第23話 女騎士サンドラ
サンドラが急いで駆けつけると、脱衣室で五人の女官に囲まれ、壁に背をつけて必死の形相で縮こまる咲羅がいた。上着は周囲の女官が持っており、最後の一枚を死守するように、胸元でぎゅっと手を握りしめている。むき出しになった華奢な肩が心なし震えていて、サンドラが「どうしたのだ」と問うと、女官が一斉に振り向いて言った。
「お世話をさせていただけないのです!」
「どういうことだ?」
聞けば、咲羅が口を開くより早く、女官たちが口々に声を上げた。
それによると、咲羅は一人で入りたいと譲らないらしい。しかし彼女たちにしてみれば、ハーシェル王からユリゼラと同じ扱いをするよう命じられていて、それに背くことも出来ない。身分のある人間として、従える人数も大切だとの声もあり、サンドラは内心「あーはいはい」、と半ば面倒くさく思いながら女官たちの言い分を一通り聞いた。
「では、わたしがお世話申し上げよう」
「長官?!」
サンドラの言葉に、女官たち全員が目を剥く。
「このサンドラがお世話を申し上げるのだから、体面に問題はないだろう。ハーシェル王にもわたしから申し伝える。ここはいいから、お前たちは退がりなさい」
でも、とか、しかし、と言い募ろうとする女官たちに、
「退がれ、と言っている」
と、騎士団で命令するときの低い声音で言い渡す。彼女たちは一様にびくりと肩を緊張させ、咲羅とサンドラを交互に見ながら、足早に去って行った。
二人きりになった脱衣室で、「ごめんなさい……」と咲羅が口を開いた。
「いいえ。一人でお入りになりたいのでしたらそれも構いません。ですが王宮には体面を重んじるあまり、厄介な約束事がいくつもあります。彼女たちにはそれが当たり前なので、そこは理解してやってください」
「はい」
咲羅の素直な態度と顔つきに、理解はしているんだな、とサンドラは思った。彼女たちにとってはそれが仕事だということは、十分わかった上で、そう要求していたのだろう。ならばそこは、こちらが譲歩すべきところだろうと心得る。
「ですので、ご入浴の際はわたしにお声を」
小さい体をますます小さくする咲羅に、サンドラは言った。
「あと、サクラ様の髪、洗ってみたいのですが」
「え? あ、いえ、そんなに、していただかなくても」
恐縮する咲羅に、サンドラは笑って言った。
「単なる好奇心です。そんな色や髪質を見るのは初めてなので、触ってみたくてたまらなかったのですよ。この際ですから」
いけませんか? と丸く見開かれた黒い目をのぞき込むと、彼女はさっと顔を赤くしてうつむき。
「その……お願い、します」
と、小さく答えたのだった。
浴場の中のものをひととおり説明し、体を洗い終えた咲羅の合図を待って中に入ると、大判のタオルをぴっちりと巻き付けた彼女がいて、よほど見られたくないのだなと笑いが込み上げる。ガゼルとクロシェから聞いた今日の話だけでも、メルティアスとの文化の差は大きいようだし、お互い譲歩しながら妥協点を探っていくことが課題かもしれないと、サンドラは浴槽に入るよう咲羅に促し、洗髪の準備をしながら思った。
湯船が大きなすり鉢状に整えられたこの浴場は、セルシア専用の温泉だ。湯に沈んだ階段を慎重に降り、咲羅はサンドラが指定した縁の部分に頭を載せる。
「うわぁ……めっちゃいい匂い」
髪に広げた瞬間に広がる洗髪料の香りに、彼女はうっとりと目をつぶった。「こういった香りがお好きですか?」と問うと、大きな目が開いてサンドラを見つめて微笑んだ。
「これ、花の香り、ですか? 泡とかあんまりたたないんですね」
「サクラ様の世界では、洗髪料はそんなに泡が立つのですか」
「はい。もこもこの泡だらけになります。これってなんですか?」
「花の蜜を精製したものに香油と、皮脂汚れを落ちやすくするための薬草が主成分、だったように思いますが」
「蜜を精製って、蜂蜜とかってことですか?」
