第20話 王都見物
民の格好をしている手前、王宮の馬車を使うのも不自然だということで、乗馬の出来ない咲羅はクロシェと相乗りをする形で城下に出て来た。最初は近接することに緊張したが、目にするものが物珍しくてそれも忘れ、説明を求めることに夢中になってしまう。
城下に着いてからは馬から降りて歩くものの、見るものすべてに圧倒され、気をとられ、時折クロシェやガゼルに腕をとられたり肩を庇われたりしながらの、遅々とした歩み方をしてしまう。その所為で、咲羅が人の流れの障害物となっていた。
道幅は、感覚的に見て百メートルくらいだろうか。何キロあるかはわからないが、まっすぐに伸びた平坦な道、その広さいっぱいに、人や馬や荷馬車がひしめいている。馬車や騎馬が通る場所と、人や馬が歩く場所は分けられており、交通のルールは整えられていた。そしてその道沿いを、整然と等間隔に並ぶ高い建物と街路樹。街路樹の下にはベンチが置いてあり、思い思いに憩う人の姿があった。
昔の世界とどこか似た感じ、とは思うが、正直文化が混在している。ヨーロッパ諸国の色遣いやデザインが、一堂に会しているとでも言えばいいのか。一口にどこの国の昔に似ている、とは言い難かった。
建物は石造りや煉瓦造りの堅牢なものが多く、しかし至るところに動物や植物、水や風の流れを図案化したと思われる、繊細な彫刻や鉄細工が施されている。それらは単なる飾りばかりではなく、補強材の役割を担う箇所にまで及んでいた。現代日本のように効率を求めた画一的なビル群と違い、各々が個を主張してはいるが、街全体はまとまっている。
長く平和だったというのも本当なのだろう、と咲羅は思う。そういう微細なところにまで気を配り、お金をかけられる余裕がなければ、繊細さと豪華さを兼ね備えた文化は育たないものだ。
そして思っていたよりもずっと、街は色彩に溢れていた。屋根には鮮やかな色が、壁には淡い色が配されている。ひらめく旗には様々なモチーフがデザインされており、服の色はそれこそ色見本でも見るかのようだ。
一目に入ってくる情報は、豊かな彩りに満ちている。
「綺麗な街ですね……」
「お気に召されましたか?」
「とっても。それに、この賑わい。すごいですね」
大きな通りは人も多く、活気があった。説明を受けたような、悲愴な生活はここには見えない。往来のざわめきも、時折聞こえる喧噪も、すべてに生命力すら感じるほどだ。
「サクラ様がおいでになってからは、小さな地震も今のところ起きていませんので、それで人が動いているのもあるでしょう」
「そんなに頻発してたんですか? 地震て」
「はい。毎日二、三回は、体感できる小規模な揺れがありました」
生真面目に答えるクロシェの目は、さりげなく警戒しているのだろう、行き交う人に向けられている。
咲羅はと言えば、流れていく人を見て、やはりこの世界は大体皆二十センチほどは平均的に大きいのだと悟る。髪の色も、確かに黒には遭遇しない。全体的に、金や銀、茶色がほとんどを占めていて、時折赤毛が見えた。また、一口に「金や銀、茶色」といっても、濃かったり薄かったりと、その色の中でも何色にも分けられそうな多色ぶりだ。
目の色も、咲羅の世界ではあり得ない色があるかもしれないことをはたと思い出し、ガゼルとクロシェを見上げた。そして彼らの目を見て、不思議なことに気が付く。
「クロシェさんの目って、ひょっとして色が二層……ですか?」
「ええ。サクラ様の世界には、それもありませんか」
「ないですね。片方ずつ違う色、は聞いたことありますけど。そういう風に分かれてる色は、初めて見ました。綺麗ですね」
ガゼルの瞳は明るい茶一色だが、クロシェの瞳は澄んだ緑から、下の方は茶色へと色が変わっている。くっきりと二層、ではなく、境は不思議な色合いのグラデーションになっているのが見えた。彼に顔を近付けてまで確認する勇気はないが、日の光の中ではその複雑な色調が十分に見て取れる。
「とりあえず、昼にしましょう。もう俺、腹減ってだめ」
ガゼルが言い、クロシェが頷く。咲羅は促されるままに歩くがきょろきょろしてしまい、最後には大柄なガゼルに手を引かれるという、まさに迷子防止の幼児状態で店まで案内された。
「サクラ様はなんにします? ……つってもわからないか。味として苦手なのは?」
「辛いのは苦手です」
わかりました、と言い置き、ガゼルが注文をしに行く。その間にクロシェは二頭の馬を所定の場所に引いて手綱を括り付けると、出入り口に近い場所に席を確保し、咲羅を座るよう促した。店内はだいぶ埋まっており、酒が入っているのか、昼間から乾杯を繰り返すグループもあって賑やかだ。商人や旅人と見受けられる者がほとんどで、いわゆる大衆食堂なのだろう。
メニューは大きなコルクボードに、薄い木の板が何枚か打ち付けられており、迫力のある字体で書かれた文字が躍っていた。白い壁には一部黒板が埋め込まれており、チョークでびっしりと何かが書き込まれているが、いくつかは線が引かれて消されている。今日はやっていないのか、もう売り切れたものなのか。テーブルは丸太を真っ二つに切ったまま、のようだが、表面は使い込まれて飴色の光沢を放っていた。
店の雰囲気を堪能していると、ガゼルが木製のトレー二つに三人分の食事を運んで来てくれる。彼らは大きいからなのか若いからなのか、盛られている量にまず驚いた。咲羅に渡されたのは、焼き目のついた薄切りのパンの中に、細く切って炒めた野菜や肉と思われるものが包まれている食べ物だ。手で掴み、そのまま食べるのだと説明され、同じものを頼んでいる二人を見よう見まねで食べる。
