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第24話 幕開けの咆哮

 サンドラに部屋まで送ってもらった咲羅だが、先程の咆哮が気になって仕方がない。この部屋に入った途端、廊下にいたときよりもずっと音は遮断されたが、それでも、緊張感を含んだ警戒を発する声が時折聞こえてくる。そして再び聞こえる、咆哮。


 怒りと、苛立ちと、戸惑い。


 そんな心情を咆哮に感じ取り、咲羅はいくつもある窓から声のするほうを窺うが、まったく様子がわからない。サンドラには出ないように言われたが、そっと扉を開けてみると。


(いない……)


 様子を見に行ったらしい衛兵に、咲羅はするりと部屋を抜け出した。


 皓々と輝く月の光が城全体を青白く照らす中、咲羅は緊迫感の漂う空気の中を小走りに進んで行った。いまだにこの城の構造はよくわかっていないが、とにかく声のするほうへと進む。ほどなくして視界が開け、回廊造りの、中庭に面した場所に出た。


 咲羅がいる二階の対面に、人が集まっている。サンドラの姿は見えなかった。


 そして目に入った光景に、思わず息を呑む。


(なんて)

(荘厳な)


 姿形はライオンに似ているが、もっと大きく、淡い色の金の(たてがみ)が月明かりを返している。

 咲羅は吸い込まれるように、奇襲をかけている獣に見入った。

 怒りを内包している、その瞳に。


 まさに宝石。

 青、にも見えるが緑に近い。そしてその透明度に、目を奪われた。


 苛立ちを含んだ再びの咆哮に、咲羅ははっとする。そのときになって、獅子のまわりに、いくつもの人型があることに気が付いた。


(え)

(まさか)


 死体、なのか。ぎくりとして凝視するが、ここからでは判別できない。

 しかし恐怖を感じるよりもむしろ、止めなくてはという、焦燥感に駆られた。


 獅子は兵が突き出した槍の穂先を口で受け止め、難なく噛み砕くと、引き寄せたその勢いでもって持ち主の肩口に食らいつく。悲鳴を上げる男に、咲羅はとっさに走り出した。


 剣や槍を向けて対峙する衛兵たちの間をすり抜け、獅子の前に飛び出す。


「何を!」

「こら娘、退がれ!」

 背後から次々に叱責が飛んでくるが、咲羅は動かなかった。

 一歩、目の前の獣が距離を詰めるごとに、兵たちも退がっていく。

 一人取り残される形になるが、咲羅はじっと目の前の獅子を見つめていた。


「その人を放して」

 自分は何をやっているんだろうという疑念は、このときになって初めて生まれた。けれどどう説明したらいいかわからないが、この獅子に、惹かれる。忿怒(ふんぬ)を内包した視線に、鼻先に寄せられた皺、剥き出された牙。咲羅の何倍もある体躯の獅子を、恐れるという当たり前にあるはずの本能が、働かない。


「サクラ?!」

「サクラ様?!」

 ハーシェル王と長官たちの声が、少し遠くから重なって聞こえた。ほかにも複数の気配を感じたが、咲羅は目の前の獅子から目を逸らせない。


 グルグルと喉の奥から発される威嚇音に、キンと耳の奥が張り詰めるほどの切迫した空気。獅子は咲羅から視線を外さないまま、咥えていた男を吐き捨てるように放り出すと、また一歩、距離を詰める。


