第29話 認識の差異
咲羅は言われたものを洗濯し、「干しておくから水差しの水を先に替えてやって」と女に言われ、救護舎の中に戻った。人を捕まえて手順を聞き、一列ずつ水差しやコップを集めて洗いに行き、新しい水を汲み入れて一人ひとりの枕元に置いていく。それを何度も繰り返し、終わる頃にはとうに昼を過ぎていた。
やばい、と思ったとき。
「サクラ様」
手許が陰ったかと思うと同時に、聞き覚えた声がして見上げると。
「ガゼルさん……」
大柄なガゼルが、何をどう言ったらいいのか、という困惑した顔で、咲羅を見ていた。
「これはこれは。長官たちがお揃いで、何事です?」
最初に指示を仰いだ男が、怪訝そうな顔で近付いてきた。見ればガゼルのうしろに、ほかの三人も見える。
彼らが現れたことで、この講堂内がざわめきだした。
「ごめんなさい! わたしが言い出したのに、時間守らなくて……」
「いえ。申し上げたいのはそこではなく」
「え、ほかにも何かやらかしてるんですか、わたし」
「……」
完全に沈黙したガゼルに、サンドラがたまりかねたように笑いを漏らした。
「こちらのしきたり、ではあるのでしょうから、説明不足でしたね。おいでください。説明申し上げます」
ざわめきの中、連れ出されるようにして救護舎を出ると、そこにはルースの姿もあった。彼女の服もところどころ赤く汚れていて、ひょっとして残って手伝っていたのかと見上げると、やはり彼らと同じような、困った表情で微笑んだ。
「サクラは、なぜここに?」
クレイセスの問いに、昨夜の騒動で出た怪我人がどうなったか気になったこと、この状況を見て手伝いたかったことを伝えると、大きく息をついたクレイセスは静かに言った。
「セルシアは本来、聖なる存在として血の穢れを厭うものです。こういった場所にお近付きになるものではありません」
「今のところ、セルシアじゃないですし。それに……ここを襲撃から守った人たちの血を穢れって考えるの、おかしくないですか。セルシアだったとして、そんなことで力をなくすんですか?」
咲羅も、そのような考えがあることは知っている。血液を忌避するというのは、己がいた世界にもある考え方だからだ。けれど今ここに収容されている人を、そんな理由で遠ざける気にはなれなかったし、その考え方自体、間違っていると思っている。
危険を回避することと、それを汚いもののように扱うことは違う。
「ほかにやれそうなこと、ないんです。だから、ここでお手伝い、させてください」
頭を下げると、サンドラが慌てて咲羅の肩を支えて礼を阻止した。
「ここには重症者もおり、死に繋がる場合も少なくありません。中には呪術とみられる傷もあります。ただ怪我人を避けたい訳ではないのです。力をなくすかどうかは、私にはわかりませんが……それに、『王の客人』にそういった雑事をさせることも、憚られます」
クロシェの言葉に、そのまま呪いや死穢にも繋がる可能性があるためかと思いはしたが、咲羅はそれにも思うところはある。ただ、今ここでそれを言ったところで、この世界においてどんな過程でその思想が生まれ、現状に根付いているのかわからない以上、論争することも憚られた。しかし、自分がもし本当にセルシアだったら、変えていきたい意識だ。
「サクラ……あなたは、何をそんなに焦っているのです?」
クレイセスは何かを察したように、怪訝な表情で口を開いた。
「わたし、セルシアでもないのにここにいると、ハーシェル王の愛人扱いされかねないんですよね? だったらいろんなこと早く覚えて、ここから出て生活していけるようにならないとと思って」
「ハーシェルの、愛人……?」
クレイセスが眉間にしわを寄せて呟き、なぜそう思ったのかを促される。
マルヴィンとのやり取りからそう思ったことを伝えると、四人は失笑した。