「おいしい……!」
そう言った咲羅に、二人は安心したように微笑むと、銘々の速度で目の前に盛られた、肉塊多めに見えるほかの料理も片付けていく。二人とも所作は綺麗なのに、早い。咲羅も慌てて出されたそれを懸命に食べるが、如何せん量が多く、三分の一ほどが残っている段階で、二人は食べ終えてしまった。
「焦らなくていいですよ。俺たちの早食いは、職業病のようなものですから」
クロシェが言い、ガゼルも頷く。ゆっくりと飲み物に口をつけ、一息といった風情に、それでも咲羅はなるべく急いで咀嚼を繰り返した。ドレッシングだろうか、時折味が変わるので、飽きは来ない。飲み物は、一見牛乳かと思ったが、牛乳と何かを足しているのだろう、味ははちみつレモンのような甘みと酸味を感じる、どこか懐かしい風味のものだ。
提案されたときに空腹を覚えていた訳ではないが、気負う必要のない雑多な雰囲気や、二人の旺盛な食欲につられたのか、久しぶりに楽しい心持ちで食べ進められた。
「つーか、本当にそれで足りるんですか?」
心配そうに問うガゼルに、口に入っている咲羅はこくこくと頷く。自分の摂取量は、彼らからすれば信じられないほど少ないのだろう。
「ユリゼラ様から、今はそれほど召し上がれないのだとは聞いています。回数を増やしたほうがいいのでしたら、そのように手配しますが」
ようやく呑み込み、咲羅は「いいえ」と首を振った。
「あんまり、気にしないでください。多分全快でも、あなた方ほどの量はいただけません。この世界、わたしからするといろいろ大きすぎるみたいです」
「では、少量ずつ種類を召し上がるほうがいいですね」
恐らく、食事を作ってくれている専任の人間はいるのだろう。クロシェはそこに指示をする気満々だ。申し訳ない気もするが、気にするなと言うのは、「王の客人」という扱いの人間に対しては難しいのかもしれない。
「大地に感謝を」
食べ終えた咲羅が自然と手を合わせようとしたところで、ガゼルがそう言い、右手を簡単に曲げて山を作ると、指の付け根を軽く額に当てた。ああそうだった、と咲羅も真似をする。不審な行動をする前に、やんわりと阻止してくれた形だ。
ルースに教わったのと額に当てる位置が違うようだが、まわりを見回してみると、ガゼルのようにくの字に曲げる箇所は付け根のところで、一番高くなるそこを額に当てていた。
「ルースさんはあんまりこういうところに来たことがない人なんですか?」
「なぜです?」
先程教わったときは、人差し指の第二関節を山にして額に当てるのだと言われたことを説明すると、「地方によっても違うからなあ」とガゼルが笑った。
「まあでも、彼女は恐らく市井の民ではないでしょうから、知っていたのがむしろ意外ですね」
片肘をついて二人のやり取りを見ていたクロシェが、何かを思い起こすように瞳を巡らせる。
「そうなんですか?」
「保護したときに着ていたものは、貴族のそれでしたから。使用人ではないと思います。ただ、何者かわからない」
静かにそう言ったクロシェの瞳が、一瞬、強さを帯びる。彼がルースを信用していないことは、なんとなく伝わってきた。
「少なくとも、王宮に来たことのある貴族ではない。ですがそんな人間はごまんといます。出自はわからないが、彼女を保護した場所は、エラルの名義で所有されていた屋敷のあった場所です。記憶を取り戻せば、彼に関する何かを知っているのではとも思いましたが、今のところ思い出す様子はありません」
「クロシェさんは、あんまり信用してない感じですね?」
直球を投げた咲羅に一瞬目を瞠ったが、彼は「そうですね」と肯定する。
「エラルに関することですので、セルシア院で保護することに否はありません。ですが、あなたの世話をさせることには不安があります」
今のところ、彼女を危険に思ったことはない。しかし、クロシェの不安も、当然に懸念されるべきことなのだろう。
「じゃあ、なんで彼女をつけてくださったんですか?」
「本人の希望を、ハーシェル王が受け入れた形です。今の王宮には人手が足りない。しかし信用できる人間を登用するための、時間もない。エラルの関係者であるなら、敵ではないだろうという判断です」
眉間に皺を寄せるクロシェを、ガゼルが笑う。
「お前がそんな顔してもね? 不満だだ洩れの表情でサクラ様を怯えさせるなよ?」
「別に怖くはないですけど。クロシェさんは生真面目な性格なんですね」
言うと、ガゼルが破顔した。
「お前、見抜かれんの早すぎ」
溜息をついたクロシェは、「出ましょう」と立ち上がる。
「どこか行ってみたい場所などはありますか。いろいろな店もあるので、気になるところがあれば入って構いませんよ」
「ありがとうございます。なら、地震の被害が残っているところを見てみたいです」
咲羅が何気なくしたリクエストに、馬の手綱を解いていた二人が静止した。
「あ……ダメでした、か?」
まずいことを要求してしまったかと焦る咲羅に、ガゼルがどこか満足そうな微笑みを湛えて言った。
「いいえ。どうやらあなたは、我々が思うよりもずっと、考えをお持ちのようだ」
それは少しは認めてくれたのかと首を傾げると、クロシェが馬に乗せてくれた。そうして自分も騎乗すると、ガゼルと何事かを話し合い、大通りを避けて馬を走らせる。




