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第26話 王妃の立場

「ユリゼラ様は男爵家の出です。本来でしたら正妃の座に座ることは難しい。ですが、ハーシェル王が見初めて譲らず、後宮の廃止を宣言することでお守りになったが、かえってそれが娘を持つ多くの貴族からの反発となり……正直に申し上げればユリゼラ様の存在が、貴族掌握の障壁となってしまっている。そしてそれを、ご本人も察しておられます」


 ユリウスの説明に、咲羅は愕然とした。

 咲羅の気持ちを救ってくれた人が、そんな苦労をしているなどとは夢にも思わなかった。あの美しさで、夢のような恋をして、望まれて王妃になって……幸せな人生を歩んでいる人なのだと疑わなかった。


「あの方は本当に、心根も優しく聡明な方です。あの方の人となりを見てくれる貴族が増えればいいのですが……あるいはセルシアが、王と王妃に近くあろうとすれば、見方も変わるでしょう」


「それは……三院は、それぞれ独立した機関として、適正な距離を求められるんじゃないんですか」

「三院は、本来対立するための機関ではありませんよ。この世界と、この世界に生きる者の均衡を保つためにあるのです。最高権力者の一人として、セルシアが王や王妃に歩み寄れば、それだけで見方は変わります」


 ユリウスはそう言うと立ち上がり、咲羅に一歩近付いた。

「その傷を、拝見しても?」

 とっさに額を抑えたが、ユリウスの静かな眼差しに押され、咲羅は手をおろした。

 ユリウスの細い指が前髪を上げ、ふむ、と傷を眺める。


「ありがとうございます。特別、何かの術がかかっているというわけでもないようですので、そこは安心いたしました」

「そういうのが、見えるんですか?」

「ええ。今はまだ、あなたの存在の輪郭が曖昧です。もう少し馴染めば、あなた様にも見えるようになるかと」

 ユリウスは椅子に座り、また静かに微笑んだ。


「己の内の力を行使することは、感覚的なことでしかないので、教えるというのも非常に難しいのですが。先程オルゴンと対峙したときのように、まずは直感を大切になさいませ。サクラ様の力が及ばぬことならば、本能的に恐怖が(まさ)ったはず。オルゴンはあなたの力を測り、屈したのです。事実、エラル様がかけた洗脳を解いた。このオルゴンはエラル様にも屈したのでしょうが、術を解除できたということは、さらに上の力をあなたは示したということです」


 ユリウスの説明に、咲羅は居心地の悪さを感じる。今ひとつ、自分の内にそんな大きな「力」があるとは思えない。


「馴染むって、どんなことをすればいいんですか?」

「特別なことはありません。ただ普通に生活をなさることです。この世界のものを食し、この世界のものを纏い、この世界の水に浸かる。少し時間はかかるのでしょうが、今日お見受けしたところでは、抵抗なく受け入れておられるご様子」


 ユリウスの説明に、咲羅は記紀や異類婚姻譚の数々がふとよぎった。

 振り返ってはいけないだとか、口を利いてはいけないだとか。その中に、食べてはいけない、触れてはいけない、などの話もあった。それをしてしまえば帰れなくなる、と。

 この世界に「馴染む」というのも、きっと同じことなのだろう。

 それらをしてしまえばきっと、「馴染んで」、「帰れなくなる」のだ。


 食べ終えたオルゴンが、静かに咲羅の足許に座った。

 そういえば先程、このオルゴンが正気に戻ったときも、理屈などわからないまま、とっさに額に手を伸ばした。頭で考えるよりも、感じたと言えばいいだろうか。この感覚が「世界に馴染む」ということなら、そうかもしれない。


(ごはん、食べたし)

(お風呂、入ったあとだったし)


 知らず「馴染む」ための行為をしたあとだっただけに、この世界が示唆するところを、受け取れたのかもしれない。


「あの、この世界では、額ってとても重要な意味を持ってます?」

 咲羅の問いに、ガゼルとサンドラが呆気に取られる様子がわかり、質問した内容が突飛だったらしいことを悟る。


「はい。メルティアスでは、さほどでもない?」

「眉間が急所として大事、ぐらいしか。でもこの世界の人って、お祈りするときも手を額に当てますよね。さっき、この子も眉間だか額だかに指を当てればいいって、なんとなくそんな気がしたので、そうしただけだったんですけど」


「額は世界の祝福を受け、己の想いを発する場所です。人として急所でもありますが、世界から切り離す、という呪いをかけるために額を傷つけることもあるくらいです」

 ユリウスの説明に、デコピンは厳禁だな、と額への干渉を戒める。年の近い友人でも出来た日には、知らなかったらやりかねないところだ。


「ですので、サクラ様は今、世界の声を受け取るには、困難な状況にあるかと」

 そして今、父によって傷つけられたことが、この世界で存在意義を見つける妨げであることを示唆され、息が詰まりそうになった。


「そう、なんですね……」

 きゅっと膝の上で手を握り締め、なんとか反応を示す。ユリウスはその様子に気がついたのか、優しい声音で問う。


「ユリゼラ様のお見立ては、違いましたか」

「ユリゼラ様は……わたしが、自分自身を受け入れてないからだと。色々お話ししてみて、ユリゼラ様の言わんとするところもなんとなくだけどわかったので……早いうちに、どうにか出来たらな、とは、思ってます」


 咲羅の答えに、ユリウスは頷いた。

「私が知るセルシアは二人だけ。どちらも私とは桁違いの力を内包しておられました。しかしあなたは、さらに上を行かれているようで、私では測ることも叶わない」

「そんなことも、わかるんですか? 測れないって、単に測るものがないとかじゃ」

 ふふふ、っと、ユリウスが笑った。


「自覚がおありにならない、というのも、困ったような、恐ろしいような」

 ユリウスは一度静かに目を閉じると、穏やかな視線を取り戻して言った。

「私はまだ、サクラ様に伝えられることがあるようですね」

「それを伝え終えたら死にます、みたいな言い方、しないでください」

 またふふふっと笑い、彼は思い出したように言った。


「ああ、そうだ。オルゴンには、早めに名を付けてください」

「名前、ですか」


「はい。名を呼んで額に口付ける、それがこの世界では一般的な名付け親からの祝福の形です。力を持つ者は人と獣の間において、契約のためにそれを行います。名を与えることで、存在を縛る。特に獰猛な大型獣は、そうして従わせます。……オルゴンを従えた話は、私もまだ聞いたことがありませんが……あなたが名を与えることで、あなたの力でこのオルゴンを縛れます」


「縛る……? その……わたしに特異な力って、ないので。名前付けても、『縛る』ことは出来ない気はしますけど……名前は付けたいと思います」


 特異な力、というが、咲羅には自分で自由に出来る「何か」などない。名前を付けたところで、可愛がるためにしかならないことは、自分が一番よく知っている。


 あの光響が「起こった」ことを、力だと認識されているようだが、あれは咲羅が意図して「起こした」のではないのだ。それが自分の力だと言われても、なんだか違うような気がしてならない。

 あれは、単なる反応だった、と咲羅自身は認識している。


「光響を起こしたあれは、サクラ様のお力です」

「いやあれは……わたしが意図してそう出来た訳じゃなくて。この世界が反応してくれただけなんです」

 咲羅の言葉に、ユリウスが笑った。


「反応させることが出来るそれを、力だと認識しておりますが」

 多分違う、と咲羅は感覚的だが伝えられない思いにもどかしくなる。

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