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第30話 立場と血筋と

「ここが前団長、シェダル殿の屋敷です。……また荒らしたものだな」

 咲羅に馬車を降りるための手を差し出し、クレイセスは呆れた様子で後半を呟いた。

 草や木が伸び放題の庭に、カーテンの開き具合も中途半端な窓がいくつか見え、静けさも相俟って、一見、人が定住しているようには見えない。


 クレイセスは門扉を開けて中に入り、ノッカーを叩く。少し待ってみるが中から人が出てくる気配はなく、今度は一際大きく、嫌がらせのように扉を叩き続けた。

「ク、クレイセス?」

 不可解な行動を心配したとき。


「誰だこるぁ!」

 と扉が勢いよく開かれ。

「!」

 姿を確認するなりまた閉めようとしたところを、クレイセスが素早く足を挟んで扉に手をかけた。


「お久しぶりですねレッドデリック卿? いろいろとお話を申し上げたいことがあるので少々お時間よろしいですね?」

「よろしくないわ帰れ!」

「相変わらずのご機嫌麗しさに喜びを禁じ得ません、ね!」


 扉一枚の攻防戦に、咲羅は呆気に取られた。

 結局力技で勝ったのはクレイセスで、広く開けたところでクロシェとサンドラがすり抜けるように入る。「貴様ら勝手に入るな!」と怒鳴る、顔中ひげ面の男を無視して、ガゼルが咲羅を中に促した。


「え? あの? めっちゃ怒ってますけどいいんですか?!」

「いいんですよ。寂しがり屋さんの照れ隠しです」

「は、え?」

 背中を押されて中に入ると。

 中は見事に散らかっていて。

 少しだけアルコールの臭いもした。


「また散らかし放題ですね。通いの家政婦はどうしたのです」

「料理だけでいいと追い返した」

 怒鳴っていた男は、諦めたのかクレイセスの問いに素直に答える。


 クレイセスよりも少し高い身長に、明らかに鍛えられているとわかる体の厚み。ボサボサの髪に、目と鼻しか見えないほどのひげは、白いものが混じり始めている栗色で、「これはこれでライオンみたい」と咲羅はそっと観察した。そして、彼の右腕がないことに気がつく。


「おっさん茶葉どこだ」

「んな無駄なものは置いとらん。飲みたきゃ水でも飲んでろ」

 廊下の奥、調理場と思われる場所から、クロシェとサンドラが食器を物色し、ガゼルが顔をのぞかせて茶葉を要求するが、あっさり却下される。


「大体なんの用だ! 居座るな、帰れ」

「ひとりでお寂しかったことでしょう。今日は心ゆくまで語らいましょうか」

「嫌だ、帰れ」


 クレイセスの冷たい雰囲気に、二言目には子供のように「帰れ」と返すその様に、咲羅は笑いをこらえる。多分彼らは、気持ちの距離が近いのだろうことは、クレイセスが外向きの顔をしなくなったことから窺えた。おっさんと呼びかけるガゼルのそれにも、彼に対する親近感が漂っている。


「大体なんだ、お前の隠し子か。預からんぞ俺は」

 びしっと咲羅を指さし、男はガゼルを見る。

「あのさあ、そこでなんで迷わず俺なんだよ」

「お前が娼館遊びを覚えたのが十年くらい前だろう。ちょうどそのくらいじゃないか、この子は」


 さらに若く見積もられ、咲羅はもう笑うしかない。ハーシェルの愛人だったり、ガゼルの隠し子だったり、黙っていると振られる役どころには困らないようだ。


「突然押しかけてすみません。今セルシア院でお世話になってる、咲羅と申します。年は、十六です」

 なるべく姿勢をただしてお辞儀をすると、シェダルは眉根を寄せて言った。

「十六、だと……?」


 ひげが顔中を埋め尽くしていて、正確な年の頃はわからない。だが、あまりしわが深くないことから、四十代くらいかと見積もる。

「しかもお前、女だったのか」

「はあ、一応……」


 よほど信じられないのか、じろじろ見られたところでサンドラが間に割って入り、その視線を遮った。

「サクラ様、どうぞこちらに。散らかっておりますが椅子に座るくらいは出来るかと」

 そう言いながら一番近い部屋の扉を開けて中に促す。

「だからなんなんだ居座るな!」

 怒鳴るシェダルを軽やかに無視し、サンドラは咲羅を椅子に促した。


「もう上司ではないあなたの命令など効力はありませんよ。つーか、堂々と不正働いたなくそじじい」

「なんだ用件はそれか。気付くの遅かったな」

「すぐに気付いた! むしろあれで気付かない訳ないだろ?! でもあんたはとっとと雲隠れだ‼」

「持って生まれたモンを有効活用しろってんだ感謝しやがれくそガキ!」


 これまで見たことのないクレイセスの言動に目を丸くしたが、滅多に見られないものを見ているような気もして、止める気にはならない。


「サンドラさん。シェダルさんて、なんで退役されたんですか? なんか、いろいろあったみたいですね」

「まあ、そうですね」

 部屋の窓を一通り開け放って戻って来たサンドラに尋ねると、サンドラは一連の経緯を説明してくれた。


 シェダルが辞めた理由、それはフィルセインの襲撃者により、右腕を失ったことが原因だったという。しかし彼らに言わせると、そもそもそれが理由の退役など、シェダルに限っては楽隠居を決め込もうとするようなものらしい。しかしながらセルシアの傍らで、警護の点から不足が生じる恐れは勘案し、団長を退くことはセルシアから了承された。それを受けて次の団長を決める、という話になったが、度重なる襲撃により、本来なら次席として目される「セルシア近衛騎士」たちはすでに何名も失われ、手負いの者も多かった。