 咲羅はただ黙って獅子を見つめ、動かなかった。

 獅子の困惑が見て取れる。

 そしてこの獅子が、自分に対してなんらかの躊躇をしていることも。


 緊張はする。

 目の前の獅子は、自分の何かを測っている。

 そして獅子自体、ここにいることへの戸惑いを感じているのが、咲羅には不思議と理解できた。


 どのくらいの時間が経ったかわからない。

 しかし、獅子の後方からうめくような声が聞こえ、咲羅は言った。


「怒りを治めて。もうあなたに、危害を加えたりしないから」


 負傷した者の、手当をしなくては。

 先程の男も気を失っており、咲羅はむしろそちらに対して不安を覚える。目の前で誰かが死ぬかもしれないことのほうが、咲羅には恐怖だった。


 また一歩、距離を詰めた獅子の顔はもう目の前で。

 血臭を含んだ、生ぬるい息がかかる。


「鎮まりなさい」


 強く呼びかけた咲羅に、獅子は一瞬、息を呑んだかに見えた。

 そこにすかさず、腕を伸ばして眉間に指先で触れると。


 薄い膜が剥がれ落ちるかのように、獅子の全身から白い光が去り散った。


 何が起きたのか、咲羅にも正直よくわからない。

 目の前にいる獅子も、宝石のような瞳をわずかにうろつかせ、周囲を確認している。その体からはしかし、激しい憤りの気配は抜けていた。ただ戸惑いだけが感じられる。


「おいで。仲良くしよう?」

 その様子がなんだか可愛く思えて、咲羅は両腕を伸ばした。


 すると、獅子は咲羅をじっと見つめ。

 ややあって、その手にぽすんと、顎を乗せた。


 途端に、周囲から歓声が上がる。

 咲羅は認識していた以上の声の多さに驚き、獅子に寄り添うように振り向いた。先程は五名程度だったのに、今は二十、いやもっといるのだろうかというほどの人数が、咲羅の背後にいたのだ。サンドラが呼んできた応援なのだろう。その人混みをかき分け、ハーシェル王と長官たちが近づいてくる。


「サクラ!」

 青い顔をしたクレイセスが、獅子の隣に立つ咲羅を上から下まで凝視し、怪我のないことに安堵している。


「ええと……言いつけを破ってごめんなさい」

 同じように隣で青くなっているサンドラに、まず謝る。多分彼女が一番驚いたことは、想像に難くない。


(部屋に戻ったら)

(すっごく叱られるんだろうな)


 覚悟をし、とりあえずはこの獅子についての許可を得ようと、ハーシェル王を見上げた。

「あの……この子、わたしが飼ってはいけませんか」


 咲羅の希望に、ハーシェルの笑顔が心なし引きつった。

「サクラ、これ、なんだか知ってるか?」

「いえ……」

 そう答えると、ハーシェル王は眉根を寄せて腕を組んだ。


「許して差し上げて、よろしいかと」

 そこに新しい声がして、皆が一斉にそちらを見る。

 白いローブを着た線の細い男性がそこにいて、咲羅は直感的に彼が「生き残ったセルシア補佐官」だとわかった。


「初めてお目もじ(つかまつ)ります。セルシア補佐官を務めておりました、ユリウスと申します」

 思いも寄らない形で会えたことに驚いていると、彼はするすると前に進み来て、「お手を」と微笑んだ。訳がわからず手を上に向けて差し出すと、彼はくすりと笑い、そっと指先を取って裏に返し、そのまま片膝をついて咲羅の手の甲を額に当てた。

 挨拶だったのかと、彼にとってとんちんかんな動作をしたことが恥ずかしく、瞬時に顔が火照る。


「先程サクラ様がオルゴンに触れられたときに、エラル様の気配が抜けていきました。どうやらオルゴンは操られていた様子。エラル様がなぜこのようなことをなさったのかまではわかりません。ですが、このオルゴンはあなたの力を認め、服従の意思を示しました。『森の王者』とも『大地の代行者』とも言われるオルゴンです。今後、お傍にあって役立つことは多いでしょう」


 膝をついたままの姿勢を崩さず、静かな声音で説明され、咲羅はハーシェル王の顔が引きつった原因はわかった気がした。ライオンを飼いたいと言っているのと同じなのだろう。『森の王者』とあだ名されるくらいだから、森においては食物連鎖の頂点にいるに違いない。そんなの、周囲にしてみれば捕食されかねない恐怖が常に付きまとう。


「まあ、いいだろう」

 しばらくオルゴンの様子を見ていたハーシェル王が、口を開いた。

「ありがとうございます。あの、早く負傷者の方の手当てを」

「そうしよう。そのオルゴンを連れて、最奥へ戻れ。でないと、衛兵たちが恐れて動けない。ガゼル、サンドラ、ついていろ」


 そういうことかと、さっきは歓声を上げていた人々が、奇異とも畏れともつかないまなざしで、咲羅たちを遠巻きにしているのをちらりと見遣る。


「じゃあ、すみません。失礼します」

 ぺこりと頭を下げると、咲羅はオルゴンを促し、足早に最奥へと歩き出した。

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