次々に繰り出される質問に、サンドラは自然と笑みがこぼれる。彼女がちゃんと、興味を持ってくれていることが嬉しく思えた。
しかし、前髪を上げた瞬間、痛々しい傷が露わになり、一瞬手が止まる。
「あ……見苦しいもの見せて、ごめんなさい」
慌てて隠そうとする手をそっと制し、緩く首を振って見せると、咲羅はその華奢な手を止め、ゆっくりと引っ込めた。湯に沈められた手が、膝上できゅっと組まれたのが、サンドラに淡い緊張を伝える。
「このような傷を負われた理由を、お伺いしても?」
「ユリゼラ様……から、何も?」
「特に、この傷についてお話はありませんでしたが」
サンドラの答えに、咲羅が意外そうな表情をしたが、すぐに微笑んだ。
「ユリゼラ様、ホントに秘密にしてくださったんだ」
「秘密、でしたか」
「そんな大層な話じゃないんです。でも、情けない話だから、あんまり言いたくないだけで」
そう言った彼女の顔は、痛みをこらえているように見えて。
サンドラはそれ以上の追求を控えた。
彼女にはタオルすら大きすぎるのか、サンドラが使用すれば膝上の丈だが、膝が隠れてしまっている。先程サッと目視しただけだが、ほかに傷などは見当たらなかった。隠している部分に、そういった痕跡がなければいいがと、薄くて細い体を認識するにつけ、痛ましく思う。
自分たちよりもしっかりとした太さのある髪は、絡まることなく手櫛が通る。肩よりも少し長いだけの、むしろ短い髪だからかもしれないが、自分の細くて絡まりやすい髪よりは、ずいぶんと扱いやすい。そして、どこまでも黒い。少なくともサンドラが生きてきた中では、初めて接する色合いと質感だった。
洗髪料を丁寧に流してから、軽く香油で整え、タオルでまとめる。
すべてを終えると、「ありがとうございます」とふんわりした笑顔を向けられ、彼女の根本的な性質が、素直である印象を受けた。いずれ主君として戴く人かと思えば、庇護欲に端を発する使命感が湧いてくる。
「わたしは、サンドラさんみたいな髪の色に憧れますけど。せっかく綺麗なのに、伸ばしたりはしないんですか」
「面倒、なんですよね……」
縁に腕を組んで頭を乗せた咲羅は、ちょっと窺うような雰囲気で、けれどまっすぐにサンドラを見上げる。彼女のほうからも、自分に対してなんとか距離を縮めようとしていることが、伝わってきた。
「サンドラさんは、お仕事のときだけじゃなくて、いつもそういう感じなんですか?」
「こういう感じですね。ドレスは苦しくて仕方ない」
笑うと、咲羅も笑った。
「なんだかもったいないなあって思ったら嫌なのかな。わたしがサンドラさんみたいな容姿だったら、出来るお洒落は全部やりたいです。翡翠色の目とかに合わせて、ドレスもアクセサリーも選んだりして」
「気に入っていただけて光栄です」
なんとなく、年相応の面を垣間見た気がして、微笑ましく思う。押しつけがましくないところも、好感が持てた。
ごゆっくりと言い置いて、サンドラは外に出て待つ。しかし少しすると、「あのー、すみません……」と脱衣室から声が聞こえ、中に入ると。
「何度もごめんなさい……。これの着方、教えてください……」
と、試行錯誤したらしい夜着の着方を尋ねられたのだった。
着替えを手伝いながら教え、サンドラは、昨日はまだ咲羅の世界の服を着ていたことを思い出す。生地は丈夫で、簡素な衣装だった。膝丈の衣類なども初めてで、その出で立ちが咲羅の向こうにある、未知の世界の広がりを思わせた。
「……これ、踏みつけそう」
夜用のやわらかい靴を履かせると、その履き心地は気に入ったらしいが、足許がすっぽり隠れるドレスの丈には不安があるらしく、内側からそっと裾を蹴ったりして感触を確認している。
「サンドラさんみたいな恰好とかはダメなんですか?」
見上げられ、そう来るとは思ってなかったサンドラは笑ってしまう。この世界の女性は、少なくとも貴族は、機能的であることなど求めないものだ。着飾ることで守られる体面や権威があると信じている。それを全面的に否定する気はないが、行きすぎた自意識にうんざりさせられることも多かったサンドラには、咲羅の発言は新鮮だった。