「王立騎士団は王か前任者が指名するのですが、セルシア騎士団の団長は、常駐騎士たちによる選挙なんです」

 その選挙の場において、シェダルが示したのはクレイセスとガゼルの二名。当時長官になったばかりの若手近衛騎士二名による、一騎打ちの形が取られた。


「見事に二分したんですよ、これが」

 本当に茶葉を見つけられなかったのだろう。クロシェが白湯(さゆ)を運んできて、会話に入ってきて言った。


 ちなみにこの間も、クレイセスとシェダルは侃々諤々(かんかんがくがく)とやり合っている。ガゼルは手が出るようなら止めようかな、くらいの雰囲気で、二人を見守っていた。


 そして一回目がまさかの同票に終わり、二回目が行われたときに、シェダルが生存する長官たちを全員買収した。その買収された人数のみという僅差で、クレイセスが団長に就くことになった、というのだ。


「それって、シェダルさんはクレイセスを高く買っていた、とかに聞こえるんですけど、そうではないんですか」

「違うんですよ。クレイセスが、公爵家の出だからという理由です」

「クレイセスって、やっぱり貴族なんですね。というか、皆さん一様に貴族なんだと思ってましたけど、違うんですか? それで、なんで公爵家の出だから? って理由が必要だったんですか?」


 咲羅の質問に、サンドラは丁寧に説明してくれる。


 王統院の騎士は貴族か、その関係者で構成されているが、セルシア院の騎士は身分を問わない。貴族もいるにはいるが、セルシア院に属する以上、基本的には平等に扱われることを厭わない者ばかりだという。シェダルは平民出で、その功績から一代限りの騎士爵を与えられており、騎士団長の任に就くほどの人望も得ていた。


「しかし騎士団長の仕事、というのが、どちらかというと現場の統括よりも、三院の間で周旋作業を行うほうが多くて。貴族としての身分を持たない団長としては、ずいぶん『反吐(へど)が出る思い』をしたそうです」

 なるほど、と咲羅は納得した。

「じゃあ、ガゼルさんは貴族でも、公爵ではないと」


「ええ。ガゼルは侯爵家の出です。身分でごちゃごちゃ言う奴らを黙らせとくには、クレイセスのほうが手っ取り早い、と。それに、クレイセスにはもうひとつ、おまけがあります」

「おまけ?」

 サンドラは頷き、「王家の血筋です」と告げた。


「王家の血筋?」

「はい。クレイセスの母・テラ様は先王の妹です。ですので、世継ぎがいない今、もしもハーシェルが倒れた場合、状況を鑑みればクレイセスは筆頭候補となります」

「うわー……じゃあ、身分とか血筋とかが大好きな人は、クレイセスには何も言えない訳ですね」


 なるほど、確かに彼が「持って生まれたモン」には違いないだろうが、それを活用しろと言われて「はいそうですね」と頷けない気持ちもわかる、と咲羅は言い争う二人をそっと見た。


「クレイセスは、ガゼルさんが団長になるほうが良かったと考えてるんですか?」

「そうですね……クレイセスはガゼルのほうが総括的に見て向いている、と思っていますが、ガゼルはクレイセスのほうが向いていると思ってますからね。この結果に異存はないようです。まあどっちにしろ、正々堂々と勝負した結果でないという一点において、クレイセスは納得がいかないのですよ」

「それは……そうでしょうねえ」

 物静かな印象しかなかった彼が、これほど激昂するのも意外で。

 それほどまでに腹を立ててもいるが、同時に傷ついてもいる気がした。


「ですので、申し訳ありません。うるさいでしょうが、言いたいだけ言わせてやってください」

 同じことをされたら俺も嫌です、とクレイセスを擁護するクロシェに、咲羅は頷いた。


「で、サンドラさんとクロシェさんも、やっぱり貴族なんですか?」


「そう、ですね。厳密に言うと『貴族』というのは爵位を持ってる人間とその配偶者、そして継嗣を指すんですけどね。クロシェはジェラルド侯爵の嫡男ですので厳密にも貴族です。わたしの父は伯爵位を賜っておりますが、わたしは継嗣ではないので、そういう意味では本来『平民』なのですよ。ただ個人的に、我々は騎士としての爵位を与えられていますので、『貴族』にはなりますが」


 継嗣以外の子供が貴族ではないことに驚いたが、「厳密には」と但し書きで説明されるくらいだ。「家族」は「貴族」として扱われるのだろう。


「サンドラさんは、継嗣じゃないってことは上にお兄さんかお姉さんかいらっしゃるんですか」

「ええ。鬱陶しめの兄が二人おります」

「サンドラさん、ひょっとして末っ子ですか? お兄さんが二人もいたら、可愛がられてそうですね」

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