「だから、自活の道を探ろうと?」
頷くと、クレイセスはおかしそうに笑んだまま、「マルヴィンの戯れ言を真に受けないでください」と話を終わらせ、咲羅に食事をするよう促した。
「食事のあと、前の団長のところにお連れします。体力をつけておかないと、負けるかもしれませんよ」
「負けるって……」
「あの性格に、です」
癖が強い、とガゼルが評していたことを思い出す。
「あ、でも、約束をお願いした時間とかに間に合わないんじゃ」
「それは気になさらなくていい。ルース、着替えて支度を」
呼ばれて、所在なさげにしていたルースは軽く膝を折って黙礼すると、足早に去って行った。
「あの……彼女のこと、怒らないでください。ルースさんは最初、わたしのこと止めたんです。でもわたしが言うこと聞かなかっただけなので」
恐る恐る言うと、クレイセスは笑った。
「別に怒りはしませんよ。我々も、彼女にはサクラについておくよう言っただけですから。しかもハーシェルから、おなたは自由にしていいと言われていますしね。彼女にしてもそんな曖昧な指示だけでは、あなたの行動の可否を判断することは難しいでしょう。それにあなたは、我々の想像の外を行く」
「わたし、そんなに変なことしてますか」
促されて歩きながら訊くと、サンドラが笑って言った。
「貴族の倣いにはまらない、という意味ではそうですね。ですが、先程のお言葉は、嬉しく思いましたよ」
首を傾げると、翡翠の瞳が優しく微笑んだ。
「わたしたちは主君の剣であり盾であることを誇りとします。けれどそうですね、使い物にならなくなれば、捨てられる程度のものです」
「命を懸けて守って、散るのが美徳? っていうのですか?」
「そうです。ですので、先程のように悼む気持ちを持っていただけるのは、率直に嬉しいと思いました」
咲羅はサンドラの横顔を見上げ、根本的な感覚が違うことも知る。
「わたしなら……命懸けられても、嬉しくないけどなあ……」
咲羅は詳しい訳をではないが、自分がいた世界でも、いくつかの国には騎士制度があると知ってはいる。しかし、今は現実に剣や盾を持って戦うようなことも、場所もない。ただの名誉職だ。それが名実を伴っていた時代には、騎士の本来はどうだったのだろうか。それすら「お話」の中でしか知らず、想像力を総動員してもその精神を理解できるとは言い難い。それほど「騎士」という存在は、咲羅にとって遠いものだ。目の前にいる彼らを否定する気はないが、彼らを使い捨てることが「主君」として割り切らねばならない仕事なら、彼らの「主君」にはなりたくない。
最奥に戻ると、部屋に残していたオルゴンが駆けて来るや鼻筋を擦り寄せてきて、その可愛さにきゅんとする。
「待たせてごめんね」
ぎゅっと抱きしめて鬣に頬ずりし、耳の付け根を指先で強めに撫でると、オルゴンは気持ちよさそうに目を細めた。
程なくしてルースが整えてくれた昼食を急いで食べ終えると、咲羅は一年半前に退役したという、クレイセスの前任者の屋敷へと案内された。
昨日は使わなかった馬車に乗せられたが、ガゼルとクロシェは騎乗し、外からの護衛を行っている。馬車は王都の賑やかな通りを抜け、郊外へ向けて走っていた。昨日とはまた違う景色に、咲羅は疑問を次々に投げる。クレイセスとサンドラは、面倒くさがるでもなく、いちいち丁寧に教えてくれた。
この辺りは下級貴族の屋敷が多いところだと説明を受けたが、どの屋敷も当然のように、咲羅が知る住宅のそれよりは大きくて広いものばかりだ。屋敷と屋敷の間も離れており、道も舗装され、街路樹などが等間隔に植樹された景観からは、瀟洒な印象を受けた。
馬車はやがて道を曲がると、少し奥まって見える場所へと進んで行く。
そうして、今まで見た中で一番荒れ果てた庭の屋敷まで来ると、馬車は静かに停車した。