「まあ……ダメではありませんが、お勧めはしません」
笑いながら答えると、小動物のような仕草で首を傾げられる。
「わたしは女としては変わり者ですので。サクラ様がせっかくこの世界に馴染もうとなさっているのに、わたしと同じ恰好などなさっていては悪目立ちしてしまいますよ」
言うと、意外そうな表情で見つめられ、サンドラもまた、その反応に戸惑う。
「サクラ様の世界では、わたしのような者もおりますか」
「わりに、いると思います。そう言えば城下に出たとき、みんな髪長かったですね。ここで会った人たち大体みんな短いから、髪型は自由だと思ってました」
「髪型、ですか」
自由と言えば自由だが、咲羅の目には不思議に映ったことがあったのだろうと、黙って先を促す。
「お城では長いのって、ユリゼラ様とルースさんとマルヴィンさんくらいで。あとはガゼルさんが、なんかちょっと伸びたの括ってるって感じですよね。ひょっとすると女性は長くしてるのが標準なのかなって思ってたんですけど、街の人はほとんどみーんな腰より長かったんですよね。髪型にも約束事ってあるんですか?」
ああ、そんなところも違うのかと、サンドラは咲羅を見つめた。
ガゼルの髪すら「長い」と捉えるほどだ。咲羅の世界では自分のような人間は、そう珍しくないのだろう。そう言えば彼女は、最初から自分を女だと認識していたようだし、騎士であることに対してもことさら驚いた様子はなかった。この世界で「変わっている」自分は、異世界から来た咲羅の中では「普通」と受け止められたことに、若干の皮肉を覚える。咲羅の世界に、初めて憧憬を覚えた気がした。
「仰るとおり、女性は腰よりも長くあることが標準ですね。男はまあ、最近は自由ですが、基本的には腕に覚えのある者以外、あまり短くはいたしません」
「強くないと、短くしないんですか」
目を丸くする咲羅に、サンドラは頷く。
「髪は首を守るための盾、と申しますので。長く戦乱の世になかったので短くする者も多かったのですが。最近はまた、伸ばしている者が増えたように思います」
「うわー……、そんな物騒な理由でみんな長いんですね」
げんなりした様子の咲羅に、サンドラはまた笑ってしまった。
サンドラにとっては、咲羅の反応がいちいち新鮮だ。
「ここで話を続けていては、せっかく温まったお体が冷えてしまいます。最奥に戻りましょう。話はそれからでも」
自分を特異な目で見ない、それだけでも、彼女と話をするのは居心地が良い。サンドラは素直に頷いた咲羅を部屋に送りながら、気持ちが温まるのを感じていた。
最奥までは少し距離があり、その間にも今日、咲羅が疑問に感じたことを次々と質問される。慎重に、手探りをしながら進もうとしている姿勢に、質問の内容に、観察眼の確かさを感じた。ガゼルとクロシェの話を半信半疑に思っていたが、今目の前にいる少女の認識は、変わりつつあった。
最奥まであと少し、というところで。
「?!」
空気を震わす咆哮が聞こえ、サンドラはとっさに咲羅を抱き寄せて壁際に寄った。
「サンドラさん、王宮では、大きな動物でも飼ってたり?」
緊張を紛らそうとするように疑問を口にした咲羅に、サンドラは周囲の空気を読み取りながら答える。
「いいえ。これは、間違いなく異変です」
注意深く辺りを見回しながら耳を澄ませ、サンドラは人の声が集まっていく場所がここから近い回廊であることを特定する。咲羅の安全を何よりも確保しなくてはならないが、今の咆哮の大きさから並の獣ではないことは窺えた。
「サクラ様。最奥に」
足早に咲羅を最奥に連れて行くと、扉の前に衛兵がいることを確認し、部屋へと促す。少し不安そうな表情をする彼女に、出てはならないことを告げると、サンドラは現場へと走った。




