠えを、咲羅は確かに聞いた。
「ユリゼラ様……わたしを信じて、ついて来てくれませんか」
傍目には、ユリゼラの耳に口付けたように見えることを祈りながら、咲羅はそっと囁いた。侯爵の目に、こんなときでも好きな女に身体的接触を図る色ボケ小僧と映っていることを祈るばかりだ。
外のざわめきが大きくなり、騎馬の音もする。侯爵が咲羅から意識を反らし、怪訝な顔をした頃。
「大変です、旦那様! 王の近衛騎士団に屋敷を囲まれています‼」
「何……?!」
ノックもなしに男が駆け込んできて、侯爵を連れ出そうとする。
「こいつらを連れてこい‼」
叫ぶ侯爵に、咲羅はユリゼラの拘束をほどいて言った。
「走って!」
手を前で拘束されていて助かった。
自分の分は外せてないが、それでも。
咲羅は一番近い窓に向かって走ると、カーテンを開ける。
「これは……!」
庭の木々が、光響の名残にまだ光っていて、侯爵が目を見開いた。
その間に、バルコニーになっていることを確認した咲羅は、急いで扉を開ける。
「逃がすか!」
ほかの盗賊たちが逃げる中、自分たちを連れてきた男だけが、こちらに向かって走って来る。咲羅は躊躇するユリゼラを背中で外に押しやり、振り上げられたナイフを拘束された紐で受け止めた。
多くの声、蹄の音。騎馬隊が庭にも雪崩込んでいることは、想像が付いた。
「ハーシェル様!」
ユリゼラが声を上げた内容から、ハーシェル王がいたのだろうと推測する。ならば、彼女をそこに行かせるまでだ。
「王が、みずから来たってのか……?」
男はナイフをたたむと、咲羅をひょいと担ぎ上げる。
「放せ!」
「高く売れるならお前でもいい。来てもらおうか」
「サクラ!」
バルコニーからこちらを振り返ったユリゼラが、駆け寄ろうとするのを「逃げられるなら逃げてください!」と叫んで押しとどめる。ほかの男たちはすでに逃走しており、目の前の一人引きつけられれば、ユリゼラは安全だ。咲羅は暴れながら足で扉を蹴って閉める。
「痛ってえな! 大人しくしろ!」
幸い男の注意はユリゼラから離れたようだが、今度は自分の身が危うい。咲羅はバタバタと体をひねりながら暴れ、動かせる手も足も全身を使ってぼかすか叩く。男がたまりかねて落としたところで、咲羅は叫んだ。
「イリューザー!」
遠くない場所で、応えるような咆哮が聞こえた。
男は舌打ちすると、咲羅の頭を鷲づかんだ。腹に蹴りでも入れようとしたのだろうが、髪を覆っていた布が外れ。
「黒、髪……?」
目を見開いた男の動きが止まった一瞬を逃さず、咲羅は足をバネに起き上がる。腕の拘束も緩み、走り出しながら縄をほどいた。
「お前、上物だな。『珍品』として値打ちは天井知らずだ!」
嬉々としながら追ってくる男に、咲羅は必死になって走る。こんなに走るのは久しぶりだが、五十メートル走は七秒台、決して足は遅くない。ありがたいことに、この世界に来てからはきちんとした食事を与えられているので、頭もふらつかないし、体も動くようになっていた。
侯爵の姿もいつの間にかなくなっており、咲羅は飛び出した廊下の一部屋を開けた。滑り込んで鍵を掛けるが、そこはごちゃごちゃと物が詰められており、逃げ場を失ったことを悟る。しかしカーテンを開けると、庭木の枝がこちらに伸びているのが、目に飛び込んできた。咲羅は一か八かと、窓を開けて。




